拝聴2

 伊達はペコと頭を下げ、勧められるままに差し出された茶を一口飲むと「ほっ」と一息を吐いた。車酔いに始まり現地住民の底意地の悪さを見せつけられながら歩き詰めてきたのだ。畳と茶のもてなしはさぞ沁みる事だろうが、それ以上に、チヨと呼ばれる老婆の屈託のなさは毒気を抜かれる。母親でも祖母でもない、“近所の優しいおばあちゃん”というありふれた、けれども実際に見た事のないキャラクターがそこにいる。三流の創作物に登場するような、独り歩きした想像の産物ともいえる人物が実在し目の前にいるのだ。茶を飲みながら対面した伊達としても不思議な思いをしただろう。疲れのせいもあり、すっかり呆けてしまっている。そこへ、今度は岩井からこんな事を言われた。



「兄ちゃん、どうやね川垣は」


「あ、えっと……」



 唐突に感想を求められ困惑する伊達。どうだと言われたところで今のところネガティブな部分が多く、滅多に口にはできないだろう。グリーングローブ市で彼が満足した体験といえば車窓から眺める雄大な自然と駅前で食べたカレーくらいで、他はどれもろくでもないものばかりである。しかしこの好意的な老人に対して、「貴方の住んでいるところは最悪だ」と述べるわけにもいかず、伊達は返答までに時間を有したのだった。彼には咄嗟に方便を述べるような小賢しさや要領の良さが欠落している。人柄の良さと社会不適合性は紙一重なのかもしれない。



「酷いもんやろう。なぁんにもない。道路もガタガタやし、学校も医者も遠い。このままじゃ先が見えん。駄目やね。てんで」



 岩井は黙する伊達の答えを聞く前に、にこやかな表情で自ら住む町の絶望を口にした。一切曇りなく、個人的な感情すらない調子で、そう言ったのだ。



「若い人、どんどん出ていっちゃいますからね」



 ますます所感を述べ難くなった伊達をフォローするようにミオが割って入ると、岩井は「それよそれ」と身を乗り出す。



「畑仕事しとるのなんて年寄りばっかでなぁ。農家なんてどこも同じようなもんやろうけども、なんともならん」


「若い人なんかはやっぱり土に汚れる仕事なんてせんのよ。椅子に座ってパソコン触るのが全部やから」


「一次産業は大変ですからね。私もお手伝いさせてもらいましたけど、簡単にできるものじゃないなって思いました」


「そんな事ないよ。ミオちゃんは筋が良いから、手伝ってもらった時は助かったよ。でもまぁ、他の若い子が来てくれた事もあったけど、ありゃ難しいね。なにせ若い頃から土を弄っとらんし、草も花も分からん。慣れてない人がいきなりやるってなったら、そりゃできんよ」


「あぁ、市で企画した農業体験の話ですか」


「農業体験? そんな事やってたんですね」


「はい。二十代から三十代を対象に、農業に興味をもってもらおうっていう企画でして、体験後、移住希望の方がいたら土地と家と農具を一時的に貸すっていう話だったんですが……」


「だぁれも来んかったねぇ。私なんて一人くらい来ると思って大鍋の準備もしたのに」


「あ、そうなんですか……」


「あの企画は実績のない振興企業が安く仕事取ってきて無理やり納期に間に合わせたらしいから、正直あまりよくなかったですね。合併直後だったからそれなりに話題性はあったんですけど展開に失敗して思ったように人を集められなかったんで……TwitterとかInstagramのDMで依頼するとか無茶な方法で引っ張ってきたりしてたらしいですよ」


「それって、どれくらいの人数集まったんですか?」


「確か十三人です。後で私がレポート担当したんですよね。県から仕事飛んできて」


「へぇ。どうだったんですか」


「概ね満足度は高かったんだけど、やっぱり運営が杜撰だったからか進行管理への不満は目立ってました。ほぼ川垣の人に丸投げだったみたいですし」


「こっちは初めにある程度教えてもらっとると聞いとったからびっくりしたよ。鍬の握り方からなにから知らんかったもんやから」


「若いっていっても、今まで何十年と都会で育ってきた子らにいきなり畑仕事しろなんていうのは、やっぱり難しいねぇ。小学生とかだったら呑み込みも早いんだけども。いつだったか、ミオちゃんが連れてきてくれた子達ね。あの子らは本当によかったねぇ。素直だし、慣れとった」



 チヨが言う「ミオちゃんが連れてきてくれた子達」というのは、ミオがかつて受け持っていた子供農業教室に参加していた子供達の事である。市から要請で参加者を募り子供達に農業を教えていた業務なのだが、彼女はそこで座学から実践までを行っていたのだった。グリーングローブ市での農作業体験もその一環である。



「あの子達ももう中学生になってますね。何人かはまた来たいって言っていたので、今度一緒にお邪魔しますね」


「そりゃええわ。そしたらウチでずっと面倒見たるわ。そんで畑継いでもらって、俺らが動けんようになったら介護してもらおう」


「あんたぁ、そんな都合のいい話はないわ。私達はこのままどっちかが先に死んで、残った方も孤独死するだけよ。虫のいい話はあかんて」


「そうやな」



 笑えない冗談の言い合いは当人たちにといっては愉快かもしれないが、聞かされる方からしたら困るものである。ミオも伊達も、複雑な表情で固まり、揃って苦し紛れに飲んだ。

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