視察3

 実際のところ伊達に共感する人間は多いように思う。かつては「仕事だから」で理不尽も水に流せていたかもしれないが今はそういうわけにもいかない。個人の意思が尊重され許される昨今では、人格否定や差別などは最も大きな悪として数えられている。時代の発展と共に人権意識は高まっているのだ。

 もっともそれは建前的な話であり、一部では依然旧態依然の価値観が横行しているのも事実ではある。ミオの仕事もその類で、滅多な事では問題にできず泣き寝入りという事も多い。そのため退職者も少なくなく、慢性的な人手不足に悩まされているが解決の見込みはない。官界と民間の悪いところ取りのような企業体制においては高いストレス耐性と公私の切り離し能力が求められ、そこに順応でき得る人材は稀有であるからである。


 その点でいうと、ミオは高い適性を持っていると判断できるだろう。彼女のポジティブなメンタルと割り切りの潔さは戸田や狩谷も評価している。能力もさる事ながら、この適性の部分こそが、彼女を重用している理由なのかもしれない。



「そろそろ行きましょうか、あまり長い事休んでると、業務不履行になっちゃますからね」



 笑顔のままそう促すミオを、伊達は静かに見据えた。



「鳳さん、辛くないんですが」



 彼の口から出てきたのは素朴な疑問であった。社内外から言葉で傷付けられながらも

 弱音すら吐かないミオの精神構造がどうなっているのか、些細な事でも惑い迷ってしまう者として気になるところなのだろう。



「辛い? どうして?」


「だって、色々な人から酷い事言われてますし」


「うぅん、そうですね。普通の人なら辛いと思うかもしれませんね」


「普通の人なら?」


「そうですね。普通の人なら」


「鳳さんは普通じゃないんですか?」


「あ、それって結構な悪口ですよ、伊達さん」


「すみません、そういうつもりじゃ……」


「でも、分かります。つい、そんな態度取っちゃうんですよね、みんな」


「え?」


「私が綺麗だから、素直になれなかったり、嫉妬したりしちゃうんですよ」


「……?」


「持って生まれた人間の定めといいますか、税とでもいいますか、特別に美しいから、普通にコミュニケーションを取るのが難しいんだと思うんです。私は美しいからそういった人の心境とか分からないんですけど、だからこそ持たざる人達の気持ちを尊重しないといけないというか、お気持ちを汲んであげないといけないないのかなって。さっきの植木さんだってそうです。助けてもらわないと生きていけないというのも勿論あるのですけれど、私があまりに刺激的すぎるから、困らせて愉悦に浸りたいという邪な心もあるんですよね、きっと。だってそうじゃなきゃわざわざ家に来て障子を張り替えてなんて言いますか? 言いませんよね。あの人、結局私と二人きりになりたいんです。それはそうですよね。そうなんですよ。そうなるんです、人間って。だって私って芸術品みたいなものですから、近くに置きたいって、普通は考えてしまうんですよ。伊達さん、サモトラケのニケやミロのヴィーナスはご存知でしょうか。いずれも欠損した美術品なんですが、あの二作品は欠損しているが故に人間の想像力が掻き立てられ、実際以上の価値を生み出していると聞きます。私はですね、あの作品が欠けていてよかたなって思うんです。考えてもみてください。欠けていて、想像力で補うからこそあるはずのない美を見出せるんですよ。つまり、私以上に美しかったかもしれないという妄想に耽る事ができるんです。もし完全な状態で現存していたら、きっと今より美術的評価は低かったと思うんです。完成していたらそれ以上の点数はつけられないわけじゃないですか。つまり、私がいる事で自動的にワンランク下がってしまうという事になるんです。あの二つの彫刻は不完全だからこそ私よりも美しい“かもしれない”という付加価値を得ているんですよ。逆に言えば、私は世界的な彫刻と同等かそれ以上の美的存在というわけです。だから普通の人が私を前にしたら、そりゃあ平常心ではいられなくなりますよ。私はそれを知っているので、何を言われようが別になんともないんです。美しく生まれてしまったので、仕方ないですね」



 早口で捲し立てるミオに、伊達は「はぁ……」とため息のような頷きをするしかなかった。怒涛の自己賛美と独自解釈を前に圧倒され、言葉を失ってしまったのである。



「それに」


「あ、まだあるんですか」


「こっちの方が重要です。というより、私の美しさについては周知の事実ですのでわざわざ説明するまでもなかったかなと今更ながら思ったんですが……」



 だったら言うなと伊達は思っただろうが、彼は言葉を呑み込んだ。



「悪い人ばかりじゃないんですよ。色々な方がいらっしゃいますけど、お昼に入った喫茶店のおばあちゃんとか、とっても素敵じゃないですか。そういう人達のために私が何をするべきなのか、何ができるのかって考えると、辛いなんて考えられなくなります。いつだって、楽しいですよ」


「……そうなんですか」


「そうなんですよ」


 ミオの瞳は輝いていたが同時に暗示のようでもあった。間違いなく彼女の言葉ではあったが、強く、セリフがかった口調はどこか不自然で、声の後に歪な響きが残っていた。




「そうだ。この先に岩井さんという方がいらっしゃるんですが、少しご挨拶していきましょう。伊達さんも、きっと会えてよかったって思いますよ。じゃあ私、外で待ってますね」


「あ、鳳さん……」




 伊達の返事も聞かずにミオは一人で外に出ていった。山と田畑と、それから青空しかない小さな集落の午後、美人とはいえない顔で、彼女はずっと笑っていた。


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