真珠と豚1

 接待の場として用意した“木曽路の雪”は完全個室であり居酒屋と料亭の中間に位置するような飲食店であった。

 地方の料亭で修行を終えた大将が手の届きやすい価格で料理を味わってもらいたいというコンセプト基に出店。コースメニューの他、単品での注文も可能であり、老若男女が日常の中でちょっとした特別感を楽しみたい時等に利用される事が多い気の利いた店である。




「すっかり接待御用達のお店になっちゃったから、落ち着かないんだよね。この個室」



 ヒメと狩谷は一足先に入店し、先方が来るのを下座で待っていた。あてがわれた部屋はテーブルタイプの六名掛け席で、四名分の敷き紙と箸と徳利が既に用意されている。



「たまには他の店にしてもいいんじゃないでしょうか。レストランとか。私、丁度いいところ知ってますよ」


「そこに個室はある?」


「いや、なかったと思いますが……でも、政治家じゃないんですから、ある程度のクラスなら問題ないかと」


「あの豚の鳴き声を他の客に聞かせるわけにはいかんだろう」


「……」



 ヒメは小さく頷いた後、諦めたように背もたれに身を預けた。三ツ谷の下品な大声がレストラン中に響く姿を想像したのだろう。



「本当に、なんであんな人間がそこそこの役職に就いているんでしょうか。昭和ならともかく」


「上からしたら分かりやすくて使いやすいし、特に指示することなく発注コストを安くしたり納期を早めたりしてくれるから、駒として使いやすいんだろう」


「その駒に使われるこっちの身にもなってほしいですね」


「まぁいずれ許されなくなる日もくるだろう。なに、こういう時代だ。いつ突き上げを喰らうか分からんし、そもそもこの手の駒は使い捨てられるようになっている。いざとなれば“個人が勝手にやった事。厳しく指導して再発防止に努める”とか言って解任すれば済む話。想定以上にバッシングを受けたとしても一ヵ月すれば別の報道に掻き消えてみんな忘れるよ」


「なんだかドラマみたいですね」


「フィクションみたいにそこで終わればいいが、生憎と人生は長く続く。悪玉の代わりはだいたいまた悪玉になるんだ。俺達みたいなのは生涯そういったクズを相手にしなければいけない」


「狩谷さん、先程私に対して“悲観的”と言っていましたよね。今の台詞、私と同じくらいネガティブだと思うんですが」


「俺がネガティブだから、君にはポジティブになってほしいんだよ」


「詭弁ですね」



 冗談を交えた会話は良好な作用を促しヒメに小さな笑顔を生じさせた。彼女はこの日、初めて白い歯を見せたのだ。

 ヒメとて人の事であり、感情がないわけではない。休日は撮りためているバラエティ番組を再生して腹を抱える事もあるし、洋画を観て感傷に浸る事もある。ただ、社会の環境はあまりに彼女にとって厳しいものであり、笑っていられる状況にない。他人と違うヒメは、いつも羨望、嫉妬、畏怖に晒され気の休まる時がないのだ。誰も彼女を理解しようともせず、「美人」「スタイルがいい」「嫌味」「気が強い」といった一次的な情報だけで判断する。親でもなければ子でもないのだからある意味正しい関係性であるものの、ヒメはあまりに多くの人間から関心の対象となってしまい、必要以上に他人から寄せられる上辺だけの感情について過敏となっているのであった。そのため彼女の中では人間がカテゴライズされており、近付いてきた者に対して「またこの手の人間か」と諦観する事もしばしばあった。その行為こそ自分が辟易としている一時的な情報での判断だと気付かずに。




「そうそだ、ないとは思うが、もしかしたら仕事についてを聞かれるかもしれない。資料は用意してあるか?」


「勿論です。五部ありますので、狩谷さんにも渡しておきますね」


「いや、俺は自分で印刷してきたからいらない」


「あ、そうですか。それなら少しお伺いしたいのですが、ページ中頃にある“グリーングローブ市の住民における勤労意欲について”の部分、どう思われますか? そこ、記載の通り全部データ上の推測で書いているので、的外れだったら困るなと」


「いいんじゃないかな。実情とも合致しているし、それに……」



 狩谷はふと言葉を切り口を噤んだ。まるで、言ってはいけない事を言ってしまいそうになったといったような、そんな風である。



「どうなされましたか?」


「いや、それにしてもアレだな。岩永さん、君、グリーングローブ市に行った方がいい。この資料自体の完成度は高いが、実際に目にした方がよりいい物ができる」


「コンペに勝ったら向かいます」


「是非そうしてくれ。あぁあと、駅前に喫茶店があるんだが、そこにあるカレー、美味しいからおすすめだぞ。出張の際は是非食べてみてくれ」


「覚えていたらいただきます。あ、他に気になる点とかありませんか?」


「誤字が一点」


「え? 本当ですか? どこ?」


「ほら、ここ、“伐採依頼の追加発注による費用が~”のところ。“依頼”が“以来”になっている」


「あ、本当だ、修正ペンで直します」


「……いや、姿勢を正せ。いらっしゃる」




 複数の足音が個室に向かって近づいてくる。ギシリ、ギシリと床の鳴き声が止まると、襖の外から「お連れ様がお見えになりました」との声が聞こえ。ヒメと狩谷は立ち上がった。瞬間、襖が開く。



「やぁお待たせしました。どうもヒメちゃん。相変わらず美人だね君は」



 開口一番そんな事を言うのが接待相手の一人である三ツ谷であった。。

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