接待2

「珍しく遅かったね」



 狩谷は既に入口におり、使い古した電子タバコを咥えていた。その表情は暗く影があり、憂鬱を胡麻化すためだけにリキッドを体内に入れているという風である。



「煙草、やめた方がいいと思いますよ。世情的に」


「ストレスがなくなればこんなものいつでもやめてやるんだけどね。如何せん、気に入らない事が多すぎる。俺の気苦労を知ってくれれば街の良識人達も持ち前の共感性を発揮して、慈悲深い心で許してくれると思うよ」


「大衆はいつだって少数派の事を無視しますよ。自分達の作ったルールで物を量り、正当性がないと判断すれば、気持ちも心情も関係なく排斥してきます」


「随分とひねた考え方をする。そう悲観するものでもないだろう。それとも、そういう経験があるのかい」


「……」



 ヒメは何か言いかけようとしたが、胸に仕舞い込んでしまった。これ以上の論争は無意味だと思ったのか、それとも言いたくない事を言いかけたのか、本人以外に知る由もない。



「まぁ議論したところで埒のない話だ。結論は各々の長い人生の中で見つけるとして、そろそろ出発するとしよう」


「……そうですね」



 意見の相違について特に折り合わせる事なく二人は駅の方向へと歩き出した。接待開場は電車を使って二駅を過ぎ、三駅目で降りて徒歩五分のところにある。鉄道を用いたこの経路では正味三十分は必要で、タクシーを捕まえた方が圧倒的に早いのだが、公と民、両方の特性を持つ組織の性質上、安易に公共交通機関以外の移動手段を用いるわけにはいかなかった。一部であっても公金が使われているため、節制している姿を見せなければならないのだ。

 この風習、慣習について狩谷は「くだらない」と常々公言していた。交通費が出ないのであれば自費で賄うとも言っていたが、「市民の目がある」という理由で却下され辟易としながら喫煙室で電子タバコを吸い、憂さを晴らしたのだった。



「日本が最も輸出している工業品は車だそうだが、俺達はそれを使えない。おかしいとは思わないか」


「……」


 歩きながら狩谷はぶつくさと文句を述べるもヒメは答えないし、狩谷も返事など求めていないようだった。もう何度も同じようなやり取りをしているからだろう。



「市民の目がある。血税が使われている。その通りだ。正論過ぎて反論する余地などない。しかし、移動時間にも給料は発生するわけだ。結局のところ金は使われている。であれば、何もしない移動時間を削った方が有効だと俺は思うんだがね」


「……」


「俺達は退勤済みなわけだからそんな理屈は通じないと言われるかもしれない。しかし、誠に遺憾ながらこれから給料など出ないくせに仕事の話をしに行くのだ。結局これも業務の内。俺達は無償奉仕をさせられている身でありながら、タクシー代をケチられているという事になる。会社の金で飯を食わせてやるんだからいいだろうと上の連中は言うだろうけども、それこそ税金の無駄遣いだとどうして分からないのか。そもそも公金が入っている企業が接待など普通するかね。しかも自治体とか国営組織などを相手にだよ。この金のサイクルこそ不健全な血税の使い道じゃないのかね。そうとも。昔、俺は言ったんだ。民間がやるような仕事をしているのであれば、この企業の存在価値がないと。にも拘らず何も変わらない。結局ご機嫌伺いに根回し、口利きをする毎日だ。あの頃からずっと同じなんだここは。馬鹿馬鹿しい」


「……」



 酒に酔っているのかと思うほどに狩谷は恨み言をひたすら吐き続ける。社内での毅然とした態度が嘘のように女々しく陰気で、鬱陶しい。しかし、実のところこれが彼の素の性格なのである。会社では立場もあるため弁え表に出ないようにしているが、信頼のおける人間の前では豹変し肩書を外した人格がしばしば現れる。彼がこのどうにもならない姿を見せるのは、戸田とヒメだけ。他の人間は、誰しも威圧的でワーカホリックな印象しか知らない。

 そういう意味でヒメは狩谷の信頼を勝ち得ているといえるわけだが、彼女にしてみればいい迷惑だろう。これだけグダグダと解決しようのない愚痴を聞かされたところでヒメにメリットがあるわけでもない。職務における狩谷は冷酷な程公平かつ平等であり、誰が相手だろうと絶対的な判断軸をずらすことがないのだ。ミオと行った会議の時にヒメを見捨てるような発言をしたのもそのためである。つまりヒメは、狩谷と二人きりの時、延々と不平不満を聞かされながらも特別に摂り成されるような事はないため、聞かされ損になっている状態なのである(一応上長の右腕としてのポジションにはついているが彼女の能力を考えればそれは狩谷でなくとも成り得た立場である。狩谷が上司であって発生する利点は業務経験以外ないといってもいいだろう)。

 



「すみません。チャージを忘れていましたので、先に行きます」


「あぁ、そうか。気を付けて」



 駅に近付くとヒメは適当な言い訳を述べて歩を速めた。チャージ忘れなど、彼女がするはずがない。狩谷から離れる口実である。




「人に愚痴なんて聞かせても、何の解決にもならないのに」




 小さくそう呟くと、ヒメは駆け足気味に歩き人混みに紛れていった。



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