岩永ヒメの受難3

 ヒメにとって男から好色的な態度を取られる事は慣れていた。いや、慣れ過ぎていたといってもいいだろう。彼女の美貌は男の性を掻き立てる魔性を持っており、意図せずとも邪を抱かせ、理性を消失させるのである。ただ美麗というだけではない。目鼻の形が、唇の厚さが、髪の艶が、身体のラインが、全てが雌としての能力に特化して肉付いており、本人でさえ制御不能な誘惑要素を常時発生させているのだ。高値の花は返って性的魅力を損なうともいうがヒメに限ってはまったく該当せず、男であれば誰しもが欲情し、生唾を飲む。空腹時に好物が出てくるのと同じでその情動には抗えない。高いモラルをもった者などは彼女と出会った事さえ後悔するのだった。

 その傾国といえる容姿と肉体については彼女自身、大いに持て余している。だからこそ「顔なんてどうでもいいじゃない」などといえるのだが、最初からそうだったわけではない。ヒメとて女である。優れた容姿を持って生まれた自分に酔いしれる時代がなかったわけではなく、過去、自らの最大の長所として誇っていた。幼少期などは行く先々で可愛い可愛いと持て囃され、その度に得意気になるものだから自尊心が肥大化していき、未熟な精神は日に日に増長していったのだった。物心つく頃には自身の魅力を理解しており、幼いながらに男を手玉にとっては都合よく動かすまでとなる。

 気に入らないのが同年代の女児であろう。美を理解していたヒメの態度について強い嫉妬と嫌悪を抱いた彼女たちは、徒党を組んで陰湿な嫌がらせなどが始める。無視に始まり窃盗や器物破損、誹謗中傷など、可愛らしくも残酷ないたぶりが行われていった(面白いのは、彼女たちはヒメ以外の女にも同様の仕打ちをしていた事である。その相手はヒメとは対照的に不細工な男女だった。非凡な人間はいつの時代も往々にして虐げられるもののようだ)。


 それでも、ヒメは挫けなかった。

 降りかかる理不尽は突出した美貌のためであると納得し受け入れ、何があっても落ち込むことなく前向きでにこやかに笑う彼女の姿はより一層魅力を増していったのである。そして歳を取る毎に女として洗練されていき、中学、高校と進むにつれて益々と輝きを増し、身に起こる悲劇さえも美を彩る装飾に変えていったのだった。悲劇でさえ宝石のように輝くヒメの人生は全てが芸術的で、眩暈を催す。その美は、彼女に自信を与えた。

 ヒメは「自分ならできる」という絶対的な確信を生み、文武において優れた成績を見せていった。彼女が一流と呼ばれる大学に進学できたのは、ひとえにその美貌のためといっても過言ではない。強い行動力と意識を支える絶対的な自信は結果に繋がった。絶世の美女として生まれた彼女が一流と呼ばれる大学に進学できたのは必然といっていいだろう。また、進学後も大いに励んだ彼女は、常に成績上位者として名を連ね、特に統計学などで優秀な成績を残したのだった。データ処理と傾向の分析。そして特異性を見つける着眼点。どれをとっても一流であり、彼女自身ものめり込んでいった(自身さえ俯瞰した目線で捉えるあたり、最初から才覚とセンスがあったのかもしれない)。容姿の他、頭脳まで持ち合わせたヒメは才色を兼ね揃えた女性として雑誌やテレビなどでも紹介されるようになっていったのだった。


 陰りが見え出したのは大学三年生。いよいよ就職活動といったところである。勉学優秀で常に成績上位だった彼女はある日、こんな噂を耳にした。



「教授に取り入ってるんだって。顔がいいからさ、成績なんてどうにでもなるのよ」



 それは女同士のお喋りの中で口から出た戯言であり、根拠もなにもない、「そうだったらいいな」というレベルの妄想だった。ヒメ自身そんな真似などした覚えはなく、また、煙が立つような、軽率な事もしていない。そもそも女性教授が開く講義だって秀を取っていたのであるから、女達の言葉が事実無根であるのは明らかであった。取るに足らない、くだらない風説である。しかし、この言葉がヒメを大いに狂わせたのだ。



「私は努力してきた。勉強もしてテストも受けて、結果を出して評価されてきた。なのにどうして!」



 下宿先のマンションに帰るとヒメは叫んだ。初めて不当な扱いに怒り、悲しみを抱いた。話しかけても返事がなかったり、私物を隠されたり壊されたり、時に暴力によって痛めつけられたりしても揺るがなかった彼女の心に初めて綻びが生まれた瞬間だった。これまでの努力が、費やした時間が、全て「顔がいいから」の一言で片づけられ、過程をなかったことにされたのだ。その傷は深い。


 極めつけは就職活動で訪れた企業の面接だった。彼女を見た途端、面接官が皆同じ顔をするのである。にやつき、獲物を前にした獣のような、醜い雄の顔を。そして、また自室で叫ぶのだ。「あいつらは私の顔しか見ていない! 実績も知見も知識も意欲も情熱も、すべて度外視して私の顔と身体を求めている!」と。



 岩永ヒメは、彼女自身の美によって羽ばたき、彼女自身の美によって落ちていったのだった。

 彼女は今も、地を這っている。

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