出張2
「カレーですかね、やっぱり。鳳さんはどうなさいますか」
「私はレモンスカッシュで」
「え? 食べないんですか、お昼」
「はい」
「どうかされましたか? 電車酔いしました?」
「そういうわけではないんですが……」
伊達は不思議そうな顔をしていたが、何かを察したのか、「あぁ」と納得したように声を出し、小声で耳打ちをする。
「もしかしてこの店、めちゃくちゃまずいとかですか?」
食欲不振のミオを見てそう判断したのだろう。声を潜めたあたり良識は見られるが、言葉を選ばない点においては不躾である。
「そんな事ないですよ。むしろ、休日だと満席になるくらいには人気あります」
「こんなところに人が来るんですか?」
「この辺りならまだレジャーの範囲かなという感じです。近くにある市営公園を目当てに来る人もいるんですよ。川を引いてきて釣り堀なんかも営業してますし」
「そうなんですね。なんだ、陸の孤島なんて揶揄されてる割に、意外と遊ぶところあるんですね」
「……」
口ごもるミオは目を窓の外にやった。意図的に返答を濁しているといった様子である。これに対して伊達は追求しようとしたのか身を少し乗り出したが、店の扉が開く音を聞いて反転。入口を見る。人影が、女がそこにはいた。年齢は三十中盤といったところか、寝間着と外行の中間にあるような服装を纏った女が一人立っている。化粧はしておらず、まとめられた髪は毛先にいくにつれ弱々しく細く、束ねられきれずにボサボサとしていた。箒が使い込まれるとあんな具合になるだろうか。傍目から見ると、手入れが必要のように感じるくらいに野放図である。
「あれぇ、サト、どうしたん」
その女に、老婆が慣れた口調で声をかけた。「サト」というのが名前だろう。サトは気怠さを隠そうともせず、老婆に近付いていった。
「今日、迎えに来れんくなったから、バスで帰ってって伝えにきたん」
「あぁ本当。なんかあったんかねぇ」
「放課後に学校の集まりがある。出んといかん。タクも行きたがっとるし」
「あれそぉ。楽しんでおいで」
にこやかに笑う老婆と対照的にサトは仏頂面を崩さずにフラフラと立っていた。会話など本当はしたくないという心の内が見て取れる。恐らく、彼女は老婆を疎ましく思っているのだろう。
そのサトに、いつの間にか立ち上がったミオが近付き右手を差し出した。
「お久しぶりです。サトさん」
どうやら知り合いらしいが、サトの表情は変わらず不怪訝そうなままであった。差し出された手も触れず、一歩後ずさりをする。
「どうも。こんなところに何度も来るなんて物好きな人やね」
「好きで来てるんですよ。仕事ですけど」
「へぇ、好きで」
一瞬、サトの顔に笑みが現れた。しかしそれは好意を表すものではなく、排他的な、嘲笑的な、敵意を含んだものであった。
「都会に住んどる人はこんなところがいいのかいね。私には分からん。さっさと帰った方がええよ」
「コレ、何を言うんかね。失礼やないの」
「……」
老婆が割って入り、サトは口を閉じた。その代わりにミオを批評するような目でじっと見据え、そして、またクスリと笑った。
「すんませんね。ま、そんなに好きならゆっくりしてってください。それじゃあ」
捨て台詞のように一言漏らし、サトは店から出ていった。残った三人は一様に困ったような面持ちとなり停止していたが、すぐに老婆が「ごめんねぇ」と口を開いた。
「あの子、前にもミオちゃんに失礼な事言ってたなぁ。申し訳ないよ。ごめんねぇ」
「いえ、私は気にしてませんので。むしろ、こちらの配慮が足りず……」
「そんな事ないよぉ。あの子ねぇ。ずっと都会に行きたいって言ってたから、ミオちゃんが羨ましいんだろうねぇ」
「……」
「あんたの人生なんやし、都会に行けばええのにって言っても“でも”“だって”で全然ここを出ていく気配がなかったんだよぉ。そんでいつの間にか結婚して子供もできてねぇ。あんな調子だから、孫もどう育つか……まったく、不憫だよ」
老婆は大きなため息を吐いて客席に座り込んでしまった。心なしか一つ二つ歳を取ったように見える。
「あぁ、ごめんねぇ。そこのお兄さんも、つまらんところ見せちゃったねぇ」
「いえ、僕は大丈夫です。ところでおばあさん、あの人は娘さんですか?」
「えぇ。そうですよ。そんなに綺麗じゃないでしょう。どうも、私じゃなく父親に似てしまったみたいでね」
老婆の冗談を下手な愛想笑いで返す伊達は思わずメニューを手に取って顔を隠していた。表情筋の機能不全を自覚しているようである。
「あ、ごめんね。なにかいるかね。なんでも注文してね」
「私はレモンスカッシュをください」
「はいはい。レモンスカッシュね。相変わらず食が細いねミオちゃんは」
「すみません」
「いやいや、いいんだよ。それで、お兄さんは」
「カレーください。あ、大盛ってできますか?」
「はい、できますよ」
「じゃ、それでお願いします」
「はい、じゃ、ちょっと待っててね」
「……大盛」
老婆が奥に引っ込んでいくと同時に、ミオが呟いた。
「どうかしましたか」
「いいえ、なんでもないです」
やはりミオは何かを隠しているようだったが、伊達は追求をせず、卓にPCを広げた。タスクが途中だったのを思い出したのだろう。なにせ、電車の中では風景に夢中で進捗が芳しくなかったのだ。ここで挽回するしかない。
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