出張1
早朝、出社時刻より二時間も前にミオと伊達は駅にいた。
「本当に公共交通機関で行くんですね……」
伊達の弱気な言葉に対し、ミオは「勿論」と断言する。
「昨日言ったじゃないですか。出張の許可が下りただけよしとしましょう」
「……」
閉口する伊達の目は空を向いている、恐らく、昨日の記憶を辿っているのだろう。
昨日。第一会議室。
急な出張が決まり、「どうやって行くんですか」と至極当然の疑問を口に出した伊達に、ミオは言った。
「電車とバス」
曰く、「ウチの会社は予算が厳しいうえ、本来予定にない出張なんですから社用車もタクシーも使えないですよ」との事。この瞬間、伊達の表情は凍り付いた。
彼がそうなるのも無理はない。なにせ、グリーングローブ市までは車の場合でも片道二時間、電車とバスを経由した場合は四時間かかるからである。新幹線を使えば東京から広島まで移動できる時間。軽い旅行だ。
こういうとグリーングローブ市はさぞかし遠いのだろうと思われるのだが、直線距離にするとミオ達の務める会社からはそう遠くない事が分かる。せいぜい越県する程度の長さでたかが知れている。ではなぜそこまで時間がかかるのかというと、酷道と呼ばれる整備の悪い道路と交通の便の悪さが要因となっているのだった。
グリーングローブ市には駅が一つあるのだが、上り下りともに一時間に一本しか発着せず、快速も特快もないので常に各駅停車の鈍行で進んでいく。また、駅についても集落までのバスは三時間に一本のうえ道のりは険しく、ひび割れたアスファルトに土と岩が混ざったような勾配の激しい山道を走行するためスピードが出せないのである。結果、移動だけで半日の労力が必要になるというわけだ。このためグリーングローブ市は国内有数の陸の孤島として名を轟かせており、一部の物好きからは聖地の一つとして数えられているのだった(実際に訪れる人間は稀であるが)。伊達の絶望も、理解できよう。
「昨日帰ってから考えたんですけど、レンタカーとか借りられないでしょうか」
「駄目です。移動しながらタスクこなさないと。あ、情報漏洩には気を付けてください。スクリーンフィルターつけくださいね」
「……僕、乗り物酔いしやすいんですよね」
「酔い止めとエチケット袋は用意しています。安心してください」
「……」
オブラートに包まれた伊達の抗議は虚しく否決。程なく到着した電車に乗り込む。流れるアナウンス。名前は聞くがそれだけで、得体の知れない行く先。走る車両はゆっくりと進み、山を抜け、林を抜け、トンネルを通り、時に渓谷を見下ろしながら、時に滝を見上げながら、科学と機械に支配された近代文明国日本とは思えない数多の自然を潜り抜け、ついにグリーングローブ市唯一の駅、川垣駅へと到着したのであった。
「軽いアトラクションというか、アドベンチャーでしたね。旅番組でしか見た事ないような光景ばかりでした。ちょっと面白かったです」
「そうですか。よかったです」
当初乗り気でなかった伊達も上機嫌。川垣駅までの風景は確かに明媚で美しく、観る物を圧倒する魅力がった。
「バスの移動もあんな感じですかね。そういえば昔、家族でスーパー林道って道を通って山奥の温泉に行った事あるんですよね。なんか楽しかったなぁ……」
「……」
「どうしたんですか? 鳳さん」
「いえ、なんでもないです」
ミオは何かを言いかけようとしたが、留めた。
「知らない方がいい」
そんな事を告げようとして、結局止めてしまったかのようだった。
「それにしてもお腹空きましたね。丁度そこに喫茶店ありますし、何か食べていきましょうよ」
「え」
「やっぱり山といったらカレーですかね。キャンプとかでよく作って食べますし。山菜蕎麦なんかもいいなぁ。稲荷寿司とか、五目御飯をセットで頼んだりしたらきっと美味しいですよ。あるかなぁ……」
「……」
「じゃあ、入りましょう。あ、ちなみに昼食代って経費で……」
「落ちません」
「ですよね……でもまぁどうせ千円程度でしょうし、それくらいは払いましょう。さて何を食べましょうかね」
ガラス張りのディスプレイに飾られているくたびれた食品サンプルをしばし眺めると、伊達は「決めました」と言って店内に入っていった。ミオは終始浮かない表情だったが、結局何も述べずに伊達の後ろに続いった。店内は薄暗く、鼈甲色のソファと木の机が時代を感じさせる。もう何年も変わっていないであろう風景は、死後世界といわれても納得するかもしれない。そう感じてしまうくらいに、現実味が湧かない場所だった。
「あのー、すいませーん」
「はぁい」
そんな雰囲気をより深くしているのが店の奥に座っている老婆の存在だろう。伊達の声に呼応しながらもここに在らずな状態。ゆったりとテレビの方を向きながら、寝ているのか起きているのか分からない塩梅で薄く目を見開いている。まるで空間の主といった、象徴的な姿であった。
「……おやぁ、ミオちゃん久しぶりじゃないのぉ。昨年はあんがとぉねぇ」
老婆が時間をおいて扉の方を向くと、歯の抜けた口を開き声をあげた。老婆は確かに、ミオの名を呼んだ。彼女を知っているのである。
「おばあちゃん、お久しぶりです」
「あ、お知合いですか」
「はい。仕事でしばらく、所有されてる畑の手伝いをした事があるんですよ」
「へぇ……」
「いやぁよく来てくれたよ。座って座って。なにするね。なんでも言ってね」
歓迎にされた二人は古めかしいソファに座った。ラミネート加工された半紙のメニューには『カレーライス』『ナポリタン』『トーストセット』『グラタン』など、どこか懐かしいオーダーが並んでおり、期待を裏切らずレトロであった。
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