企画2

「伊達さん」



 ミオの声に伊達の背筋が伸びる。叱責か、あるいは怒号でも飛んでくるのかと思ったのだろうか。引きつった顔と強張る身体には職員室に呼び出された学生を彷彿させる弱々しさと情けなさがある。



「伊達さん」



 再度呼びかけるも伊達の唇は動かない。閉じざるを得ないのか、固く真一文字に結ばれている。やや下を向き斜めの角度を維持した首元は今にも転げ落ちそうで、その姿はさながら断頭台に固定された罪人である。そして言葉を発する事ができず、ただ申し訳なさそうに項垂れるだけなのだ。


 伊達のこの黙り癖は彼が中学生の時に発症したものである。発症してしまうでき事が、その頃にあったのだ。

 当時、発育が遅かった彼はよく悪童に揶揄われては泣きながら帰宅し一人部屋に籠っていたのだが、その事実を誰にも言えず心に隠し持っていた。自身の幼い身体と、嘲笑されている事実を恥だと感じていたのだ。そんな伊達に対し苛烈な教育を仕込んだのが彼の父親である。塞ぎ込み、陰気な顔をする伊達に折檻を持ってして性格の矯正を計ろうとしたのだ。曰く、「軟弱な精神は叩く事によって巨木が如く芯が太くなる」との根拠のない理念によって一方的な暴力が行われ、少年の心には深い傷ができ上がり巨木どころか細枝にも匹敵する極細の支柱が完成してしまったのである。言い訳をしようが許しを請おうが理由を話そうが弁明しようが口を開けば下される鉄拳。殴られるたびに意思がおられていき、服従と従属こそが彼の依り代となっていった。傷付いた分だけ優しくなれるとか辛い経験が屈強な精神を形作るなどと謳う人間もいるが、一方的な暴力や恐怖による支配は負け犬を生み出す事しかしない。人間の心は叩けば叩く程に脆くなり壊れていくのだ。救いなく、理解者さえいなかった伊達は、いつしか自我を封じて争い忌避するようになった。立派な木偶の完成である。


 同情に値するが、だからどうしたという話でもある。

 彼に悲しい過去がある事は分かった。決して取り戻す事のできない少年時代が汚され、精神に虚弱性ができてしまったという事実は悲劇だ。そこに異論はない。子供の事のトラウマが成長しても尚障害となり呪いのように纏わりついている苦しみは決して他人には分からないものである。


 そう、分からないのだ。他人には。


 自分の苦しみや痛みは自分だけにしか分からない。証明もできないし伝える事もできはしない。所詮他人事。他人事は体感ではなく、言葉であり想像であり虚像である。「可哀想」と感想を述べる事はあっても、それは映画を観た感想と変わりなく、小説の最後にある解説と同等なのだ。第三者にとってみれば本当にそれだけのもので、それ以上干渉の余地はない。他人はどこまでいっても他人にしかなれない。


 それ故に伊達は一歩踏み出さねばならなかった。他人には理解できない自分の痛みを糧にして、人間として自我を、意思を示す必要があった。いや、本人が無理だというのであればそれはそれでいい。それこそ自分しか知らない痛みに打ちひしがれどうにもならなくなってしまったのだから他人にとやかく言われる筋合いはない。自分の痛みは自分だけのもの。他人に分かってもらう必要などない。

 だが彼は勇気を欲している。自身の過去を払拭したいと願っている。でなければ、体調不良の中でプレゼンを敢行しようとはしない。ミオの悪評に対して震えたりはしない。伊達は、これまでの惰弱な自分から抜け出そうと必死に藻掻き足掻いているのだ。ならば動くべきであり、脱却し変貌すべきである。過去を引きずる自分から、未来に向かう自分に。




「確かに、住民の方の意見は大事だと思います。でも……」



 伊達の拳に力が入った。指の一本一本が赤く熱を持ち、流れる血潮を滾らせている。プレゼンで醜態を晒した、ミオの悪評を聞き震えていた、同僚の言葉に反論できなかった彼の姿とはかけ離れた、男の、大人の姿をしていた。



「若い人間を定着させるためにはやはり変化は必要だと考えます。高齢化が進むグリーングローブ市の住人の意見ばかりを取り入れても進展はないのではないでしょうか。仮に僕があの辺りに住んでいたらやはりつまらないと感じますしもっと遊べるような施設が欲しいと思います。それがないのだったら多分転居するかなと」



 一呼吸の間だった。

 早口言葉のようにツラツラと止まることなく流れた言葉はところどころ裏返り妙なイントネーションを奏でていたが、いずれも彼の本心であり、自己の考えが反映された内容であった。そして、彼の意見こそ間違いなく、グリーングローブ市の労働力問題の要因の一つでもあるのだった。



「ありがとうございます伊達さん。そういう意見はもっとください。大変参考になります」


「あ、ありがとうございます」



 伊達は息を切らせて被りを振った。全身から流れる汗の量が尋常ではなく、フルマラソンを走ってきたのと言っても信じてしまうくらいに、疲労と達成感を感じ取る事ができた。



「確かに若い人を定着させるには若い人の感性を尊重させる必要がありますね。でも、そのうえで……」



 ミオは人差し指を立てて強調し、伊達に顔を近づける。



「地元住民の方にも納得してもらえるような案が必要のように思えます」


「あ、そこは変わらないんですね」


「当然です。やはり、地元の方にも健やかに生きる権利がありますからね。なので、今までとこれから。両方の世代が共存できる案を考えましょう」



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