企画1
「それじゃあ、企画の内容を考えようと思うんですけれど、伊達さん、何かいい案ありますか」
「そうですね……」
第一会議室に戻ってきたミオと伊達はすこし広くなったデスクに座りようやく企画会議を開始したのだった。太陽は既に斜陽を辿りつつある。この分では残業は避けられないだろう。
ワークライフバランスもそうだが、労務費と世情世論の観点からも残業は良しとされていない。しかしあくまでそれは建前で、仕事があるのであれば処理すべきという風潮は依然強く残っているのが実情である。ミオの会社においても上長連中は口うるさく「早く帰れ」と咎めるが、内心は残業などやって当然という価値観を有している。でなければ、彼らの明細に記載されている法定外労働時間の項目に、毎月三十、四十といった数字が刻まれるはずがない。
ミオに関しては不要な残業は避けるべきとして言動一致している。可能であれば定時に帰宅するし、過剰に発生した労働時間については帳尻をつけるべく早退や代休申請も行っている。が、悲しい事に理念と実情が著しく乖離しており、彼女はしばしば労働協定で結ばれた時間を超過する事もままあるのだった。それは彼女を重用する各部署の人間がいるのもあるが、ミオであれば何を頼んでもいいという乱暴な思考の持ち主もいるからである。戸田や狩谷のように、純粋にミオの能力を買っているが故に仕事を依頼する上役もいるにはいるが、中には女だから、不細工だからという理由で酷使する人間も確かにそんだするのだった。直轄ではないのだからそういった命令に従う義理も責務も本来はない。しかし、ミオは頼まれた仕事を全て請け負い実行してきた。そしてそういった対応は賞賛されないどころか軽視の対象となり、卑劣な侮蔑が囁かれるのである。「あの女、また無駄な仕事してるよ」と。
こういった不健全な運用については戸田の根回しによって改善されつつあった。彼は軽薄で無意識に差別的な発言をする悪癖はあるが公平な価値基準を持っており評価に色を付けない。人種性別宗教思想主義主張すべてに対してありのままを口にしてそれを揶揄したりもするのだが、だからといってレッテルを張る事はなかった。ある意味差別とは程遠い存在ではあるが、とはいえ、現代社会においては先天的、遺伝的、出生、本人の意思を考慮しない発言を行うのは極めて危険であるし、相手の尊厳を無視するのと同意である事から、彼の狼藉は許されるべきではない。ミオは軽率な差別発言を水に流しているが、一般的に考えると懲戒どころか裁判に発展してもおかしくないだろう。どうして今、企業に籍を置けているのか謎である。
話が逸れたが、要は残業を行ったところで咎められはしないという事である。それが必要なものであればなおさらだし、今回については狩谷がバックについている事から余計にうるさくいわれる事はない。故に、本人達さえ受容していれば終電に間に合う範囲で時間外労働に勤しめるのである。素晴らしい。
「そもそもなんでグリーングローブ市って若者がいないんでしょうか。どれだけ限界集落っていっても規模で考えるともう少しくらい数はいるような気もしますけど」
「林業中心だけど、実際に動いてるのはほとんど外部の委託企業で仕事がないからだと思います。周りに何もないし」
「山に囲まれてますし狩猟する人とかいないんですかね」
「最近は若い人の間で免許を取る人が増えてるらしいけど、グリーングローブ市は伐採用の区画と鳥獣の保護区が多いので狩猟できる範囲が狭いんですよ」
「そうなんですか。知りませんでした」
「伊達さん、調査したんですよね? どうして知らないんですか?」
「すみません。僕、データは調べたんですけど深掘りまではせず……」
「……」
ミオは大きく息を吸い込みペットボトルのお茶を一口飲んだ。漏れ出そうな溜息を抑える意図があったのだろう。
「少し乱暴な物言いになりますが、働き口がないんですよ、グリーングローブ市は。コンビニとかスーパーはありますがそれだって数が限られているし、そもそも非正規雇用が大半だから働き世代向けじゃない。この辺りをどうにかする必要性がありますね」
「観光地化しちゃうとかどうでしょう。せっかく自然が豊富なわけだし、レジャースポットとして宿泊施設とか飲食店とかバンバン建てちゃうんです。そうしたら人も増えるし雇用も生まれる。更に村おこしみたいにゆるキャラ作ったりB級グルメ売り出したり特産品をお土産コーナーに置いたり」
「駄目ですね」
「え、どうしてですか」
「まず費用が掛かる。店舗を誘致するためには区画整理もしないといけませんし、出店する個人や企業にも補助金や助成金を出さないといけない。次に、それだけやって人が来る補償がない。お金を使って効果がなかったら最悪です。もし効果があるというのであればその根拠を出さないと話になりません。それにゆるキャラ、B級グルメ、特産品なども既に多くの自治体が展開していますから、インパクトを出すには相当難しいでしょう」
「そ、そうですね……」
「それになにより」
「あ、まだあるんですか」
「はい。これが一番大事です。なにより……」
「なにより……」
「なにより、地元の人がそれを本当に望んでいるのかという問題があります」
「活気が出たら、嬉しいんじゃないでしょうか」
「グリーングローブ市は合併して住民の意見を無視した市名になりました。反発は強く、未だに遺恨が消えていません。そんな中で更に自分が住む土地を滅茶苦茶にされたら、どう思いますか」
「……お年寄りとかは反対するかなと思います」
「そうですね。だから駄目なんです。そこに住む人の気持ちを無視してしまっては、立ち行かなくなる」
「……そうですね。はい。分かります」
伊達は喉から出かかった言葉を必死で抑えるような様子であった。恐らく、彼の中でミオの意見に反する考えが言葉になったのだろう。だが彼にはそれを口に出す事ができない。生粋の無抵抗主義が、反論を抑制するのだ。故に押し黙り、何事もなかったかのように振る舞ったのだが、ミオは彼の異変を見逃さなかった。
「伊達さん、何か意見があれば言ってほしいんですけれど」
「え? あ、ないです」
「本当ですか?」
「はい」
「……」
不穏な空気が第一会議室に流れる。ミオに見据えられた伊達の額に、汗が滲んだ。
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