会議室の中で3
二元論のように生じた対極の構図。ミオとヒメ、双方折れる様子もなく膠着状態。無言の時は刻々と進み、無為のままに時計の針が傾いていく。
「時間の無駄ですね。黙っているのであれば、私の言う通りにしていただけませんか」
口火を切ったのはヒメだった。不満を隠そうともせず、立場や協調性など考えもしないといった態度でミオに対して強く言葉を投げかける。だが、ミオとしても黙っているわけにはいかない。
「貴女がリーダーなら従いますけど、残念ながら今回はそうじゃないので」
「それが納得できないです。私はずっとこのプロジェクトのアサインが決まっていて、先方とも話を詰めてきたのに、ここにきて急に貴女がリーダーに任命されるなんて納得できるわけがありません」
「それは狩谷さんと話していただけると助かりますね」
「何度も話しました」
「なるほど。それで、狩谷さんはなんと言っていましたか」
「今回は胸を借りるつもりで鳳さんに協力してくれの一点張りです。話しになりません」
「では、辞退なされたらいかがでしょうか。今ならまだ人員の切り替えが可能ですし」
「さっき言いましたよね。私、ずっとこのプロジェクトのアサインが決まっていたんです。辞退するのであれば貴女のほうじゃありませんか」
「そうは言いますけれど、私も仕事ですし、頼まれたからには無責任はしたくないので」
「だったらリーダーを代わってください」
「それも任命した狩谷さんに言っていただけると」
「だから、狩谷さんには何度も相談済みです」
「では、どうにもならないんじゃないですかね」
「貴女が退いてくれればどうにでもなるんですよ」
一転舌戦話。しかし論争は終着点が見えず平行線を辿るばかり。主導権を握るために躍起になるヒメと権限の有無を理由に取り合わないミオとの間では致命的に噛み合わず解決する余地がない。ともかく双方の主張が強く、また、双方とも引く気配なく、終わりのない諍いが続く。会議室の人間はオーディエンスと化して久しい。ハブとマングースの見世物を眺める観光客のように他人事で、ヘラヘラと笑う者さえいる始末。当事者意識が欠如しているのか、仲裁する者も諭す者もいない。彼らの中に誰か一人でも良識を持つ人間がいればこの非建設的なやり取りは過熱することなく軌道修正できたかもしれないが、そうではなかった。人選が誤っていたともいえよう。
……実のところ一人、今か今かと機を伺っている男がいるにはいた。伊達である。彼は一人拳を握り、ミオとヒメを見比べてはいつ止めに入ろうかと臨戦態勢をとっていたのだが、どうも及び腰、尻込みしてしまっている。というのも、彼は元より調子が良い割に気が弱く、揉め事となると一歩下がる性格をしている。喧嘩など苦手な質で、参加するのも見るのも大きなストレスに感じてしまうのだった。伊達の心理としては、勿論二人の争いを止めたい。世話になっているミオを擁してヒメを黙らせたいところであろうが、それ以上になんとかしてこの状況から脱したいというのが一番にあっただろう。エンドレスの堂々巡りを解決する手段は一つしかない。彼がそれに気が付いたのは、会議室に張り出してある組織図が目に入った時であった。閃きのまま、伊達はノートPCのキーボードを振るえる指でタイプしていき、タンッ。とエンターを叩いた。
「埒が明かないですね。ここまでの時間、どう補填するつもりですか。何も進展ないですよね。責任をもってリーダーを辞するべきじゃないでしょうか」
「貴女が言いがかりをつけてこなければスムーズに進んだんですけれど」
「言いがかり? 私が? それこそ言いがかりじゃないですか。私は正当な権利を主張しているだけです。それに、貴女がリーダーになるなんて誰も納得していないんですから」
「納得の有無は問題ないでしょう。組織で動く以上はある程度の我慢はしていただかないと」
「貴女がリーダーという点以外は我慢しますよ」
二人の間で燃え盛る炎は依然収まる気配がない。それどころ、より強く熱気を帯びていき危険な状態にまで達している。言論での折衝が付かない場合、行きつく先は一つ。暴力である。腕力を絶対とする野蛮の理でしか解決する道はない。幾度となくヒートアップを重ね修羅場と化したこの状況、どちらが先に理性の鎖を手放すかといった末期的最終段階。二人の距離が徐々に近づきはじめ、理知が、知性が、感情が、原子の時代へと逆行を始めるまで秒読みといったところ。もし仮にそのような問題を起こせば双方ただではすまないが、人間同士の戦いとは結局のところ損得が度外視される事が大半なのだ。直情が先行したまま後先を考えるなどできるはずもなく、一線を越えてから先に立たない後悔を起こすのである。
だが、幸いなことに二人がそうした何一つ実に成らぬ過ちを犯す前に、バランサーとなるべき人物が会議室へと乱入してきたのであった。
「どうかな、調子は」
控えめなノックが三回。直後に開く扉。そこにいたのは……
「狩谷さん……」
ヒメの直属の上司であり、本プロジェクトの責任者でもある狩谷だった。
「どうしたんですか、急にいらっしゃるなんて」
「伊達さんからチャットがあったんだよ。少々討論に熱が入り過ぎているから様子を見に来てほしいと頼まれたのでこうして来てみたんだけれども、確かに白熱しているね」
ヒメの視線から隠れるようにして、伊達は身を縮めた。
「ともかく、二人供座ってくれないかな。ちょっと経緯を聞きたい」
狩谷の介入により、一旦は収束。会議室での一触即発は落着となる。
しかし、ミオとヒメの間に生まれた溝は深いままで埋まる事はなく、プロジェクトは進行していく事となる。
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