会議室の中で2
美しいというだけで罪が許されるわけではない。社会生活を営む人間は法という絶対的尺度によって罪過の等級が決められており、万人がこれを覆す事はできない。さすがに小さな集団において六法に基づく判決を下すというのは不可能なわけであるが、共通の規範や道義的価値観を有している事が前提としてこの世界は機能しているため、規模の如何に関わらず人は平等な関係を築けるのである。
というのは建前の話。見てくれ声などによって受け手の心証が変わるという事実は歴史を見れば明らかだし、そこまで大袈裟でなくとも、少なからず差別的な扱いを受けた経験は誰しもがあるだろう。「どうしてあの人だけ」あるいは、「どうして私だけ」といった不条理は生きていく以上必ずどこかで訪れる。そして、ミオとヒメがいる会議室は、まさにそんな様相を呈していた。
「無駄に煽るなぁ鳳さん」
「大人げない感じはする」
隅で聞こえてくる小さな声はミオを非難するものであった。
客観的に見れば非があるのはヒメの方である。初対面の席でいきなり進行を無視し自身の見解を述べるなど非常識であるし、内容自体も正当性を感じられなかった。常識にとらわれない異端児といえば聞こえはいいが、社会的不適合者といってしまえばそれまで。そもそも異端が求められる場でもない。例え内心で非合理的であると思っていたとしても、まずはリーダーの指示に従い様子を伺うのが正しい行動であろう。これは業務能力云々ではなく一般的なコミュニケーションの話である。だいいち、納得いかないにしても伝え方がある。挑発的に述べ、一蹴されたら不貞腐れ怒鳴り散らすなどまるで子供だ。
にもかかわらず、ヒメの肩を持つ者がいるというのがまさに理不尽。理知的とはいえない判断が世情を動かす、ポピュリズムの縮図のような光景である。衆人はどれだけ公平性を保とうとしても、好き嫌いで判断を下しがちなのだ。会議室に集う衆人の中でミオは悪役としての人格を植え付けられ、見えざる悪徳が付与された。土着信仰の神が悪魔として伝わったように。ミオは全員から背徳の象徴として認識されてしまったのだった。
「じゃあ、時計回りで自己紹介を続けてもらいましょうか」
この冷めきった空気の中でもミオは変わらず、そして、周りの人間は渋々といった様子で彼女に従う。誰もミオに対して食って掛からない辺りが実に衆愚的であった。これもまた社会性とコミュニケーション能力であるが、馬鹿にしたものでもない。全員が名乗り、趣味を述べる頃には微笑が生まれるくらいには改善した事を鑑みると、そうした通俗的な精神もまた必要であるように思える。
ミオへの猜疑心は燻っていたかもしれないが、立った角が丸くなるくらいの柔らかい空気が流れていた。一同の緊張も解れ、時間も次のステップに進むのに丁度いい塩梅。用意していたスライドをモニタに映し、ミオはファシリテーターとして、進行を続ける。
「はい。ありがとうございます。ではですね。簡単にですがこのプロジェクトの概要をご説明したいと思います。既にご存知とは思いますが。改めて共通の認識を持っていただきたいので、申し訳ないのですがお時間をください」
モニタにはグリーングローブ市労働生産性改善案のタイトル。プレゼンでの時と同じ資料を展開し、一先ずの状況説明を行う算段。会議室に会しているメンバーであの時出席していたのは伊達のみであり、その伊達も体調不良でいないも同然であったのだから、いまいちど説明を行う必要性をミオは感じていたのだろう。しかし、ここでも水を差す一言が入り腰が折れる。
「それこそ共有された資料を確認すれば済む話ではないでしょうか。自己紹介と違って内容は同一ですし、わざわざ時間を割く必要はないと考えます。それにその資料、ここに来ていて予め目を通していない人はいないのではないかと」
まともやヒメであった。彼女は再度、挑発的な言動でミオの進行を否定した。この時間が非合理的であり無駄であると糾弾したのだ。
これに対し、ミオは冷静に対処していくが、ヒメも負けじと食い下がる。
「人によって解釈が異なる部分もあるでしょうし、私としても補足を入れておきたいところがあるので」
「あとでテキストにまとめていただければ確認いたします。スライドにコメントを入れていただいても結構ですし、今更いろはのいからやるなんて時間がもったいない。早急に具体的な内容を決めて動くべきです」
彼女の獰猛な言葉に頷く者多数。一時下がっていたミオを容認する空気が再び元に戻り、弾圧、拒絶、排斥を皆が求めているように思えた。時代が中世であれば、この場で魔女狩りが始まっていたかもしれない。
「時間の無駄ですか。そうですね、確かに優秀な岩永さんであればそういう風に捉えるかもしれません。けれど、皆が皆、貴女と同じように考え、動けるわけではありません。もしかしたらここにいる全員が貴女と同じ能力を有しているかもしれませんが、異なる人間が集まる以上、必ずどこかで認識の相違が発生するでしょう。それを潰すために、イントロダクションの部分をしっかり把握していただき、同じ目標をもってプロジェクトに挑んでいただきたいと考えます」
ミオの発言は静寂を呼んだ。会議室の空気は重く、ヒリついている。
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