会議室の中で1

 プロジェクト会議が開始されたのはミオがプレゼンを行い蕎麦屋で戸田に蕎麦を奢られてから約一週間後の事であった。

 人員については狩谷の部署から三名、他から二名。そこにミオと伊達が加わり計七名といった具合。本来であれば六名稼働の予定だったが、急遽ミオのアサインが決まり七名での運用となった。狩谷も戸田も適材適所と口を揃えたが、伊達を除いても五名の人間が参画しているチームに外からリーダーとして任命されるというのはあまり例のない事である。炎上プロジェクトであればよくある事と一笑に伏されているところであるが、新規立ち上げ案件となるとまた違った意味合を持っていた。これはつまり、初期動員の人材ではマネジメントを任せられないという判断が下されたというわけであり、内心穏やかでない者がいる事も予想される。この事実が、ミオに不安の炎を燻らせているのであった。しかし、どれだけ考えたところでどうなる類のものでもなく、また、ミオの性格から一度決まった事を後になって反故にするわけにもいかなかった。彼女はいつ何時であっても、ポジティブなのである。



 チームの人間が初めて顔を合わせるのは、先週プレゼンが行われた社内第三会議室である。ここにミオがやって来たのは、定刻より五分程遅れての事であった。



「失礼します。お待たせして申し訳ありません」



 会議室に入ると既にチームメンバーは揃っており、全員が全員、ミオの方を見据える。構成としては男五名とミオを含めて女が二名。ミオは事前に顔と名前を把握済みである。

 この中で彼女が実際に会話をした経験がある者は半数程度。つまり、伊達を含めて三名で、残りはすれ違った際に会釈をする程度の関係性であった。垣根のない企業ではあるものの、一部でほぼ独立して業務を遂行する部署もある。狩谷が担当している情報分析室がそれに該当する。この部署は主にアナライズや調査業務を担当しており、業務上、守秘義務が特に厳しく設定され他所との連携が不可能である案件を多数受け持っていて半ばスタンドアローン。その特異性から他の社員と接する機会も少ない。ミオが会話をした事がない人間は、漏れなくこの情報分析室に所属する者であった。



 しかし、そんな相手を前にしてもミオが動じる事はなかった。



「今回はお時間いただきありがとうございます。このプロジェクトのリーダーを任された鳳ミオです。どうぞよろしくお願いいたします」




 社交辞令的に散発する「お願いします」の声、義務的なものであったが、無言よりははるかにましである。




「では、早速ですが皆様にも自己紹介をしていただこうと思います。同じ会社ですがお話しをした事がない方もいらっしゃるでしょうし、交流もかねて」



 お決まりのパターン。よくあるシーン。特に異論を挟む余地のないありふれた導入。異なる部署の人間が一同に介すのであれば避けては通れない展開。誰もがこうなる事を予想していただろうし、誰もがその準備を心の中でしてきただろう。しかし、そこに一石を投じる者がいた。




「顔と名前はデータで共有してありますから、わざわざアナログな手法を取る事もないのではないでしょうか」




 よく通る美しい声であった。

 そして、声以上に、美しかった。


 深く輝く黒髪。水晶色の肌。息をも吸い込む瞳。細く上品な肢体は身に纏う上質のスーツを霞ませる。起立して露わとなった全身を見れば、著名な彫刻家が彫った女神像に命が宿り動き出したといっても信じる者がいるかもしれない。何処を取っても隙のない芸術的といえる特級の美貌が、会議室の一角に息を潜めており、今になって動き出したのであった。その生きた美術品に対してミオは……



「データで見るのと実際にお会いしてお話をするのはまた違ってきますからね。せっかくですから、貴女から自己紹介お願いしてもいいですか?」



 ミオは屈しなかった。

 凡百な男であればその姿を見にしただけで窒息しかねない、女性であっても嫉妬すら許されない絶世の美女を前にして動揺さえもしていなかった。



「私、無駄な事はしたくないんですけれど」


「こうして、やる、やらないを騙っているこの時間こそが無駄とは思いませんか? 申し訳ないのですけれど、このプロジェクトのリーダーは私ですので、指示に従っていただきたいと思います」


「……」



 反論を予期していなかったのか美女は沈黙。しかし、ミオは更に続ける。



「すみません。お名前、伺ってもよろしいですか? あと、できれば趣味とか。あぁちなみに私はお料理です。作るのも食べるのも」



 容赦のない要求が続き、会議室に集う人間が唖然としている。美女がブサイク(と、あえて表現するが)に詰められている。いや、ミオに詰めているという自覚はないかのかもしれないが、第三者の目線で見た場合はそう捉えられても仕方のない状況である。胸のざわつきは抑えられまい。



「……」


「……」



 ……



「……岩永ヒメです」



 岩永ヒメ。それが、沈黙に屈して口から出た彼女の名であった。

 


「よろしくお願いします。岩永さん。それで、趣味は」


「ありません!」




 勢いよく叫び着席したヒメは明らかに怒っていたが、その姿も美しかった。

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