プロジェクトスタート3
戸田は悪びれもせず猪口に入れた冷酒をひと舐めすると感慨深げに「はぁ」と息を漏らした。余程酒が好きなのか、それとも飲み過ぎて酒でしか栄養が摂取できないのか、飲んだ瞬間に肌の張り現れ、声も溌溂となっていくように思えた。
「どの道このプロジェクトについては鳳さんで調整するつもりだったと思いますよ。他に適任いないし」
「ではなぜ最初に声がかからなかったのでしょうか。この話って、確か去年の終わりに出ていましたよね。その間なにもないなんておかしな気もしますけれど」
「色々忙しかったんじゃないですかね。混成チームなのは毎度の事だけれども、他の人間に経験積ませたかったってのはあるかもしれない。で、結局、妥当な人材が浮かばなかったと」
「それにしたって、急な話です」
「おや、やはり乗り気じゃありませんか。伊達さんの件を差っ引いても」
「……このプロジェクト、あまり健全じゃないと思うんです」
「と、いうと」
「依頼先のグリーングローブ市、最近省庁の方がよく出入りされているのですが、ご存知ですか」
「それは初耳だなぁ。どこでそんな話を聞いたんですか」
「住民の方々からお伺いしました。私、別案件でよく行きますので」
「鳳さん、そんな案件持ってましたっけ」
「他の方のお手伝いと、懇意の方にご相談させていただく際によくお邪魔しております」
「よく働きますねぇ……過労死しちゃいますよ」
「私の事については一旦置いておいてください。今はグリーングローブ市の話です。さっき言ったように、あそこには今、省庁の方が出入りしています。何をしているのかは分かりませんが、皆口々に“国がまた自分達の居場所を荒らしている”と噂しています。合併について依然受け入れられていない方が大勢いる中、また政府主導で勝手に事を進められようとしていると思っているようです。私情もありますが、倫理的にそういったプロジェクトに参加するのは気が引けます」
「とはいえ噂でしょう。たまたま国の人達が予算か何かの話をするために来ていたのかもしれないじゃないですか」
「戸田さんは本当にそう思いますか」
「……」
沈黙は答えであった。戸田もミオと同じく、グリーングローブ市に国の手が入っていると思っているのだ。いや、もしかしたら……
「お待たせしました。もり蕎麦と、おくらととろろでございます」
「あ、ありがとうございます」
「ま、まずは食べましょう。仕事の話は会社でもできますからね」
「そうですね」
二人はそれぞれが頼んだ蕎麦を手繰る。戸田については酒を飲んでいるからというのもあるのか、ものの数分で平らげてしまい、蕎麦湯がくるまで手持無沙汰だと言って更にビールを一杯頼んで顔を赤くしていた。「そんな様子で仕事できるんですか」と苦言を呈すミオに「大丈夫ですよ。私は会社にいるだけで仕事になるんだ」とのたまい、追加でそば焼酎を注文しようとしていたが、さすがにそれは止められ大人しく蕎麦湯を飲んで締めとなった。二人とも食べ終わると、束の間の余韻も程々に、戸田が伝票を持って会計を行い外へ出た。漂う酒の臭いが風に乗って届きミオは怪訝な表情を見せたが戸田は気にしもしない素振りで「美味かったですね」と上機嫌。帰社するまでの道中も大層嬉しそうにとりとめのない話を一方的に行い、他のサラリーマンと見比べると一人だけ週末の繁華街にいる人間の雰囲気を醸し出している。しまりのない顔はこれから夕方まで仕事をする人間とは思えない弛み様であり、それは「会社でいるだけで仕事になる」という彼自身の言葉に真実味を持たせるのにあたり十分な根拠となり得るのだった。
そんな戸田であったが、一瞬下がった口角が戻り、ミオに向き直る瞬間があった。
「さっきの話ですけれどね。まぁ、国が関与してますよ。合併の正当性を誇示するために色々動いているみたいです。私達に持ってきた仕事以外でも、似たような事業をやっているそうですよ」
この豹変ぶりにミオは多少驚いた表情を見せたが、彼女が自らの中にある感情を言葉にのせて戸田に伝えた。
「……では、私はあまりやりたくないです。元々合併の話も納得できませんでしたし、今回だってあそこに住む人々の意思を鑑みないものであれば……」
「なるほど。では、鳳さんは断りますか」
「……」
戸田の一言にミオは固まる。彼女はこれまで頼まれてきた仕事を断った事がない。それは彼女自身のポジティブも起因していたが、同時に多大な責任感と義務と自己犠牲の精神があったからである。自分が巻き取らなくては他の人に皺寄せがいく。自分ができるのであれば、自分でやればいい。そんな風にして彼女はいつも必要以上の業務をこなしていたのだった。そう、痛々しい程に。
「とはいえですよ」
黙するミオに対し、戸田の言葉は続く。
「鳳さん。考えようによってはこれはチャンスかもしれませんよ。確かにグリーングローブ市の住民は合併に納得していないし、このプロジェクトにも反対するかもしれない。けれど、鳳さんが主導となって市のため、そこに住む人間のためになるような企画を実行できれば、皆幸せになる。どうですかね。そういう風に考えて。今回の件承知していただきたいんですけれど。無論、私も手伝いますし、本当に嫌になったのであれば退いてもらっても構いませんが」
「……」
甘言といえばそれまでだったが、戸田の言葉に心が揺らいだミオは、一間を置き返事を述べる。
「……分かりました。お力になれるかどうかは分かりませんが、やってみます」
こうしてミオはリーダーとして新規プロジェクトのアサインが決まったのだった。
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