プロジェクトスタート2
しばらく椅子に腰かけ考え事に耽るミオだったが時間は直実に流れている。いつまでも固まっている暇はないぞといわんばかりにポンと軽快なポップがPCモニタに表示され、彼女から一時のビジーが奪われた。
狩谷の件で話したいんですが時間ありますか。
チャットの送り主は戸田であった。ミオはすぐさま“かしこまりました”と返事を打ち、使い捨てのウエスで会議室を掃除してから退室。風を切って歩き、デスクで目を細めながらキーボードを叩く戸田の前にやって来たのだった。
「お待たせいたしました」
「いや、待ってないですよ。急に呼び出して申し訳ないです。ちょっと、昼食でも食べながら話でもしませんかね」
「すみません。私、お弁当持参なんです」
「まぁいいじゃないですか。奢るから。ね」
「そこまで仰るのなら」
戸田の誘いに了承したものの、ミオの顔は曇っていた。
弁当は保冷剤入りのバックに入っているため腐らせる事なく帰宅できる。夜にでも食べればいい。唐揚げ用に仕込んでおいた鶏肉もどうとでもなろう。それよりも、昼のひとときが阻害されてしまうのを、彼女は嫌がったのだ。
ミオは昼休み、雨天以外必ず外で食事を摂るようにしている。駅と会社を繋ぐプロムナードの一角にある、噴水の広場。その隅にこっそりと設けられたベンチが彼女の特等席だった。水と風の音。太陽の光が彼女を包む憩いの世界。そこで過ごす時間の重要度は彼女のみ知るところであるからして、他人に理解などできるはずがない。そう、それは、他人には理解できないのだ。理解できない事を理由に拒否するわけにもいかず、ミオは陰で渋々としながら戸田の後ろをついて歩き、近場にある蕎麦屋の暖簾を潜ったのだった。「いらっしゃいませ」と歓迎され、小上がりの席に座り込む。
「もりと冷。鳳さんは?」
「……おくらとろろのぶっかけ蕎麦をください」
注文を終え給仕が下がると。戸田は茶を啜って一息ついてから口を開く。
「邪道ですぜ鳳さん。おくらだのとろろだのなんてのは。蕎麦ってのはかけかもり。天婦羅だってギリギリアウトだよ。粋じゃない」
「メニューにあるものを頼んだだけです。それより、戸田さんの方が問題なんじゃないんですか。まだ仕事があるのにお酒なんて」
「気付けみたいなものなので大丈夫ですよ。一合二号なんて僕にとってみればエナジードリンクと一緒なんですから」
「そんなだから毎年毎年肝臓の数値引っかかるんですよ」
「おっと、健康診断の話はやめてください。気が滅入る」
「では単刀直入に聞きますけれど、どういった御用があってお呼びになられたんでしょうか」
「チャットの通りですよ。狩谷のプロジェクト。担当されるんでしょう?」
「あまり気乗りはしませんが……」
「珍しいですね。いつもは“はい! 喜んで!”ってな具合だってのに。顔の悪口でも言われましたか?」
「いえ、私は綺麗なのでそんな事はありえないです。私個人が何かされたりしたというわけじゃないのですが、あのプロジェクトは元々伊達さんに割り振られたものでしたので、結果として横取りしてしまったような形になってしまい申し訳なく」
「狩谷言ってませんでした? 伊達さんには元々触りだけやってもらって、陣頭指揮は他の方に任せるつもりだったんですよと」
「伺っています」
「だったら何も気にする事はないでしょう。適材適所。真っ当な人員を充てただけに過ぎません。まぁ鳳さんの場合はタスク過剰なので、厳しいようならすぐにアラートを出してほしいですがね」
「とはいえ、プレゼン次第では可能性もあったわけじゃないですか」
「当日に風邪引く方が悪い。自己管理も仕事の内です。それに、体調が悪いのであれば事前に根回しもできたでしょう。それすらしなかったんだから、まるで駄目ですね。仕事を任せるわけにはいきません」
「それはそうですけれど」
「それに、さっきも言ったように、彼が主導するような事態には恐らくならなかったと思いますよ。なにせ信頼度が足りない。毎回毎回ミスをするようじゃ、いや、ミスを他人に尻拭いしてもらってるようじゃあとても任せられませんね」
「……」
強く、ありのまま過ぎる言葉故に賛同の返事はできなかったが、戸田の考え自体は否定するものではないといった様子でミオは押し黙ってしまった。彼の言う通り、事前に体調不良を申し出ていればもっとやりようがあった。前もって把握していれば会議での不穏な空気を作る事もなかっただろう。迷惑をかけたくないといった気持から無理を押してきたのかもしれないがそれこそ迷惑そのもの。彼の身勝手な行動はチーム、企業、引いてはクライアントに対しても失礼なものであったと、彼女も承知している。
「私、気持ちは分かるんですよ。頑張らなきゃって空回りしてる時の気持ち」
「誰しもが経験するもんですけれどね。だからといって許していちゃあ会社が潰れちゃいます。特にうちなんてのは半分税金なんだ。しっかりやってもらわないと」
真面目で、諭すような口調であった。彼にも若かりし日に、伊達やミオのような心境を経験したのだろう。その言葉の裏には上長としての責任が感じられ、ミオも素直に聞き入っていた。酒が運ばれてくるまでは。
「お待たせいたしました。先に冷酒ですね。お猪口は……」
「一つでいいです」
「はい。かしこまりましたぁ」
……
「お酒飲みながらだと、いい話も台無しですね」
「飲む前だったからセーフ」
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