プロジェクトスタート1
翌日。
無事資料作成を終えたミオはプレゼンが行われる会議室にいた。そこには彼女が務める会社の上役やクライアントの担当者が同席している。
会議室は決して狭いというわけではなかったのだが、大きな案件という事で出席している人間の大半は息が詰まっているような硬い表情を見せていた。殊更プレゼンターである伊達は今にも卒倒するのではないかと思うくらいに顔色が悪く覇気がない。瞼には隈。唇の色は薄く肌は死人のように白い。果たして緊張だけでここまでなるだろうか。いやならない。明らかに様子がおかしい。
「本当に大丈夫ですか伊達さん」
隣に座っているミオがそう声をかけるも伊達からは返事なく首を振るだけ。声も出せないという様相。
この日の朝ミオは多忙であり、伊達の異変に気が付いたのはプレゼンに入る直前であった。本来彼女には関係のないプロジェクトではあったが、足元覚束ず焦点が空を捉えている彼を見て放ってはおけず、急遽同席を決意したのである。
「それではそろそろ始めましょうか」
プロジェクトの責任者である部長、狩谷がそう述べプレゼンが開始。伊達がPCと会議室のモニタをHDMLで接続し資料を展開。そこには、グリーングローブ市労働生産性改善案と記されていた。
グリーングローブ市は関東にある複数の市町村が合併してできた地方公共団体である。人手不足で財政が厳しい市や点在していた集落をまとめるために一つとなったのだが、民意の反映は軽視されており反発も多くあった。何より最も批判が集中したのは市名である。森林資源の豊かな地域である事を世界に向けて発信しようという号令の下に決定されたわけだが住人はこれに反対。署名活動なども行われたが結局覆らず強行された。この背景には政治的な理由などが関与しているとされている。合併にあたり国が主導となって動いたという経緯が疑義を膨らませていたのだが、真相は定かではない。確かな事は、民意が反映されないまますべてが終わり、昔から住む住民のアイデンティティに穴を空けたという結果のみである。
そのグリーングローブ市は現在一つの問題を抱えていた。
労働を担う人手が不足しているのだ。
労働力問題についてはグリーングローブ市以外でも議題にあがっているのだが、他と違うのは転出率の高さである。市民の内、高齢者率は実に六割。半数以上が年金で暮らしている状況であり、財源が追い付いていない状態なのであった。この事態を解決させるために動いたのが、今からプレゼンが行われるプロジェクトなのである。受注先はグリーングローブ市となっているもののこれも政府主導であり、多額の金が動いているのは間違いなかった。国として、施策のミスを認めるわけにはいかないのだ。
なお、今回行われるプレゼンについてはひとまずとして現状のリサーチ結果と解決に向けての方向性を提示するのみとなっているためそこまで難しい内容ではない。それ故に、経験を積ませるため若い伊達に資料作成の任が与えられたのである。本人もステップアップに繋がると意気込み充分であったが、如何せん、彼はつまらないミスを起こす癖があり、今回も例外ではなかったのはご覧の通り。リスケの内容を見逃し、資料作成をミオに投げるという不始末を起こす。ここまでの失態を見せた以上、発表の場で挽回を務めようという気概はあるのだろうが……
「じゃあ伊達さん、初めてもらっていいかな」
「はい」
蚊の鳴くような声が落ちると狩谷の顔が渋くなった。「まずい」と、腹の中で呟いてるのが見て取れる。
「まず、今回についてはグリーングローブ市における労働力の現状を……」
ここまで述べて咳き込みが響く。喋っている声は極めて小さく耳に入れるのも難儀するレベルだったにも関わらず、銃声のように大きく乱発される気道からの音は会議室に座る一同の表情を一様に怪訝にさせたのだった。
「申し訳ございません。どうも伊達の体調が悪いようでして。鳳さん。代わりにお願いできるかな」
「かしこまりました」
ミオは伊達のPCから引き抜いたHDMLケーブルをPCに差し込み同じ資料を表示させた。念を入れてファイルを展開させていたのである。
「すみません」
小さく謝る伊達に対して「いいから」と労わり、ミオはそのままプレゼンを始める。
「それでは伊達に代わりまして、私がご説明いたします。まず現在、グリーングローブ市においては……」
「今日は助かったよ。ありがとう」
プレゼンが終了しお偉方を見送ると、ミオは再び会議室に戻っていた。狩谷に呼び出されたのである。
「とんでもないことです。これくらいならいつでもお手伝いします」
「そうか。じゃあ、申し訳ないけどこのプロジェクト、主導してもらっていいかい」
「え?」
「実はずっと誰に任せようかと悩んでいたんだよ。これ、そこそこ大きな案件だからハンドル握れそうな人間そういなくって」
「伊達さんは……」
「あれは元々最初のプレゼンだけやってもらう予定だったから。それもこんな結果になってしまったけれどもね。まぁ乗り掛かった舟という事でどうか頼まれてくれないかな。人員はこっちで用意するから」
「私の一存ではちょっと……」
「戸田には言っておくよ。じゃ、頼んだよ」
「あの、ちょっと……」
狩谷は聞く耳も靄ず会議室を出ていった。珍しく出たミオの溜息は誰にも聞こえないまま、会議室に消えていく。
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