鳳ミオは美しい3

 ミオは時に「甘い」と言われる。

 他者に対して怒気を見せた過去は数えるほどしかないうえ、最後には必ず許す度量を持ち合わせていた。例えば幼少期の頃、お気に入りの服を故意に汚された目に遭い憤慨極まったていたが、相手方が放った「ごめんね」の一言で全てを水に流して気にも留めない素振りで仲直りをしたという事があった。

 だが実際には彼女の心は大きく傷んでいた。汚れてしまった服は、誕生日に祖母から贈られたものだったのだから。

 彼女が相手を許す理由はない。平手打ちの一発でも食らわしてやり、絶縁を宣言してもよかったろう。社会的に見て、それが許される状況ではあった。あったが、彼女は手を取る道を選んだのである。

 この寛容さ、甘さは成長し社会に出ても健在であり、部下や同僚のミスは彼女の手によって救済されていた。それこそ目の前に立つ伊達も詰めが甘いため、よく修正され軟着陸と相成ったという事案も十では足りない。伊達が懐いているは、そういった事実も大いにある。


 伊達は決して無能というわけではないが先述のように詰めが甘い。企画し、実行に移すまでは非常に迅速で頭も回るのに、なぜかどこかで手抜かりがあるのだ。直近では都心の子供に田植えを体験するイベントにおいて肝心の稲を発注し忘れたり、害虫駆除のポスターに蜘蛛のイラストを用いたりと致命的な失態を披露する事が多く、その尻拭いにミオが奔走するといったパターンが定番となっていた。例に挙げた前者で言えば彼女のツテを使って用意した稲を代替とし、後者においては無理やり加工してアブラムシへと変貌させた。いずれもミオだからこそできる荒業であったが、円滑に運営、運用されてしかるべき物であるため評価される事はなかった。全てくたびれ儲けである。


 伊達はミオの助力を借りる度に「次は一人で完遂してみせます」と意気込むのであるがその志が成就された試しはかつて一度もない。そして、今日もまた、ミオに本来不要な仕事を押し付ける事となるであった。




「伊達さん、新規プロジェクトの方は順調ですか?」


「え? あぁ。はい。既に企画はできているので、後はガントチャートに沿って粛々と動いていくだけです」


「随分悠長な事言ってるけど、大丈夫です? 明日のプレゼン間に合いそう?」


「プレゼン? あれ? それって二か月後じゃありませんでしたっけ」


「伊達さん、周知チャットちゃんと見てますか?」


「え? あ、そういえば最近忙しくて……もしかして、進展あった感じですか?」


「……二か月前倒し」


「えぇ!? 嘘ですよね! 無理! 無理ですって! そんなの全部無茶苦茶になっちゃうじゃないですか!」


「だから、実働スケジュール自体はそのまま、プレゼンだけ先行してやる事になったんです。なんか偉い人の予定が合わなくなったらしく」


「……それって、どれくらい前に周知されてましたか?」


「一週間前」


「なるほど……急にタスクが組まれたっていう言い訳は使えそうにないですね……」


「そうですね。ちなみに今日ってどれくらいできそうですか?」


「あれってどれくらいのスライド量必要でしょうか。二十枚くらいならなんとか今日中にはできそうなんですが」


「あんまり長くても仕方ないし、それくらいでいいんじゃないですかね。ちなみに伊達さんのスケジュール確認しましたが、本当に大丈夫なんです? 今日結構ミーティング入ってるし、夕方から子供会って書いてありますけど」




 子供会とは地域の学童を集めてレクリエーションを行う活動であり、市町村から依頼を受け週に一度実施されている。その内容は様々だが、概ね身体を動かすものとなっており。不規則な生活を送っている人間には少々荷が重い業務となっていた。



「終わってから帰社して、残業で作成します」


「伊達さん、子供会の次の日毎回凄い疲れた顔してるし、この前腰も痛めてたけど、本当に任せていいんですか? さっきも言ったけど、明日結構偉い人いらっしゃるるんですが」


「……」


「……」


「……鳳さん、申し訳ないのですが、レポートの作成手伝っていただいてもよろしいでしょうか」


「分かりました。やっておきますね」


「すみません! 本当にすみません! ありがとうございます!」




 ミオの二つ返事に伊達は深々と頭を下げて詫びを入れる。見慣れた光景であり、徐々に出社してきた人間達がそれを目撃。反応は「またか」とクスリ笑う者、伊達の占有を苦々しく眺める者、我関せずと着々と業務準備に関わる者と十人十色である、




「すみません! ミーティングの準備してきます!」


「いってらっしゃい。気を付けてくださいね」


「はい! 失礼します!」





 伊達を見送り、ミオはPCに目を作成をやり引き継いだプレゼンの企画を確認する。ツラツラとレジュメをスクロールしながらキーボードを打ち、テキストファイルにメモを残していくのだが、軽快なタイプ音が、一瞬止まる。




「また伊達君に媚び売ってる」


「可愛い男の子を疑似的に飼いたくなるんじゃない? あんなだし」


「やだ、気持ち悪い」





 およそ学校を卒業して社会に出てきた人間のものとは思えない稚拙な言葉であったが、コネや縁故がない事もない。学生気分で務め、遊び半分に仕事を散らかす輩も少なからずいて、そういう者は必ず品生と常識と知性が欠如しており子供じみた言動をとる。必然。くだらない話に花も咲く。その花の芳香には胸を苦しめる毒があり、一般的には精神に有害とされるのであるが、ミオは違う。




「私は可愛いけどね」




 ミオはそう呟き再度キーボードを叩き始めた。

 強がりでもカラ元気でもなく、毒が回っている様子もない。彼女のポジティブが、毒を無効化したのである。鳳ミオとは、そういう女なのだ。

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