第3話 少女

 数回瞬きをし、もう一度よく箱の中身を覗く。


 そこには相も変わらず、一人の少女が眠っている。


「……はあ~何だよ、期待させやがって」


 武器であることを望んでいた若者にとって、箱の中身が生きている人間だったという事実は落胆を覚えるのに十分だった。


 しかし、高額な荷物の中身に人が入っていたという事実に、困惑することはなかった。


 人身売買。身代金目的の誘拐。この都市ではよく耳にすること、特に運び屋なんていう裏の職を行っている人間にとっては、猶更だ。若者自身が巻き込まれた回数を数えるには、両手では足りないだろう。


 それでも、若者はこれまで自分から関わろうとはしてこなかった。


 運び屋は依頼されたものに過度な干渉は行わず、荷物の秘匿性は保たれる。それ故この仕事にはカタギでない人種にとってはそれなりの需要がが存在する訳だが、それでも依頼主からは生き物か、そうでないか基本的に伝えられる。


 何故なら、生き物はどのように運ぶかで質が短時間で大きく変わるからだ。ストレスをかけすぎたり、乱暴に扱い過ぎると所謂鮮度というものはどんどん落ちていく。質が低くなれば当然、売値も低くなるのだ。


 ただでさえ扱うのが面倒な生き物という商品を売買する上では、単価をなるべく高く保つのこの手の商売人にとっては常識だ。


 故に、依頼主は最低限生物であるという情報を共有したがり、若者はそういった類の依頼はあえて避け、今まで一つとして受けたことが無かった。


 それでも現に若者は人間を運んでいた。


 依頼主のミスか、或いは、この少女は人として扱われていないのか。どちらにせよ、ロクな理由ではない。


「胸糞悪ぃ」


 思わず、そう毒づく。


 少女がくるまれていた布を顔の部分だけを少し外し、少女の顔をよく見えるようにする。


「……綺麗どころだな。格好もいい。外人か?いかにも良いとこの子供って感じ」


 少女は優れた容姿をしていた。整った顔の造形に、日本人離れした銀髪の髪と白い肌。


「海外の良家の子供を身代金目的で誘拐した……ってところか?……生きてる、よな?」


 箱開けられてからも少女は一切反応せずに目を閉じて動かない。


 呼吸音もか細く、死なれていても寝覚めが悪いので脈を測ろうと首筋に手を伸ばし、ちゅうどその時少女は目を覚ました。


 そして、自身に伸ばされた手……その人差し指を口にくわえた。いや、嚙みついた。


「おわ!って、痛ってえ!」


 鋭利な歯が自分の肉に食い込み痛みが走る。少女の口に含まれてるので見えないが、血の流れる感触が伝わってくる。腕を引き、振り回すが一向に振りほどけず、痛みは増すばかりだ。


「てめっ、ふざけんな!」


 少女の顔を手加減なしに押さえ、口を開かせて指から乱暴に引っ剥がす。確認すると案の定、人差し指からは赤い血が流れていた。


「お前!何すんだよ!」


 そんな怒りの声を無視し、少女は口に含んだものを味わうように舌の上で転がし、ゴクリ、一息に飲み込む。口元からは薄く一滴の血が流れていた。


「……覚えた」


「あ?」


 少女は布にくるまりながら上体を起こし、若者に視線を向ける。


「あなたの血、少し粘性が高い。食生活の改善を薦める」


「お、お前、本当に俺の血を飲んだのか?虫か!一丁前に感想言ってんじゃねえよ!」


「見るからにまだ若い。若いうちの無理は後々に響く」


「余計なお世話だよ!お前は親か!」


 少女は「ふむ」と首を傾げる。


「反抗期?」


「乗ってきてんじゃねえよ!」


 漫才じみたやり取りをしていると、外から車の止まる音と、複数の人間の足音が聞こえた。それらは今、自分がどんな状況に置かれているかを思い出させる。


「ちっ、結局丸腰かよ。おいお前、おとなしくしとけよな」


「どうして?」


「どうしても、だ。殺されたくなかったらな」


 そう言って少女を箱の中に押し込んでふたを閉める。


 武器は無い。箱の中身はただのいたいけな少女一人であり、若者にとっては何ら価値の無いものだった。


 外にいる奴らの狙いは荷物……つまりあの少女であるはずだが、だからと言ってあの少女に人質としての利用価値は無い。それは先程の奴らの狙撃から明らかだ。


 一歩間違えれば大事故に繋がり、荷物もろともダメになりかねない方法を奴らは平気で取ってきている。


 奴らにとって、少女の命の有る無しは関係ないのだ。


「まあ、これでも無いよりゃマシだわな……」


 積み込まれている建設用具の中から、振り回せる長さ程の鉄の棒を手に取り、閉じられたシャッターの近くに移動する。


 外からは人の気配を感じる。奴らにとってはこのシャッターも大した障害には成りえないだろう。奴らがシャッターをこじ開けた時、不意打ちの攻撃を喰らわせるために鉄の棒を構える。


 しかし、しばらくしてもシャッターが開かれる様子は無い。それどころか、シャッターの向こうにあった人の気配も無くなった。いや、遠くなったと言うべきか。では何故奴等は壊すべき障害に対して距離を取っている?


「っつ……!不味い!」


 急いでシャッターから離れる。その直後、轟音と爆風に襲われる。


「うがっ!」


 勢いよく壁に叩きつかれ、肺の空気が吐き出させられる。


「ば、爆弾とか……容赦なさすぎだろ……」


 そう辛うじて動く口で悪態をつく。


 しかし、強く打ったことで全身が痺れ、上手く身動きが取れない。


 爆発が収まれば、壊されたシャッターの向こうに、機関銃で武装した人間がいるのが見えた。1人,2人、3人……少なくとも十人近くいる。


 正に、絶望的と言っていい状況だ。


「大丈夫?」


 そんな状況を全く意に介さない、平坦な声が掛けられる。声のする方を見ると、箱に押し込んだ筈の少女が蓋を開けて、顔を出している。


「何で出てきた?」


「まだ聞いてないことがあった」


「こんな状況で?お前……死にたいのか?」


 少女はまたコテ、と首を傾げる。


「中にいたら死なないの?死にかけが言っても、説得力無い」


「……はあ」


 息をつき、反論を諦める。確かに少女の言う通り、この状況では例え隠れていようが、結果は変わらないだろう。ただ殺されるのが早いか、遅いかの違いだけだ。


「何だ?聞きたいことって?」


「名前……まだ聞いてない」


「名前?どうせ死ぬんだ、必要ねえだろ」


「どうして?」


 少女は首の角度をより倒す。その後「ああ」と合点がいったのか首を起こす。


「大丈夫。今からでも改善すれば長生き出来る。まずは不摂生から……」


「この流れでどう考えたら俺が健康寿命の心配してるって思うんだよ!」


 思わず身体の痛みを無視し、声を張ってしまう。


 少女は三度、首を傾げた。


「じゃあ、どうして死ぬの?」


 しっかりと目を見据えて問うてくる。本当に、理由が分からないようだ。


 狂った女だな、と思った。


 こんな危機的な状況で、他人の健康の心配をし、会ったばかりの人間の名前を聞こうとする。そんな常識外れの行動を、まるでこちらの方がおかしいとでも言いたげに、さも当然のように取って来る。


 出会い方から何まで、徹頭徹尾イカれた女だ。


 そして、そんな奴との会話をどこか楽しんでいる自分も大分狂わされているな、と自認する。


「灰……真白灰だよ」


「そう……変な名前」


「変な奴には言われたくねえな」


「変?誰が?」


「お前以外に誰がいるんだよ」


「嘘。真白の方が変。だって、さっきから死ぬ死ぬばっかり言って、意味不明」


「お前なあ、この状況ならどっからどう見ても……!」


 その時、荷台に大きな質量数回、乗り上げる感覚を覚えた。言葉を切って荷台の後ろを見やると、目線の先には、指向性の爆弾によって見事な大穴が開いたシャッターと、その大穴から入って来る武装した人間がいる。


 シルエットから察するに、入ってきたのは男三人だ。もっと人数がいたはずだが、恐らく荷台は手狭であるが故に、そして万が一獲物を取り逃さないように、外で待機しているのだろう。


 まあ、それでも丸腰の負傷者一人と少女一人には十分過ぎる戦力だ。


 男たちは武装したマシンガンの照準をこちらに向けている。


 後はただ、蜂の巣になるだけ。


「あ~あ、最期まで、糞みたいな人生だったな~」


 真白は負け惜しみじみた、言い訳じみた言葉を呟きながら目を閉じる。


 視界を遮ると、これまでの運び屋としての人生が思い起こされる。運び屋だけではない、その他にもあらゆる犯罪に手を染めてきた。


 多くの人間を不幸にし、その不幸を踏み台にして幸福を掴み取ろうとした、馬鹿で下種な外道。


 そんな自分にとって、この結末は当然なのかもしれない。糞のような自分にとって、お似合いの人生であり、お似合いな結末だ。


 そんなことを考えながら、引き金が引かれるのを待つ。


 しかし、いつまで経ってもその時は来ない。銃声ではなく、床に何か落ちたような、そんな鈍い音が響く。不思議に思って目を開けると、武装した男達が、うずくまって倒れていた。


 倒れた男達の身体が取り囲んでいるように、中央に一つの影が立っている。


「やっぱり真白の方が変」


 外から僅かに光が差し込み、全身を露にする。


 日本人離れした銀髪に白い肌。整った容姿には確かに誰もが目を奪われるだろう。だが真白にはそんなことよりも、ずっと目に付くことがあった。


 彼女の布で隠されていた肢体、その身には、白い拘束衣を纏っていた。


 袖は胸に生地に縫い付けられており、見るからに満足に動けそうにない。しかしその装いに反して彼女の様子からは一切の窮屈さは無く、平然と拘束衣を着こなしている。


「この程度、死ぬ訳がない」


 感慨なく、あくまで平坦に、彼女はそう言い放った。

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