第33話 剣山虎月
山間の森の中にぽっかりと開けた里はどこまでも静かでのどかだった。
海から渡ってくる風に木々がざわめく。
集落のはずれにあった社から出て、三人は再び霊山に案内され、古い屋敷へとやって来た。
築二、三百年は経っていそうな古い屋敷しかない。里全体が時間に取り残されているような気さえしてくる。
それぞれの屋敷が工房も兼ねていたのだろうか、どの家も大きかった。
老人は剣山虎月を見せることを渋ったが、それでも彩からの頼みは断れなかったようだ。
「寂れすぎていて、それが逆に何か起きそうな感じがしてくる里だよな」
一刀の感想だった。
たまに老人の姿を見るだけで、自然が発する音以外聞こえてこない。のどかを通り越して寂れすぎていた。
「古い探偵映画とかサスペンスドラマに出てきそうな風景に見えてくるよね」
「そんな事件には巻き込まれたくないな」
「それならもう巻き込まれているような気がするな」恵は笑う。「私たちって天地仁左のことを調べに来たルポライターか探偵みたいな立ち位置だよね」
「謎が謎を呼んでいるのは確かだが……」
彩の胡散臭さが、それに拍車をかけているような気がしてくる一刀だった。
老人は寂れた家の戸口に立つと、中に声を掛けることなく、扉を開く。
不用心にも鍵はかかっていなかった。
「人の家だよね」
「誰も住んでいないのか?」
埃っぽい臭いがする。
「ここは当屋の家ですよね?」
彩は霊山に訊ねる。
「そうでございます。ここに剣山虎月はございます」
「当屋って、途絶えたっていう家? 彩さんはどこにあるか知らなかったんですか?」
「私だってすべてを知っているわけではありませんよ。この里に剣山虎月があるという事だけ聞き及んでいたにすぎません」
「天地が秘密にしていたのか?」
「三振りの名刀は秘宝ではありませんよ」
「剣山虎月は里の守り刀にございます」
「それにしちゃ、誰もいないところで保管しているなんて不用心すぎやしないか」
「この場で守り、動かすなということですので」
「天地仁左がそう言ったのか?」
「ご先祖様の命です。天地様が唯一里に残してくれたもの。里の宝です」
「天地様の作りしもので里に残されたのはあの社と剣山虎月だけです。それ故に里の者はそう解釈していたのではないでしょうか」
「天地仁左はここで何をやろうとしていたんだ?」
それが一番の疑問だった。
「何も残されていません」
彩は首を横に振る。
「記録とか何もないのかよ?」
「里の者たちに災いが降りかからぬようにしたのではないでしょうか?」
「天地仁左の名が知れ渡っていたとしたら、そんなこと時の権力者が信じるわけがないだろう」
「天地様が存命中は迷い里ともされていて、人が立ち入ることが難しかったそうです」
「今はそうじゃないんだろう?」
「天地様亡きあとは往来が可能になりました。里への道も出来ております。私は天地様が里を継続させようとは思っていなかったと考えています」
「わしらはご先祖様の代から里を守ってきたのですぞ」
老人は気色ばむ。
「あくまでも私見ですよ。霊山殿」
「秘宝でも何でもないんなら、後生大事に抱え込むようなものでもないだろう」一刀は呟く。「ご先祖様だか何だか知らないが、そんなの糞くらえだ」
老人には聞こえていないようだったが、恵はハラハラしてしまう。
「家を相続する人は誰もいなかったんですか?」
「里を出ていった当屋もいます。もっともつながりを絶ってしまった者どもです。里のことなど知る由もないでしょうな」
「そんなものなのかねぇ」
「当屋は里のまとめ役でございました。ですが、その役を放棄して出ていった輩です」
「面倒くせえなぁ」一刀は言う。「継ぎたくないなら、それでいいだろうが」
「名を捨てたものに、里の遺産も不要でありましょうな」
老人は辛らつだった。
「それで、その刀はどこにあるんだ。床の間にでも飾ってあるのか?」
一刀は霧双霞がさっきから反応していないのが気になった。
トーヤの持っていた刀とは顔を合わせる前から共鳴し合っていたはずだったからである。
それとも、よっぽど厳重なところに仕舞い込まれているのか?
「こちらでございます」
霊山は明かりを灯しながら屋敷の中を進んで行く。
奥の広い部屋の襖を開け中に入ると、勝手知ったる場所なのだろう。柱のところへ行き、何かに触れると出てきたひもを引く。
壁が石臼を引くような音をたてて開いていった。
その奥は真っ暗だった。
老人はそのまま中へと進んで行く。
彩もそれに従った。恵も一刀もついていくしかなかった。
目が慣れてくると、少し周囲が見えてくる。それでも二人は手持ちのライトを点けた。
「ここは?」
「秘密の工房にございます。天地様が使われていたとされています」
「本当かよ」
「根府屋の地下とは全然違う感じがするね」
「雰囲気だけはあるがな」
「何も出てこないよね」
周囲をライトで照らしながら恵は言う
「たぶんな」
「ここにございます」
霊山は行き止まりまで来ると、さらに隠し扉を開くのだった。
恵は何が出てきても大丈夫なように三節棍を取り出して、一歩、彩の前に出る。
一刀もだが、何事も無く済むわけがないと感じていたのだ。
「あれが剣山虎月にございます」
ライトの照らし出される光の先に一振りの刀が、むきだしのまま飾り台の上に置かれていた。
柄もない。
刀身に光が当たり鈍く輝いている。
「どうですか?」
彩が一刀に訊ねてくる。
「何がだよ?」
「真偽を確かめるには、一刀さんの霧双霞に訊くしかありませんから」
「そういう事か」
一刀は肩に掛けていたケースから霧双霞を取り出すと、鞘から抜いた。
「彩様、あの者は何をするつもりですか?」
「確かめるのですよ。本物か」
「は?」
彩は一刀を見守り、彼の動きを追う。
一刀は上段に構えると刀を振り下ろすが、鋼同士がぶつかり合う音すらしなかった。
「偽もんだな」
霧双霞を鞘に納め振り返った一刀は言う。
飾り台の刀は真っ二つになって床に落ちている。老人は腰を抜かすのだった。
「何で斬っちゃったの?」
恵は一刀に訊ねる。
太陽は天空から少し西に傾き始めている。
「腹が立った」
「あれが偽物だったから?」
一刀は無言だった。
「お爺ちゃん落ち込んでいたよね」
「放っとけ」
「指摘するだけじゃダメだったのかな」
「信じなかったでしょうね」彩が代わりに答えてくる。「それにそのような物を後生大事に守っていても仕方がないと、一刀さんは思っていらしたのでしょう」
「本物だったら回収されていたから?」
「伝統や格式、家柄とかそのような因習はお嫌いのようですものね」
彩は目を細め、一刀を見ていた。
「悪かったな。そんなの面倒なだけなんだよ」一刀はぶっきらぼうに答える。「あれが正真正銘の虎月だとしても、守る意味なんてない」
「たぶん天地様もそのようなことは言っていなかったと思いますよ。必要ならきっと守り人がここにもいたでしょうから」
「そうだよね」
「里なんて守らず、出て行った奴らのように、自由にやればよかったんだ。過去の言葉に縛られる意味なんてねぇ。しかもそれが代々続くなんてよ。おかしいだろうが」
「そうですね。私も移住を勧めたことがありました」
「でも里は続いてきた」
「天地様の言葉は、天地様亡きあと自分たちの手で生きろ、神社を頼れば元の生活に戻れるという意味ではなかったかと考えるのです」
「じゃあ、なんで刀を残していったのかな?」
「里の者たちへの感謝であり、それを元手にすれば、当面の生活費くらいにはなると考えたのではないかと」
「勘違い。言葉の行き違い?」
「天地様の隠居先にまで押しかけていったお弟子様達ですが、あのお方は拒絶することなく迎え入れたのです。信頼していたのでしょう。彼らのご先祖はもしかすると天地様が戻ってくると信じていたのかもしれませんね」
「居なくなった奴を待っていたって仕方がないだろうが」
「そうですね。あの時、彼らを諭す方がいればよかったのかもしれません」
彩は彼方を見ているようだった。
「彩さんは? それとも殿様とか」
「私は当時若輩者でしたし、殿様の言葉でも仕事は請け負いましたが、あの場からは梃子でも動かなかった方々です」
「ばあさんと同じで、よく続いたもんだよな」
「確かに」彩は一刀の言葉にも笑っているようだった。「里からの使者が来た時には驚いたものでした。私が初めてここを訪れたのは乱世と呼ばれた時代の前くらいです。その後も何度か訪れていますが、両手で数えられるほどでしかありません。このように短いサイクルで訪れたのは今回が初めてです」
「十年経っているのにか?」
「ええ、私は人見知りですので」彩は白々しく笑いかけてくる。
「どの口がそんなこと言うのかね」
「それに一刀さんは私の過去も断ち切ってくれたのでしょうから、感謝いたします」
彩は一刀にだけ聞こえるよう恵からは離れて話すのだった。
「そんなつもりはねぇよ。勝手に決めんな。オレはこの里の雰囲気もあのじじいの言い方も好きじゃない。あんな刀を後生大事に守っているなんてのも嫌いだ。いつまでも偶像崇拝して人生を無駄に過ごすなってんだ。それに自分の子供たちの未来まで縛り付けるんじゃねぇよ。どこかでけじめをつけりゃあいいはずなのに、腹が立つ」
「生きているとどうしてもしがらみは増えていきますよ」
「関係ないね。そうやって自分も子供も縛り付けるなってんだ」
「そうですね。ありがとうございます。肝に銘じます」
彩の素直な言葉に一刀は困惑する。
そして、彼だけに聞こえるようにさらに付け加える。
「私だけではありません。一刀さんは恵さんも呪縛から解き放っていますよ」
「そんなわけねぇだろう。あいつは龍と出会って勝手に自分で立ち直っただけだ」
そうやって両親の死とけじめをつけたのだ。
「あなたが断ち切るきっかけを作ったのです。私と同じように」
「勝手に決め目付けるな」
「恵さんの表情は、儀式の前と後では全然違いますから」
彩は微笑む。
「やめやめ、この話は止め」
「では、少し遅くなりましたが、お昼にしましょう。良い場所があるのです」
「眺めがいいですね~♪」
甘めの卵焼きを美味しそうに頬張りながら恵は言う。
太平洋が一望できるちょっとした丘のような場所である。離れた所に戸氷の集落が見える。
里から北に少し離れたところにある緩やかな斜面に彼らは来ている。樹木が伐採され見晴らしがよくなっていた。
三人は思い思いに腰を下ろし、彩が用意したお弁当を食べていた。
「ここからの景色が好きなのです。気に入っていただけて何よりです」
水平線の彼方にコンテナ船が消えていく。
時折海面をわたってくる海風が頬を撫で、髪がなびいた。それが心地よく感じられる。
「何百年も経ってりゃ樹木も育つ。眺めも変わっているんじゃないのか?」
「それでも海は変わりありませんよ」
「なぁ、なんで天地はここに里なんて作ったんだ?」
一刀は大木の切り株の上で胡坐をかきながら食べている。
「本当は天地様お一人でここにこもられるつもりだったようでした」
しかし城勤めを辞めた彼を弟子たちは放っておかなかった。彼に付き従い里を作ったのである。
「私の推測でしかありませんが、天地様のご生地がここではないかと考えています」
「あいつの前半生は分かっていないんだよな?」
「天地様御本人が仰られていましたが、記憶がないのだそうです」
「本当かよ!」
「え~、記憶喪失?」
「気が付くと風上の地に居たそうです。年齢は見た目から推測されたとのことでした」
「それで歴史上に名前が出てくるのが、三十代から四十代の頃だったのか」
「名も何も分からずさまよっていたところを、その地の名主に助けられたという話でした」
「天地仁左って名前、最初からじゃなかったのか?」
「剣山と呼ばれていましたが、それは刀の名前であったとか」
「虎月剣山の名はそこから来ているのか?」
「そのようです」
「本物の剣山虎月はどこにあるんだろうね?」
「トーヤが持っていたのがそうだろうな」
「じゃあ里の関係者かな?」
「その公算が高いでしょうね。後程JESで調べてもらいましょう」彩の言葉に一刀も頷く。「天地姓は殿が与えてくれたものだそうです」
彩が初めて会った時はすでに天地仁左と名乗っていた。
「記憶はなくても知識とかは凄かったんですね」恵は感心したように言う。
「はい。最初に出会った名主の娘が天音様だったのですよ」
「ドラマですね~、彩さんはその辺りのことを書かないんですか?」
「恋愛小説が私に書けますでしょうか」彩自身面白がっている口調だった。「その後、殿の危機を救い、海葉城に召し抱えられてからの天地様は様々な分野で活躍されることとなります」
「それが隠居かよ。よく許されたな」そんな世情ではなかったはずだ。
「身を粉にして働かれましたから、その功に報いたというのが通説ですが」
「本当はどうなんだよ?」
「天地様が押し切ったようです。天音様の死を境に天地様は変わられてしまいました。国事よりも自らの研究に没頭されるようになってしまわれましたので」
「誰だって死ぬんだ。なんで受け入れられないんだよ」
「あの~」恵は申し訳なさそうに口をはさんだ。「こういうことを彩さんに訊くのは心苦しいのですが」どうしても気になっていた。
「どうぞ」目を細め隣の恵を見る。
「彩さんは、その……珠の、龍の力によって生き返ったんですよね? では、天音さんはどうして……その、できなかったんですか?」
「龍の力を理解できても、それを利用し、制御するのは難しいことだったのでしょうね。珠は龍によって生み出されたものです。それと同じものを作り出すことは困難を極めたのではないのでしょうか」
「つまり、コンパクト化できなかったとか?」
「例えるならそういう事です。龍の力を溜めて、維持できるような器を作ることができなければ、私と同じことはできなかった」
「バアさんはモルモットだったのかよ」
「私は天音様のことを見越しての実験だったのかもしれません。いえ、きっとそうですね。天地様自身半信半疑ではなかったかと思われます。術後はよく私の身体や体調を御調べになっていましたからね」
「よく、その天音ってやつに珠を使わなかったよな」
「天音様のために使っていただくのであれば、私も本望でした」彩は自分の胸に手を当てる。「ですが、天音様はそれを拒絶されました……」
「人の命を奪ってまでして、生きたくないですよね」
「そんなの背負いたくはないな」
「おそらくは……、いえ、そういうことだったのでしょうね」
「龍の力を使って、あの地下施設と『地』を維持していたんだから、てっきり制御出来てるもんだと思っていたんだがな」
「少々おかしい例えかもしれませんが、電力会社の伝線に勝手に線をつなぎ電力を拝借していたとお考え下さい」
「電力泥棒だった?」
「例えが悪いですが、そうなります」
「ここに来たということは龍の力をあきらめた?」
「新たな力を生み出そうと考えたのではないでしょうか。世間の喧騒を離れ、秘密裏に行うためにここに来たのではないかと思います」
「弟子が付いてきてりゃ意味がないだろう。それにオレはあの抜け穴でもよかったと思うぜ。あそこは要塞だったんだろうから」
「天地様の御意思に関わらず人がやってくることになるでしょう。それにあそこには天音様との思い出が詰まっているでしょうから」
「それを振り切るためにも場所を変えたのかな?」
「俗世から切り離されたような場所を求めたのかもしれません」
「仙人かよ。それで生まれたのが、この刀か?」
「そうなります」
「こいつで何をしようとしたのやら」
「何を斬るつもりだったのかな?」
「なあ、天地仁左はここにどれくらいいたんだ?」
「十年程でしょうか」彩は言葉を切る。そして「これは私の推測でしかありませんが……」
「言ってみろよ」
何かを言いかけて、話すことを止めた彩に一刀は言う。
「……天地様はどこかの時点で記憶を取り戻されたのではないのでしょうか」
「それに何の意味があるってんだ?」
「天地様はあの時代の人としてはたぐい稀なる教養を持っていらっしゃいました。まるでこの時代の人にも通じるような知識です」
「何が言いたいんだよ?」
「いまだ考えがまとまりません。ただ天地様が消えてしまわれたのはそれに起因していると私は思うのです」
「消えたってどういうことだよ?」
「文字通り、姿を消したのです。その時、天地様はご高齢でした。病に臥せっていたという話も聞きました。無様な姿をさらしたくなかったから、死期を覚悟して消えたと仰られる方もいましたが」
「あんたはそう思っていない」
「はい」
「相当年だったんだろう?」
「推定でも七十は越えていたと思われます」
「当時としては高齢ですよね?」
「私はまだまだご健勝であったと思います」
「死んだところは誰も見ていないんだな?」
「弟子たちは殿様の助力も得て足取りを求め周辺の山や森を探したそうですが、亡骸は見つからなかった。私は天地様が自ら死を選ぶような方ではないと思っています」
「目的があったんですもんね」恵も頷く。
「夢破れたのかもしれない」
「天地さん本人にインタビューできたならなぁ」
「私は不思議に思うのです。天地様は『萍』とともに消えているのです」
「ウキクサの所在が分からないのもそのせいか?」
「天地様晩年の成果である三振りの名刀のひとつとともに消えた。そのことが私には気になります」
「ウキクサによって何かが成されたとか?」
「そう思える時もあります。天地様の亡くなられた日は姿を消した日となっていますが、今も生きてどこかで研究を続けていらっしゃるのではと思うこともあります」
「彩さんを見ていると、あながち否定できない……」
「こいつはなんなんだろうな」
霧双霞を見て一刀は言う。
「不思議な刀だよね。形のないものを斬ったり、鍵になったり」
そう言いながらウィンナーを頬張る恵。
「名刀の謎を解くことが、天地様の考えに近づける手段なのかもしれませんね」
「そもそも、何でそんな名刀がうちにあるんだ?」
「三本の刀のひとつは国を守るために贈られました。それは殿を守るためです。風上武士団の中でも朧家は筆頭でしたから」
「その頃から強かったんだね」
「そうなんだろうが」
「信頼も厚かったと思いますよ。殿様が持っていても、出陣しなければ宝の持ち腐れでしたし。戦場で朧家の者たちは数々の手柄を立てていましたから」
「あんたはどこまで見ていたんだよ」
「俗世と離れていたとはいえ、世間と隔離されていたわけではございません。いろいろと噂は耳にします。霧双霞は朧家へ。萍はいずこかへと消え、虎月がこの里に保管されたのです」
「こんな小さな里、よく今まで続いたもんだよな」
「天地様のお弟子様とその子孫です。才はありました。戦国時代には鉄砲などの鍛冶工として名をはせた方も輩出しております。里の外に出て活躍された方も多くいたのではないでしょうか。もしかすると彼らの祖先もまた、死を信じず里を守り、天地様の帰還をお待ちしているのかもしれません」
「業が深すぎるだろう……。てことは天地の墓はここにはないのか?」
「墓碑の代わりにあの社があるだけです」
「そのわりにはぞんざいだよね」
「亡くなったんでなければ、手厚く守る必要もないだろう。結局、どこで生まれ、どこで死んだのか分からずじまいかよ」
「そうなっちゃうね」何者なのか分からずじまいである。「天地さんも、この景色を見ていたんだろうね」
「こうしてお二人に、この風景をお見せすることが出来て本当によかった」
何かが分かるとは思っていなかった。謎は深まるばかりではある。ただその謎を確認したかっただけなのかもしれない。
いや、彩自身がけじめをつけに来たのかもしれない。過去と決別し今を生きるために。
清々しい気持ちで空と海の青を見つめ、笑みを浮かべるのだった。
「結局、分からないことだけだ」
「お答えできる限りのことはお話いたしまた。この里のことは私も見聞きしただけで、知らないことが多いのです」
彩は一刀に謝る。
天地仁左が何を研究するためにこの里に居をかまえたか真の目的は分からない。さらに観音像の中に何があったのか、虎月はどこへ行ったのか、謎は増えていくばかりだった。
「面倒くせぇな」
最後の一口を口に運びながら一刀は呟く。弁当は美味しかったが、苦みも増してくるのだった。
「記憶か……あんたはどの時点で天地仁左の記憶が戻ったと思っているんだ?」
「それの確証はどこにもありません。移住を決めた時点なのか、それもと消えた直前なのか……私には判断できる材料がございません」
「そうだよなぁ」
弁当を食べ終わり、お茶をすすりながら海を眺める。
スマホで時間を確認すると、バス時間までまだ少し間があった。
ただ次のバスに乗り遅れると戻るのが二時間以上遅れることになる。
そんな時、一刀のスマホに着信が入る。
「大場さん?」一刀は電話に出る。「どうしたんすか? スマホに連絡なんて珍しい」
『通信機に出ないからだろう』
「ああ、すいません」
『今、大丈夫か? 家にいるのか?』
「違うよ、海嶺村」
『なんでまた、そんなところに』
「バアさんの誘いで」
『親戚がいるのか? それとも家族と一緒なのか?』
勘違いされて、大場は知らないことを思い出す。
「そっちの方が気楽だったかもな。それで何の用ですか?」
『歌鳥は覚えているか?』
「美術館で見た天地仁左作の木彫りの奴でしたっけ?」
キロウの襲撃に備え、JESで預かっていたものだったはず。
『そう、それだ。先日、彩さんがお前の霧双霞があれば動かせるかもしれないという話をされていたんだ』
大場は抜け穴の件や根府屋での陥没などの事後処理に忙殺され、すっかり巻物の件は頭から抜けていたという。
「それって結構重要なことじゃないか?」
『すまん。それで手伝ってもらいたくて、連絡しているんだ』
一刀は彩を見る。
「ここのことを話してもいいか?」
「かまいません。霊山殿には申し訳ないですが、こうなってはJESにもお知らせすべきだと考えますから」
『近くに誰かいるのか?』
スマホをスピーカーに切り替え、二人にも聞こえるようにする。
「恵とバアさんが」
「お婆さんじゃなくて、彩さんです」
恵が口をはさむ。
『恵ちゃん? 彩さんもいるのか? 一刀、そこで何をやっているんだ?』
「天地仁左絡みでここに来たんですよ。見せたいものがあったようだからね」
『なんだって! 三人だけでか?』
驚くだろうし、怒られるよなと一刀は思う。
「そうなります。そっちで手伝うのはいいですが、迎えに来てくれませんかね。帰るのが大変でさ。ついでにこっちで調べてもらいたいことがあるんで」
一刀は社の観音像のことと偽の剣山虎月の話をするのだった。
それを聞いた大場は、すぐさま番場に報告を入れる。連絡を受けた平田らとともに現場に向かうことになった。
JESからヘリが飛び立つ。
彼らが現場に到着するのに、大場とのやり取りから一時間も経っていなかった。
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