第15話 大祭(後編)
神輿が通過する度に沿道からは司目掛けて御水が撒かれ、大団扇がそれを阻止せんと振り回される。
中には六尺以上もある大団扇もあった。
元々は地区の旗とともに応援のためのものであったが、いつの頃からか司を御水から守るために用いられるようになってきた。
見物人は司に直接触れることや進行を妨害することは厳禁とされている。例外が御水撒きである。
道幅が狭くなると神輿や司との距離は近くなる。
大量の御水によって視界が遮られたり、石畳だったりすると、濡れて足元が取られやすくなったりするのである。
団扇役は応援の他に御水撒きの視界を遮ることや司への御水を防ぐ役割を担っている。
塔と塔を結ぶ参道は片側二車線取れそうなくらい広く沿道の人たちとは距離を取ることが出来たが、町内の道は狭いところも多く塀や軒の上から大きな桶を使って御水が撒かれることもあった。団扇役は大団扇を担ぎながら神輿と並走することもあったくらいである。
町内ごとの声援も熱が入る。
苛烈な沿道からの励ましの中、司は塔を巡ることになる。
恵は歩くよりは早いくらいのペースで走っていた。
持久走よりもゆっくりで、早歩きか小走りのような感覚かもしれない。
十月に入ったとはいえ、日が高くなるにつれて気温は上がり暑くなってきた。
静龍地区に入ると三重塔、金武が間近に迫ってくる。
王武ノ塔が徳の塔と言われるなら、金武ノ塔は力、武を示す塔と称されている。
静龍地区の人々は気性が荒いとも言われ、彼らが一斉に声を合わせると合戦の合図のように轟わたる。
気の小さいものが通過しようとすれば、震えあがり先に進めなくなることもあったという逸話も残っている。
途中で和佐とすれ違う。
かなり疲れているようにも見えた。
嵐のような声援に気圧されながら走ると、恵は金武ノ塔に入る。
入口で静龍の人々の盛大な御水が恵に降りかかる。まるで滝のようだった。
御水の洗礼を受けながら、金武ノ塔を囲む掘りにかかる橋を渡る。
ここでも巫女が待っていた。恵が到着すると御神木が手渡される。そして赤く染めた鉢巻をもらうと恵は王武ノ塔で頂戴した鉢巻の上に巻くのだった。
さらに気持ちが高揚してくる。
「よし!」
恵は拳を握り締めると、神輿を担ぎ最後の塔、銀武ノ塔を目指すのだった。
彼女はペースを上げた。
一刀は王武ノ塔と金武ノ塔につながる参道に出ると、指示のあった男の肩を叩き引き寄せる。
適当な名前で呼んで声を掛けるのだった。
その男の手には小さな刃物のようなものが握られているのを彼は見逃さなかった。
見物人に被害が及ばないように腕を押さえつけるのがやっとだった。
男の表情からは分からなかったが、一刀を知っているのだろう。彼の手を振り払うと無言でその場から逃走した。
「当たりのようです」
小さく息を吐き、指揮車両に通信する。
後の処理は他の隊員に任せることにした。
体温の変化や発汗作用などをドローンが検知し、不審な人物を特定するということではあったが、説明を聞いても一刀にはよく理解できなかった。
「間違いなら、人違いで済むが……」
次の指示がイヤホンに届く。
金武ノ塔からは恵が出てくるのが見えた。
「相変わらず体力だけはあり余ってやがる」
余裕ある表情に呆れる一刀だった。
大場は塀からそのまま屋根へと飛び移る。
勢いを止めぬようにキロウのもとへとダッシュした。
少しでも立ち止まったら、一歩も動けない。
矢が飛んできたがフェイントやステップなど小細工する余裕なんて全くなかった。たとえ当たったとしてもスピードを緩める気はない。
顔を両腕でガードして突き進んだ。
ダイブするようにタックルすると、相手を巻き込みながら屋根から落ちていく。
地面と劇突する前に喉元を掴み、膝を立てていた。
キロウをクッション代わりにはしていたが、それでも衝撃は吸収しきれない。
一瞬、意識が飛んだような気がした。
全力でここまで走って来たため肺が酸素を欲しがり心臓が破裂しそうだった。意識はあるが痛みと疲労で起き上がることさえできない。
指を一ミリたりとも動かすことはできなかった。
キロウを見ると白目を剥き倒れている。
大の字になり、空を見上げながら大場は番場に連絡を入れた。
「……回収……お願い……します……」
とぎれとぎれにかすれた声が指揮車両に届く。
ドローンには精も根も尽き果て仰向けになっている大場の姿が映し出されていた。
恵が守護に戻ってきたところで、宮本とすれ違う。
表情が読めない。
再びあの眼差しが向けられなかったことにホッとする。
恵はさらにペースを上げる。
守護から翔月に戻ると、暖かい声援にホームタウンに戻ってきたような気持ちになる。
銀武ノ塔は仁と知の塔とされている。穏やかなたたずまいの塔とされ、他の三重の塔と比べると柔らかく感じられる。
塔の境内に入ろうとしていた和佐の姿が恵には見えた。
彼女が巫女のもとに行くと和佐が御神木と鉢巻を頂戴しているところだった。
御神木を頂き神輿のところに戻ってくると、和佐は鉢巻を巻いていた。
「凄いな宇月さんは」
息が荒く、汗が滝のように流れ落ちていた。
「そうですか?」
恵は神輿に御神木を立てる。
「僕はもうバテバテだよ」
「私もかなりきついです」
吹き出す汗をタオルでぬぐい恵は巫女から手渡されたペットボトルの水を半分飲み干す。残りは首筋に掛けた。
「宇月さんは王武ノ塔から金武ノ塔を周ってここに来ているのだろう? 僕より長い距離を走っているはずなのに余裕があるように見える」
和佐は時計を見ながら話をする。
「僕は最短で走ってこれまでの記録と同じペースで来ているはずだ。それなのに追い付かれてしまった」
和佐は理論派なのだろう。ペース配分などを計算しながら走っているように見える。
「宇月さんはこのままいけば、大祭のレコードタイムを叩き出せる勢いだ」
「頑張ります」
「僕も負けるつもりはないが」
屈託のない恵の笑顔と元気な声に和佐は苦笑いする。
時を同じくして二人は塔を出る。
マッチレースが始まった。
銀武ノ塔を出ると恵はそのまま真っすぐ西へと向かう。
翔月から西の鳥居に向かうつもりだった。
並走していたはずの和佐は、いつの間にか彼女の後ろに回り、追走してくる。
守護に入るまで恵のペースに合わせる作戦に出たようだ。金武ノ塔の直前で静龍地区の人々からの手荒い御水の歓迎を受けていたため、翔月地区での御水対策だと思われる。
彼は守護地区に入ってからスパートをかけるつもりなのだろう。
町内の人々の声援を受け恵は走る。
中には、もっと早くとか、ぶっちぎれとか、無茶な掛け声も聞こえてくるが……。
「父さんも、こんな景色を見ながら走ったのかな」
周りを見る余裕があった。
自然と足が前に出る。
真っすぐに進むように見せてフェイントをかけながら、何度も小道を曲がり、徐々にペースを上げていく。
和佐はその度にゆさぶりをかけられペースを乱される。残していたはずの体力が次第に削られていくのだった。
「自主練が良かったのかな」
朝練と称して、学校まで重い鞄を背負って走ったのは無駄ではなかったような気がしてくる。
気が付くと後ろにいると思っていた和佐の姿はなかった。
遅れだした和佐に翔月地区の人々は容赦なく御水を浴びせるのだった。
翔月と守護を隔てる通りに出ると、恵は自分自身の息が荒くなってきているのが分かる。
さすがにペースを上げすぎたのだろうか。
心臓の鼓動が張り裂けんばかりに高鳴ってくる。
それでも不思議と辛いとか、苦しいという感覚はなかった。
ランナーズハイになっているのかもしれない。
楽しいとさえ思えてくる。
その時、正面に白い装束が見えた。
宮本だ。
静龍から西の鳥居を目指して走ってくる。
危険!
警告音が頭の中で鳴り響く。
逃げたい。そんな気持ちがどこからともなく湧き上がってくる。
勝つことも大切だが、目の前の危機を無視することはできない。
だが、一番司になるためには、西の鳥居から三行神社に戻り、拝殿に最初に神輿を届けなければならなかった。
ここからは抜け道や近道はない。
先に角を曲がり鳥居への参道へ入り境内に入る他なかいのである。
宮本も恵に気づいたのだろう。距離が一気に縮まってくるのが分かる。
狙われている。
正面から激突するつもりなのか、真っすぐに恵を目指している。
たとえ恵がスピードを落としたとしても宮本は彼女に向かってくるだろう。あの時光った刃と彼の情念に満ちた眼を恵は思い出す。
宮本の動きに集中する。
彼は右手を懐に入れている。あの時と同じように直前になって刃物を振りかざすのだろう。
回避する方法がないか考えを巡らせたが、見つからない。たとえこの場から逃げたとしても彼は追ってくる。
それでは一番司にはなれない。
完走だけを目指しているわけではないのだ。父と同じように勝つつもりでいた。
恵は覚悟を決めた。
肺が空気を求める。足が悲鳴を上げていたが、それでもギアを上げた。
逃げないと相手に思わせるためだ。
ギリギリまで宮本を引きつけ、寸前でブレイキーをかける。さらに左足で踏ん張り、無理矢理トップスピードで右にステップしながら体をひねり曲がろうとする。
だが、スピードが付きすぎていたのか、疲労からか思い通りに身体が動いてくれなかった。
足が踏ん張り切れない。
斬られる!
そう思った瞬間、宮本目掛けて大量の御水が勢いよくかけられた。
宮本の視界が遮られる。
そこで出来た一瞬の間が恵を救う。
奇跡的に刃もだが、体当たりをかわすことが出来た。
誰かは分からないが、感謝しかなかった。激突は避けられ、恵はそのまま勢いを落とすことなく境内へ向かう参道に入る。
バランスを崩した宮本は派手に地面を転がる。
振り向かず恵は走り、そのまま鳥居をくぐる。
境内から歓声が湧き上がる。掛け声と手拍子に導かれ恵は駆け抜けた。
拝殿に向かうと、その前に神輿を置く。
宮司が御神木を持ち待っていた。
三行神社で用意される御神木は一本しかない。
まさしく一番司しか得ることのできないものだ。
ゆっくりと前に進み出て、彼女は最後の御神木を受け取ると神輿に戻り、最後の御神木を立てた。
四隅に御神木が立つ神輿を恵は掲げる。
「一番司、翔月、宇月、恵!」
和住宮司は声高らかに宣言する。
拍手と歓声が境内に鳴り渡る。
恵はゆっくりと境内を見渡していた。
それは遥かなる時を超え聞こえてくる声だった。
やり遂げたんだ!
詰めかけた人々を見つめながら、そう実感する。
恵は喜びを爆発させ、青く澄みわたる空を見上げた。そして、星まで届けとばかりに雄叫びを上げるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます