第14話 大祭(前編)
天高く青空が広がる。
朝六時、開幕の花火が境内より上がる。
夜が明けきらぬうちに恵は三行神社を訪れ、本殿わきの一室で巫女二人の手伝いを受け装束に着替える。
巫女の案内で本殿に上がると、他の司はすでに着替え正座して待っていた。
彼女は左側に座して待つ。
和佐真は父兄として子供会の行事に参加していた頃に何度か顔を合わせたことがある。
「まさか選ばれるとは思わなかったので緊張します」
軽く会釈しながら小声で守護の司は話しかけてきた。
普段は眼鏡をかけていたはずなので雰囲気が違って見える。
「私もです」
朝方というわけだけではない、ひんやりとした空気を感じる。
和佐の右隣りは静龍の司、宮本であったが、初めて見る。彼は目を閉じ瞑想でもしているのか、二人を無視していた。
和住宮司が巫女二人を伴い本殿へと入ってくる。
大祭の儀が始まる前の祈祷が厳かにとり行われた。
正門から拝殿につながる石畳の両側にはすでに多くの人が集まってきている。
拝殿の前には一人用の小さな神輿が三つ並んでいた。
宮司を先頭に三人の司が玉砂利を歩いてくる。
司たちは拝殿を背に各自の神輿の後ろに立つ。
「これより神事をとり行う」宮司は司の背に言葉を投げかける。「龍が選る者よ、己が力を信じ、仁と徳、汝の力を示せ」
静まりかえる境内にその言葉は届く。
「はじめ!」
司は神輿の前に出て、背負うように担いだ。
思ったほど重くない?
恵はそう感じた。
特訓の成果があったのだろうか。
一刀は大型の一眼レフカメラをかまえ、ファインダー越しに恵たちの姿を追った。
装束は弥生人を思わせる雰囲気があった。
足元は靴ではなく足袋だ。
巡礼だと言ってもおかしくないいでたちをしている。
宮司の合図とともに司たちは神輿の担ぎ棒を両肩に掛け、背負うように持ち、走り出した。
三人の中で一番小柄な恵は遅れずに無事スタートしている。
安堵してその背を追った。
カメラを拝殿に戻してみると、ざわついているところがある。
気になった一刀は人ごみをかき分け向かう。
見知った顔がいた。
「どうしたんだ?」
岸野沙織に声をかけた。
「げっ、朧一刀」
露骨に嫌な顔をされた。岸野沙織とは昔から馬が合わなかった。
「あんたは関係ないでしょう」
「取材で来ているんだ」彼は報道関係者だと分かる腕章を見せる。「祭りの中継の手伝いもしている」
「撮影? そういえば恵と同じバイトしているって……」
簡単にJESのバイトの話をする。
「さっき、静龍の人たちが話をしていたのよ」それが沙織の耳に入ったらしい。「静龍の司が入れ替わっているんじゃないかって」
「入れ替わる? 替え玉か?」
「人相が違うって言っているの」
それを聞いた一刀は嫌な予感がした。
出雲と大場は番場の指示で静龍にある宮本邸へとやって来た。
一刀からの連絡で番場が二人を急行させたのである。
奥まったところにある宮本邸は静まり返っていた。
門から中に入り、呼び鈴を押す。
何度も押し、大場が戸を叩くが反応はない。
開き戸を開けようとするとカギはかかっていなかった。
「不用心だな」
大場は出雲に目で合図すると玄関へとゆっくり入っていく。
名を呼ぶが返答はない。
JESから送られてきた宮本家の間取りをタブレットで確認しながら部屋をひとつひとつ覗いていく。
一人暮らしらしい。
今年の春頃に亡くなった祖父の遺産を継いだ孫だという人物が越してきたという話だった。
いわゆる引きこもりらしく、近所付き合いはほとんどなかった。
町内会費も払っていない。
そんな彼が司に選ばれたことを町内の人々は不思議に思っていたという。
奥へと進んでいくと血の匂いがしてきた。
襖を開けると三十代くらいの小太りな男が机で伏していた。
足元には血だまりができている。
「殺されてからあまり時間が経っていないな……」
「間違いない、宮本卓本人だ」
転送されてきた写真と見比べ大場は断言した。
「やはり入れ替わっていたのか」
「キロウの仕業だとしたら、恵ちゃんが危ない!」
「なにか仕掛けてくるに違いないぞ」
大場は飛び出していく。出雲もJESへ連絡しながら、後を追う。
一刀と岸田沙織は拝殿前にいる和住宮司のところへ行き、彼女が聞いたことを宮司に話した。
宮司は一瞬驚いた顔をするが、なぜか社務所へと戻っただけで、その後は境内にいた静龍の町内会長をみつけ話をするのみでそれ以上の動きは見せなかった。
神事を止めるつもりはないようだ。
「替え玉なんてあり得ない!」
憤りを隠せない沙織だった。
「宮司さん、あまり慌ててなかったね」
一緒についてきた春奈は、そんなことを呟いて火に油を注ぐ。
「むしろ静龍の町内会長さんの方が驚いていたわよ。普通そうじゃない。なんで宮司さんが気が付かないのよ!」
一刀は二人を横目に番場と連絡を取り合っていた。
スマホをポケットにしまい一刀は沙織と春奈と向き合う。
「大祭を何事もなかったかのように終えたいんじゃないか」
「静龍が一番司になったらどうするつもりよ!」
「オレに分かるわけがない」一刀は番場からの情報をぼかして話す。「宮本さん本人が屋敷の中で発見されたそうだ。詳しいことは調査待ちだが、入れ替わっていることは確かだな」
「なんであんたが、そんなことまで知っているのよ?」
「そっち方面にも知り合いがいるんだよ」
「これからどうなるの?」
「オレにも分かんねぇよ」一刀もいら立ちを隠せない。「こんなことならあいつにも通信機持たせるんだった」
すでに神事は進行中だ。
この状況では恵を止めることはできない。
かえって混乱を招くだけだ。
相手がキロウだとしたら、何が目的だ?
「宮司も仲間か?」
その可能性も排除できないが、この瞬間に仕掛けてくる理由が分からない。
恵の珠だけでなく、大祭そのものにも狙いがあるのか?
番場は移動指揮車両で神社に向かっているという。偵察用ドローンを飛ばし、上空から神事の状況を把握しようとしているはずだった。
一刀はそれでも我慢しきれず、境内を出て闇雲に走り出す。
西の鳥居から参道へと恵たち司は出ていった。
参道は広く、祭の時には家々の軒先に提灯が下がり、出店や屋台が並び賑わいを見せている。
真っすぐ伸びた参道から東側を見れば本殿の向こう側に三重の王武ノ塔を見ることができる。
駆け抜けていく司たちへ拍手や声援が送られ、桶を手にした男たちが司たちへ御水を撒いている。
ニュースや新聞で紹介される場面はこの辺りを撮ったものが多い。
侍町から三行神社へと入る参道の入り口の両脇には大きな石灯篭が建つ。守護の西の端に建つその石灯篭がひとつの分岐点だった。
そこから先、三つの塔を巡る順番は司たちがそれぞれ選択することになる。
先頭を行く和佐は石灯篭を右に曲がっていくのが見えた。
道の入り組んだ翔月よりも走りやすい静龍の金武ノ塔を目指し、さらにそこから南下し最短距離で王武ノ塔、銀武ノ塔へと向かう作戦なのだろう。
続いて宮本は左へと消えた。和佐とは逆のルートだろうか。
恵は地区の集会で、これまで司を務めたことのある男衆から、多くのアドバイスを受けていた。『船頭多くして船山に登る』とはよく言ったもので、あまりにも様々な意見があり、頭が混乱してくるのだった。
知略も必要なのは分かるのだが……。
当初、恵も和佐と同じようなルートを選択しようとしていた。
だが道の両側に石灯篭が見えてきたところで、予定を変更する。
勘を信じ、直前で左側に向かう。そこから数十メートル行くと最初の曲がり角で左に転じ三行神社の方向、東へと向かう道を選ぶ。
そこは車一台がやっと通れるぐらいの道幅しかない。
沿道の人々は恵の意外な行動に目を見張る。
もしそのまま王武ノ塔を目指すのであれば、金武や銀武の塔を目指すよりも多くの距離を走ることになるからである。
体力的にもきつくなるはずだが、恵自身はこのルートの方が良いと感じたのだ。
狭い道で塀の上から御水を浴びせられるときついが、ここを通るとは守護の人たちも思わなかったか、人通りもほとんどない。
身体が軽く感じられた。
調子がいいとさえ恵は思ってしまう。
その時、背後に気配を感じる。
後方を確認すると視界の端に宮本の姿が見えた。
「なんで?」
思わず声が出た。
恵の先を走り翔月へと抜けようとしていたはずだった。
それが猛然と恵に背後から迫ってきているのである。
体当たりでもしてきそうな勢いだった。
神輿をぶつけ合い邪魔することもできるが、あまり見られない稀な行為である。
恵は足を速めるが、それでも追いつかれるのは時間の問題だった。
宮本の手に光るものが見えた。
危ないと思った刹那、彼女はわざと転び横へと逃れる。
膝や肘を擦りむいたが、何とか受け身はとれた。
小刀?
ナイフよりも長い刃が首のすぐ近くを横切っていた。
一瞬、彼と目が合った。
凍てつくような眼差しの中に憎悪が見えた。
寒気が走る。
宮本はそのまま通り過ぎていき横道に消えた。
「大丈夫かい?」
たまたま通りかかった子供連れの女性が声を掛けてきた。
膝のあたりが赤く染まっていたが、今は問題ない。
恵は彼女に明るく礼を言うと、神輿を担ぎ走り出す。
指揮車両は守護地区まで入れそうになかった。
交通規制もあったが、沿道には朝から多く人が出ているためだ。
三行神社の駐車場までたどり着くには時間がかかりすぎる。
番場は根府屋から迂回して三摩地へ入るように指示を出す。その前に城南で一度バンを止め、ドローンを三機、飛ばす。
上空から三行神社周辺の監視を始めるのだった。
大型バンは三摩地へと入り舟石のあたりで車を止める。
車両後部には様々な機材があり、小さな研究室でもあった。研究班の隊員はドローンを制御し、移動中から索敵を始めていた。
「恵ちゃんの位置は?」
番場が後部へとやって来て訊ねる。
「ようやく見つけました。三行神社のわきを通過中です」
「王武ノ塔を目指しているものと思われます」
「恵ちゃんの進行ルートを想定し、その周辺に不審なものがないかを精査するんだ」
指示を出す番場。
「一号機は恵ちゃんを追います」
「二号機と三号機は周辺の監視に回ります」
「一刀と大場、出雲は?」
「移動中です」
「各人、位置を特定できるように指示しろ」
「隊長、屋根の上に不審人物を発見しました!」
「祭り関連ではないのか?」
「弓を持っています」
「弓? 場所はどこだ?」
車内は一気に緊迫する。
「静龍です。金武ノ塔近くの民家です」
「翔月にも発見!」
「銀武ノ塔か?」
番場はドローンからの映像を見る。
「大場と出雲に連絡だ! 現場に急行させろ」
「朧は?」
「恵ちゃんの位置を教えるんだ。できるなら先行して、行く先の安全を確保させろ」
大場と出雲はまだ静龍にいた。
指揮車両からの連絡を受け、二人はスマホやタブレットに送られてきたデータを見る。
「弓で狙うつもりか?」大場は疑問を口にする。「通し矢でもやろうというのか、キロウは……」
「百メートルあるかどうかだ。やれない距離じゃない」
「アナログすぎるだろう」
「銃を使われるよりはましだが、弓か……余程自信があるんだろうな」
「剣さばきもだが、異常すぎないか、キロウは?」
「キロウの奴ら、狙いは何だ?」
「恵ちゃんだけじゃないのかもしれない」出雲は考える。「一番司になるのが目的だとしたら、神社にも何かあるということになるぞ、大場」
「目的が分からん」ここで議論していても埒が明かない。「ぼくは翔月へ行く。出雲は静龍の奴を頼む」
「距離があるが大丈夫か?」
「どうやら恵ちゃんも他の二人も翔月には向かっていない。その間に何とかするさ」
「任せたぞ!」
二人はそれぞれの塔へと走り出した。
恵は表通りには出なかった。
そのまま裏道へと入り、進んで行く。
それは普段使いするような道ではなかった。
懐かしい道を彼女は思い出していたのである。
道ですらないところを歩いていく。
それは小学生の頃、帰り道に友達らと探検しながら歩いた裏のまた裏の道だった。
大人たちが危険だからと注意するような道である。
塀と塀の隙間、水路のようやく足がかかるような縁を歩いたり、塀伝いに犬や猫の通り道を進んでいくのだ。
大きくなると人は遊びのような道を忘れていく。見たことない景色、新しい道を発見する喜びを失ってしまう。彼女はそれを思い出し楽しみながら進んでいった。
恵だからこそできた芸当かもしれない。
スピードは上がらないが、誰にも邪魔されることなく進むことができる。
十キロ近い神輿を抱えているのである。フルに走り続けるには余程の体力自慢でない限り不可能である。
確実に近道を通りながら彼女は王武ノ塔を目指す。
「すいませ~ん、神輿通りま~す」
突然、司が後ろから現れ、王武ノ塔近くの沿道で待ち構えていた人々は驚いた。
恵は水路わきから通りに出ると、左手に王武ノ塔を確認する。
火照っていた身体が沿道の人々からの御水で冷やされる。
声援や拍手が送られる中、恵は沿道から水路に掛けてある橋を渡り王武ノ塔に入る。
拝礼すると、そこにいる巫女から御神木を受け取った。
長さ三十センチ、直径が三センチほどの境内にある梅の木の枝から削ったものである。
足元に置いてある神輿の四隅のひとつに御神木を立てた。
「さあ、次だ!」
巫女から頂戴した白い鉢巻を額にまくと、気合を入れる恵だった。
彼女は北に向かい、金武ノ塔を目指す。
大場は全力で走る。
右耳につけたイヤホンに入ってくる指揮車両からのルート指示に従いながら進んだ。
地図や上空からの映像では分からないことも多くあり、障害物にぶつかりそうになったこともある。通行人や突然飛び出してくる自転車などが大場の進行を妨げようとする。
その度に脅威の反射神経で大場は衝突を避ける。
驚く人たちに何度も謝りながら、ひたすら彼は銀武ノ塔を目指した。
きつかった。
障害物走でも、これほど辛くはなかったと大場は回想するくらいである。
人目を避け軽業師のように塀へと上り、出雲は庭先に降り立つ。
その足元に矢が刺さる。
着地が右に数センチずれていただけで、彼の足に命中していただろう。
軒下へと出雲は転がるように逃れた。
「どうやって奴を止める?」
屋根の上で待ち構えられていたらアウトだ。
上った途端、矢に狙われる。
家の中からは人の気配がない。
「やられていませんように」
祈るだけだった。
「キロウの位置を教えてくれ」
指揮車両へ問いかける。
『どうするつもりだ?』
「キロウから遠い場所で屋根に上がる」
出雲は軒下を移動していく。
「三号ドローン、ロストしました」
ドローンを操作しキロウを監視していたスタッフが番場に報告する。
「何があった?」
「弓で攻撃を受けたと思われます」
「当てられたのか?」
「十分距離はとっていたつもりでしたが、発見され、狙われたようです」
「予備機をすぐに出せ」
バンの天井のハッチが開き、新しいドローンが静龍へと飛び立つ。
軒に手をかけ出雲は鉄棒でもするように反動をつけると、一気に屋根の上に躍り出る。
矢が身体の側を抜けていくが気にしていられない。
弓使いは矢をつがえ、すぐに出雲に狙いを定める。
足場の悪い瓦の上では動きづらかった。
だが、立ち止まっていては、狙ってくれと言っているようなものである。十五メートルほどの距離はあるが、それぐらいなら当ててくるだろうと予測できた。
出雲は屋根の棟へと駆け上がろうとする。相手もそれを読んでいたか、射線の死角には入れそうにもない。
矢が体のすぐ脇を通り過ぎていき、頭の中で警報が鳴り響く。
ステップを踏みながらスピードに変化をつけたかった。
広くない屋根の上、不安定な瓦が足場では難しい。
矢をつがえる前に相手に近づき、接近戦に持ち込みたかったが、素早く弓使いは次を射る構えに入っていた。
金武ノ塔の方角から歓声が聞こえてくる。
最初の司が、姿を見せたのだろう。
「何とか間に合ったか」
キロウの注意を自分に向けることには成功したが、飛び道具を持っていない出雲には、不利な状況は変わらない。
歓声が耳に入ったかキロウの動きが一瞬止まったように見える。
その隙に距離を詰めようとしたが、すぐさま彼の足元に矢が飛んできた。
踏ん張り切れず足を取られた。
そのまま雨樋近くまで滑っていく。
手をつき、軒の寸前で止めた。その手元に矢が飛んでくる。
瓦が砕けた。
「どれだけ威力があるんだよ」
半ば強引に出雲は、破損した部分から手を入れて瓦を強引に引きはがす。
左右の手にそれぞれ瓦を持ち、すぐさま右の瓦を斧や手裏剣でも投てきするように軽々と弓使いに投げつける。
出雲はさらに屋根を駆け上がり接近しながら左手に持つ瓦も弓使い目掛けて放る。
状況が不利と判断したのだろう、キロウは弓を捨て、懐から短刀を出して出雲に切りかかる。
それを見切り、出雲はみぞおちに拳を叩き込む。
踏み込みが甘いと感じたが、キロウは倒れ、屋根から転がり落ちていった。
大きく息をして、額を拭う。
「状況完了」
庭先で倒れ動かない弓使いを見て、番場に報告する。
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