第13話 勘違いから

 恵は大場にお礼を言うとジムニーから降りて、家の門を開ける。

 鍵を開け玄関に入ると、光馬が血相変えて現れた。

 JESによる宇月家改修工事によって玄関前にカメラが設置されており、彼は恵の帰宅を知ったのである。

「大変じゃ!」

 玄関先から大声が聞こえ、その場で待機していた大場は緊急事態車に車のボンネットに飛び乗ると塀を乗り越える。

「何奴!」

 突然、塀の向こう側から現れた侵入者を見て光馬はさらに大声を上げる。

 その声を聞きつけた隣人が、警察に通報したほどである。

 宇月邸には先日強盗が入り、静龍では放火事件もあったばかりである。警察も迅速に対応するのであった。

「性懲りもなくまた来よったか!」

 光馬は大場の胸倉につかみ掛かり、組み伏せようとした。

 それを見た恵は慌てて二人の間に割って入ろうとする。

「違うの、お爺ちゃん! この人は」

「何が違う!」

 襟元や手首をつかもうとする光馬と、それをさせまいとする大場の組み手争いは続いていた。

「ぼくは!」

「大場さんはアルバイト先の先輩で」

 必死で止めにかからないと、二人ともケガだけでは済まない勢いだった。

「私を送ってくれたの!」

「本当か?」

 恵の懸命な姿に光馬が動きを止めた。

 大場も構えを解く。

「お主、何かやっとったか?」

「格闘術は少々」

「良い腕をしている」光馬は感心したように頷く。「うちの孫が世話になっとるようだな。すまなかった」

「ぼくも軽率でした」大場も謝罪する。「いろいろとあったと恵ちゃんからもうかがっていましたので」

 そこで改めて大場は自己紹介する。

 サイレンの音が近づいてきた。


「まあ玄関先でなんだ。晩御飯がまだなら食っていくか?」

 警察とのやり取りも終わり、誤解も解けたところで、光馬は大場を誘う。

 恵も警護に戻ろうとする大場の手を引き、家に招いた。

 大場は居間へと通される。十畳はある広い和室だ。

 お茶を出すと恵は急いで着替え、台所へ入っていった。

 冷蔵庫の豆腐を取り出し味噌汁を作り、御ひつを運んでくる。光馬が用意していたブリ大根をお皿に盛り付ける。

「お魚は大丈夫ですか?」

「好き嫌いはないな」

「良かった。お爺ちゃんが作ったブリ大根、美味しいんですよ♪」

「ご老人が作られたのですか?」

「だいぶ出来るようになったが、まだまだじゃよ」光馬は笑みを浮かべる。「かみさんに先立たれ、今は孫と二人暮らしだからな」

 作り置きしていた煮物も用意され食卓を彩る。

「私もお料理は勉強中です」

 宇月家の夕飯は当番制であるという。

 手を合わせ遅い食事が始まる。

「それでなにが大変なの、お爺ちゃん?」

「そうじゃった!」光馬のトーンがまた上がる。「三行神社から使いが来たんじゃよ!」

「神社から?」「使い?」

 大場と恵は同時に光馬を見る。

「なんで? この前神社に行ったとき何か粗相があったのかな?」

「お前、神社に行ったのか?」

「神社で珠のことが分からないかと思って、宮司さんにお話を聞いたの」

「和住宮司は神社に務めて日が浅い。歴史とか云われとか、そういったことは何も分からんじゃろう」

「そんな感じだったけれど、神社には何かありそうなのよね、大場さん」

 彼に同意を求める恵だった。

 実際、三行神社でJES製カメラを使用しモニターしていた中に、恵や宮司以外にも人と思われる熱源が感知されていた。

 そんな存在が居たことすら彼女は気付かなかった。恵は監視されていたのではないかと考えてしまうのだった。

「また話がそれてしまいましたが」大場が口をはさむ。「何があったのです?」

「おお、そうじゃ、そうじゃ。大祭に選ばれたんだよ!」

「うちが?」

 呑気にご飯を口にする恵だった。

 宇月家に司の役目が来るとしたら、祖父しかいない。

「お前じゃよ、恵!」

 突然のことに口にしていたご飯を吹いた。

「何で! どうして?」

 咳き込みながら、慌てて布巾でテーブルの上を拭く。

「嘘でしょう!」

 あり得ないと恵は言う。

「どうしてだい。恵ちゃん?」

 神事に疎い大場は訊ねた。

「私が選ばれたことがですよ!」

「続けて同じ家から選ばれるのも稀なことだが」光馬も同意する。「成人前の、しかも女性が司になったことは初めてなんじゃなかろうか」

「凄いじゃないか、恵ちゃん。今の時代です。男女関係なく選ばれるのは良いことではないのですか?」

「名誉なことではあるが……」

 光馬は口を濁す。

「大祭の神事って、通常の年のものよりもハードなんです」

 恵は頭を抱えている。

 小さいとはいえ、重い神輿を一人で担ぎ走るのである。

「完走目指して頑張ればいい」

 励ます大場だった。

「大場さんは知らないからそんなこと言えるんですよ」恵は泣きが入っている。

「大祭で一番司になり大剣を得るのは選ばれた者としての誉れであるが、それとともに地区にも栄誉をもたらすのだよ」

 大祭で一番司となった地区は次の大祭までの神事で神輿を担ぎ、祭りで舞を披露することを許される。

「つまり地区同士の真剣勝負? 静龍、守護、翔月、それぞれの地区が栄誉と政をかけて競い合うということか。恵ちゃんは翔月の代表になるわけだね」

「そういうことです。どんな基準で選ばれるのか分かりませんが……」

「神託であると言われているが、だいたいがその地区の強者であるな」

「本当に私なの、お爺ちゃん!」

 光馬は立ち上がると神棚に祀っていた神社からもたらされた封を取る。

 それをテーブルの上に置き、紐を解くと中の札を見せてくれるのだった。

 そこには達筆な書で『宇月恵』と、間違いなく記されていた。


 朝の教室。そこで恵は自分の机に突っ伏していた。

「どうしたぁ~恵~ぃ」

 朝から教室で寝るなと恵の頭を岸野沙織は軽くチョップする。

「うにぃ~ぃぃい」

 意味不明の返事が返ってくる。

「大丈夫、恵ちゃん?」

 沙織の隣に立つ笹木春奈が心配そうに顔を覗き込む。

「学校まで走って来た~」

 疲れ果てた声で恵は答えた。

 沙織とは幼馴染で、春奈は高校になって出来た友達だった。

「なんでそんな無茶してんのよ!」

 事故で地下鉄が止まったわけではない。

 恵とはいつも同じ時間帯の地下鉄で登校しているはずなのに姿か見えないと思ったら、とんでもないことを口にしていた。

「恵ちゃんの家、時野駅より東側だったよね?」

「そうよ」沙織は恵と同じで、生まれも育ちも翔月だった。「十キロは走って来たんじゃないかな」

「凄いね」ただただ感心する春奈だった。

「今日は一日中、眠り姫確定よね」

「体育もあるよ、沙織ちゃん」

「それ以外寝ていたら同じことよ」

「頑張って、授業受ける~ぅ」

 手だけ挙げて恵は答える。その声は弱々しかったが……。

「ねぇ恵、それって司に選ばれたから?」

「もう知ってるの?」

 恵は顔を上げ、沙織を見るのだった。

「悪事千里を走るよ」

「沙織ちゃん、それ意味が違うよ」

「そりゃあ同じ翔月だし、大祭も迫っていれば、誰が選ばれるのかでもちきりだったしねぇ」春奈の突っ込みを無視して、当たり前のことのように沙織は言う。「あたしはてっきり、熊野さんの所だろうって睨んでいたのに、恵が選ばれるなんて大穴もいいところよ」

「大祭って?」

「春奈は中学の頃に南風市に引っ越してきたんだっけ?」

「中二になって沢原市から」

「大祭っていうのはね、三行神社で五年に一度行われる神事で、通常の年よりも大掛かりなお祭りなの」

「その神事に恵ちゃんが選ばれたってこと?」

「そういうこと」再び突っ伏している恵のつむじをつつく。「静龍、守護、翔月から司が選ばれて、一番司を決めるの。そして、我らが翔月地区代表が恵ってわけよ」

 どうだと言わんばかりにどや顔で沙織は春奈に言うのだった。

「恵ちゃん、凄いのね」

「大変なんだよ~」

 突っ伏しながらジタバタしてしまう。

 春奈の言葉が本心からだと分かっていても、素直に喜べない。嬉しくない。

「男子でもハードな祭事だからねぇ」

「そうなんだ」

「だって、十キロはある神輿を一人で担いで三つの塔を巡って、御神木を集めて本殿に戻るんだよ~。五年前にちょっとだけ担がせてもらったけれど、本当に重いんだよ~」

 恵はうなり声をあげながら春奈に言う。

「五キロの米袋、ふたつ抱えて走るようなものだもんね」

 一番司の神輿は無病息災を呼ぶ縁起物として儀式終了後触れることが出来たので、沙織も担いだことがあった。

「御神木も加わるからもっと重くなるんだよ~」

 それぞれの地区の三重の塔に祀られている小さな御神木を神輿に立てるのである。

「そうだったね」沙織は肩をすくめる。「今から走って特訓のつもり? 間に合うの?」

「でも、何もしないわけにはいかないし~」

 久しぶりの持久走はかなりきつかった……。

 背負い鞄には教科書の他に辞書まで入れてきた。

 家を出る前に体重計で計ったら鞄の重さは五キロを軽く超えていた。

「情けない声出さない」

「代わってもらうことはできないの?」

「選ばれるのって名誉なことだし、司は龍神様の声によって決まるから、絶対なの」

「じゃあ、御神輿、軽くしてもらうとか」

「昔から使っている由緒正しいお神輿なの。みんな同じものを担がされているから恵だけっていうのは無理ね」

「恵ちゃんスポーツ得意だし……」

「ありがと……春奈、優しい」

「小学生の頃は剣道大会で優勝したりしていたけどね。今じゃ、天文部だもんね」

「私、星見ているのが好きだから」

「もったいない」

 沙織は中学に上がった時に一緒に剣道部に入ろうと誘っていたのだった。

「私じゃ、どうやったって一番司は無理だよ」

 大祭前、町内会の激励の集まりで土下座して謝ろうとさえ恵は思っていた。

「大丈夫。うちの爺ちゃん張り切っていたよ。恵を支援するんだって」

「支援? 応援じゃなくて?」

 春奈は沙織に訊ねる。

「そう、し・え・ん。御水掛けって言ってね」

 司は塔を巡りながら三つの地区を走り抜ける。神輿はそれぞれの塔で祈祷された御神木を立てることで豊穣などの御利益を地区の人々に授けていくとされている。沿道や家々から見守る人々は彼らに御水をかけて迎えることになる。

 この御水掛けが時には司たちの勝敗を分ける時がある。

 濡れた石畳に足を取られたり、前が見えないほどの水を顔目掛けてかけられることすらあったのである。

「真冬じゃなくてよかったね、恵ちゃん」

「守護は和佐さんのところ」

「誠ちゃんのお父さん?」

 同じ道場で二つ下の子だ。

「そうよ。静龍は宮本さんだって」

「宮本さん?」恵の記憶にはない人だ。

「あそこ、一人暮らしだったお爺ちゃんが亡くなってから、家を継いだ人らしいよ」

「そうだったんだ。よく知っているね、沙織」

「母さんから聞いたの」

「それにしてもすごい情報網ね」

 春奈も感心していた。

「古い地区だからね。ご近所付き合いも長いし、町内だけでなく子供同士も学校や子供会で集まることが多いから」

「わたし、ご近所さんでもよく知らないよ」

「その方が意外よね、恵」

「そうだね~」

「ところで恵。昨日は婚約者連れてきたんですって?」

「はあ?」

 驚いて跳ね起きた。

「パトカーのサイレン聞いて、見に行かないわけがないじゃない。この前、強盗騒ぎがあったばかりだし」

「そうですね……」

「只野のおばちゃんなんて、恵が婚約者連れ来た。間違いないって言っていたよ」

「そんなわけないじゃない!」

 真っ赤になって否定する。

「格好良い人だったじゃない」

 沙織も現場でチラリと大場の姿を見ていた。

「沙織ちゃん、そこもっと詳しく!」

「春奈まで……」恵は頭を抱える。「大場さんはバイト先の先輩です。たまたま送ってもらっただけで」

「そうなんだ、今度紹介してよ」

「何でそうなるの?」

「良い男だからに決まってるじゃない」言い切る沙織だった。「ついでだから聞くけど、一刀とはどうなのよ?」

 唐突に一刀の名が出てきて恵は驚く。

「一刀って誰?」

「あたしと恵の通っていた道場で一緒だったの。朧一刀って言って、すかした嫌な奴」

「そんなことないよ、一刀クンは」

「あたし、あいつ嫌い」バッサリという沙織だった。「最近、よくあいつと話しているし、お昼も一緒にしていたんでしょう。そっちが恵の本命?」

「違う、違うの。一刀クンとはバイト先が一緒になって、それで……そのね」

「ふ~ん、バイト先ねぇ」

 ジト目で沙織は恵を見る。

 春奈も興味津々だった。

 予鈴が鳴らなければ、さらなる追求の手が及んだかもしれない。

 冷や汗とともに眠気が吹き飛ぶ恵だった。


「大うちわの準備はできたか?」

「なんとしても御水から恵ちゃんを守るんだぞ!」

「任せろ! サッカー応援の旗振りで鍛えた腕を見せてやる」

「御水担当の方はどうだ?」

「宇月さんもやるってよ」

「男衆は全員参加だよ」

「配置場所を決めるぞ」

「塔へのルートは司自身が決めるからな。予測は難しいぞ」

「天啓があったりするからな」

「最後に通る場所は決まっている」

 あちこちから指示が飛び、大勢の人が大祭の準備に動いている。

 前回はまだ小学生だったから知る由もなかったが、大掛かりなものだった。町内会長とそれぞれの班の班長を中心に持ち回りが決められていく。

 大祭まで五日しかないので大忙しである。

 学区内の地区対抗運動会の時も盛り上がるが、大祭はそれ以上である。

「和佐の所のは頭がいいから気を付けた方がいいな」

「体力はないが守護の司令塔だからな」

「宮本は?」

「他所から越してきてまだ日が浅い。情報不足だ」

「近所付き合いもしてないようだぞ」

 恵は檀上に祭り上げられて、お雛様のように座らされている。

 町内会の会長さんが音頭を取り、町内のほとんどすべての人がやって来て翔月公民館で激励会兼作戦会議がとり行われている。

 今年の大祭は宇月家が前回に続いて司の大任を担う。しかも、老人会の人たちが孫同然に可愛がり見守って来た恵が出るのである。

 お年寄りたちは特に張り切っていた。

 小さい頃から光馬に連れられ、老人会の集まりにも参加し手伝いもしていたので、老人衆からの人気は高い。

「三重塔への道筋は限られている。そこへは重点的に配置だ」

「守護も静龍の連中も同じことを考えているはずだぞ」

「陣取りが重要になる」

 町内の住人は沿道か塀や家の屋根からしか支援はできない決まりになっている。それでも彼らの援護は声援や掛け声とともに司たちの励みだった。

「他所に負けるなよ」

「他所の地区を走る時は塀や屋根の上も要注意だ。不意に出てくる」

「たらいを担げる奴はいるか? 仕方ない、バケツでやるしかないな」

 司を担った人も多くいる。

 恵にもアドバイスが飛んでくる。

 物凄い勢いで話が進んでいき、恵は置いてきぼりだった。

「うぅぅ……これは逃げられない……お爺ちゃんは……」

 祖父を探すと、すでに酒が入っているのか、赤ら顔になっていた。

 集会所は宴会場の様相を呈してきている。

「恵ちゃんを勝たせるぞ!」

 町内会長の掛け声とともに鬨の声が上がる。

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