第3話 参上!

 城南の城跡公園の中を抜け根府屋に入ると通りの風景が一変する。

 室町のころから続いているともいわれている町並みに、初めての人はタイムスリップしたような感覚にさえ陥るという。

 門前町である根府屋は翔月などと並び古い家並みが残る地区だ。

 今でも町には古い伝承や伝説が数多く残っている。

 町内の中心を通る参道から龍玄寺へと続く石段と杉林が見える。

 根府屋小富士とも呼ばれる小高い丘の上に龍玄寺は建てられている。

 創建は文献から一三〇一年とされ、市内で現存する最も古いお寺とされていた。

 境内までの石段は三百ほどある。

 今は杉の巨木に斜面が覆われているが、創建当時は城のようでもあったという記述もある。

 現在の住職は神崎玄信。他に多くの僧侶が修行している。

 僧兵がいたとされるこの寺では、今も武術が伝えられ、僧侶たちが剣道のみならず薙刀や弓術を教えていた。そのためか近隣の生徒のみならず、県警や実業団からも多くの人が通っている。

「龍玄寺に来るのも久しぶり」

 恵は石段を一段一段確かめるように上る。

 息を切らすことなくステップを踏むように、彼女の足取りは軽やかだった。

「よくこの石段を走ったよね。玄信師範はお元気?」

 中学に入る前には道場も辞めていたので四年はここに来ていなかった。

「元気なんじゃないか」一刀は素っ気ない。「死んだって話は聞かないし」

 病気だとかそんな話もない。

 一刀は石段の前で別れず結局ついてきてしまった。

「あれ? 一刀クン、道場に行っていないの?」

「中一で辞めた」

「えっ! そうだったんだ」立ち止まると彼女は一刀を見る。「あんなに楽しそうだったのに?」

「そんな風に見えたか?」

 意外だった。

「強くなるのが嬉しくて、稽古を楽しんでいるように見えた」恵は頷く。「師範、ガッカリしてたんじゃない?」

「あの、じじいが?」

「一刀クンに期待していたと思うよ。あれだけ熱心に教えていたんだもの」

「あれは、どう見てもいじめだぞ」

 トラウマレベルで……、よく根を上げなかったと思うくらいだ。

「そうかな。一刀クン強かったし」

「強いのはお前だろう。大会で優勝していたのもお前だったし」

「たまたまだよ」恵は苦笑いする。「私は、よく一刀クンに負けていたし」

「練習では、な」

 道場内での稽古や練習試合では何度も一本を取ったことがあったが、結局、公式戦や大会では一度も恵には勝てなかった。

 本番での彼女は無類の強さを見せていた。

「それに、ほら、優勝したって聞いたよ」

「中学でな」

 その頃には恵は道場を辞めていたし、大会にも出ていなかった。

 大きな事故に巻き込まれ、それでケガをしたためかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。

「全国でも勝てたんじゃない?」

「どうでもよくなった」

 初めて優勝したが、呆気なくて気が抜けしまった。

 それ以来、道場へ行くのも億劫になってしまう。

「もったいないなぁ」

「お前に言われたくねぇよ」

「よく許してくれたね。大丈夫だったの、家の方は?」

「まあ、流派の鍛錬だけは続けている」

 それが道場を辞める時の条件でもあった。

「恵はどうなんだ?」

「私?」

「そうだよ。お前の家にもあっただろう。相伝の技ってやつが」

「よく知っているね」

「昔、恵のオヤジさんに見せてもらったことがある」

「そっかぁ、強いしかっこよかったよね」恵は懐かしむようでもあった。「お父さんには剣道もかなわなかったな」

「小学生に負けたとあっちゃ、継げるもんも継げないだろう」

「そうだよね」恵は笑った。「今は週に何回かお爺ちゃんの相手をしているくらいかな」

「楽してんなぁ」

「確かに厳しくはないかな」

「一応、続けてはいるんだな」

 それならあの時の対応力も頷ける。

「続けているというよりは、付き合っているという感じだよ」あっさりとした口ぶりだ。「今はお爺ちゃん、好きにしていいって言ってくれている」

「そうなのか。うちとはえらい違いだな」

「お父さんが生きていたら続いていたかも。憧れだったし、強かったし」

 少ししんみりとした口調になっていた。

「お前も強いよ」

「そうなのかな。よく分かんないな」

「それこそもったいないって、うちのじじいが言っていたぞ」

「そうなんだ」

「うちなんか稽古は厳しいし、じじいは容赦ないと来ている」

「私はやりたいものがあるし……お爺ちゃんは自分の代で終わりにするって」

 事故の後、恵に祖父はそう語っていた。

「まあ、継がなくていいんなら、それでいいじゃないか、しがらみなんて面倒なだけだ」

「あの日から、お爺ちゃんも変わったかな」

「お前もか?」

「う~ん。分かんない」

「今は何やってるんだ?」

「今はね、天文♪」笑顔で答える。

「お前が?」

 運動部かと思いきや、意外なものが出てきた。

「前から星が好きだったの。本当だよ。学校でも地学部に入っているんだから」

「星座占いとかじゃなくてか?」

 そっちの方が女子は好きそうだ。

「違うよ。天文部で活動してるの。望遠鏡だって持っているんだからね」

「そっち方面に進むのか?」

 今日は意外過ぎる展開に驚くことが多すぎた。

「宇宙に行けたらいいけれど、成績はあんまり良くないしむずかしいかなぁ。とりあえず星に関する仕事ができればいいなと思っているよ」

「まあ、それでいいなら、いいんじゃないか」

「ありがとう。一刀クンは部活しているの?」

「今こうしているってことは、分かるだろう。帰宅部だよ」

「それこそ、もったいないなぁ」

「いいんだよ。やる気がない」

 それが本音でもあった。


 石段を上りきると正面に本殿が見えてくる。

 右側に社務所があり左奥には道場がある。

 見晴らしもよく夜景がきれいに見えそうだ。

「ここからだと星がよく見えそう」

「そうなのか?」

「余計な光も少ないからね」

「まあ、古い家ばかりだからな」

「うちのあたりもたいして変わらないよ。今度、師範に天体観測に場所を使っていいか聞いてみようかな」

 本殿の裏には宝物庫や僧侶たちが暮らす建物があり境内は広い。

「ねぇ、今日は道場、お休みの日だっけ?」

「まだ三時前だぜ。ちびっ子門下生が来るのもこれからだろう」

 道場からは音がしていなかった。

 境内は不気味なほど静まり返っている。

 参拝客すらいなかった。

 本堂へと続く石畳を歩き、お参りを済ませ、二人は左側へと回り奥にある住職の住まいへと向かおうとしていた。

 その時、一瞬で空気が変わる。

 石段からあの大男が姿を現す。

 手には大ぶりの槍を持ち、口元は笑っていた。

「武蔵坊弁慶かよ」

 左手の塀を超えて二人、本堂側からも二人。黒服の男たちが恵と一刀を挟撃するように進んでくる。

 手には棍棒のようなものが握られていた。

「なんなの、この人たち?」

 さらに正面からもう一人、ゆっくりと進み出てくる。

 音もなく気配すらしなかった。

「今度は逃がさないつもりか……」

 表情は読めないが、やる気満々のようだ。正面の細身の黒服はどう見ても真剣を握りしめている。

「先刻から、何なんだ、お前ら!」

 間合いに入る前に一刀は大声を上げた。

 名乗りを期待してではない。道場か住職の家の誰かが気付いてくれれば、うまくすれば通報くらいしてくれるかもしれなかった。

 銃はないように見える。ただ得物を持った相手にどこまで逃げ切れるか分からない……。

「どうしよう」

 そう言いながらも恵の目は脅えてはいなかった。

 大会でよく見た、真っすぐな瞳で相手を見つめている。

 一刀も丸腰だったが、不思議と落ち着いていた。

 じりじりと距離が縮まってくる。

 牽制くらいにはなるかと鞄からエアガンを引き出す準備には抜かりなかった。

「貴様ら、何奴!」

 突然、神崎家の玄関が開き、道着姿の住職が進み出てくる。

 腰に差した鞘から打刀を抜き、そのまま真剣を持った黒服に向かっていく。そのスピードは老人とは思えぬものだった。

 それが合図になったか、一斉に動き出す。


 一刀は向かってきた左手の二人にエアガンをかまえる。

 相手は戸惑い動きが止まった。

 撃てばエアガンだとばれるのでかまえたまま牽制するにとどまるが、それがいつまでもつか分からない。二丁あれば左右同時に牽制できたかもしれないが、四人同時に向かってこられると手にした棍棒で袋叩きにあいそうだ。

 相手との距離がじりじりと狭まってくる。

 いやな汗が噴き出してくる。

 日本刀を師範から借りたいところだったが、師範もそれどころではなかった。

 最初の一撃をかわしただけでなく、相手は二撃、三撃目も避けてさらに反撃を加えてくるのである。

 空気を切る乾いた音だけが聞こえてくる。

 二人とも尋常な動きではなかった。

「師範代!」

 間合いを取った師範は道場に声をかける。


 刃渡り一尺はある大身槍が恵に向かって振り下ろされる。

 素早い助走と踏み込みだった。

 頭蓋骨をも砕くような一撃を恵は読んでいた。左に移動してかわす。

 背負っていた鞄を顔面目掛けてハンマー投げのように反動をつけて投げつけた。

 大男は避けもしなかった。

 石畳に刃先を打ち付ける寸前にそれは軌道を変え恵の足元を薙ぎ払おうとする。

 そのまま柄の部分が当たっていれば足の骨が粉砕されていただろう。

 とっさに垂直に飛ぶ。

 今度は着地の瞬間を狙い穂先が戻ってくる。

 獲物を狙うように俊敏に槍が恵を狙う。力任せに振り回しているのとは違った攻撃だった。

 寸でのところで側転し、石畳に転がった。

 素早く立ち上がり、槍の間合いから遠ざかろうとする。

 大きな壁が恵を逃がすまいと迫ってくる。


 木刀と竹刀を持った道着姿の師範代が二人、外へと出てきた。

 一刀の左手にいた黒服二人に剣道の掛け声とともに打ち込んでいった。

 右に向きなおろうとしたとき、右側の一人が一刀に向かってくる。

 やむなくエアガンを撃つが、顔を狙ったつもりが外れてしまう。それでばれてしまいもう一人も突っ込んできた。

 エアガンの殺傷力は無いに等しい。牽制にすらなっていなかった。

 一刀はそのままエアガンを撃ちながら突進する。間合いを見ながら棍棒をかわし、再び距離を取る。

 聞き覚えのある女性の声がして足元に木刀が転がってきた。

 拾い上げると迫ってきた黒服の腹を薙ぐ。

 きれいに胴が決まったかと思ったが、それで一本というわけにはいかなかった。

 痛みからか片腹を抑えているが、まだ動けるようだった。その後ろから現れたもう一人に逆に彼は間合いに入られてしまう。

 鋭い棍棒の動きに受けるのがやっとだった。

 身体に一撃を食らえば打撲だけでなく骨折してそのまま意識を持っていかれそうにくらい重い打撃が一刀を襲う。

 試合であれば場外に逃げ込めば仕切り直しもできるが、これは命をもかけた戦いだった。

 ヤバい。一刀は追い込まれていく。


「恵ちゃん!」

「五月野先輩!」

 白い道着に袴姿の女性師範代が練習用の薙刀を投げてくれる。

 大男の振り下ろす槍の穂先をかわしながらそれを恵は掴んだ。

 恵の得意は剣の道ではなく槍術であることを先輩は覚えていてくれていた。

 逃げるだけではなく、反撃できる。恵は薙刀をかまえた。

 振り下ろされてきた槍をかわし、懐へと踏み込むと、胸元へと突いた。

 浅かったか手応えがない。

 もう一度、踏み込もうとしたがそれよりも早く恵目掛けて槍が打ち込まれる。

 かわせないと練習用薙刀で受けるが、柄の部分も鉄でできた槍は木製の薙刀をへし折るには充分だった。

 とっさに手を放し切っ先を避けることができたのは運がよかったとしか言いようがない。



 天に轟け

 地よ叫べ

 風のざわめきが

 俺を呼ぶ!

 すべてを守れ

 戦えと

 俺を呼ぶ!



 天を打ち砕けとばかりに振り上げられた拳。

 高らかに響き渡る声。

 突然の口上にその場の全員が凍り付いたように動きを止めた。

 誰もが本堂の欄干に立つ彼を見る。

 颯爽と現れたその男は不敵に笑う。

 白いジーンズに黒の革ジャン、ヒーロー然として登場した彼は、掛け声とともに高く飛び上がり、その勢いのまま一人の黒服にキックする。

 物凄く鈍い音と共に胸元にもろに一撃を食らった黒服は、玉砂利の上を転がった。

 身を起こそうとしたが、力尽き倒れる。

「私が、お相手しよう」

 ニヒルに笑うその男の歯が一瞬光ったような気がした。

 名乗りを上げ変身でもしていたら、そのまま特撮番組のヒーローだっただろう。

 瞬時に間合いを詰めて、一刀を相手していたもう一人のテンプルに右のフックが軽快に入った。

 膝から黒服は崩れ落ちる。

 一瞬にして包囲が崩れた。

 そのまま勢いを止めず大男へと突き進んでいく。

 低く長い笛の音が聞こえてくる。

 それが合図だったのだろう。

 大男は槍を旋風のように振り回し近づけないようにして、倒れている黒服二人を男ともう一人で担ぎ撤退を開始した。

 刀使いがしんがりを務め、なおも迫る師範をけん制し、最後は塀を超え、杉林へと消えていった。

 それを見送ると彼は「やあ、ケガはないかい?」と陽気に訊ねてきた。

 恵も一刀も展開について行けずただ頷くだけしかできなかった。

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