第14話
第3章 第5節「汝、戦争に備えよと人は言う」
前線都市はいつも通り夜を迎えようとしている。
監視塔の真下。イノリは目の前で息絶える財前ユズキを一瞥する。変種の竜胆の花弁が、彼が身を起こした拍子にぱらぱらと散った。
この花を植えたのは初代の『重峰イノリ』だった。彼女は前線都市を愛して、そこに住む魔術師を愛して、外の人間すらも愛した。武骨な監視塔を飾る花畑が、彼女の愛情の証だった。
そしてその愛こそが、彼の身に宿った呪いの正体でもある。
『無限再生』
死ぬたびに生き返り、また死ぬために生きて。死んで、生き返って、そんな命の冒涜を無限に繰り返す魔術。それは現在の『重峰イノリ』という機構を存続させるためのシステムであり、魔術師を前線都市に封じ込めるための鍵そのものでもあった。彼が死なない限り、街と外とを隔てる結界が破られることはないのだから。
故に。彼はこれまでに何千、あるいは何万回と死んでいる。魔術師にも、外敵にも、人間にも。ありとあらゆる方法で殺された記憶を有して生きてきた。“死”の概念に恐怖を抱かなくなったのも、もう随分と昔の話である。
こほ、と喉奥に残っていた血を吐き出して、イノリは自分の体を見下ろした。再生する際に無意識下でナイフを引き抜いていたようだが、そのせいで服にはべったりと血がついてしまっている。カソックもストラも血の汚れが目立つ色ではないけれど、かといってあまり良い気分はしない。
ひどい有様だと自嘲して、彼は少しだけ魔力を放出した。それをエネルギー源として衣服が損傷の回復を始めたとき、傍らの薙刀が音もなく形を解く。
そうして人の形をとったミコトは、眉間に皺を寄せて何も言わずに押し黙っていた。
「みこと、」
「……」
再生したばかりで上手く回らない舌でその名を呼んだみたものの、返事はない。
彼が怒っていることをイノリはわかっていた。確かにミコトは所有される立場の魔術式ではあるけれど、それだけではない理由で、イノリが自死したことを怒っている。だから素直に、謝意を口にした。
「ごめん」
「改善する気もないくせに謝るな」
「……そうだね。でも、ごめん」
彼の頬に手を伸ばそうとして、イノリは自分の掌が血塗れであると気がついた。中途半端に差し出された手を、ミコトがため息混じりに片手で掬い上げる。それを自らの頬に添えさせて彼は言う。
「おまえの、そういうところは嫌いだ」
「うん」
「だから、極力控えてほしい」
「――ありがとう」
いつまでもこうしてはいられない。処分完了の報告と、素体回収の依頼。やるべきことは沢山残っている。完全に夜が訪れる前に終わらせてしまいたいと、イノリはミコトの手を借りて立ち上がった。そしてそう定められた通りに、ロザリオを握る。
「――……主よ。どうか彼の者に、神々の天秤にて正しく罰を与え給え。願わくばその魂が、永き贖罪の果て、約束の地へと至らんことを――」
命令は完遂された。被害も最小限に留まっている。不知火トーマをはじめとする重要戦力を失うことも避けられた。
けれど、気を抜くわけにはいかない。
計画は速やかに実行されなければならないからだ。
迅速に。しかして慎重に。
……そして誰にも知られぬように。
神々の目さえ欺く大芝居を仕掛けるには未だ不十分。だからイノリは、今日も『重峰イノリ』であり続けなければならないのだ。
やがて訪れる戦争に備えて。
規定通りの報告を終え、イノリは大きく体を伸ばす。もう彼が足元の財前ユズキに目を向けることはないだろう。彼の歩むべき道は『無限再生』の呪いを受けた瞬間に定まっている。今更、魔術師ひとりの死程度で揺らぎはしない。
「帰ろうか、ミコト」
傍らに魔術式を伴って。
重峰イノリは、花を踏みつけるように歩き出した。
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