第13話

第3章 第4節「至るべき場所へ」

 視界一面に広がる藍色の花畑。不釣り合いな“立ち入り禁止”の黄色いテープ。現実離れしたその光景の中心には、標的であった監視塔と、それから。

 

 「同族、殺し」


 ユズキが血液とともに吐き出した言葉はほとんど声になっていなかったが、それでも静寂に包まれたこの場所ではきちんと向こうに届いたらしい。同族殺し――重峰イノリはユズキの悲惨な有様に一瞬目を丸くして、それから柔らかく微笑んだ。

 「はじめまして。財前ユズキさん、ですね」

 「……知ってるのか、僕のこと」

 「えぇ。先ほど監視塔からあなた方の処分命令が下されました。その内今も生き残っているのは、貴方だけです」

 さくり、さくりと。花を避けるようにしてゆっくりこちらへ歩み寄ってよってくるその様に、敵意はないように思えた。しかしユズキは彼の正体を知っている。穏やかなのも優しげなのも見せかけだけで、浮かべた微笑は偽物だ。あまりにも自然に振る舞っているせいで意識から外してしまいそうになるけれど、左手には今も、嫌になるほど白く美しい薙刀が携えられている。

 その刃がこれまでに沢山の魔術師の命を絶った。山岡ミズチも、水車町カノコも。きっと何の感慨も思い入れもなく、あっさり首を落としたのだろう。ふたりの遺体を見たときからずっと、ユズキはそのことが許せずにいた。だから、無駄とわかっていても問わずにはいられない。

 「なんでころした」

 イノリはゆるやかに首を傾げてみせる。幼い子どもを諭すような仕草だった。

 「そう命じられたからですよ。何故処分対象にされたのか、理由が知りたいのなら説明しますけれど」

 「……人間の命令ならだれでもころすのか」

 「はい」

 「っなら!死ねと言われたら自殺するのか!」


 流石に予想外の質問であったのか、イノリはぱちりと瞬いた。湿気を含んだ緩い風がふたりの間を抜け、花弁と彼のストラを揺らす。

ややあって口を開いたイノリは、まるで当たり前のことのように言った。

 「するでしょうね。そういうものです」

 「――はは、成程。おまえはもう、とっくにおかしくなってるんだな」

 そこまでが、ユズキの体の限界だった。

もはや立っていることすらままならず、崩れるように膝をつく。名前も知らない花が自分の血で汚れていくのが不思議と滑稽で、気づけばユズキは声を上げて笑っていた。

 意地と執念だけでここまで来た。けれどここからどうやって仇をとればいいのだろう。「無意味だ」と言った魔術師のことを思い出す。彼に命乞いまでしたというのに、結局は全て無駄だったのだ。何もやり遂げられず、どこにも至れずに終わる。リクさんやルカさんのことだって利用して。そんな自分がみっともなくて情けなくて、ぼんやりと空を仰いだ。どうしたって視界に入る監視塔が鬱陶しく、憎らしい。

 既にこちらが戦意を喪失していることを見てとったのだろう。重峰イノリは、静かにユズキの前へと傅いた。――まるで敬虔な神父のように。

 「諦めるのですか?」

 「……どうしろっていうんだよ。ここから。もう僕にはほとんど魔力も残ってない。体だって動かない」

 「そうですね。この傷は、……“橋姫”ですか。ならば確実にあなたは死ぬでしょう。セナさんはあれで優しいから、わかっていてそれでも見逃したんですね」

 「は、ははは。でも全部無駄だ。無駄だったんだ。最初っから無謀な夢だった!あの塔を壊すなんて、おまえを殺すなんて、僕にはできっこなかったんだ……」

 「――さぁ、それはどうでしょうね」


 は、と呆けたユズキにイノリは苦笑を浮かべて、手にした薙刀を無防備に地面へ置いた。代わりにユズキのポケットに手を伸ばし、そこに潜ませていた武装端末を起動する。戦闘形態のナイフに変形したそれを、血塗れのユズキの両手に握らせて。

そのまま、切っ先を自分の喉元に突き付けた。

 意味がわからず戸惑うユズキに、声色ひとつ変えずイノリは囁く。

 「後は力を込めて突き出すだけ。骨に当たれば刃は止まってしまうけれど、『身体強化』を起動したままなら砕いて貫ける。……手が震えているね。大丈夫。手伝うよ」

 「なに、言って」

 「あなたのしてきたことの全てが無駄なんてことはない。無謀で、無意味だったとしても。できることはあるし、遺せるものもある」

 「……そのために死んでくれるって?」

 「あなたが望むのなら」


 力の抜けたユズキの両手を、イノリが包み込むようにして支えている。残酷で残忍な同族殺し。その手がちゃんと温かいことが意外で、だからこそユズキは彼の異常さに気がついた。

 死んでくれと望まれて、請われるがままに死ぬ生き物がこの世にどれだけいるだろう。生存は本能だ。絶望や不安から衝動的に死を選ぶことはあっても、重峰イノリの言動はそれすら逸脱している。

――やっぱり、この男はもうおかしくなっているのだ。

改めてそう結論付けて、ユズキは己の体を叱咤する。この機会を逃すわけにはいかない。たったひとつでも、成し遂げられるものがあるのなら。


 「じゃあ、頼むよ」

 「はい。任されましょう」


あなたが。

果てなき旅路の果て。

約束の地へと至らんことを。


 イノリの呟いたそれが教典の一節だと理解するより先に。ユズキは、手の中のナイフを突き出した。


 その感触が、彼の最期の記憶である。

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