第12話

第3章 第3節「ただ歩むと決めた日に」

 思い返せば、始まりは些細なことだった。

その日は哨戒の当番が割り振られていた。普段ならば欠伸混じりに見回りをして、次の当番に適当に引き継いで。さっさと家に帰りシャワーを浴びる、筈だったのに。結局は運が悪かったということだろう。――いや、もしかしたら、良かったのかもしれないけれど。

 突如頭上に現れた巨大な影。そこからぬるりと這い出してくる外敵の姿に、僕は情けなくも腰を抜かしてしまった。敵の階級はおそらくB程度で、リクさんやルカさんならあっさりと倒せてしまえただろう。でも大して力のない僕にとっては、確かな死の気配だった。

 外敵討伐で死ぬ東の魔術師はそう多くない。けれど、ゼロでもない。リクさんが前に出て庇ってくれるから、ルカさんが後ろから援護してくれるから、減少傾向にあるのは間違いないけれど。それでも僕らのような普通の魔術師にとって、死はいつだってすぐ隣にあるものだ。だから僕も当然のように、「あぁ死ぬのだな」と思って。

「死にたくないなぁ」と思って。

鎌に似た前足が振り下ろされるのを、実感なく見つめていたその時に。

僕は、“彼”に出会ったのだ。


 監視塔は“彼”を処分対象に選んだ。破棄されるべきものだと認定した。でも、けれど僕にとって“彼”は間違いなくヒーローだったのだ。あのとき“彼“が身を挺して庇ってくれていなければ、僕はとっくに死んでいたんだから。幸せになってほしかった。こんな街で何を、と嗤われるかもしれないけれど。彼と彼の大切なひとが幸せになるところが見たかった。


 なのに。あの男はそれを壊した。人間たちの言いなりになって、あの男は。何も知らないくせに。何も知らないくせに。何も知らないくせに!

彼がどんな風に生きてきたのか。彼女が何を思ってそこにいたのか。二人がどうして戦場を離れたのか。知らないままで、わかろうともせずのあの男は彼らを殺したのだ!


 二人の遺体が運ばれていくのを見た。きっと能力の装置だけ取り出して燃やされるのだろうと思った。魔術師が死んだらそうなると決まっているから。

だから。

全部ぶっ壊してやろうと決めたのだ。こんな歪んだ街も、諦め切った魔術師たちも、腐った人間たちも、そしてあの、悪魔のような“同族殺し”も。僕はきっとそのために生き延びたのだと確信している。

最初は監視塔だ。あれさえ壊してしまえば人間たちの目を一時的にでも遮れる。そうすればこちらの動きが“同族殺し”に読まれにくくなる。その隙をついて、殺す。あとは街の外へ出るだけだ。

計画は速やかに実行されなければならない。迅速に。しかして慎重に。監視塔が共犯の選別に手間取るよう多くの魔術師を巻き込んで、かろうじて時間は稼いだけれど。それでも、そう長くは保たない。

元々練りに練った計画というわけではないのだから、想定外の事態が起こりうることも予想している。それで良い。何を失っても、どんな過程を経ても、目的さえ達成されれば。それだけの覚悟が。


なのに。どうして、こうなった?




 財前ユズキは走っていた。

夕焼けに照らされ赤く染まった大通りを、一心不乱に駆け抜ける。狙撃されるリスクを考えて鶴翼大橋を避け、汎用魔術『空中遊行』で非正規に西から東へ渡り、その時点でほとんどの魔力は尽きてしまった。だから『身体強化』を施す余裕もなく、脳内でアラート信号を出し続ける魔力管制デバイスから必死に気を逸らす。大きく肩を揺らしてなんとか酸素を取り込みながら、ただただ懸命に足を動かしている。

 不知火トーマによって潜伏先を炙り出された。そう気付いたおよそ1時間後には、全てが終わっていた。嘘と本音で騙し協力を約束させた西地区の荒くれ者共は、空から落とされる大砲の一撃で沈められた。なんとか反撃しようと武器を構えた者の側頭部を、神崎ルカの魔術が貫いた。その時点で既に戦意を喪失し座り込んだ者を、大鏡リクの大剣が薙ぎ払う。

 それでもなんとか逃れようと足掻く一団の中にユズキを見つけて、リクは憐れむようにこう言った。

――「残念だよ」と。


 ユズキは奥歯が欠けるほどに噛み締めて、血の滲む腕を強く握り締める。ユズキとともにあの場から逃げ出せたのはたった5人。この人数で、果たして監視塔の破壊など。

 否。壊せるかどうかなどどうでもいい。壊すと決めたのだから、そうするだけだ。

 腹を括り、覚悟を決め直す。監視塔の真下にはあと数分のうちに到着するだろう。そうしたらすぐに渾身の一撃を叩き込むつもりで、それを他の魔術師に伝えるためにユズキは振り返る。


 そこには、誰の姿もなかった。


 「……は?」

 思わず、間の抜けた声が唇から漏れる。つい先ほど、そう東地区に到着した時には確かに5人の魔術師がいた筈なのだ。皆疲れた様子ではあったけれど、未だ心の折れていない同志たちが。

それが、どこにもいない。裏切られた、という言葉が脳裏を過ぎったが、しかしそれにしても一切の気配なく消えることなどあり得ない。ルカの狙撃を受けたにしても、死体すらないなんてことは。

 考えが纏まらず、ユズキは一度足を止めた。そんな暇はないと分かっていてもあまりの不気味さに体が動かなかった。一体何が、と周りを探ろうとして。

 過敏になった聴覚が、きしり、と何かの軋む音を拾った。それは、確かに頭上から。

振り仰ぐ。そして、“それ”と目が合った。


 「ひっ……!?な、なん」

言葉が喉奥で絡まる。本能的な恐怖を自覚したユズキが咄嗟に飛び退っても、“それ”は身動ぎひとつせずそこにいる。

 まず目に入ったのは、黒く黒く黒い髪。光すら呑み込むような黒が幾つもの束になって、長く垂れ下がっている。その隙間に見える白い肌に血の通っている様子はない。触れれば恐ろしく冷え切っているだろうそれは、まるで輪郭だけ似せたように人間の――正確には少女人形の形をとっていた。黒いワンピースから覗く罅の入った細い両腕が、電線にぶら下がるようにして体を支えている。両足の膝から下がぶつりと切断されているせいで、直立することが出来ないのだろう。先ほど聞いた音は“それ”の球体関節が軋む音だったのかと、ユズキはどこか他人事ような感想を抱く。

 すると、そちらを見上げることしか出来ずにいるユズキの後ろで唐突に小さな足音が鳴った。そこでようやく我に返ったユズキは、慌ててポケットから自身の武装端末を取り出そうとする。

 その瞬間に、目の前の化け物ががくりと首を傾げた。両目に位置する空洞が、ユズキへ向けられて。

 

 気づいた時には、右肩から脇腹までがざっくりと斬り裂かれていた。


 「ぎ、ぃ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?」

一拍の間を置いて悲鳴が上がる。激痛に耐えきれず膝をついたユズキの横を、見知ったデザインの軍靴が通り過ぎていった。

 「あ、あ、あ」

気力を振り絞って彼は顔を上げる。何が起こったのか把握しようとしたユズキは、しかし化け物を背後に従えてこちらを見下ろすセナの姿を見留めた途端に全てを理解した。

――『橋姫』。西地区の隠密作戦部隊長が所有する、魔術式。


 「……一応言っておくが、」

 先に口を開いたのは、セナの方だった。

 「俺はもう“その”役目は下りた。お前が俺の名前を出したりしなければ、こんな面倒な真似をしなくて済んだのに」

 低く冷たい声色に嫌な汗が背を伝う。姿を見たのは初めてである筈なのにどこか見覚えのあるその容貌は、一体誰に似ているのか。痛みに耐えながら身をよじり、這いずりながらユズキは思う。


 ――例えば今ここで戦って、勝てる可能性はどれくらいあるだろう。


 彼は自分の平凡さを知っている。相手が本当に例の魔術師ならば、きっと瞬きの間に殺されるだろう。いま、彼はどうやってこの傷を受けたのかすら理解できていないのだから。では逆に、逃げることだけに専念したとして。逃げ切ることなどできるものなのか。背を向けた途端に殺されるのではないのか。――刺し違える覚悟で挑めば、奇跡的に倒せるかもしれない。しかしその後は?セナを殺せたとして、それはユズキにとっての勝利ではない。

目的を見失ってはいけない、と彼は脂汗を拭うこともできないままセナを見上げる。硬質な灰色の瞳にみっともない自身の姿が写っているのをみつけて、それから居住まいを正した。少し動くだけで激痛の走る体で、懸命に土下座の姿勢をとる。あとはもう、祈るだけだ。

 「お、ねがい、します。そこを通して、ください。おねが、します。どうか、」

 アスファルトに額を擦り付けているユズキは、セナの表情を窺えない。けれど少し間を空けてから静かに投げかけられた声は、意外にも穏やかなものだった。

 「無意味だ」

 「、……」

 「俺がここでお前を見逃したとして、そう長くは生きられないだろう。もう、お前の至る場所は決まっている」

 「はは……そう、かな。そうかも、なぁ」

 「――それでも、行くのか」

 「行きます」

 行かなきゃいけない。そう決めたんです。


 セナはしばらく押し黙り、やがて小さくため息を吐いた。思わず体を強張らせたユズキから視線を逸らすと、頭上にぶら下がる魔術式の少女を見上げた。

 「橋姫」

名を呼ばれた彼女が、電線から手を離す。そのまま重力に従って落下し地面に衝突する直前で、彼女はとぷんとセナの影の中へ消えていった。

 ぼんやりとその様を眺めていたユズキに道を譲るように、セナは半歩下がってこう言った。

 「好きにしろ。後は、俺の知ったことじゃない」


 死の気配は、未だ肩の上にのしかかっている。それでも進むべき場所は見えた。だからユズキはなんとか『身体強化』を起動し、重い体を引きずって立ち上がる。もはや礼のひとつも口にする余裕はなく、執念だけで歩みを進めるその背を、セナは黙して見送った。


 財前ユズキの終着点は、すぐそこまで迫っている。

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