第11話

第3章 第2節「始まりの音」

 拠点を出たトーマが向かったのは、高台に位置する旧製鉄所地区の中でさらに1番高い建物の屋上だった。ここからならば西地区のほとんどが見渡せる。ついでに、鶴翼大橋の様子も。つまりはトーマにとって絶好の狙撃位置である。既に嫌な予感のしているセナはトーマから三歩ほど距離をとり、強風に煽られる髪を押さえた。

 借りを返さねばとトーマは言った。要するにそういうことだろう。セナにはあまりよくわからない感性ではあるが。


 「——あぁ、いい風だ。大砲日和だな」

 冗談混じりにそう言って、トーマは右腕を正面に向け突き出した。空気中から体内へ、足元を伝って肩を通り、編み上げられた魔力が指先に収束する。反動で揺れた手首を左手で固定し、収束と圧縮を繰り返す。そうして形成された矢は膨大な魔力を帯び、どくんどくんと脈を打つ。

 トーマが有する魔術式『八咫の大弓』その性能は極々単純だ。周囲から集めた魔力を矢に変えて放つ。たったそれだけの魔術が、如何にしてこうも恐れられるまでに至ったか?

 単純な魔術。一般的な砲撃術式。そこに生じる差は、術者の技術とそれに応えられる耐久性に尽きる。

つまり。

圧倒的な量の純粋魔力を丸ごと砲撃に変換し、最短距離を最速で撃ち抜く。不知火トーマという魔術師が行使するだけで、それはいかなる防御も、どれだけの距離も意味をなさない致命の一撃となる。

故に彼は西地区の要となった。あらゆる死地を逆転させる切り札として。

 

 「我が魔術式“八咫ノ大弓”、その真名――『ヤタガラス』。術式装填。目標、鶴翼大橋中央」


 大弓が、より一層強い光を放つ。傍らに佇んでいたセナは少しだけ眉を顰めて、矢の狙う方角に視線を向けた。

 ——まさかとは、思うけれど。

 「一応。一応確認しておくけど……殺す気で撃つわけじゃないだろうな」

 「はン。当たり前だろうが」

 限界まで引き絞られた弦がいよいよ弾ける。飴色の両目が、眼下の獲物を睨み据えて。


 「この己れが、手加減なんざする訳なかろう。撃ち滅ぼせ、ヤタガラス……!」


 閃光。遅れて、腹の底に響くような轟音。

その一撃は、流星の如く空を裂いて駆け抜けた。



 止める間もない速攻に、セナは頬を引き攣らせた。相手はあの撃滅王であるし、死んではいないだろうが――それにしたって挨拶代わりは凶悪すぎる一撃だった。この距離では対象の無事を確認することもできず、魔力を探るのも難しい。しかし、撃ち終えたトーマが小さく舌打ちを漏らしているあたり相手方に大した損害はないのだろうと、内心で僅かに安堵する。

 そんなセナとは対照的に、苛立ちを露わにしたトーマが軽く右手を振るう。応じて彼の背後の浮かんでいた大弓が魔力へと再変換され、周囲の空気に溶けていった。


 「相変わらずとはいえ気に食わんな。それなりに本気で撃った筈だが完璧に防がれた」

 「……あんたな。もし防いでくれなかったらどうするつもりだったんだ。撃墜王が殺されたとなれば、本当に東西で戦争が起きてたかもしれないのに」

 「ありえん。撃墜王には神崎ルカがついている――この距離だ。アレの『千里眼』があれば防御はともかく回避は容易だろう。橋を盾にすれば良いだけなのだから」


 あぁ、腹が立つ。そう言ってトーマは踵を返す。喉元まで出かかったため息と文句を押し殺し、セナはちらりと横目で橋を見た。


 鶴翼大橋。前線都市の東西を結ぶ唯一の通行路。ただの吊り橋でしかないそれは、しかしトーマの砲撃を受けても一切の損傷を受けていない。まるで何事なかったかのように、ただそこに存在している。

 撃墜王が防いだのは自分達へのダメージだけ。橋のことまで気遣ってはいないだろう。となれば、鶴翼大橋を守った力は別にあるということになる。

すなわち、恒常結界。24時間365日、ほぼ永続的にこの街の主要部を守り続ける強固な見えない壁。その術者こそが、“同族殺し”――重峰イノリという機構である。

 そして同様の結界が、前線都市と“外”とを隔てている。無論侵入者を防ぐためでなく、脱走者を出さないために。

 以前トーマはその結界を破壊しようとして、術者であり結界の存続させる核でもある重峰イノリを襲撃した。結局、失敗したわけだが。トーマ曰く“何度殺しても生き返ってきた”ために。


 「監視塔を壊す、だったか」


 誰もがそう思ったように、セナもまた同じく「無謀だな」と思う。ここまでの道中でトーマから聞いた、財前ユズキの計画。監視塔を壊し魔術師達を解放すると言う、淡い夢。監視塔を壊すということは、それを守っているあの結界をも破壊するということだ。正面から結界を破壊することはまず不可能。となれば取りうる手段は、重峰イノリの抹殺のみ。なんて、言葉で表すのは簡単だけれど。


 果たして彼らは如何にして、不死者を殺すというのだろう。セナはそこまで考えてすぐに思考を打ち切った。きっとそんな当たり前の理屈では止められない衝動で財前ユズキは動いている。ならば彼の、彼らの意図など他者に理解出来るはずもないのだ。諦めることに慣れた魔術師という生き物が、諦めないことを選択するのにはそれだけの決意が要ることをセナはよく知っている。

 だからこそ、哀れだった。おそらくあと数時間もしないうちに彼らの無知な夢は砕かれるだろう。かつて自分も通った道であるが故に、偽りなく彼らに同情している。けれども。


 それはそれとして、巻き込まれるのは面倒だし迷惑なのである。


 暗がりに潜むようにして蠢く“橋姫”を横目で牽制し、セナはトーマの後を追う。出来るだけ早々に、手っ取り早く、いつもの日常へ戻るために。



 「……で、手は打ってあるってのはどういうことだ」

 「ふん。まさかこの己れが、ただの鬱憤晴らしでああも派手に撃ったと思っているのか」

 「あんたはやりかねないだろ」


 旧製鉄所地区は西の魔術師の多くが居住している場所でもある。その頭上をあれだけの一撃が掠めたのだから、いくら修羅場慣れした魔術師たちとはいえ動揺しないはずもなく。いつになくざわめいている群衆を割るようにして、トーマは心なしか早足で通りを進んでいった。セナもまた、それに続く。

 「連中からの協力要請。それに、己れはこう返答してやった。――分を弁えろ、とな。まず己れと対等に口を利こうというのが烏滸がましい。すぐにこの手で引導を渡してやるから有り難く思え、とな」

 「はぁ」

 「気のない返事だな。……まぁ良い。さて今の砲撃、己れは鶴翼大橋を目掛けて撃った訳だが。ここから橋までの中間には何がある?」

 その答えは、改めて考えるまでもなくセナの脳裏に浮かんだ。同時に、砲撃の真意も。

 「――造船所跡か」

 「あァ。以前から連中がよく出入りしていた場所だ。潜んでいるならばおそらくそこであろう。して、ここに住む奴らのこの騒ぎを見ろ。先にわざわざ警告までしてやったのだから、頭の上を大砲が通ればいくら阿呆でも気付くさ。死がそこまで来ているとな」

 「そうして慌てて出てきたところを捕まえる、と?大雑把な策だな」

 「いちいち雑魚探しなんぞしてられるか。連中の大半を処分すれば己れ達の疑いは晴れる。その先は同族殺しの仕事だろう。――まぁ、どのみち財前ユズキの狙いは監視塔だ。ある程度追い詰めてやれば、遮二無二構わずそこに向かうしかないだろうが」

 つまらなそうに吐き捨てて、トーマはそれなりに高さのある段差を構わず飛び降りる。そこでようやく彼は振り返り、セナを見上げた。

 「こちらは己れと東の二人で事足りる。貴様は後詰めだ。逃げ足の早い奴らを片端から始末しろ。そういうのは、得意だった筈だな?」

 「……はいはい」

 ぐしゃりと髪をかき回し、セナは『瞬間移動』を起動する。座標を固定し、術式を入力。緩く伏せた瞼の裏に転移先の座標を描いて。

 トーマが再び歩き出す。その背後から、既にセナの姿は消えていた。

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