第10話

第3章 第1節「西の魔術師」

 それが夢だと気が付いたとき、セナは舌打ちを漏らした。悪夢である。いや、あの夢自体を“悪” だなどと死んでも認めたくはないが、そのつもりで見せられた夢であることは理解している。だから魔力抑制剤の入った器具を首に押し当て、かしゅりと針を打ち込みながら小さく呟いた。

 「……余計な真似をするな、“橋姫”」

 応じるように、雑多な事務室の隅で黒い影がしゅるしゅると蠢く。その様に苛立ち混じりのため息を吐いて、彼は自身の武装端末を待機状態のまま起動する。

 「“クラウディア”」

 [再起動完了。現在時刻、11時28分を記録。不在通信は120件。そのうち115件は端末名“ジークフリート”からの通信です]

 「……はぁ?なんなんだ、一体」

 [メッセージを再生。――馬鹿がまた騒いでやがる。さっさと始末するから手伝え。以上です]

 「馬鹿って……あぁもう、面倒な」

 セナは乱暴に髪を掻き乱すと、寝そべっていたソファからようやく身を起こした。着崩したYシャツの上から軍服の上着を肩にかけ、待機状態であるカード型を維持した“クラウディア”は胸ポケットに。執務机の上に置きっぱなしにしていた軍帽を拾い上げて、彼は欠伸混じりに部屋を出た。

 ――その左腕で、『武装整備室・室長』の腕章を揺らしながら。



 便宜上階級制度を採用しているだけでほとんど身分の差など存在しない東地区と違い、西地区の魔術師は厳格な上下関係に基づいて組織を形成している。それは対外敵戦における指揮系統を確立するためであったり、強固な軍事的統制を維持するためであったりと目的自体は多種多様にあるのだが。個性の強い魔術師達を一手に纏め上げる、そんな荒技を可能としたのは、ひとえに彼のカリスマ故であった。

 西地区総司令官、不知火トーマ。前線都市随一の射程範囲を誇る魔術式“八咫ノ大弓”を有した、射砲撃の名手。横暴で乱暴で傲慢で高慢なその男こそが、前線都市三強の一角にして西地区の要である。

 そんな人物に呼びだされたとあっては西の魔術師どころか東の魔術師だって冷や汗混じりに大慌てで駆けつけるところだが、セナは至ってマイペースにだらだらと、着崩した軍服を整えることもなく無造作に、トーマの前に現れた。固有魔術『瞬間移動』を使用し、ノックどころか足音ひとつなく部屋の中へ直接空間を跳躍する。とん、と軽い音と共に革靴の底が床を叩いた。

 途端にざわつき始めた側仕えの魔術師たちを片手で黙らせ、トーマは牙を剥くように口角を上げて笑う。ただ足を組んでふんぞり返っているだけなのに、尻の下の積み重なった廃材がまるで玉座のように感じる程の威圧感。その様に、セナは不満げなため息漏らす。

 「わかっててやってるんだろうが、俺はもうあんたの部下でもなんでもない。いちいち呼び出さないでほしいんだが」

 「ふは。生憎西地区はこの己れの領土、つまりその全てが己れの所有物だ。不満なら東にでも逃げ込んでみるか?貴様には無理だろうがな」

 「……わざわざ挑発するために呼び出したのか。総司令殿へ随分とお暇なようで」

 「あぁ。ついさっき、大鏡リクが乗り込んでくるまでは退屈で死にそうだった」

 「“撃墜王”が?」


 セナが反射的に聞き返すと、彼にしては珍しく動揺したその様が愉快だったのか、トーマは満足そうに頬杖をつく。西地区でセナと“撃墜王”こと大鏡リクの繋がりを知っているのはトーマだけだ。――否、正確に言えば繋がっているのはセナとリクではなく、その副官の方なのだけれど。

 自身の反応を愉しまれている、と気付いたセナは煩わしそうに眉を顰め、遮るように口を開いた。

 「……結局、招集の理由は」

 「ふん。なんでもウチから裏切り者が出たらしい。言うまでもないが己れを裏切ったのではない。人間への裏切りだ」

 「ならさっさと“教会”に通報すればいい話だろ。同族殺しが動けばそれで済む」

 「そうもいかん事情がある。なにより己れは“同族殺し”が嫌いだ。うっかり殺しかねん」

 「――あの時は殺せなかったのに?」

 「この己れが殺し損ねる筈などありえん。あれは、何度殺しても死ななかったというだけだ」


 そんなことより、と。舌打ち混じりに呟いて、トーマは足を組み直す。

 「首謀者は財前ユズキ。以下、馬鹿14名。人間共が沙汰を下す前にこちらで処分する。でなければ冤罪ふっかけられて己れの頭が吹き飛ぶ」

 「へぇ。じゃあどうぞがんばってください」

 「ふはは、残念だったな。監視塔が設定した共犯候補には貴様も入っている」

 「……はぁ?」


 今日1番の嫌そうな声色に、トーマはくつくつと喉を鳴らして笑っている。その様子で大体のことを察したのか、セナは苛立ち混じりに吐き捨てた。

 「場所は」

 「もう手は打ってある。が、今回はあのクソガキと合わせて動かねばならん」

 「……俺は、」

 「会いたくないか?かまわんぞ。その辺りは己れが任されてやる。まずはあのガキに、呑気に乗り込んできおった借りを1発返す。貴様は昔のように裏から動け」

 それは、人を従えることに慣れた口調だった。手近な鉄パイプに掛けていた上着を掴んで立ち上がり、軍靴の踵を打ち鳴らす。すぐさま側仕えの魔術師達が膝につき頭を垂れる様を振り返りもせず、トーマは悠々と歩き出した。その後を渋々追いながら、セナはぼんやりと考える。

 これを予感していたから、“橋姫”はあの夢を見せてきたのだろうか。魔術式の思考なんて普通はわかるはずもないのだから、推測するだけ無駄なのかもしれないけれど。

思い出す。思い出して、仕舞い込む。

それはセナなりの決意だった。決意であり、覚悟であり、自罰である。あの頃の自分がどれだけ愚かで、そのせいで誰が傷ついたのか。絶対に忘れないようにと反芻する。

そうすればおのずと、やるべきことと避けるべきこととが決まっていく。ゆえに。


今日もセナが、神崎ルカの前に姿を現すことはないだろう。少なくとも、何かの偶然が働かない限りは。

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