閑話

 私の名前は稲垣いながき 羽衣うい

 ごく普通の高校生だった。

 両親は私が中学を卒業する前くらいから喧嘩ばかりしていて、時々私にまで八つ当たりしてくるようになって家にも居場所がなくなっていた。

 それは私が高校に入ったあとも続いていて、ううん、悪化しているように私には見えていた。

 その日は家の扉を開ける前から嫌な雰囲気があった。僅かに聞こえる怒鳴り声、それに何かが割れる音。ぼそっと呟くように「ただいま」と言って玄関を開いたらお母さんの叫ぶ声とお父さんの怒鳴り声が響いてきて私は家から逃げた。

 逃げているうちに雨が降り始めてきて、その雨を避けるのに逃げ込んだのが寂れた神社だった。


 いつの間にか眠っていた私は襲ってきた浮遊感で目を覚ました。

 うっすらと開けた目に映ったのは長衣を着た人達が円陣を組んでいる姿。フードをかぶっていて性別も年齢も判断できない。

「なに、あの人達……」

 そう呟いたのを合図に景色が流れた。

 視界が灰色に染まり、落ちてると感じた時に私は目を閉じた。

 身体の下に硬い感触を感じて目を開けたらそこは一面の草原だった。

 遠くを見ようそう意識した途端に頭の中に俯瞰した景色が浮かび上がった。その景色が自分の頭上から見ているものだということを理解できていることに戸惑いを覚えた。けど、それよりも遠くに見えたいくつかある天幕、そこへ行かなきゃという考えが私を突き動かした。

 途中何度か何かの気配に気がついてそれに意識を向けるとまた俯瞰した景色が頭に浮かんでまっすぐ行った先の窪地に大きな獣が潜んでいることがわかった。

 その度にそれを避けるようにして天幕に向かった。

「これって特別な能力なんだよね。多分……」

 俯瞰視と気配感知。この世界に来て私が生き延びるために使える能力がこれなんだ。無力な私があんな大きな獣に襲われたら無事でいられるとは思えない。こんなわけのわからない状況で死にたくない。その一心だけで私はこの能力を使い続けた。


 辿り着いたその天幕の集まりで目に入ったのは金色か茶色い髪をした欧風の顔立ちをした民族衣装のような服装に身を包んだ女性達だった。

「どうしたんだいあんた!」

 その女性達の言葉が何故わかるのかという疑問より、心配そうな視線を向けてくれる女性に助かったという安堵から私は気を失ってしまったらしい。


 目が覚めた私に色々なことを教えてくれた女性、イアさんの話によるとこの集落はいまは無くなった部族の生き延びた女性が集まって形成されたものだということだった。男性がいない理由は別の部族に加わったからだそうだ。

「何故、イアさん達はその部族に身を寄せなかったの?」

「女が別の部族の傘下に入ることがどういうことかわかるかい?」

 この集落にいるのは年齢も私と同じくらいから三十歳くらいまでの二十人程。

 私が首を傾げるとイアさんは「傘下に入った女性は奴隷と同じ扱いになるんだよ」と告げてきた。

 奴隷、その言葉に私は呆然とすることになった。

 それから次の移動までの間にイアに教わって彼女達の仕事を手伝う生活を送り始めた。

『このままこの人達と生きていくんだ』

 私が気持ちに踏ん切りをつけることができたのはこの世界に来てから四年が経過した頃だった。


 ある雨の降る夜、集落を取り囲む気配に気づいた私はそのことをイアさんに伝えた。私と同じ天幕にいた五人がなんとか逃げ出すことができたけどその二日後に全員捕えられてしまった。

 これからどうなるかわからない不安と恐怖に気が変になりそうな私に追い打ちをかけるように奴隷紋が刻まれた。

 攫われてどれくらいの時間が過ぎたのか『商品価値が下がるから膜だけは破るなよ』と私達を見る男達の下卑た笑いが気持ち悪かった。

 その人攫い達が夜になると私達のところにやって来て『奉仕のために覚えておけ』と言っていやらしいことを教え込まれた。それでも未経験な私は破瓜だけは免れたけど、それさえどうでもいいというくらいに私の心は閉じていった。

 感情の凍りついた私だったけど、その晩久しぶりに近づいてくる気配を察知して俯瞰した景色が頭に浮かんだ。月のない夜、真っ暗闇の筈なのに私は近づいてくる人たちの姿がわかった。人攫いには見えない統率の取れた動きの十二人。

『いっそこのまま…… (殺してくれないかな)』そう考えて目を閉じた。

 それからどうなったか覚えていない。誰かが私の手を引いて暗闇の中に隠れた。周りでは人攫いと襲撃者達の怒号が響いていたらしい。

 何日経ったかわからないけど水も食べるものもないまま彷徨っているうちに街道沿いに辿り着いたところで力尽きた。


 そこに通りかかった奴隷商に拾われた私達はケアを受けたけど奴隷であることは変わらなくて私は心を閉ざしたままでいた。

 間も無くして私を連れ出してくれた女性はこちらの言葉が話せたことで先に買われていった。ひとり残された私は『このまま奴隷として生きていくくらいなら……』と暗い考えに囚われていた。

 そんなある日、同郷の男の子が奴隷を求めてやって来た。彼は「探してる能力だったら助けてもいい」と言ってきた。僅かな望みを込めて自分のことを話した。その日から約束の日まで寝食を忘れて言葉を覚える努力をした。いつぶりかわからない生きるための努力。



 約束の日になって彼がやって来た。不安がないと言えば嘘になる。それでも彼が同郷ということを支えに羽衣は前を向いて歩いて行くことにした。

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