第57話

 夜半過ぎになって雨が降り始めた。

「このタイミングで降りだしたかぁ……」

 そう、もうすぐ交代になるこのタイミングで雨が降り始めた。

 エイシャを起こすために天幕に向かう。


 今の所は何も問題は起きていない。

 このまま朝まで過ぎてくれればいい。

 そういうフラグ的なことを考えたのがいけなかったのか天幕の中であの外套が解け始めていた。


「エイシャ、起きて、外套が解け始めてる」

「うっ…… ん〜〜っ、あふっ」

 小さく伸びをしてエイシャが目を覚ました。

「エイシャ、外套が解け始めてる」

「ん? んん〜、女の子?」

 ハラリと解けた外套の一部から覗いたのは金髪の頭頂部がボサボサになっている女の子? 多分、女の子。長い金髪と可憐な顔立ち。

 ただ、まだ目を開いてはいない。


「魔術の効力が切れた?」

「ん〜、わからない」

「エイシャはこのまま、この子を見てて」

「でも、当直は?」

「う〜ん、このまま俺がやるよ」

「でも……」

「大丈夫、明日の昼、眠らせてもらうから」

「キツくなったら言って」

「わかってる。その子をよろしくな」

「ん、任せて」


◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆


 あれ以降、俺の方は特に変わったこともなく無事に当直を終えることができそうだと安堵したのが夜が明ける一時間程前。


 まだ雨は降り続いていて周囲も闇に包まれている時間に目を覚ましたアフェクトとエイシャの話し声が途切れ途切れに聞こえてきたのだが内容まではわからない。

 天幕から出てきたアフェクトが俺の元にやって来て「代わるわ」と告げる。

 こっちに来てから徹夜をするなんてこともなかったから、流石に疲れが見て取れるようなひどい状態なのかも知れない。

 アフェクトは自分の目の下に指を当てて「くまが出来てる」と指摘してきた。当直中はずっと気を張っていたから思った以上に消耗していたらしい。

「でも、もう少しだからさ」

「そこは、素直にお姉さんに甘えておきなさい。いざという時に動けない方が困るでしょう?」

「ああ、そうだね。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

「ええ、ゆっくり…… とは言えないけど、休んでおきなさい」

「ありがとう」


 アフェクトと当直を代わって天幕に戻ると、いまだ目を覚さない女の子の横に座ったエイシャに手招きされた。

「レオ、ここにくる」

 ポンポンと自身の膝を叩いて俺を見てくる。これは膝枕をしてくれるということかな? 断る理由は無いし、エイシャがそう望んでいるのであれば喜んで受け入れよう。

「ん、ふふっ」

「どうしたの……」

 膝に乗った俺の頭を優しく撫でながら笑みを溢すエイシャに訊ねた。

「最近、二人きりになれることが無かったから」

「そうだね…… 随分、賑やかに…… なった…… よね……」

「ん、眠った? おやすみ、レオ……」


◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆


 俺が目を覚ました時には状況が一変している。なんていうことは物語の中だけで、実際にはそんなこともなく平穏。


 俺は寝ぼけ眼を擦りながら頭を起こすと柔らかな感触に出迎えられた。

「んっ、目が覚めた、レオ?」

「あ、ご、ごめん。お、おはようエイシャ。その、ちょっと苦しい、溺れる……」

「むぅ、仕方がない」

 ぽふっとエイシャの下乳に顔を突っ込ませるように身体を起こした俺は、その柔らかな胸に抱き留められるようにエイシャに支えられていた。

 雨が降って天幕の中の湿度も上がり少し蒸す。

 そうなると自然と汗をかくわけで、エイシャから芳醇な香りが漂ってきた。それに加えて胸に包まれていると物理的にも呼吸ができない…… 窒息しそうだった。

 身体を起こした俺の頭はまだちゃんと覚醒していなかったんだろう、余計な一言を口にした。

「エイシャの匂いと、胸の柔らかさに溺れるところだった……」

「っ、むぅ! 匂いって、女性に失礼! 私以外に言わない方がいい……」

 強めの注意と小さなアドバイス。

「あっ、そうか(流石に、こんな場所じゃあ、ゆっくり身体を拭くことも出来ないから、そりゃあ、気になるか)」

「ん、その先は口にしない!」

「エイシャは気にしてるんだろうけど、俺にとってはいい匂いだよ」

「……変態」

「こんなことを言うのはエイシャだけだよ」

「ユイナとリイサには?」

「嗅いだことが無いからわからないな……」

「やっぱり、変態さんだ」

「駄目か?」

「レオなら駄目じゃない。けど、女性は気にする。だからだめ」

「そうか、残念」

「ん、また今度、ね」

 少しの間だけエイシャと抱き合う。

「あの〜、そろそろいい?」

「エイシャだけ、ずるい」

「…………」

 声のした方を向くと横になったまま唯奈ゆいな達三人が俺とエイシャを見ていた。

 そのあと、唯奈ゆいな里依紗りいさに向けて「こっちくる?」と訊ねてみたんだけど恥ずかしそうに身悶えして「いまは……「やめとく……」」と呟いて俯かれた。隣に座り直していたエイシャが「ほらね」と囁いてきた。


「エイシャ、こっちには生活魔法? 生活魔術ってないの」

「生活魔術? どんなの」

「例えば、汚れを落とす『洗浄』系の魔術とか、お風呂上がりに身体や髪を乾かす『乾燥』系の魔術なんか、かな」

「ん〜、あるかもしれないけど、私は知らない」

「そうかぁ、あったら便利だと思ったんだけどなぁ」

礼央れおくんが思っているより、こっちって魔術が普及してないよ」

「そうなの?」

「うん、里依紗りいさの言う通り。私も最初は簡単な『身体強化』くらいしか使えなかったけど、それでも驚かれたし、里依紗りいさの『治癒術』はすごく驚かれていたよ」

「だから礼央れおくんの収納魔術の付与とか水を出したのとかホントにびっくりしたよ(治癒はエイシャの方が凄いと思うけど……)」

「ん、レオには驚かされっぱなし」

「そういえばエイシャって魔術はどんなのが使えるの?」

「わからない。魔術は想像力だから」

「どういうこと?」

「ん、例えば他の人は『水を出す』ことを目的に詠唱をする。私は『水が出てくる』ことを想像して魔力を編む。だから決まった結果にはならない」

「そういえば、俺もエイシャにそうやって教えてもらったな」

「ああ、だから礼央れおは詠唱しないんだね」

「私も詠唱から習ったよ」

 唯奈ゆいな里依紗りいさは魔術を教わる際に詠唱から教えられたらしい。詠唱を行う魔術は結果ありきで、エイシャや俺は想像力(と魔力)次第で結果が違ってくるということか。


「ん? ということは……」

「レオなら、言ってるような生活魔術ができる。でも、検証は必要」

「まあ、そうだよなあ。『洗浄』するつもりでやり過ぎてもなあ……」

 ちょっと想像した。洗浄のつもりがやり過ぎて肌や頭皮を痛めてしまった状況を…… まあ、爛れた肌や髪の毛が抜け落ちた状態の俺を想像した。

 洗浄だからそんなことは無いと思いたいけど、想像から結果を導き出すのならそういうこともあるんだろうし、ちょっと怖いな。

「ん、だからレオの身体、拭いてあげる」

「「あっ」私もっ」

「えっ、あっ、待って!?」


 バサっと天幕の入り口が開いて呆れた表情をしたアフェクトがこちらに声をかけてきた。

「レオ、起きたのなら、早く朝食を済ませろ。もう少しで出発だ」

「あ、ああ、わかった。ありがとう」

 入り口を閉めて出ていくアフェクトの耳は朱に染まっていた。

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