第32話 セミナー前

喫煙所は20階のベランダにあった。先ほど頭部空間へと登ったドアの反対側に、縦長の灰皿がおいてあるだけだった。ベランダは広く、10mほどあった。つねにぴゅうううと風が吹いていたので喫煙者と非喫煙者を分離する必要もないようだった。


「いい喫煙所だ」


と俺は感心した。太陽はやや傾きかけている。炭鉱の街を一望しながら、かつての賑わいを想像する。濃い緑の山に囲まれたこの場所に、10万人以上の人間が生活していたのだ。それもたった30年前に。いまでは廃墟と、それを侵略している緑だけだ。自然は太陽を吸収し、呼吸している。そのあたたかさがここまで登ってきている。


ババアのセーラムを取り出し、口にくわえた。心地よい重量を唇に感じた。ババアの所有物に触れることで、またすこし力が戻ってくる。意識を額に集中すれば白い大蛇の腹が見える。タバコをミコにも1本すすめる。彼女はすでに落ち着きを取り戻していて、大きな瞳には意思のような強さを取り戻していた。彼女は煙草を1本持ち、口にくわえた。


俺はマッチを取り出して火をつける。手のひらで風から火を守り、ミコと顔を近づけタバコに引火させる。煙草の匂いと、彼女の匂いがした。


遠くの山を眺めながら、煙をゆっくりと楽しんだ。


1本を灰に変えたあたりでミコが口をひらく。「滝音さまは・・・すごい人・・・人を引き付ける力がある、話せば聞くことを避けられない、話の内容はよくわからなくても、それはこっちの理解力がないんだって思わせる、だから、ついて行きたくなる・・」


「なにを話したんだ?」


「よくわかんない・・宇宙とか、人類とか、人生とか、運命とか」


「それでよく自殺しようってなったな」


「自殺じゃないの、次の世界への転生」


「よくわからない」


「わたしも・・・」


「そんなよくわからないものに、どうしてひきよせられるんだろう?なにかの催眠術とか・・超能力とか・・薬・・・?」


「なんだろ?滝音様の魅力?普通の人間にはない雰囲気?あの目と声・・たぶんあなたも聞けばわかるよ」


「俺は洗脳されない」


「洗脳される人ってみんなそうゆうよ」


「俺はそんな奴らとは違う」

「どこが?」


「俺にはババアから借りている力がある」


「あはは!なにそれ?」


この大観音像にとぐろ巻く白い大蛇のことを話す。ミコは最初おとなしく聞いていたが「あはは!結局あなたの方が怪しい超能力者なんじゃない!」と笑い始めた。おれは話したことをちょっと後悔したが、話さなかった場合に起こるディスコミニケーションを考えたらやっぱり話して正解だったんだと思うことにした。「最初はババアがこの力でお前を洗脳し返す作戦だったんだぜ」「私洗脳されませんから」「洗脳されてる奴はみんなそうゆうんだよ」


そんな俺たちのいちゃこらを大蛇はじっと見ていた。こいつは結局なにがしたいんだろう?穴を塞ぐため?それなら解体業者にでも行けばいい。それとも大観音像がそんなに居心地がいいのだろうか?大蛇の気持ちはわからない。


大蛇と見つめあっていると、大蛇は恥ずかしそうに視線を外した。ふふ・・勝ったな・・と思っていたら、大蛇は自分の鱗を器用に口ではがしてこちらにもってきた。なにをするんだ?と思っていたら、大蛇は笑うミコの口に自分の鱗を入れた。「あ」と言うぐらいしかできなかった。予想外の行動に警戒すらできなかった。大観音像の内部にいる限り、大蛇は敵ではないと思っていたのだ。でもウロコを食わせてなんになるんだ?白い大蛇の行動を観察するが、セーラムが燃え尽きたとき、その姿は煙のように消えた。ババアの力が失われたんだろう。


ミコの様子を観察する。「どしたの?」と大きな瞳でこちらを見る。「なんかヘンな感じはするか?」「なにそれ?なんかした?」「いや、俺はなんも」まさか今大蛇にウロコを食わされたと言っても信じるはずはない。「えー、なにそれ、気になる!」「なんでもねーよ」「ウソ!その言い方はなんかしたヤツの言い方だ!」ギャーギャーと笑いながらいちゃいちゃする。


俺たちが若者らしく異性との交流を楽しんでいるうちに、会場はセッティングが終わり、人が入ってきていた。スーツ姿のおっさんもいるし、主婦っぽいおばさんもいる、その子供っぽい少女もいる、彼らは俺たちのようにおしゃべりを楽しむでもなく、じっと沈黙を保ってここの主の登場を待っている。


やがてマイクを持った役者が登壇しイントロダクションを始めた。


「えー、本日は永遠の塔魂のセミナーにようこそいらっしゃいました、私永田が僭越ですが本日の予定を・・・」と挨拶。「ではご紹介させていただきます、われらが導師!タキネ トキサダ先生です!」


大げさな紹介を照れくさそうにしながらタキネが登壇した。小柄なハゲジジイ。ゆえに目がやけに大きく見える。白いカッターシャツにスラックスというフォーマルな恰好。意識をしなければ、どこにでもいる老人だ。だが、注意して観察すると、その異様さに気づく。


立ち姿がいい。そのまま銅像になりそうだ。

声がシブイ。小柄な老人のわりに低く響くバリトンボイス。

人間の熱が強い。10mは離れているのに、生き物としての体温を感じる。

こちらに緊張を強いる圧がある。おされる。距離をとって物陰から観察したくなる。タキネの視界にあまり入りたくない。


タキネはしゃべりつづけている「今日は瞑想しておったら思わぬ客がやってきての、いや、良い出会いだった、ワシの敵か味方かわからんが、良い心を持っておるヤツでの、それになかなかの色男じゃ、なにワシほどではないがな」フフフと笑う会場の愚民ども。こいつらにはタキネの圧は感じないのか。


「あまり意識して見つめるなよ」と後ろから小声で話しかけられた。忍者だ。

「社長も来ている、ミコちゃんは大丈夫?」

「はい、ご迷惑おかけしました」

「お、大丈夫みたいだね、今回は荒事はないかな」

「このまま帰ればいいだけですよね」

俺が聞くと「だといいよね」と忍者が言う。

「ではアシスタントに登壇してもらおう、ミコや」

とタキネがいう。

「はい」

とミコが立ち上がり壇上に向かって歩き出す。

俺はその姿を見つめる。

さっきまで話していたミコの様子が変だ。

姿、形が同じ別人のように見える。

それに、なんで呼ばれて、行くのだ?

なにか考えがあるのか?


「ミコ、お前のことを話なさい」

「はい、私はこの後、ここから地下に向かって落ちていきます。タキネ様に教えられた、命の本当の意味、正しい使い方をまっとうするつもりです」


オオ・・!!と沸く会場。


「チッ!」とどこからか聞こえるジジイの舌打ち。


「だめみたいだね」と忍者。


「新しい宇宙の観測者になるという究極の目標のために、私は私の命を正しく使います!」


拍手万雷。


なんだこれは?


なにもできない俺のスマホが震える。


メール

「ババア

:ちかにいる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エスト!エスト!エスト! @hdmp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ