第29話 闇と光
佐々が「ではこちらへ」とベランダに誘導する。俺はババアの手を引きベランダに出る。地上88mの大観音像の胸のあたりにあるベランダなので、かなりの高度感だ。ひゅうぅぅぅぅと風が通り抜けていく。もちろん蛇もいて、こちらを見ている。いったいこの蛇は、俺たちになにを見ているのだろう?
ババアの話によれば、40年前の禁呪とやらで呼び出されたらしいが、今もそれが生きているのだろうか?
・・・生きているのだろうな。だからババアは自分で張った結界に閉じ込められ、それを出るとご不浄たちに襲われるのだ。それを体感した今だからわかる。
蛇の気持ちを考える間もなく、佐々はベランダでこちらに振り返る。
「ここから先は・・・」
と大観音の頭部を見上げる。
「大観音像建立の際に増築された部分です」
俺も頭部を見上げる。巨大な唇と鼻の先端がみえる。
「ビルの屋上に頭部を乗せたとお考え下さい、先生はよくここで瞑想をされています、基本誰でも利用できますが、あまり気軽に訪問できるものでもありません、今は先生とアスナミコさんがいらっしゃいます」
ついに、最終目的地に来たのだなと思う。2人と対峙し、ババアが洗脳を解き、アスナミコが自殺を思いとどまれば、この仕事は終わりだ。晴れて無職だ。
「このドアから先は電灯はございません、下階と同じ螺旋階段がございまして、頭部に半球状の空間がございます、お履物はここで脱いでくださいね、ではお気をつけて」
え?と戸惑う俺の横を通り過ぎて、佐々はベランダにあるドアを開ける。室内からは死角になっていて、ここにドアがあるのはわからなかった。ドアの先は暗闇だ。ライディングシューズを脱ぎ、おそるおそる中に入ってみる。
「私はここで事務がありますので、失礼」
再び「え?」という俺たちをあざ笑うかのように、佐々はギィーと錆ついた音を立ててドアを閉めた。ガチャンと閉じると暗闇になった。細い糸のような光がドアの隙間から漏れてくる。
しばらく動けなかった。自分の手すら見えない。「なにをしてるんだい、はやく進みな」とババアにせっつかれるが、ムリだ。
「無理だ、真っ暗闇なんだ」
「フン、やっとアタシと同じ条件になったね」
「俺は盲人じゃない、暗闇には慣れていない」
「見ようとするんじゃない、感じるんだよ、感じることがすべてさ、バイクに乗っているとき感じただろ?あの大蛇を目では見ていないだろ?」
そういわれて感覚を思い出した。額の中心に神経を集中させる。瞼が重くなり、皮膚が鋭敏な感覚を持つ。呼吸は細く長くなり、吐息さえも神経を持ち始める。
「バイクと同じだ」
「そうさね」
「バイクと思えばいい」
「うん」
「これは俺のバイクだ」
「そうだよ」
目を閉じる。手のひらから螺旋階段の手すりの情報が伝わる。階段の角度や幅が見えてくる。天井の高さ、この先の空間、空気の流れが分かる。空気窓はあるようだ。そこに向かって空気が流れていく。その途中に2つの熱がある。滝音とアスナミコだろう。
螺旋階段を上った。暗闇の中で体を動かすのは戸惑った。闇が粘性の物質と錯覚してしまい、体を頑張って動かそうとする、が、当然そこには抵抗がなくスカッと空振りをしてしまう。
ただの暗闇なのだ、光が無いだけだ。
そのことに体と脳が順応するのに10段ほど必要だった。そこから先はリズムが出てきて、トン、トン、トン、と登ることができた。ババアは初孫が初めてたっちしたような目でこちらを見ている(そんな気配がある)。
首の部分なのだろう。螺旋階段が狭くなった。そこを1周すると階段が終わった。最後の1段を踏み、無いと分かっていても次の1段を踏もうとしてしまう。手すりも終わってしまったので、前傾姿勢になりバランスが崩れた。
「とと・・」
手を伸ばせば壁があるのを感じる。エコーのように、自分から感覚を飛ばして反射を受け取るのだ。ただそのやり方にまだ慣れていない。
「まだまだだね」
とババアが後ろから言う。ババアはさすが、いつも通りの足音とリズムだ。呼吸も全く乱れていない。
そして同じようにまったく乱れていない呼吸が1つ。その隣にやや緊張気味の呼吸が1つ。
「こちらへ」
とアスナミコの声。そちらに向かって歩く。
「座ってください」
と同じ声で指示されたのでその通りにする。床は畳で胡坐を組んだ。
「さて」とアスナミコは言う。
「ここにきた理由は知ってます、私の転生を止めに来たんですよね?先日はどうも、ESTのマスターさん」
「こちらこそ失礼したよ、ただ俺はドライバーでね、君の自殺を止める仕事はこちら」
「初めまして、といったほうがいいかな?薔薇園紅子だよ」
「サンロクのママですよね?私何度か占ってもらってます」
「そうかい、そりゃ失礼した」
「いいんです、でもなんでママが?」
「理由はいろいろあるんだが、まあ、きっかけはアンタの父親から頼まれてね」
クッ・・とアスナミコが嫌悪感を抱くのがわかる。
「あの人が、なんの権利で?」
「そりゃ保護責任者だからね」
「私はもう自立した大人です!」
「知ってるよ」
「私が!私の命をどう使おうが誰にも!あの人にも!関係ありません!!」
「そうだね」
「私は永遠の塔の考えに共感して!私の命を使おうと決めたんです!邪魔しないでください!」
「それはちょっとどうかね?」
「本当です!帰ってください!!私はここで転生するために生まれてきたんです!」
「それは違うよ」
「違いません!」
「アンタが生まれてきたのは、ご両親がセックスしたからだよ」
「・・・・っ!!!!」
ババアのあまりに下品な返答にアスナミコの言葉が止まった。
「本当だよ、いろんな人生を観てきたけど、生まれてきた意味なんてだれかの後付けでしかないのさ、誰一人、生まれてきた意味など持っていない、運命なんてない、ただの命として生まれてきただけさ、そこらへんのネズミやハエと同じさね、だから自由なんだよ、命は無限に自由、余計な意味を探ろうとするからこんなわけのわからないカルト宗教に洗脳されて、こんな暗闇に閉じこもっちまうのさ、どうだい?滝音よ」
「相変わらず、人類の魂の偉大さを知らぬ女だな、紅子先生」
初めて滝音が口を開いた。渋いバリトンボイスが大観音頭部内に響く。
「この娘の苦しみから解放してあげることができるのは私だけだ」
「そうです!滝音先生だけが私のことを理解してくれているんです!」
「視覚を奪うのは、洗脳によくある手法だね」
「深い瞑想のためだ」
「宇宙の深淵に近づくためです!」
「まあ、それでもいいけどさ、滝音よ・・あんたこんな子供でなにをするつもりさね」
「彼女が救いを求めていただけだ」
「それはわかる、だが、大事な前提条件をちゃんと伝えているのかい?」
「・・・・いずれ分かることだ」
「フェアじゃないって言ってんだよ、子供にだって人権と人格があるんだよ」
「この娘の魂はまだつぼみの段階だ、花開くには時間が必要になる」
「さっきから、何を話しているんです?」
「伝説の竜虎の話、昔の話さね」
「伝説の竜虎ってあれだろ?おっさんたちが酒飲んだら絶対話題になるヤツだろ?」
つい、知ってるワードが出てきたので話に入ってしまった。
「じゃあ、ポチ、説明してあげな」
「つっても俺も聞きかじりだけどね、サンロクで飲食店やってる人なら大体知ってる話、昔、竜虎って高校生2人がどえれー強くて、旭川とその近辺の高校を統一して、軍団を作って、そのままヤクザになるかと思ったら高校卒業と同時に解散しちゃったんだよな、もし、竜虎がやる気になれば、北海道の黒い金を全部吸い上げるようなでかい組織のリーダーになっていただろうって一時期よく来ていたお客さんが言ってたよ」
「こちらがその竜虎の虎の方、滝音さんだよ」
「え!?」
「そして竜がアンタの元雇い主で、ミコちゃんの父親だよ」
「はぁ!?」
「2人は同じ道場で高校生活を送った親友なんだよね」
「友ではない、宿業の敵だ」
「そーゆーのを親友っていうんだよ」
「紅子先生、場所と話題を変えよう、私は今夜人生と心と宇宙の結びつきについて語らねばならない、彼奴の話題になると濁りが生まれる」
「まー今回のホストのアンタがそう言うなら仕方ないけどね、娘のミコちゃんが今回のキーならこの話題は絶対に避けられないし、掘り下げていくよ、逃げらんないからね」
「私は逃げはしない、では、下に降りよう、スマホのライトを使えばいい」
「あ、ありなんだ」
ここに上がった時の苦労を返せと思いながら、スマホのライトをONにした。
光が、大観音像の頭部内を乱反射する。俺はその金色のフラッシュに目を閉じた。
「まぶしい!」
「キャ!」
「どうしたんだい?」
俺はゆっくりと目を開く、スマホを下に向け、光の反射を調節する、ドーム型の内壁すべてが金だ、それだけではない、柱、装飾、壁にかかったマスク、観音像、大きな玉、梵字のオブジェ、金色に光ってないのは中央に座る滝音とアスナミコぐらいだろう。
「金だ、すべて金でできた部屋だ」
「もっとあったがね、ここにあるのは売れ残りだよ」
「アンタ、いったいどうやって稼いだ?そして何に使ったんだい?」
「1つ目の質問は意味がない、金など稼ごうと思えばいくらでも稼げる、2つ目の質問にはまだ答えられない、だが底、にすべてあるとだけ言っておこう」
滝音は周囲を見回し、溜息をつく。そして価値のないジャンク品を見るような目でこういった。
「真のアミターバに比べると、貧しい光だ」
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