第26話 蛇

「どうぞこちらへ」

と法衣をきた人間が言うと、眼前の蛇が頭を上げて道を開ける。入れ。と言っているのか。俺たちは蛇がとぐろ巻く大観音像の中に入っていく。ババアが呪文を唱えるのを止め、俺の裾から手を放す。「大丈夫か?」と俺が言うと「あの蛇がいれば大丈夫さね」とババアが言う。大観音の足もとから建物に入った。


2重の自動ドアを通過すると、広い空間があった。天井が高い。白い壁に赤じゅうたん。靴は履いたままでいいらしい。右手に受付のようなテーブルがあるが、そこには誰もいない。


受付だけではなく、ぐるり見渡しても誰一人いなかった。キレイに整頓された秩序のある巨大な空間なのに、人間がいないと奇妙に見える。


「観光地として建てられたものを、当院が買い取ったんですよ」


と法衣の男が言う。


「あまり人はいないんですね」


「特別な修行や強制労働はありませんからね、信者は来たいときに来て、先生の身の回りの世話をしたり掃除をしたりするぐらいです」


「それでこんな大きな建物を維持できるんですか?」


「最初はボイラーなど外注していたんですが、いまでは信者だけで運営しています」


「へぇ」


中央の吹き抜けまでやってきた。「永遠の塔」の看板があり、右手に螺旋階段がある。


「登ってみますか?20階あります」


俺はかぶりを振った。ここに来るまでにいろいろあって、疲労困憊しているんです、と伝える。


「ほう、では今日は?セミナーの参加者さんですか?」


ここに来て来訪の趣旨を伝えていないことに気づいた。


「メインゲストだよ」


とババアがチケットを手渡す。法衣の男はそれを見て肩まゆをあげた。


「ほぅ・・なるほど、これは丁重におもてなしをしなければなりませんね」

「おかまいなく」

「休憩室をご用意しましょう、まだ開始まで時間がありますからごゆっくりされてください」


法衣の男に連れられて吹き抜けの奥にあるエレベーターに乗った。


「20階がセミナーが行われるホールになっております、18階の客室でお休みください」

「ありがとうございます」

「まだお時間ありますからね、2階に来ていただけたら当院についてご説明させていただきます」

「へえ、それはぜひ」


まだ午前10時にもなっていない。俺は言われるがままここにやってきたが、セミナー?とやらがあるのも知らなかった。それに俺の仕事はババアをここまで連れてくることだけじゃなかったか?盲目の老人を放置する気まずさから、なんとなく同行してしまっている。


まあいい、それに聞きたいこともある。


エレベーターが18階について、ドアがひらく。目の前には吹き抜けと螺旋階段がある。その外側に18階の回廊があり、いくつかの飾り気のないドアが並んでいた。


「もともとは研究施設でしてね」

「無重力実験場でしたっけ?」

「ほぉ・・よくご存じで、ええ、後でまた説明しますが、この吹き抜けは地下1000mまで続いているんですよ」

「1000mってすごい深さですよね」

「真空状態にして物を落下させ14秒かかる計算です」

「それってすごい速いですよね」

「時速にして500㎞/hほどになりますね」


法衣の男と会話しながら部屋に入る。部屋には窓はなく、バスケットのハーフコートぐらいの広さに、白い空間にベッドや机、バーカウンターまであった。


「窓がなくて申し訳ございません」

「いえいえ、立派な部屋じゃないですか」


部屋を案内して法衣の男は出て行った。俺とババアはここまでの疲れがどっと噴出してきて、ふかふかのソファに腰を下ろした。


「あー、疲れたねえ」

「ああ、疲れた」

「・・・・」

「・・・・」


しばらく無言で疲労を回復させる。10分ほどそうしていただろうか。体の痺れがおさまってきたので、バーカウンターに行き、水を2杯テーブルに持って行った。


ババアは何も言わず水を飲み、テーブルに置いた。その所作が盲目の人とは思えないスムーズさだ。俺は「目は・・・見えてないんだよな?」と聞き「ああ、今は良く見えてるよ」「今は?」


「ここに来るまでで、あんたも感じるようになっただろ?理解はできないかもしれないけど、理解できないなりに、感覚で、いろんなものが見えるだろ?わたしと契約して、関わって、同行していれば自然とそうなるのさ、今回はあたしも全開で開いたからね、で、そっちはどんな感じだい?」


「全身の感覚がセンサーになって、額に目が開いた感じだった」


「うん、それが正しい感想さね」


「旭川を出ると、あんな奴らが襲ってくるのか?」


「そうだね」


「生まれたときからずっとなのか?」


「いや、20・・2,3年前からだね」


「なにがあったんだ?」


「まあ、その話は今回の仕事にも関わってくるんだけど、ちょっと、あったかいおしぼりとかないかい?」


俺はタオルを探し出し、お湯でおしぼりをつくってババアに渡した。ババアはそれで顔を拭き、仰向けになって顔に乗せた。


「あ~~~」


俺は顔にタオルに乗せているババアを観察する。背筋こそ伸びているものの、顔から手や足、見える肌には細かくて深いしわが刻まれている。年齢は70を超えているはずだ。


「20年前まで、あたしは美女探偵として北海道中で活躍していたんだけどね・・・・」

「そんな仕事があるか」

「あったのさ、まあ時代さね・・・日本がバブルに浮かれて、狂ったように土地を買いあさっていた時代があったのさ」

「じゃあ、40年前ぐらいじゃないか?」

「・・・・そうだったかね?まあ時の過ぎるのは早いもんだねえ、そんな時にこの建物が作られたのさ、最初はただの長方形のビルでさ、あんたも知っての通り無重力実験施設ってことで市が誘致したんだね」

「公共事業ってやつか」

「もともとあった炭鉱の立坑を有効活用しようとしたんだよね、研究所自体は5年続いたんだけど、最初は難航してさ、心霊現象が続くってんで私の陰陽師の師匠から仕事の話があったのさ」

「心霊現象?」

「あんたも体感したとおり、機械や計器が止まったり、人間が夢遊病のようにぼんやりしてしまったり、そんなのだったらまだ可愛げがあったんだけど、人が死んじゃってねえ・・・アシカリベツ、無重力実験施設、アイドル、自殺で検索してみな」


浜中まり、というアイドルが施設のオープニングセレモニーに呼ばれ、ステージで1曲歌う予定だったが、本番時に声が出なくなってしまった。それを悔んでか、浜中まりは立坑に身を投げ死亡。自殺、ということになっている。今スマホで調べた。


「警察の捜査で自殺ってなったんじゃないのか?」

「まあ、あの時は『そうゆうことにしておきましょう』と収めたんだよね」

「どうしてだ?」

「バブルの時とはいえ、莫大な金と時間がかかっていたからねえ」

「で、自殺なのか?ご不浄・・がやったんじゃないのか?」

「ご不浄さまのなかには人を自殺に追い込むヤツもいないわけじゃないけど、あれはどう見ても人間の仕業だったね」

「・・・・どうしてわかる?」

「実際に底に下りたからさ」


ババアはその時を思い出しながら、ゆっくりと語り始めた。

「ちょっと順番に話してやるよ、まず立坑跡に研究所ができた、研究所は建てているときからトラブル続きだった、それで地鎮祭はやっていたけどもう一度神職を呼んでお祓いをしようとした、それがあたし、お祓いは研究所の開所の日に行った、その日は地元の住人も呼んでアイドルに1曲歌わせようとイベントがあった、お祓いの後イベントは行われたがアイドルは歌うことができなかった、その夜にアイドルが失踪、捜索していると20階の投入口の鍵が開いていることが分かった、それで底をモニタで確認すると死体があった、地元の警官を呼んで所長とあたしでエレベーターで底に下りた、アイドルは転落死、だけど胸には刺し傷」

「落ちたのに刺し傷・・・」

「あたしが殺人であることを指摘しても、所長も、警官も無言だった、今すぐ建物を閉鎖して凶器を見つけるべきって提言したけど『自殺でしょう・・』と所長が言った、じゃあ刃物は?『どっかにあるんでしょ』ってね、物事を穏便に済ませたいっていう汚い大人のやり口にはらわたが煮えくり返ったよ、で、あたしは師匠から教わったばっかりの禁呪に手を出しちまったのさ」

「禁呪」

「ここにいらっしゃる霊、神さま、ご不浄、呪、念、の力を借りるのさ、体と引き換えにね」

「・・・・・」

「だけど地下ってのはとんでもないのがいてねえ、底には横坑があって、かまぼこ型の体育館ぐらいの穴が数キロにわたって続いているんだけど、その闇から出てきたってのがあの大蛇さ」

「あれか」

「蛇と契約しちまったんだね、あたしは、視力を失い、その代わり浜中まりの死の真相を教えて・・見せてもらうことができたよ」

「なんだったんだ?」

「熱狂的なファンだった青年による刺殺」

「それを警察には?」

「言ったけどまったく信用されなかった、証拠もないからね」

「じゃあ、そのままか?」

「その犯人は頭のいい子だったんだね、行動力もあって、ほしいものは何でも手に入れてきた、そのまま成長して、ここの主となったよ」

「滝音 時貞が犯人なのか?」

「うん、そう」

「もう一回アイドルを殺そうってのかね、あの男は」

「・・・何の為に?」

「さあね、さあ!そろそろ滝音くんの人生を教えてもらいに行くよ!」

ババアは立ち上がり、エレベーターに乗って2階に向かった。俺は盲人の後をついて行くだけだった。

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