第24話 加速!加速!加速!

CBR1000RR-rはホンダのレース用マシンで単純にパワーユニットだけでも160kw(217馬力)を出す。それなのに重量は200㎏程で、ウェイトレシオは1㎏/㎰を切る。軽乗用車なら10㎏/psでれば速い車だ。つまり10倍速い。乱暴に言えばそんなバイクだ。


ジジイはレース用にこれを乗っていた。だからタンデムステップなんて外していたはずだが、田島さんが急いでつけてくれたのだろう、ババアの足元には純正っぽいタンデムステップがある。これはありがたい。リアシートはトランプ1枚ほどの大きさしかないが、足元を踏ん張ることができれば大丈夫だ。


リアシートのババアは必死に踏ん張っている。そもそも、振り落としてもかまわない覚悟でスピードを出しているので、必死にならざるを得ないだろう。腰骨あたりを痛いぐらいに締め付けてくる。おかげで走りやすい。


CBRは弾丸となって丘陵地帯を走る。緩いカーブが続くこの場所で、ついてこれる車両は1台もない。前方を走る車も皆無だ。


と、思ったら500m先の農家からトラックが出てくる。それがわかる。見えもしないし、音も聞こえない。だが、緑色のトラックがゆっくりと道をふさごうとしているのがわかる。それがあと2.18秒後に目の前に来るのが頭のどこかで表示される。意識を失ってボンヤリしている運転手の顔まで見える。ブレーキをかけずに、ギアを落とし、パワードリフト状態で対向車線の淵まで移動する。そうすることで、ギリギリトラックをパスすることができた。


上空では大きな鳥がうらめしそうにこちらを見ている。ファックサインを突き立てたら、指が持ってかれそうになった。スピードは170㎞/hを超え、さらに加速していく。


0.2秒後にでかいカブトムシがヒットするのが見えたので、首に力を入れる。


コン!!!


とメットの染みになる。


さっきの鳥のしわざか、鳥も負け惜しみをするんだなとフフと笑ってしまう。


200㎞/hを超え、前方を走る車両がゴッ!とでかくなる。追い抜こうとすると、その前の車両を追い抜こうとハンドルを切ってくる。もちろん予測できたので、さらに加速する。このスピード域で加速できるCBRの性能に感心する。


音だけを置き去りに、2台の車をパスする。


大きなヘビが道路を横断している。かわそうとすると、その先の小さな橋で不安定なジャンプになるから踏みつける。直進姿勢のまま、小川を超える小さな橋を駆け上がり、タイヤは離陸した。空中でアクセルを回しながら前傾姿勢になり、腹筋と背筋に全力で力を込めた。


着陸!ドン!!


BPF製のフロントサスが沈み、暴れるハンドルを腕とステアリングダンパーで抑え込む。5mは飛んだろうか。ババアが落っこちていないことに感心する。


道が小さな峠に入る。つづらおりに駆け上るが、どうしてもスピードが落ちてしまい、何かが追いついてくるのがわかる。ご不浄や呪いに地形は関係ないのだろう。追いついてきたのはイタチのような小さなヤツで、エアインテークからエンジン内に入ってくる。


インジェクション→シリンダー→コンロッド→と侵入してくる、そしてカムシャフトまで入ってきたところでクラッチを切り、エンジンを切る。


イタチはエンジン内部で起きた突然の停止に驚いている。俺はスゥーっと息を吸い、腹に力を込めた。なんでこんなことができるのかわからないが、できると感じている。


「アッ!!!!!!」


とエンジンに向かって気を吐く。イタチは驚いて霧散する。それを確認して(どうして確認できているのかわからないが)エンジンを再び点火させクラッチをつなげる。ギアを変えることなく、峠を走り抜けた。


俺は新しい自分の感覚に驚いている。


それまで感じることのなかったエンジン内部の状況まで確実なイメージが持てる。計測器を用いるしかないような場所まで見えてしまう。カムチェーンのはりぐあいや、イグニッションの働いているところや、グラスファイバーをとっぱらった排ガスの流れまで。CGでしか表現できないエンジン動きを見て、感じている。


もはやバイクを操作している感覚はない。自分がCBRと溶けあっている。アクセルは回さない、アクセルを開けると意識するだけでアクセルは解放され、エンジンに混合気が吸い込まれていく。ブレーキも握らない。手のひらでディスクブレーキを挟んでいる。


異常なスピード、異常なライディングなのに、幕で包まれたような安心感がある。景色は暴力的に後ろに飛んで行き、対向車の風圧に飛ばされそうになるのに、ハッピーENDが決まっている何度も読んだ小説を読むかのような安定感、既視感がある。


1㎞先に信号がある。それは感覚というより、経験で知っている。その信号機は、もうすぐ青に変わろうとしているところだ。このままのスピードを維持すれば止まることなく進入できる。


信号が青に変わる。とすぐに点滅を始めた。不自然なタイミングで赤に変わろうとする信号に、通行する車が戸惑っている。何台か通過したが、軽自動車が律儀にブレーキを踏んだ。


予想していなかったタイミングでの信号の変化とブレーキに、後続のトレーラーが驚く。焦ってブレーキをかけるが、ガソリンを満載したトレーラーは止まらない。軽自動車にぶつかり、くの字に折れたまま信号中央で完全停止する。


俺は意識の中で道を探す。もうすでに目の前まで来ている事故現場を目で見ては追いつかないからだ。自分を俯瞰、鳥瞰で見ることができる。50m先に信号があり、完全にトレーラーが道をふさいでいる。そして50m後ろから、例のクジラが口を開けて襲い掛かってくる。飲まれれば、またバイクは止まってしまうだろう。


ここしかない


フルブレーキでバイクを止める。90度、信号に左側を向けて止まる。目の前には田んぼがある。右からはクジラが特急列車のように襲い掛かってくる。


大丈夫、あの裏大雪の稜線よりは太いし、直進している。


俺は前進する。田んぼのあぜ道に向かって。あぜ道はぎりぎりCBRのタイヤ1本分の太さがある。雑草がたくさん生えていて、土なのにしっかりと安定した硬さがある。


ババアはしっかりとCBRの中心線の真ん中に座っている。問題は俺だ。俺が重心をどちらかに倒してしまった瞬間、CBRは田んぼに落ちるだろう。熱を持ったタイヤが、田んぼの草露でつるつる滑っているのがわかる。なんて一本道だ。これが教習所だったら鬼だ。


スピードを落とさずに、遠くの一点を見て、じっくりと走る。虫がまとわりついてくる。不快な羽音と大きさで、首筋の汗を吸おうとしてくる。


いやな感触が伝わってくるが、はねのけることはできない。そんなことをしたら、この一本道は落第だ。


虫はどんどん数を増やしてくる。それに伴い不快さも増す。目や耳や鼻を狙ってくる。フルフェイスの隙間を通り抜ける、極小の虫の愛撫を受ける。


田んぼで巨大なカエルが泳いでくる。成人男性ほどの大きさだ。思わずそっちを見てしまう。カエルは頭だけを水面から出した。皿を頭に乗せている。え?河童?


心臓がドクンと高鳴り、体のバランスが崩れる。近くを見てしまったせいで、バイクがそちらに倒れようとする。ステップを踏みつけもとに戻ろうとするが、草露ですべり不可能であることがわかる。


あと10m


突き抜けるしかない。俺はアクセルを開け、タイヤを草の上で回転させた。CBRは徐々に田んぼに向かって倒れていくが、のこった垂直方向の重力をすべて前方への推進力に変えた。CBRは田んぼのあぜ道をバンクしながら、国道に向かって駆け上がった。


バンクしたままのジャンプだったので、空中での姿勢は無残なものだった。


転倒こそ免れたものの、完全に国道の真ん中でストップしてしまった。


四方八方からご不浄や呪いがやってくる。


俺はアクセルターンで砂煙を上げ、結界を作った。


こいつらは存在する。だから砂煙にも驚く。CBRを中心としたリアタイヤが描いた円陣に、やつらは戸惑い、入ってこない。


砂煙が風に流され、一瞬の躊躇は終わる。ムカデのようなものが襲い掛かってくるが、そこにはもう俺はいない。すでにアリカリベツ方面に向かって加速している。


この加速についてこれるものはいない。それもはっきりとわかる。

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