第23話 命を懸けてバイクに乗ろう
初爆が起きない。
なぜ起きないのか?
エンジンは最初の爆発から負圧によって混合気をシリンダーに送り込むようになっているから、初爆が起きないと次の爆発が発生しない。初爆が起こらない原因はほとんどが電気系のトラブルだ。バッテリーから給電されたプラグがCDIからの指示によるタイミングで点火する。今回のメンテナンスで消耗品であるプラグも交換したし、そもそもここまで走ってきたのだから電気系は問題ないはずだ。セルも回る。電気系のトラブルではないだろう。だとしたら混合気、ガソリンと空気を混ぜるインジェクションがトラブって止まってしまったのかもしれない。最新のインジェクションはブラックボックスになっていて、おやっさんも「あんま得意じゃねえ」と言っていた。いじるにはどうしてもPCの技術が必要になるし、レースでもない限りチューンするライダーはいないだろう。メーカーがベストと思っている配合でセットされているものをそのまま使うだけだ。
バイクを下りてざっとGSXの吸気系、燃料系を確かめる。プラグがぬけているなどの、アホなミスは無い。どうした?どうして動かない?やはり、さっきのクジラのような悪寒が原因なのか?バイクってそんなオカルトな存在に負けるのか?くそ!くそ!セルを回す。初爆は起こらない。初心に立ち返れ。どうして初爆が起こらない?キルスイッチ?いや、ちゃんとオフになっている。ギアをNにいれて原因を探す。車載工具でできるだけやってみるか?そんな時間はあるのだろうか?俺はババアに聞いてみようと振り返った。
ババアはいつの間にか歩道に四方陣を作っていた。2mほどの歩道をふさぐように、正方形の形に線を引き、角には塩や木の枝を置いていた。そんなものを持ってきていることにちょっと驚いたが、ババアはその中心に立ち、ボソボソと呪文を唱え続けている。
ヨミヨル、カゲト、サナエ、ネギトハリミ、ヨマル、シンクオモイ、カラス、ユ、メカラ、ワタル・・・・
なんかちょっと話しかけずらい・・・
それにこの四方陣、入っちゃいけないのかな?
唱えてるしなー、呪文、これは途中で話しかけて止めちゃいけないやつでしょ・・・
近づかないほうがいいかな?
と、俺は真剣に呪文を唱えているババアの横顔を見ながら考えていた。バイクが止まるときに感じたクジラ悪寒はもうない。いつもの丘陵地帯の気持ちの良い景色と風が俺を癒してくれる。ババアに関わらなければ、あのクジラ悪寒に飲まれることもないだろう。オカルトはうんざりだ。
1歩、後ろに下がろうとした時だった。ババアの腕がグン!と伸びてきて、俺の首をつかみ、強引に四方陣に引っぱられた。だが、枯れ木のような老女の力だ。引く力はそれほどではない。
「なにすんだよ」と抵抗した。が、ババアの手と触れていると、あの全身の毛穴が目になるモードになる。さらに額が見えないものを感じてしまう。感覚は俺に伝えてくる。真後ろから、クジラ悪寒がでかい口を開けて襲ってくる!
うお!
と驚いてジャンプ!ババアの手に引き込まれるように四方陣に入った。悪寒は陣内に影響を及ぼすことはできないようで、すれ違う特急列車の勢いで過ぎ去っていった。
俺は感じる。
あれは、ある。
ただのイメージではない。確実に存在している。あれ、のせいでGSXは停止してしまった。あれ、に喰われたからだ。理屈はわからないが、それが事実なのだ。
ババアに触れているうちは、あれ、を感じることができる。俺はババアの手を握り、あたりを見回した。両の眼は何もとらえることができないが、額の目は過ぎ去ったクジラ悪寒が上空に舞い上がり、あたりを周回しているのがわかる。
クジラ悪寒のほかにも、蛇のようなもの、鳥のようなもの、地面を走る虫、地中を泳ぐ魚、迷子の子供、羽虫のカタマリ、etcが時間とともに増えていくのがわかる。
ババアを探しているのだ。
四方陣とそれらの悪寒が触れると、悪寒は姿を失い消えていく。が、すぐに復活してババアを探し求める。ババアは呪文を唱え続けている。何も話すことはできないようだ。
俺はババアの必死の形相を見て覚悟を決めた。
うん、俺はできることをやろう。
スマホを取り出し通話ボタンをタップする。
「・・・俺だ、今どこだ?」
「ジェットコースターの一番低いところ、バイクが止まった」
「そうか、代車がいるな」
「そうだ、代車が必要だ」
「すぐに持っていかせる」
「待て、リクエストがある」
「なんだ?」
「あんたのファイティングマシーンにしろ」
「・・・」
「レース用のCBR1000RRだ」
「ナンバーは無いぞ」
「そんな物はいらん」
「どうしてファイヤーブレードなんだ」
「わかったからだ、全力じゃなければ追いつかれる」
「セローで70号を行けば最短でアシカリベツに行けるぞ」
「セローじゃだめだ、山道のダートを使ったら100%アシカリベツには行けない」
「タンデムステップもリアシートもないぞ」
「速攻で付けろ、溶接でもいい」
「・・・・」
「いいか?退職金がGSXなんてケチな話は受け付けないぞ?元雇用者様よ」
「仕方なかったんだ」
「ああ、それは理解しているよ、だから俺の話も仕方ないんだ、ファイヤーブレードだ、それ以外のバイクだったら、俺たちはアシカリベツに辿り着けない、そしてお前の娘は死ぬ、100%死ぬ、あの仕事熱心で熱い女の子は、わけのわからん宗教に騙されて自殺する、それを止めることができるのは確かに、ここにいるババアだけだ、このババアはたしかにわけのわからん力を持っている、そしてこのババアをアシカリベツに連れて行けるのは俺と、ファイヤーブレードだけだ」
「・・・30分待ってろ」
通話が切れた。30分、ババアは呪文を唱え続けることができるのだろうか?俺は応援することしかできない。死ぬ気で頑張れ!
セロ、ニホマ、トニクスキ・・エホッ!・・カシン、カァーー!!!ペッ!!!ユナ、トホシ・・・
痰をからませながら呪文を唱え続けるババアの姿に俺は感動すら覚えている。こんな盲目の高齢者が命を張っているのに、俺といればその横で久しぶりの煙草を味わっていた。ババアのポケットに入っていたものだ。
・・・うまい
ジジイに拾われ、飲食で働くようになってタバコはやめていた。味覚が鈍るからという理由だ。もうクビになったわけだし、味覚を鋭敏にしておく必要はない。
それに、今回の仕事のヤバさはガチだ。あの峠のようなことが、これから先も待ち受けているだろう。ワンミスで命を落としてしまう。それはレースよりも危険な状況だ。死刑執行前の死刑囚のように、一服するには悪くないタイミングといえる。
大気中に溶けていく紫煙を眺めながら、アシカリベツまでの行程を考える。CBRがくる、それに乗り込む、ご不浄どもが襲い掛かってくる、それを振り切る、振り切れなかったら死ぬ。それは確実な予感として存在している。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
当たり前のことだが、死にたくない。
もし、今回生き残ることができれば、俺は晴れて無職の身に戻る。無職になったら、やりたいことがある。
レイナ。
もう中国を出発して、今はどこにいるのだろうか?どんな道を走り、どんな場所で寝て、どんなものを食べ、どんな人にであっているのだろうか?
レイナ。俺は君のようになりたい。悲しみを乗り越えて、無限の自由を生きる君のように。
君は生き方を教えてくれた。俺より年下で、女の子で、何も持っていなかったのに、今では遠い存在になってしまった。
そのレイナが、俺のおかげで自由になった、という。嬉しさと同時に、はずかしい。君の尊敬に負けないように、俺は生きなければいけない。
何をして生きていこう?
首を切られて感じる。俺はジジイのようには、俺は生きられない。あこがれたが、根本が違う人間だ。恩義を感じていたが、向こうから切ってくれたおかげで煙のようにその呪縛も消えた。
「俺とお前は違う人間だ」
煙で作ったジジイに向かって俺は言う。言ってから、当たり前だ、と思う。
俺は、俺のようにしか生きられない。これも当たり前か。
とにかく、バイクに乗ろう。命がけでバイクに乗るんだ。答えはきっとその先にある。よし、命がけでバイクに乗ろう。
煙草の最後の煙を吐き出して、吸殻をアスファルトにこすりつけた。よい一服だった。考え事をするのに、煙草は有用なアイテムだ。
そして、ジジイのトランポがやってきた。田島さんがヤクザオーラをこちらに向けてくる。「おぅ」とバリトンボイス。「うす」と返事した。それから何も言わず、ジジイのCBRをおろしてくれた。ラダーを使い、慎重に。
「なんでコイツが必要かわからんが、コカすなよ」
「すんません、ぶっ壊す覚悟で走らんといけないんで」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
チッ、と田島さんが去ろうとする。「あ、ちょっとまって」と言う。「あ?」と振り返る。「スンマセン、俺ちょっとママの横から離れられないんで、エンジンかけてもらっていいですか?」というと田島さんの目がヘビのそれに変わった。ヘビだ。俺を殺そうか考えている目だ。だからどうした。
「・・・・あ?」
「・・・説明が必要ですか?」
「・・・・・チッ」
とバイクスタンドを使いリアを上げキック!ゴオオオオオオオ!とエンジンがかかった。
俺はそれを確認し、ババアにメットをかぶせた。呪文を唱え続ける人間にフルフェイスのメットをかぶせるのは難儀したが、ババアの顎の骨をグッとつかんでスポッ!とねじ込むことができた。自分のメットを被るとババアの呪文がインカムで伝わってくる。
よし!
「じゃあ、ありがとうございました」と田島さんに言うと、田島さんは何も言わず手を上げる。
「3,2,1で行くぞ!」とババアに言う。
3!
2!
1!
ババアのケツをバシーン!と叩く。呪文をやめて一緒に走り出す。まず俺がまたがり、ババアが急造のリアシートに座る。ギアを入れアクセルと同時にクラッチをつなげる、と同時に地面をキックしてCBRのリアタイヤを着地させる。
感覚はより研ぎ澄まされている。さっきまでは感じることができなかった遠くまで感じることができる。500m先のご不浄がこちらに向かってくる様子まで分かる。
それよりも、クジラ級にでかい、さっき俺たちを飲み込んだ悪寒がこっちに向かってくる。真上だ。でかい口が10m上にある。
CBRがその暴力的なトルクを地面に叩きつけた。ロケットのように俺たちは前方にはじけ飛んだ。おかげで今度は飲み込まれることなく、口の端から脱出できた。CBRを乱暴に吠えさせる。ギアを上げ、クラッチをぶつける。リアタイヤがスライドする限界までトルクをかける。フロントアップを押さえつけ、俺はジェットコースターの登りを駆け上がった。
いける。
呪いよりも早く走ってやる。
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