第22話 開眼とまがつ神

ジジイは俺を解雇する権利がある。EST!はジジイの持ち物件で、俺はジジイの会社の社員ということになっている。入社の経緯がヘッドハンティングのような形であっても書類上は正規の社員として契約しているのだ。給料など無く、売り上げがそのまま給料となり、赤字だったら自分の貯金から補填するか自分名義の借金となる。たとえ家賃がタダでも、そのリスクを呑み込んで、この店を続けようと俺は燃えていた。それなのにクビを言い渡された。


フツフツと怒りがこみあげてきた。解雇通知書と書かれた紙には、今日をもって雇用契約を終了すること、退職金代わりにGSXは差し上げること、最後の仕事をきちっとこなすことが書かれている。俺はその紙切れを握り潰し、床に叩きつけた。


「呼吸が荒いね、ちゃんと仕事はできるのかい?」とババアは言った。

「あたりまえだ、バカヤロウ」と俺は答えた。


2人分のメットを手に取り店を出る。ババアは盲目のくせにちゃんとした足取りでついてくる。でもさすがにバイクにまたがるのは苦労していた。「なんちゅー狭いシートかね」と悪態をついていたが「いやなら車で行け」と言ってやった。それができないからここにいるのだ。


おっちゃんによって完璧に整備されたGSXのエンジンをスタートさせる。フリクションをほとんど感じさせない並列の4発が完璧なシンクロを踊り始める。芸術品だ。だけどきっと今日でこのバランスは終わる。終わらせるつもりで走る。


怒りがおさまらない。何様のつもりだ。このバイクはくれてやるだと?いらねえよ、こんなバイク。今日でぶっ壊してやる。


メットをかぶりリアシートに座ったババアに告げた。

「死にたくなかったら、死ぬ気でしがみついてろ」

「フン、あんたこそ死ぬ気で走りな」

俺はギアを入れ、GSXを発進させた。リアシートの重みはほとんど感じなかった。


メットのインカムでババアが話始める。

「あ、聞こえるかい?」

「おう」

「このまま20kmぐらいは何も起こらないはずさ、それまでは国道で行ってくれ」

「わかった」

「何かが起こるのは美馬牛の峠を越えたあたりからさね」

「なんでそうなるんだ?」

「アタシの作った結界がそこで終わるからさ」

「結界を超えるとどうなる?」

「ご不浄がやってくる」

「ごふじょう?」

「ありとあらゆるトラブル、アンラッキー、呪い、事故、死、そんなものさ」

「どうしてやってくる?」

「連中にとって私は美味しい美味しいごちそうだからね」

「腐った鳥ガラにしか見えないがな」

「おだまり!」

ゴツンと背中に頭突きをされる。

「とにかくやってくる、無関係な人も巻き込まれる、だから峠を越えたら、すぐ丘陵地帯に入りな」

「はいはい」


ババアの言う通り、快適なツーリングだった。天気は快晴で車の流れもよく、おやっさんにメンテナンスしてもらったGSXのエンジンはよく回った。フリクションを感じさせず、エンジンが消えたかのような軽さになる。こんなときは空を飛んでる気持ちだ。


そして美馬牛の峠を越えた。


「くるよ」


とババアが言うと同時に、対向車のトラックがこちらに向かってスピンしてくる。相当なスピードがでているらしく、強力なエアブレーキを持つトラックでもその過重と慣性は制御しきれずに、横っ腹をこちらに向けて真横に滑ってきた。俺はトラックを避けるべく、左の路側帯ギリギリまでGSXを寄せた。避けるコースはそこにしかなかった。ぎりぎりバイクの幅いっぱい、リアステップがトラックのフェンダーをギィン!と傷つけて先に抜けることができた。車だったら。ここで事故られていただろう。


冷たい汗が全身から噴き出てくる。

これか?ババアの言っているご不浄とは?


と考える間もなく、左の観光ファームから車が飛び出してくる。でかいベンツのSUVで、タイミングは最悪だった。止まることも、かわすこともできない。そう判断した俺は、右可倒角度を超え、右ひざを接地し、アクセルを回した。タイヤはグリップを失い空転する。リアタイヤの先が対向車線の歩道帯を蹴るようにスピンした。SUVは何も気づかないふりをして去っていった。


「止まるな!」


とババアに言われ走り出した。正面から車が突っ込んでくる。悪意。殺される!なんで?くそ!いそがしい!俺とババアは右足を地面に蹴りつけ、GSXを左に倒す。アクセルオン、クラッチリリース。リアタイヤが対向車の軽のタイヤとキスをする。あっぶねー!


「生きてるか!?」

「生きてるよ!」

「出すぞ!」

「はやくしな!」


最悪の事故現場から逃げるように走り出した。1→2→3→と駆け上がるようにギアを上げていく。浮き上がるフロントを上半身で押さえつける。なぐりつけてくる風は無視した。

ババアはなんとか後ろにくっついている。そのさらに後ろから不吉な予感が爆音をたてて近づいてくるのがわかる。


「うわ、なんだあれ」


ミラーに映っているのは2世代前のセルシオで、いかにも金のない若者が見栄のために乗っているような車だった。EDMをズンドコ垂れ流しながら近づいてくる。通常ならGSXの敵ではない、2秒もあれば視界から消える車だ。だけど前にある信号が不穏な点滅をして、赤に変わった。対向車は信号の変化についていけず、そのままのスピードで交差点に進入している。


だがこちらの車線では先ほど俺を引きかけたベンツのSUVが律儀に赤信号を守ろうと急停車してくる。ゴッ!!とでかくなるベンツのリア。まるで壁だ。この壁の後ろに止まってしまったら、後ろからくるセルシオに挟まれるんだろうなあ。それは予感というより確信で、確実な黒い未来の予知だった。


「丘陵地帯に入るぞ!」


ベンツの壁の左側をぬける。対向車線の車をチェックする。黄色信号で突っ込む車の中、一瞬止まろうとフロントが沈むカローラがいて、やっぱり止まり切れずに進入しようとアクセルを踏むドライバーの姿が見える。その一瞬の挙動に入り込んだ。GSXのギアを3→2に落としアクセルオン。交差点に突っ込むカローラの前に躍り出た。でもカローラのドライバーは慎重な性格のはずだ。それがなぜかわかる。そう、対向車線のバイクが突然右折する可能性を頭のどこかに入れてドライビングしている。そんなシーンが人生で1度はやってくると考えているタイプだ。その1度が今だ!今!今!今!


今っ!!


そう叫んでカローラのフロントをパスした。


いける!


無事だ!!


目の前にはジェットコースターのように丘陵地帯を下り、そして駆け上がる直線道路がある。車は走っていない。隕石でも落ちてこない限り、GSXは走ることができるだろう。


「隕石が落ちてくるってことはないよな?」

「なくはないよ」


マジか。


でも、このババアなら無くはない。


この背中にくっついている生き物は、黒いブラックホールなのだ。呪いとかご不浄様とやらが食いついてくるというよりも、ババアがそれらを引き寄せている。超重力。さっきのマトリックスリローテッドのような事故も原因はこのババアだ。殺意をもって殺しに来たのではない、ババアが勝手に引き寄せたのだ。


なぜ、そんなことがわかるのだろう?


さっきからヘンだ。


全身の毛穴が広がっている感覚がある。その毛穴すべてが目であり、鼻であり、耳であり、感覚器官なのだ。だからバイクの内部を感じることができる、タイヤのグリップは肌感覚で伝わってくる。触れる空気で何が動いているかわかる。匂いでどんな生き物がどこにいるかわかる。


だからリアシートにいる人間の恐ろしさがわかる。人間、なのだろうか?禍つ神ではないだろうか。災いをもたらす神。呪いの巨大引力。厄。不吉そのもの。悪魔。死。死をもたらすもの。不浄。


「スピードを落とすんじゃないよ!」


とリアシートの厄災、ママが叫んだ。丁度ジェットコースターの道の一番低いところに来た時だった。ママの感覚が俺にも伝わってくる。地面の底、地中にいた「悪いナニカ」がクジラのように大きな口を開けて俺たちを飲み込んだ。


喰われている!


だが物理的に喰われているのではない。感覚的。色んなものを感じることができている今だから感じる悪意。そんなものが全身を駆け上がった。


ヤバイ!なんかわからないけどここはヤバイ!!


全力で離脱しなければならない!


アクセルを回す!混合気がシリンダーに吸気され圧縮→点火・・・しなかった。


GSXはジェットコースターの道を駆け上がることなく、エンジンを停止した。


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