第20話 こりゃダメだ!
滝川市に入る、時刻は1時を超えている。国道沿いのカラオケは元気に営業中だ。この町はそれなりに大きい。ネカフェぐらいあるだろう。ネットで探す。やはりあった。そこに入り、ブースのリクライニングチェアに横たわるとすぐに眠った。
5時間ほど眠ることができた。トイレで顔と歯を洗い、手で水を払いのける。濃い目のコーヒーをサーバマシンから出す。それをカウンター前のスペースで飲んで店を出た。
GSXにまたがり走り出す。まだ午前7時で、太陽は横から俺を照らしている。空気は汚されていない。車もほとんど走っていない。信号につかまるたびに手首や足や間接をストレッチする。
街をぬける。山と田園地帯を走る。白いガスが出てきて、それをつっきって走る。たまに対向車線のガスのなかから車が出てきて驚く。ミルクのような濃い霧だ。
スリッピーな路面と霧のおかげでGSXは全力を出せない。ストレスはたまる。そのストレスを俺はあえてためる。ストレスがなければ速く走れない。しゃがまなければ高く飛べないように。早く走るには、早く走れないでいることが必要だ。
山が終わり、霧が晴れる。海に向かって道が伸びている。シフトダウン、アクセル、クラッチミート、フロントアップを荷重で抑え込む、タコメーターが跳ね上がり、エンジンが叫ぶ、シフトアップ、タイヤがちぎれGが体を引き裂こうとする、空気が硬く体を突きさす、視界が小さくなり、目の前しか見えなくなる、朝の空気を汚しながら海へと俺は飛んだ。
海岸線の道に入る。左手にはべたなぎの日本海が広がっている。その景色を楽しみながら6速で流す。留萌に入り、GSXはおとなしくなる。燃料を入れ、缶コーヒーをのみ、朝食をマックで食べる。
高速に乗る。狂ったスピードを出す。営業車が追いかけてくる。それをちぎる。前方にポルシェ、徐々に差を詰める。こちらに気づいたポルシェが逃げる。追いかけるが差がつまらない。純粋なパワーの違いを感じさせる。「すっげ」とつい相手を褒めてしまう。
そのポルシェが巨大化したので、ブレーキ。ややロックしながら止まった。遅い車がいる1車線帯に入ったのだ。ポルシェのドライバーが手を振る。こっちも手を振った。
旭川には10時前に到着した。そのままEST!にいき、今日の仕込みを始めようとすると、ドアの前に人がいた。
「こんにちは、今から仕込みですか?取材させてもらってもいいですか?」
アスナミコだった。俺はしばらく何を言うべきか考えていた。「とつぜんでごめんなさい、やっぱり迷惑でした?」と女子高生に気を使われてしまったので「なんも、どうぞ」となんとかカッコつけることができたのだ。
女子高生がEST!にはいってきたのは始めのは初めてだ。場違いの存在に店の空気が浮きだっている。フワフワと軽くなり、花の香りまでしてきた、いや、もちろん気のせいだろうが。
若い娘とはいえ、自殺宣告までしている人間だ。大きな瞳には濁りは一切見られず、むしろ世界の光を集めているような輝きがあった。若く、人生が希望にあふれている人間の瞳だ。とても3日後に死ぬ女の子には思えない。
なんて話せばいいんだろう?
取材?
店のことを話せばいいのか?
なぜ?
そんなことより死ぬんじゃないって言うべきじゃないか?
どうやって?
生きていれば楽しいこともあるとか?
いきなり?
初対面だけど知ってるっていうべきか?
だから?
君のお父さんとは仲良くしてるって?
混乱している俺を前に、しっかり者の女子高生は話はじめる。
「えっと、youtubeの撮影でお伺いしました、くりかえしますが突然ですいません、私、実は時間があまりなくて、いまいろんなお店に取材交渉してるんです、だから取材させてもらえるところは片っ端からお伺いしてます、今回EST!さんに来たのもそんな理由で、あの、ご存じかも知れませんが、私の父が関係しているお店ですよね?私、父の名前出すのって本当は大っ嫌いなんですけど、どうしても時間がなくって、取材のアポをとることができなくて、それでも動画をとるのはあきらめたくないんです、いそがしいですよね?本当にごめんなさい」
「いや、仕込みはほとんどないよ、それにキミが時間がない理由も知ってる」
「あ・・・そうですか!それじゃあ、取材してもいいですか?」
「いいけど、その前に聞きたいことがある」
「なんですか?」
きゅるんとした瞳を開いてこちらを見てくる。
「死ぬ・・・のかい?本当に・・・?」
何度も聞かれた質問だろう、平然とした笑顔を崩さず
「はい!そうなんです!」
と答えた。その笑顔がドキッとするほど愛くるしく、人を引き付ける魅力があったので言葉が出なかった。
「なんで?って思われるかもしれませんが、私、すっごい前向きなんです!悲しくて死ぬわけじゃなくて、死ぬべきだから死ぬんです!理由を上手く説明するのが難しいんですけど、絶対に後悔はしません!」
「お父さんはなんていってるの?」
「父とも何度も話し合いました、そのたびにケンカになっちゃうんですけど、父も私の死後にちゃんとわかってくれるはずです、私の死はこの世のどんなものよりも価値があるって」
「それは3日後じゃないといけないの?」
「はい、もう決まってるんです」
「なんでその日なの?」
「先生とみんなで相談してその日になったからです!」
「先生とみんなって、その、永遠の塔の人?」
「はい!みなさん私の旅立ちを見守ってくれるんです!」
「こういっちゃなんだけど、病院とかの先生にも相談したほうがいいよ」
「あはは!よくいわれますし、父にも連れてかれました」
「それで?」
「どこにも異常なし!です!」
「つまり君は正常で、正常な状態のまま死を望んでるってこと?」
「そうなりますね!ささ!質問のターンをそろそろ私にください!この店のことを教えてください!できればメニューもくださいな!」
俺はカウンターに回り込みながら、自分の無力を感じていた。死を決意している人間に、一体どうすればターンオーバーを決めることができるのだ。死→生の。たったそれだけのことを。どうやって伝えることができるのだろう?無力だ。言葉が、無力。力づくて、拘束でもするか?それで死ぬのをためらうか?一生拘束でもするのか?薬でハッピーにさせる?そんなのジジイや医者がもうやってるだろ。俺はなんもスキルのないただの男だ。スキル。自殺専用電話番号の話し相手をやる人にも技術が必要だと聞いたことがある。そこに電話しろってか?あはは、それで思いとどまるなら簡単な話だ。
気がつくと、温かい涙がぼろぼろ落ちてきた。それに気づかずアスナミコは勝手に三脚を立て、撮影を始めている。
「えーっと、はい!ミコチャンねるです!こんにちはー!!今日はですね、なんとバーにきてしまっています!えっ、未成年なのにそんなとこ来ていいのか?って?あー!やめて!通報しないで!ほら、時間見て時間、まだ午前中なんですよ!お酒なんてもちろん飲んでませんよ!ここの餃子とカレーが超美味しいって聞いてしまって、私からおしかけてしまったんですー!わー!やっぱりかわいいって罪!うそうそ!そんなこと思ってませんよ!スマホを折らないで!モニタに納豆をなすりつけないで!ではでは、こちらがEST!の店長さんでーす!イケメーンってウソ?泣いてる!!!?」
全力でごまかす
「あはは!たまねぎがね!ほら、たまねぎが目に染みて!あはははははは!!」
「なーんだ!たまねぎでしたー!おっどろいたー!じゃね、店長、餃子とカレーおねがいしまっす!ついでにビールも!・・・ってウソウソ!ビールは飲みません!やめてやめて!スマホを証拠に警察に持ち込まないで!」
彼女がどうやって編集して、笑いのポイントを作っているかわかる。大変なのだ、この仕事も。努力が必要で、時間も根気もいるし、なにより才能も必要だろう。かわいい女子高生でなければ再生数は伸びず、女子高生だから撮影交渉は難しくなる。子供の動画撮影に協力したがる店主はいない。何を言われるか分かったものではないし、リスクしかないからだ。父親の力を頼らざるを得なかったのも納得だ。俺は餃子とカレーのセットを出して、それを食べて「えっ・・・・おいしーーーー!!!」と大げさにリアクションをする彼女を見ていた。
「死んでほしくない・・」
「えっ?」
「死んでほしくないんだ」
「ちょちょ、今その話はやめましょ!YOUTUBEにアップできなくなっちゃう!」
「ウソだろ、死ぬならなんで動画なんて撮ってる?」
「はー、もう・・・私は私の仕事を最後の1秒まで実行するって決めてるからですよ」
「そんなの、まだ高校生なんだし、いいだろ・・」
「高校生だからとか関係ないですよ、私は私の命を最後まで使い切るんです」
「関係あるよ、まだ高校生だろ?これから楽しいこととかいっぱいあるじゃないか」
「楽しいことよりも、私は私の使命を果たします」
「だからその使命ってなんだよ!」
「うわ、でっかい声」
アスナミコはこちらを非難するような目と顔をする。大声で驚いている様子はない。彼女はジジイの娘なのだ。こんなやりとりもずっと繰り返しているだろうし、大人の男の気迫なんてあたりまえに触れてきたのだ。花火師の家の子供は火薬をムダに恐れない、正しく恐れて正しく接する。同じように面子と気合と恫喝と支配が跋扈する家の娘はそれを正しく恐れ、正しく接する。暴力は通じない。
暴力に屈さず、鋼の意志を持つ人間に、他人ができることはあまりない。それこそ洗脳でもしない限り。・・・そうだ、ママを呼ぼう。ここにママを呼んで、アスナミコを洗脳でも除霊でもしてもらえれば、なにもアシカリベツまで行くこともない。
「ちょっとまって、あわせたい人がいる」とスマホを手に取り、着歴からママの番号を呼び出すと、アスナミコはおしりをプリプリさせながらドアを閉めるところだった。
「ポチかい?」とママは言った。
「・・ワン」と俺は答えた。
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