第6話 少女・卒業・生か死か

est! 覚せい剤と女の子


「今回の運びはこの子だ」と田島さんが連れてきたのは小柄な女の子だった。髪をやや茶色に染めたショートボブ、体は小柄で150㎝ぐらい、170㎝の俺の方ぐらいのところに頭がある。目つきはするどいが美人の部類だろう、肌もつやつやで高校生か中学生ぐらいに見える。


「えと、また人ですか」

「そうだよ、だからセロー」

「まあ、オフ車のなかでは2ケツで乗りやすいでしょうけど・・」

「崖は登れるようになったか?」

「3mぐらいならなんとか」

「上出来だ」

「なんで、車ではだめなんですか?」

と田島さんに聞いたところでジジイがやってきた。田島さんの圧がググっと上がり、店が緊張に包まれる。だが、俺にとってはジジイだ。

「この子は誰?なんでバイクじゃないとだめなの?」

「本人に聞けばいいさ、俺たちが答えることでもない」

「・・・・」

場にいる全員が女の子に注目する。気を張っているのがわかる。「わ・・・・わたしっ!」と話はじめた。

「おとうさんを!探したくて!!」

***

あがり症で、吃音があり、ASD(いわゆる自閉症)の診断をもらっている島木レイナちゃん(15)の話をまとめるとこうゆうことになる。

彼女の父親、島木浩輔さんは内装業を営んでいて、バツ1。彼女のお母さんは彼女が幼稚園に入るころに浮気して離婚。当時、自分の会社を立ち上げたばかりの父親はおばあちゃんに育児を頼むことになる。


島木スエ子さんは激動の昭和を繁華街サンロクで生き抜いた女傑で、3人の息子たちを女1人で育て上げた人物だった。朝から深夜まで働き続け、3人の息子を大学に進学させる。母は強い。

「でもっ!おばあちゃんは!弱い人で!・・・・・・・」

レイナちゃんがそう言って言葉につまり、長い沈黙があった。ジジイと田島さんは目で合図して「ま・・・クスリに逃げたんだな」とジジイが言った。


スエ子さんにはまっていた客の1人が覚せい剤の常習者で、寝る間もないほど働いていたスエ子さんに「善意で」薬を流した。当時破滅的な反抗期を迎えていた長男こと浩輔さんと寝ないで向き合い、家の掃除をし、洗濯をし、弁当をもたせ、教師と話し合い、浩輔さんは悪い友達から離れることができた。

だが、スエ子さんに薬を流していた常連客が逮捕され、そのつながりでスエ子さんも逮捕される。1年6月の実刑、3年の執行猶予の有罪判決。立ち直っていた息子たちはショックを受け、再び島木家は崩壊に向かうと思われたが、スエ子さんは息子たちにこう言った。

「いいかい!おかあちゃんは悪いことしたからこれから償いを始める!もうぜったい悪い薬には近づかない!お酒だって飲まない!あんたたちが大人になるまで!毎日がんばるからね!!」

その日からスエ子さんは夜の仕事を辞め、パートを掛け持ちし、睡眠時間を削って息子たちを学校に送り出した。

「いい話だ」と俺は言った。

「おばあちゃんはすごいの!」とレイナちゃんも嬉しそうだった。

「でもな、シャブに卒業はねえんだ」とジジイは言った。

時は流れ、島木浩輔さんが離婚と起業のストレスで自死念慮に苦しんでいるとき、スエ子さんは息子の窮状に心を痛めていた。そこで「良かれと思って」「1回だけ」「ここだけをしのぐために」と箪笥の奥にしまっていた覚せい剤を息子に渡してしまう。

「なんで捨ててねえんだよ」

「捨てれるわけねえだろ」

「なんでだよ?」

「シャブ中にとってシャブってのは神さまだからだよ」

「・・・・」

その神さまとやらの力か、浩輔さんはなんとか生活を軌道に乗せる。使えない従業員を解雇して、1人親方として仕事に忙殺される毎日だ。そのおかげで離婚危機は去り、安定的に仕事が入るようになって、平和な日常が訪れた。が、すぐにシャブにのめりこんで、よくない売人からシャブを購入してしまう。

そしてあっさりと逮捕され、浩輔さんも実刑1年6月、執行猶予3年の有罪判決をもらってしまった。当時小学生だったレイナちゃんも裁判所にお手紙を書くなど頑張ったが、法律は動かなかった。

幸運だったのは母親が経験者だったことで、すぐに更生施設に浩輔さんを通わせ、ぼろぼろだった状態から回復したことだ。会社もつぶれることなく、島木内装は賃貸アパートなどの復旧作業や格安リフォームの下請けや作業員が足りない時のヘルプとして回っていた。

だが、シャブに卒業はない。

レイナちゃんが高校に入学したころ、仕事が立て込んで1週間寝ないで働き続けている父親を発見する。「もしかして・・・」とおばあちゃんに相談するが、すべてを知っているスエ子さんは愛する息子と孫を前になにもできなかった。その代わり、旧知の人間に相談することにした。ジジイだ。

「誰も浩輔を責めることはできねえ、仕事がなくなる恐怖はもうわかるだろ?」

わかる。est!はギリギリ水面下を口だけ出して呼吸しているような状態だ。水をかき続けなければあっさりと沈んでしまう。余裕はいくらあっても足りない。

「あんたたちがシャブを流しているのか?」

「うちは薬は売らねえよ、暴力だけだ」

「シャブなんてなければいいのにな」と吐き捨てるように俺は言った。

「そうか?今の話のどこを聞けばそうなる?」とジジイは言った。

***

「シャブ、つまりヒロポンは確かに常習性が高く、はまれば廃人になる薬だ、だけどメリットもあっただろ?シャブがなければスエ子さんは息子をまともに育て上げることはできなかった、浩輔は離婚時のストレスで会社をつぶしていただろう、一瞬でもスーパーマンになれるなら、それにすがってしまう気持ちもわかるだろ」

「だが・・・」と俺は思う。「人間辞めるってことだろ」とどこかで聞いたフレーズでしか反論できない。

「人間辞めてでも家族を守りたいって気持ちが理解できんのか?」

「・・・・」

「ま、俺にいわせりゃまともな会社員のサラリーマンのほうが人間辞めてる」

「・・・」

「話は続きがある、浩輔は町にいるとだめだと自分で確信した、どうしても仕事をして、金を稼ぎ、シャブを買ってしまう、それはもうレイナちゃんへの愛だけでは止まらないレベルにまでなっていた、だからバイクで山の奥に逃げた、大雪山の樹海の奥の奥だ、とうぜんインフラも何もない、あるのは持って行ったキャンプ道具だけだった、それが3年前の話だ」

「死んでるってことか?」

「おそらく」

レイナちゃんが悲しい顔をしている。

「だが、生きている可能性もゼロじゃない、なんてったって深い山だからな、水もあれば食料も採れる、寒ささえ何とかできれば冬も越せる」

「バイクじゃなきゃいけない場所なのか?」

「そうだ、砂防ダムを作るための古い林道が崩壊していて、その整備は行われていない、崩壊した箇所は水が砂を流し崖のようになっている、徒歩で行くことはできるが、1週間以上の食料を数人でかついで歩かなければ到達できない場所だ」

「警察に言えばいいんじゃないか」

「シャブ中になって森に逃げた父親を探してほしいってか?」

「なぜ、俺なんだ?」

「上がりの少ない話だからだ、浩輔を捕まえたところで未払いのシャブの代金を体で払ってもらうぐらいしかない、死体を見つける可能性のほうが高いしな、でもスエ子は友人だし、孫のレイナちゃんの願いを聞いてあげたい気持ちもある、バイク1台とお前の能力ならたどり着けるはずだ」

そう言ってジジイはスマホで地図を見せてきた。航空写真のそれは、ただの緑の、何もない森にしか見えなかった。

「オフ車乗りの間で話題になっている場所だ、廃棄された林道の先に生活痕のある焚火とテントがある、錆ついたジュベルもあったらしい、浩輔のバイクだ」

「まちがいないんだな・・」

「こんな場所で生活するジュベル乗りのもの好きが別にいればの話だ、まあ可能性はゼロではないが」

「生きているかもしれないんだな」

「死んでいるかもしれないがな」

「おっ・・・・おねがい!しますっ!」

俺はレイナちゃんの必死のセリフに覚悟を決めた。行くしかない。

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