第3話 脱出・カーチェイス・忍者

「乗りこなしたか?」


田島さんが店に現れたのは仕事の前日だった。


「はい」


と俺は答えた。


田島さんは店を一瞥し、カウンターにうつぶせになっているジュリを眺めた。


「ま、いいか」


と言ってから小声で話し始めた。


「明日の2時、東光のバッセンの前で人を乗せろ、この店まで連れてこればいい」


「人?」


「そうだ」


「何キロぐらいの人ですか?」


「わからん」


「その人、バイクにのった経験は?」


「ある」


「車じゃダメなんですか?」


「ダメだ」


「・・・」


「じゃ、ミスるなよ」


田島さんはAセットを食べて出て行った。「うまかったぞ」と言ってくれた。その後、ジュリがのそりと動き出した。


「なんか怖そうな人だね」

「聞いてた?」

「うん、バイクで人を運ぶんでしょ」

「そうだね」

「こんな冬にね、なんで車じゃダメなんだろうね」

「わからない、聞いたらダメなんだ」


俺はジュリに水を出し「ってわけで明日は1時に閉店だから」と伝えた。

「へーい、お仕事頑張って」

とジュリはまたカウンターにうつぶせになった。


***


「・・・1時に閉店だよ」

「しってるよ、昨日言ったじゃん」

「いま、0:30だよ」

「あと30分もあるねー」

「今日はほかの店のほうがいいんじゃない?」

「いいっていいって、わたし留守番するよ」

「・・・・」

「どうせ戻ってくるんでしょ?」

「どうなるかわからないから・・」

「返ってくるまで待ってるよ」

「うーん・・・」


田島さんに確認をとったほうがいいのだろうか?ちょっと考えたがやめた。きっと田島さんも忙しいだろうし、ここの店長は俺なのだ。俺が決定するべきことだと思った。それに、昨日、うつぶせになっていたとはいえジュリもいるところで田島さんはこの話をしていたのだ。それほど機密性が重要だとは思えない。


「じゃあ、何も盗むなよ」

「へーい」


俺はジュリを店に残して出発した。closedに看板をひっくり返して、ビルを出る。今日も一段と寒い、客の送りに出ていたキャバ嬢が「さみー!!!!」といって店に戻っていった。


ツナギ越しに冷気が入ってくる。インナーを3重にしているが、それでも寒い。小さなカイロを前進12か所に入れているが、それがなかったら誰も外に出ようと思わないだろう。ましてやバイクに乗るなど狂気の沙汰だ。


ウニは3日間でカウルが割れ、マフラーは傷つき、ミラーを5回割った。クラッチレバーはハンドルガードのおかげで折れなかったが、そのハンドルガードは無残にも破壊され、風防能力は50%ほどになっていた。


「何回コケたっけ?」


とウニに話しかける。


「今日もコケるからよろしくな」


とエンジンをかけ、ウニにまたがった。


***


バイクでのアイスバーン走行のコツは3つある。


1,倒さない

とにかくまっすぐにバイクに座り、曲がるときも重心を傾けない。これは初日に転倒して気づいたことだ。バイクは直進している間は安定して走る。曲げるときはなんとハンドルを使う。


2,まっすぐ座る

次に重要なのが重心の繊細さで、なるべく中心に座り、派手なライディングはしないことだ。曲がるときもハングオンではなく、体を立てるハングオン、オフロードバイクの乗り方になる。


3,トラクションに注意する

スパイクの鋲はアイスバーンや圧雪路には有効だが、アイスバーンの上に圧雪が乗った路面には無力になる。このコンディションの時はトラクションが簡単に抜けてしまい、バイクは地面にたたきつけられる。


それにしても、人?


いったいどんなヤツなんだろう。好奇心と恐怖心で心が支配されそうになるが、とにかくウニのドライビングに集中する。


国道に出る。鋲の先端がアイスバーンをカリカリとかく。空気圧を下げて、接地面を増やしているが、それでも夏とはまったく違う乗り物だ。GSXのパワーを地面に伝えるのは繊細なトラクションコントロールと重心移動が欠かせない。


正直、上手くなったと思う。今まではセンスだけでやっていたことが、この限界域にあっという間に到達する環境では通用しなかった。もっと神経を磨いてバイクに向き合えばよかった。バイクとは、こうやって乗るものだったのかといまさら思う。


車の流れにも問題なくついていけるようになった。直進ではいくらリアがスピンしようが問題ない。止めるときはリアのブレーキングだけを使用し、完全停止する寸前にフロントブレーキを使用する。これも夏のライディングとはまったく別のやり方だ。


10分もかからず目的地に到着した。


***


東光のバッティングセンターは昭和の時代から存在しているレトロな施設で、子供のころに何度か来たことがある。「ニシグチくん」というやつの剛速球投手がたまにデッドボールを投げてくるので恐ろしかった。いまは雪捨て場になっている。


エスト!からは信号6個で、5㎞ほどの距離にある。こんな近距離を移動するのなら、タクシーでも使えばいいんじゃないか?なぜバイクなのだ?疑問は消えないが、あまりしつこく追及すると片目をアイスピックで失うかもしれない。


1:45に到着した。エンジンは切らず、エンジンとグリップヒーターで暖をとる。誰もいない。バッティングセンターも雪の山しかない。となりの建物には電気がついている。


2:00建物のなかで何かが動いている気配がある。怒鳴り声らしきものも聞こえる。


2:10 黒いコートの男が建物から出てきて、こちらにやってきた。俺のほうにまっすぐやってきて、躊躇なくふわりと乗り込む。「まてやぁ!!!!」と2人の男もやってきた。


「出して」と男が言う。つい焦ってしまい、アクセルを大目に開いてしまう。クラッチを少しだけミートさせるが、それでもタイヤはスピン。そのスピンを抑えるように後部座席の男がよりリアに荷重をかける。


リアタイヤがトラクションを稼ぎ、ウニは動き出す。その数舜のタイミングで男が「うおらああああああ!!!」と手に持っている棒をこちらに振ってきた。


当たる!


確信があった。男の持っているのは木刀で、アドレナリンの影響からスローモーションで軌道が見えた。木刀は俺の二の腕に当たり、多分骨折ぐらいするんだろーなーってことまで思えた。


そのアドレナリンのスローモーションの世界に、後ろからスローモーションではない手が飛んできた。黒いコートの男の手だ。手には小刀をもっていて、木刀を切り上げる。ウニのリアサスが大きく沈み、それによってよりトラクションがかかった。


暴れるリアタイヤが雪を蹴り上げ、雪煙を舞いあげる。男たちとは距離をとることができた。国道に出ようとするが、運悪く車の列が続いている。後方からはエンジン音。追いつかれそうだ。


「あれって、こっちを跳ね飛ばす感じ?」

「そうだねえ、それぐらいはやるかもねえ」

「よっぽど怒ってるのかな?」

「そーとー怒ってると思う」

「じゃ、歩道使うよ」


今度はやさしくクラッチをつなぎ、歩道を走る。かわいそうなことに2人組の歩行者がこちらにむかって歩いている。目の前から2人乗りの、しかもフルピンのバイクが迫ってきてさぞ恐ろしかったろう。雪山に足を突っ込みよけてくれた。サンキュと手をあげる、後ろの男も手をあげている。


すぐに脇道にはいったが、車も後ろから迫っている。黒いアルファードだ。おまけに雪が深くてスピードが出ない。アルファードは躊躇なくこちらを轢こうとしてきた。右車線に寄って避ける。


ウィンドウが開き、運転席の男が「どりゃあああ!とまあれええええ!!」と木刀を振ってきた。さっき切り上げた先端がとがっている。1振り目は減速で避けたが、2振り目はこちらに向かって突いてきた。ハンドルは助手席の男が操作している。


男の木刀は俺の肩口を狙ってきた。あたる!と思った。痛そう!と思った。それにバランスを崩して転倒してしまう!なるべく痛くないコケ方をしたいなあ・・と頭で考えていると、リアの男が腰を浮かして手を出し、木刀をつかんだ。


俺の右足を男が押し、ウニは減速する。自然と木刀の男が引っ張り出される。体が半分ほど出たところで男は木刀をあきらめ手を離した。


アルファードはこちらの進行方向にはいり停車させようとしてきた。俺は転倒覚悟でリアをフルロックさせ、ウニを左に倒した。驚いたことに、後ろの男は絶妙な体重移動でバイクの挙動のサポートをしてくれる。まるで何も乗っていない感覚になった。


アルファードのリアぎりぎりをこすりながらクリアする。アルファードはそのまま雪山に激突し停車した。俺たちは国道に出て、アイスバーンの上を2人乗りで走った。これもまた驚いたことに、1度も転倒せずにエスト!まで戻ることができた。


***


エスト!で待っていたジュリは俺たちが店に入ると「おかえりー」とさも身内のようにカウンターに入り込んでいた。こいつ出禁にしようかな・・と少し思ったが、今は極度の緊張から解放された多幸感に包まれていて「カウンターに入るなよー」とゆるく注意しただけだった。


「ってかダレ!そのイケメン!!!」


と黒いコートの男に驚く。いわれてみれば、黒いコートの男は長身でスリム、細く精悍な顔、モジャっとしたパーマをかけその下から鋭い眼光でこちらをのぞいている。女なら、数秒見つめられただけで体の芯が溶けてしまうだろう。


「すこし休ませて」「あ、じゃあ、コートはこちらに」「わたしかけるー」「ありがと」「やー!おにいさん、名刺とかもらっていいー?」


***


 甲賀天隠流忍術武極館


師範代


  伴 行貞

 Tomo Yukisada


    mail:〇〇〇〇〇.hotmail


男が差し出す名刺にはそう書いてあった。


「忍術?」俺が聞いた

「うん」男が答えた

「じゃ、お兄さん忍者ってこと?」とジュリが聞いた

「そうだね」と男が答えた。

「かっこいー!!」


***


ネットが地球を覆うこの時代、AIが人知を凌駕するシンギュラリティまで数十年と言う世界、ロシアのウクライナ進攻ではドローンが人を殺し、北朝鮮のICBMを宇宙空間で撃墜する協定が結ばれるこの時代、核融合炉や量子コンピューターも実用化に向かって動き出しているこの時代、この時代だよ?


「すごーい、マスター頭いいー」

「この時代に・・・忍者?」

「あはは、よく言われるけどけっこういるよ、ウチのサイト見る?」


!!名刺に書かれた「甲賀天隠流忍術武極館」で検索するとホントに出てきた。「最近youtubeも始めたんだ、よかったら登録してね」と忍者は言う。


「ウチは超実践流の忍術だから、戦場にも行くし、兵士や警察にも指導することがあるんだよね、俺も実際にアフガニスタンに行ったことがあるよ」

「それは、指導員として?」

「いや、最前線の傭兵として」

「傭兵!カッコイイ!!」

「カッコよくないよ、師匠の教えで最新の戦争にウチの忍術が使えるか試したかったんだ」

「で、どうだったんですか?」

「悲惨・・の一言、俺はあんな暴力のために技を磨いてきたんじゃないってフけてきた」

「ねね、忍者って銃こわくないのー?」

「銃は怖いよ、でも対人間ならコントロールできる」

「対人間じゃない銃って?」

「ミサイルとか榴弾とか」

「・・・・」

「それよりも、圧倒的強者の側に立つのがいやだったんだよね」

「キャー!!」


ジュリのバカっぽいリアクションが邪魔くさい。ついさっきまで死線をさまよった緊張感が消えてしまった。この女・・・と忍者、伴 行貞、も思ったのか「やめよ!こんな話!」とスツールに腰を下ろして「ビール頂戴!」と普通のおっさんのように言った。


「のも!のも!」と軽くジュリがジャンプする。胸がゆわんゆわんとゆれた。「ってか重くないの?」と忍者。「おもーい!持ち上げてみる?」「いいの?お金とらない?」「60分12000円でーす」「たっけ!」「あはは!そんかし天国につれてったげる!」「ビールどーぞ」「マスターものも!」「いいの?」「もちろん!一緒にヤクザに殺されかけた仲じゃない」「え!ヤクザ!なにがあったの?」「その話はもうちょっと後で」「きになるー!」「ってか、俺もよくわからない、結局なんだったの?あれ?」


「まあ、とりあえずカンパーイ」と3人でグラスを合わせて、ぐびりと3割ほどクラッシックを飲んだ。人生で一番旨いビールだった。コクと、どこまでも広がる自然が体内に落ちていく。それは忍者も同じだったようで、しばらく目をつぶり「・・・・っはーマジたまらん」とビールのCMのように言う。


「実は、俺もよくわからないんだよね」

「でも、ヤクザなんでしょ?」

「うん、そう言ってた」

「なんでそんなところに行ったの?」

「仕事なんだ、『2時にあそこで暴れろ、脱出用にバイクを待たせておく』って」

「暴れたのー?」

「暴れた、カチカチに怒らせた」

「怒ってたねー、なにしたの?」

「まずは言葉かな?『しょぼいチンピラがションベンくさい仕事してるな生きてて恥ずかしくないのか?』って言った」

「キャー!」

「危なくないのか?」

「危ないよ、でもコントロールすることが第一なんだ」

「銃とかでてこなかったのー?」

「やつらは持ってなかったね、ドスが何本か」

「危ないじゃん」

「シロウトの刃物はそんなでもないよ、コントロールしやすい」

「切られなかったのー?」

「切られない、切られない」

「達人じゃん」

「達人なんかじゃないよ、達人はドスを出させないし争いすら起こさせない」

「争ってたねー」

「ねね!なんでバイクなの?」


俺が一番気になっていたことをジュリが聞いてくれた。そう、なぜバイクじゃなければダメなのか?それは言われてみれば、たしかにバイクで無ければならないな・・・と納得せざるを得ないものだった。


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