第2話 開店・巨乳・ウニ

「お、仕上がったか」


ジジイが田島さんをつれてやってきたのは開店初日、店のBGMをかけ入り口に「OPEN!」の看板を掲げた5秒後だった。


「まあ、つぶさねえようにな」


とジジイはカウンターに座る。田島さんと2つAセットをオーダーした。俺は餃子を焼き、サーバーからビールをそそぎ、2人の前に置く。


「いくらかかった?」とジジイ。

「居抜きですからね」と田島さん。

「仕入れで10万ぐらい」と俺。


廃人間だったあの時からそのまま、結局金の話をしないままここまで来てしまった。給与とかどうなってるんだろう?と思わないでもなかったが、バイクに乗らない今、そんなに金は必要ない。死なない程度にもらえればいいし、別に死んだってかまわないのだ。


「ま、金は大事だ」とジジイがサワーをプレーンで頼んだ。餃子のフライヤーが鳴り、俺は餃子を2皿つくり、カレー皿にご飯をもって、カレー鍋からカレーをよそった。それに漬物の小皿と餃子のたれを乗せてAセットのプレートを2つ作って提供した。


「水も必ずつけろ」と言われ、あわてて水を2つ。くそ、どうやら俺は緊張している。いままでは、先輩社員の言う通りに作ればよかったのだが、今、ここにいるのは俺だけだ。客、といっても身内なのだが、それでも「自分1人である」という意識が緊張を呼ぶ。


「慣れるよ、味は及第点だ」と田島さんが言う。俺の肩を刺しておいて、にっこりと笑うこの人の言葉は重い。俺はあれ以降、ジジイの正体を探ることはしなくなった。


2人がAセットを完食し、コップの水を飲みほした。そのことに俺は安堵している。料理は失敗ではなかったようだ。


「美味かったぞ、これ会計だ」とジジイが万札を数えてカウンターに置いた。数えると11枚あった。「ま、これから好きにやれや」と笑う。ありがとうございますと答える。そして慎重に言葉を選んで質問した。


「あの、会計とか、経理とか、そうゆうのってどうすれば?」


・・・・


重たい時間が流れる。ジジイは眉をつりあげ何も言わない。田島さんはこちらをにらんでいる。これは聞いてはいけない質問だったのだろうか?だが聞かないまま、店の営業はできない。


「あー」


とジジイが口を開く。「田島とも話したんだけどよ、まあ、この店の坪数だったら10万ぐらいが相場なんだわ、それに電気とかガスとかの光熱費、ビールや食品のロスとか含めて突き15万ぐらい必要になるわな、それにお前の人件費を乗せると大赤字になっちまう、わかるよな?」


・・・イヤな予感がした。俺はなにかでかいワナにかかっているのではないか?


「でも、シロウトであるお前を引っ張った責任もあるし、餃子とカレーとバーって形態を指示した責任もあるからよ、こっちも折れるところがあると思ってるんだわ」


少し安心する、俺はどうすればいいのだろう?


「だからよ、この店の売り上げはお前にやる、家賃もいらねえ」


「は?」


「その代わり、バイクに乗ってもらうぞ、それが条件だ」


甘い言葉にはワナがある。俺は身をもってこの言葉の意味を知った。


***


意外にも餃子とカレーとバーの店「est!」はそれから忙しかった。初日はジジイと田島さんが帰ったあとで、同じビルのスナックのママやらジジイの系列の店の社員やらがやってきて、15席あるカウンターとテーブルがほぼ埋まった。カレーのオーダーから1時間たってやっと提供できるという状況だった。酒を飲んでおしゃべりしていなければ、客は怒って帰っていっただろう。


そんな状況が1週間ほど続き「あれ?ひょっとしてうまくいくんじゃない?」と思ったところで客足が途絶えた。さすが飲食不況だとおもった。1日の来店人数が5人以下という日が続き、昨日はついにゼロとなった。


最初のスタートダッシュのおかげで、初月はなんとかプラスとなった。だが、思ったよりもランニングコストが重い。ジジイのおかげで家賃はゼロだが、開けてしまったビール樽は4日ほどで売り切らなければならず、つまみも日替わりで仕込むのだが、日をまたぐと廃棄だ、餃子とカレーは保存ができるので、そこだけはマシだった。


そんなことより、ヒマというのは人間をダメにする。


「ひょっとして酒の種類が足りないからお客さんがこないのではないか?」


と考えて、酒をバックヤードに入らないほど仕入れる。ウィスキーやスピリッツだけでなく、地ビール、IPS、エールなども入れる、ワインやシャンパンもそろえるとかなり金がかかる上に、開栓して数日で廃棄しなければならない。餃子とカレーを置いているバーに、そんな酒の種類は必要ないだろうとリストから削除した。


「もっとつまみにこだわれば・・・」


と様々な小品をだせるようにしてみたが、結局餃子とカレーの店なのでリアクションは薄かった。毎日大量の廃棄が出てしまうのでやめた。柿ピーと、餃子、餃子の皮や具を使ったつまみが最も喜ばれた。


「俺のトークが良くないのでは?」


とyoutubeなどでトーク力を上げる動画で勉強した。だが、客のほとんどは飲食関係の荒波を乗り越えてきた妖怪ばかりで、俺の小手先の話術などまったく通用しなかった。結局“素”が一番だった。


ほかにもBGMや服、開運の置物や招き猫まで頼ってみたが客足は右肩下がりから回復せず、売り上げはほとんど仕入れで消えていく毎日を過ごしていた。


「結局、場所が悪いんじゃないか」

と場所のせいにして再び精神状態は病んでいく。そんな状態が3か月も続いた。


***


「でもさあ、よくやるよね」


とジュリがカウンターで笑う。この娘はふくよかな胸を持つデリヘル嬢で、仕事が終わると店にやってくる。あまり金を落とさないで長時間いるイヤな客だが、今のest!にとって貴重な客だ。


「なにが?」

「だって餃子とカレーのバーでしょ?聞いたことないよ」

「それはオーナーからの指令だから仕方ないんだって」

「普通来なくない?餃子とカレーを食べに?“バー”に?」

「そこを何とかするのが仕事だって」

「ムリなものはムリだって、へべれけのオッサンをイかすぐらい無理!ギャハハ!」


若い娘がそんな大口開けて笑うものではないよ・・・とじいさんのように言いたくなったが、ジュリの言うことにも一理ある。このままいけば、あと数か月で仕入れができなくなる。もし家賃があったらすでにショートしているだろう。すでにギリギリなのだ。


だからこんな「はしたない」女の子でも貴重な女神様に見えてくる。自慢の巨乳をカウンターに乗せて、クラシック(ビールはこの1種だけにした)をタンブラーでぐいぐい飲む女の子。マジもんのバーテンや、静かに飲みたい客がこの店に来たら、きっと入り口でUターンしているだろう。静かに酒を楽しむ場所ではない。


ジジイに餃子とカレーをやめてはどうか?と提案しようと思ったが、やめた。「じゃあ、家賃はお前持ちな」と言われるだけでこの店は飛ぶからだ。


つまりは、あの時言ったジジイの「条件」、バイクに乗るってことをしなければならない。


「でもさー、バイクなんて誰でも乗れんじゃん、マスターってそんなに上手いの?私のフェラとどっちが上手?」


とすでにカウンターに軽ゲロを吐いているジュリが言う。それを拭きながら「まあまあ上手いよ」と言った。俺はバイクに乗れるのだろうか?すでに半年も乗っていない、というか今は冬だ。


店の前を走る国道は典型的なブラックアイスバーンになっていて、バイクどころか歩行者でさえ転ぶ。車はスリップしながら発進しなければならず、その摩擦熱で氷はさらに磨かれる。その上を歩くたびに中学の理科を思い出すのだ。「ただし、摩擦はないものとする」あの条件式。「摩擦がなければ地球はつるんとした白い球でしょう」とバカな教師は言っていたが、摩擦のない状態というのはあの道を歩くといやでも体感できてしまう。


そんな摩擦のない世界をバイクで走行することはできない。


***


いま、俺の前にはバイクがある。エンジンは温まっていて、いつでも発進できる。「オイルは0-30を入れてあるからな」とジジイがいう。気温はマイナス10度を下回る寒さで、鼻が呼吸の度に凍りつく。営業が終わった後の深夜3時のサンロクの片隅で、このモンスターマシンが呼吸しているのは滑稽だ。


「フルピンは乗ったことがない」


と俺はジジイに言った。


「そうか?楽しいぞ」


とジジイは笑う。どこで作らせたのか、GSX-R600、通称ハヤブサのタイヤにはスパイクタイヤが装着されている。昔のパンクロッカーが着ていたような鋲つき皮ジャンを思い出させる。もしくはウニ。巨大なエゾバフンウニが2個、摩擦のない氷に食いつくのだ。


「グリップヒーターにハンドルカバーをつけているから、そう簡単には指は凍らない、でも操作性が落ちるからハンドルカバーは皮製のじゃなく、ハードタイプの風よけだ、それよりも手袋の感覚だな、足はエンジン熱でなんとかなる」


「なんでこんなものに乗らなければならないんだ」


「仕事だよ、言っただろ?」


「車じゃだめなのか?」


「ダメだ、どうしてもバイクじゃないとダメなんだ」


「クソ、それにしてさむい」


「冷えるな、本番は3日後だ、しっかり乗りこんでおけ」


そう言ってジジイはjeepに乗り込んで消えた。


GSX-R600だけが残された、とてもさみしそうに見えた。


「とりあえず、お前の名前はウニだ」

とバイクに名前を付けてみた。ウニはちょっと嬉しそうにしている。


・・・・よし


俺は軽くジャンプして、膝をのばし、肩をまわし、ストレッチをした。それだけでは温まらなかったので、シュ!シュ!とシャドウボクシングのまねごとをして体を温めた。ウニを操る温度まで自分を上げていかなければならない。ウニはとっくにヤル気だ。


シャドウボクシング、ハイジャンプ、国道までのダッシュ、考え付く限りのアップを行い、体温が外気温を気持ちいいと思えるぐらいまで上がってきた。汗をかいてはいけない。きっとすぐに凍り、命を奪いかねないからだ。


重要なのは指だ。バイクで風にさらされると、まず末端が死に始める。冬山で遭難するよりずっと早く、あっというまに凍傷にかかるだろう。ジジイの持ってきた肉厚ウレタン製の手袋をはいた。スキューバダイビングのウエアにも使われる素材でできていて、風をシャットアウトし、体温を逃がさない。


よし、とウニにまたがった。


硬めにセッティングされたサスがわずかに沈む。5mmのスパイクが200本打ち込まれたオリジナルのタイヤの感触が尻に伝わってきた。ネックウォーマーを装着し、フルフェイスをかぶると外気の異常な寒さは気にならなくなってきた。


アクセル、クラッチ、ブレーキを操作し、ウニとのコンタクトを試みる。ウニはすべてに従順に答えてくれた。が、あくまで機械としての距離感を忘れない。GSX-R600はレーサーだ。たしか海外で作らせ逆輸入されたけど、すぐにGSX-R1000になったんじゃなかったか?そんなレアなスズキ車をジジイはどうしてこんなふうに使うのだろう。


「オッケー、アーユーレディ?」

と帰国子女のウニに声をかけ、ゆっくりとクラッチをミートさせていく。フルピンタイヤがゆっくりと回り、圧雪の道をとられていった。圧雪は良い。問題なのはここからだ。


国道に出た。ウィンカーをつけて待つ。いつもだったら入り込める隙間も、今回はスルーする。転倒しても、なるべく後続車に挽かれないためだ。右手の信号が変わり、右折車も数台で終わり、クリアになった。


どきどきしながらつるつるのブラックアイスバーンに乗る。何万台もの車にタイヤ摩擦で磨かれた鏡面だ。そこにピンヒールで立つような気持ちになる。コツリ、とスパイクの先端が氷に乗った。


スパイクの先端が氷をとらえていく。想像よりもしっかりと。確実にトラクションを生み出すことができた。接地面積は恐ろしく小さい。前後のタイヤに装着されているウニの針が、200㎏近い総重量を支えているのだ。


極めてピーキーなGSX-R600の特性に加え、この状況はヤバいとおもった。少しアクセルを開けるだけで、ウニはアマゾンのチーターのように吠える。低く構えて足を溜め、100m先の草食動物を狙うように。その潜在能力を俺が全く引き出していないのだ。


自分の両足をステップから外し、凍てついた地面近くまで下ろす。エンジン熱から離れて、俺の両足が凍りそうになるが仕方ない。夏ならば限界まで倒し、膝を擦りながらコーナーリングできるバイクだが、今ではこうするしか転倒を防ぐ方法はないのだ。


ゆっくりと交差点に進入し、左折しようとした。歩行者が異常なものを見る目でこちらを凝視する。まあ、無理もない。足を地面と接地させ、氷の上をスケーターのように滑らせながらウニをやや傾けた。


リアのピンが空回りし、氷の道路上をスライドし始める。俺は条件反射的にクラッチをつなげてトルクをかけようとした。夏ならば前進する力が生まれ、ジャイロ効果で転倒はしない。体に染みついた反射だった。


あっけなくリアの荷重が抜け、左側面が地面とキスをした。足を抜いていたので、ウニと地面のサンドイッチにはならないですんだ。「はは・・」と笑いが出てしまった。


「大丈夫ですか?」


と横断歩道を渡っていた男性から声をかけられる。


「ええ、ちょっと手伝ってもらえますか?」


と2人でバイクを起こそうとしたが、スケートリンクの上でバスケをするようなものだった。ウニのハンドルを持ち、男性にリアを持ってもらうが持ち上げることができない。


せーのっ!と力を合わせても、横についーっと滑っていくのだ。こちらも踏ん張りがきかず「あれ?あれ?」と力が逃げて行ってしまう。


こうしている間に後続車にひかれてしまう恐れがあるので、そのまま歩道のあたりまで押していった。汗が噴き出てくる。歩道ブロックにウニのタイヤが接し、やっと持ち上げることができた。


男性に感謝して一息つく。こいつは・・・・


はは・・・おもしろい


まさか、あんなスピード域で転倒するなんて夢にも思わなかった。


軽く倒しただけで、簡単に荷重が抜けてしまう。


グラム単位での前後荷重バランスを意識しなければウニを走らせることはできない。・・・3日後だと?あのジジイめ・・・


「・・・やってやろうじゃないか」


俺はウニのスタートスイッチを押した。


***

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