エスト!エスト!エスト!

@hdmp

第1話 俺・ジジイ・田島さん

バイクに乗り続けて5年。高校の暴走族から始まり、すぐに走りの魅力に憑りつかれ、深夜の飲食店やバイク便のバイトをしながら走り続けた。公道だけでは飽き足らず、レーサーを購入して週末の草レースにも顔を出した。そのためには金が必要だった。バイトを増やしても増やしても追いつかない。トランポするための車、レースごとのタイヤ、オイル、ガソリンetc・・・それでも腕だけでプライベーター連中をぶち抜き続けることができた。そんな時に出会ったのがジジイだ。


「おまえ早いな」


白髪のロンゲをポニーテールで結び、レーサーらしい筋ばった筋肉の塊である痩躯がツナギ越しでもわかる。マシンはCBR600ベースをチューンしていて、直線ではレッドゾーンを振り切るほど回していた。こっちはオーバーレブをするのが怖くてそんな真似はできない。直線になるたび追い抜かれ、追いつかれ、そして背景の人となった。つまりコーナーリングではそのパワーが逆にアダとなっていたのだ。


「馬力落としたほうがいいんじゃないですか?」

「イヤミか、ヤナ野郎だな」

「扱いやすいパワーのほうがいいってことですよ」

「ナメんなよ、若造、そんなことは100も承知で組んでんだよ」

「じゃあ、腕でしょ」

「知ってるよ」


じじいに缶コーヒーをおごってもらい、じじいのトレーラーの前で飲んだ。バイクの話、学校の話、仕事の話、女の話、将来の話、などをした。


「女も抱いたことねえのに、あの速さなのか」

「女どころじゃなかったんっすよ、バイクばっかりで」

「でもそれじゃあツライだろ」

「まあ、そんな時はバイクでかっとばします」

「ちんぽでタンクをへこますなよ」

「あはは!しねーって」

「いや、マジで昔のバイクは事故った時にちんこを圧殺していたんだよ」

「うわー、痛そうな話」

「だから今のタンクはあんな形なんだよ」

「そーいや流線形のまるい形ばっかっすね」

「だからお前みたいな奴ほど、はやめに女を知っておいたほうがいい」

「教えてくださいよー」

「甘えんな、でもバイクなら紹介できる」

「お、なんすか?」

「お前、今度の8耐に出ないか?」


じじいの話では、1人ぐらいなら知り合いのチームにねじ込めるかもしれないという話だ。もちろん俺はその話に食いついた。バイトをすべて辞め、半年間、レースだけに集中したのだ。


だが、結果は散々だった。いろいろ原因はある。


鈴鹿が初めてだった

本物のレーサーに慣れていなかった

本当に早い奴らと走る経験がなかった


いや、違う

そんな言葉でごまかしてはいけない


つまり、俺は遅かったのだ


ほかの2人のレーサーが稼いでくれたタイムを、俺の走りで失ってしまう。それは最悪の8時間だった、自我が崩壊していく8時間だった。


じじいが「ま、気を落とすな」と肩を叩き、俺を家まで送ってくれた。北海道旭川市、ここが俺の地元だが、仕事も、恋人も、何もない場所だった。


***


バイトもせず、かといってバイクに乗る気にもならず、俺は自分のアパートで腐っていた。頭の中は8耐の映像がくりかえし、くりかえし再生され、そのたびに「ぬわぁぁ・・・」とか「ぐわぁああ・・・」と頭を抱えてしまうのだった。


生活どころではない。買い物にも行けない。なにせ数分ごとにフラッシュバックが起こるので、そのたびに頭を抱えてうずくまってしまう。エンジン音もタイヤの音も毒だ。バイクなんて見てしまったらスーパーカブでも発狂しただろう。だからアパートで水を飲みながら、買い置きのカップラーメンをすするしかできなかった。


4日が過ぎ、カップラーメンをすべて食べ尽くし、体がゆっくりと死んでいった。極限状態の精神は、飢えでさらに鋭く、俺の体を殺していった。時間の感覚がなくなり、今が昼か夜かもわからず、やがて自分が誰かもわからなくなっていった。


そんな状態でも頭だけははっきりしていたようだ。だからジジイがかってに俺の家に上がり込んで、偉そうな顔をしながら「こんなこったろうと思ったぜ」とカッコつけて言ったのも覚えている。それからじじいにかつがれるように部屋を出て、車に乗せられ、病院に言ったのも覚えている。「栄養失調ですね」と医者が言って、看護婦が点滴を打ったのも覚えている。点滴が落ち終わった後でじじいがやってきて「大丈夫か」と言ったのも覚えている。そして、自分が発言した意外な言葉もしっかりと覚えている。


「くやしいです」


***


入院することなく、俺はじじいに連れられて街に出てきた。足はぎこちなくも動き、とぼとぼと体を前に運んで行った。じじいは和食の店に俺を連れて入り「まあ、なんか食えや」と出汁茶づけをオーダーした。運ばれてきたそれは優しくも華やかな味で、腹に染みわたる。俺はそれまでずっと涙を流していた。


「そろそろ泣くのをやめろ」

「ずいません」

「みっともねえぞ」

「・・はい」

「お前を推したのは俺だ、俺の責任だ」

「いえ・・」

「やめるなよ、お前のセンスがあれば次は勝てる」

「・・・・」


バイクに乗るのをやめることはできない。だが、今の精神状態ではバイクを見ることすらできないだろう。俺はこれからどうすればいいのだろう?


「バイクに乗ることは生きることだ」

「そうだ、お前にとってそれは間違いない」

「生きることはバイクに乗ることだ」

「そうだ、バイクに乗り続けろ」

「だけど、あのステージにはしばらくいけないし、今はバイクに乗ることができない」

「少し休めば乗れるさ」

「きっかけが欲しい」


「熱がほしい、バイクへの熱、あの情熱、8耐で消滅してしまったあの熱がないと乗れない、血を熱くするあの、レブが跳ね上がるあの、シンクロする心臓の、暴力的なあの加速の、すべてを感じることができるあの、あの熱が必要なんだ」


俺は言葉を必死に絞り出し、じじいにぶつけた。もう恥をかくことを気にすることはない。レースに出してもらい、その顔に泥を塗り、さらに命を救ってもらい、泣きっ面を見せつけて、おまけに励ましてもらっているのだ。これ以上の恥はないだろう。


じじいは俺の言葉を辛抱強く待ちながら、じっと俺の眼を見ていた。俺は心の中にあった言葉をすべて吐き出してしまった。じじいは獺祭を


くい


と口に含み「じゃあ、いくか」と店を出た。


***


ライダースジャケットを着るじじいの後についていった。サンロクの昭和通りを歩くと、いかにもなスーツを着たヤクザが「お世話になってます」と頭を下げる。「おう」とじじいはその横を立ち止まらず歩く。かっこいい人だな、と素直に思った。心が弱っている証拠だ。


一昔前の銀色がベースの宇宙船のセットのようなビルに入り、その地下の1室に入っていった。中は宇宙空間のように真っ暗で、電気をつけても黒がベースの色になっているのでたいして変わりはなかった。ぼにゃりとひかる淡い間接照明と、スマホの画面ぐらいの照度しかないライトがテーブルを照らしていた。そこのスツールに腰かけ、じじいは向かいのスツールに座れと命令した。


「ここはな、俺たちの店だったんだが、店長がいなくなっちまったから閉店中なんだ、いろいろ便利な店だから再開したいんだけどよ、なかなかいい人材ってのがいねえ」


とじじいはこっちを見る。

「飲食の経験はあるんだろ?」

「バイトでやってたぐらいだよ」

「それでいいよ、あとは教えてやる、それに本業は別にある」

「本業?」

「バイクに乗ることだ、得意だろ」


次の日から1歩1歩、俺の前進が始まった。


まず、紹介された店にバイトで入った。そこはぎょうざとカレーを出す昼がメインの飲食店で、そこで10時から19時まで働いた。その後20時からはバーでカウンターに立った。酒の知識を覚え、それに合うつまみを覚え、常連とのトークを覚えた。


2時に営業が終了し、常連と店長が酒を飲む横でシメ作業をした。終わるのは3時。それからアパートに帰ってすぐに寝た。どうやっても5時間しか寝られないからだ。


どちらかの店が休みの時も、やることは無限にあった。あの店の新規オープンまでどうやら3か月しかないらしい。それまでにメニューを作り、営業許可をとり、業者と契約をした。食品衛生責任者の講習も受けた。じじいはほとんど顔を出さなかった。これらの知識はじじいの部下である田島さんが教えてくれたものだ。


氷を丸くカットして、ラスティネイルを田島さんにテストしてもらっているとき「

あのジジイって何者なんですか?」と田島さんに聞いた。田島さんは体にフィットした高級なスーツを着ている。オールバックにした髪と彫りの深い顔立ち、色白の肌からどことなく蛇を連想させる人だ。そんな人が俺をにらみ「・・・知りたいのか?」と言うのだからちょっと怖気ずく。


あのジジイは何者なんだろう?カタギではないことは確かだ。金を持っているし、ヤクザが頭を下げるし、こんな店を何個か持っている。田島さんは「おやじ」と呼ぶし、ぎょうざカレーの店では「社長」と呼ばれる。


俺は知りたい。

興味が尽きない人物だ。

「知りたいっす」と田島さんに言う。

田島さんのこめかみに怒りの気配が漂う。


「仕事が始まれば・・・なんとなくわかるだろう」


これ以上聞くと、俺は田島さんからとんでもない暴行を受ける。そんな予感があった。思わずアイスピックを見る。俺の目線に気づいた田島さんは「刺さねえよ」と笑い、アイスピックを手に取り、俺の右肩を刺した。


「ぎゃ!」


と声が腹からでてきそうだったので、口を真一文字に結んで耐えた。


「!!」


ぐらいのリアクションだっただろう。田島さんは笑いながらアイスピックを引き抜き「大丈夫だ、神経は傷つけてない」と言う。


「でもな、アイスピックでも神経や臓器をつけば致命傷を与えられる、一番効果的なのは眼だな、一生、相手に恐怖を与えることができるぞ」


と、田島さんは自分の左目をくりぬいて笑う。義眼だ。誰にやられたかは聞けなかった。


店は、来週オープンする。


***



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