終章
妖の都を一望出来る山中。平地で勃発した大騒ぎなど我知らずとばかりに、風に揺られる葉の音が静寂を支配している。
そんな
「いやー、凄い燃えっぷりでしたねー」
「そうだな、燃えていたな」
「……いやいや、もうちょっと他にまともな感想ありません?」
軽薄そうな雰囲気を隠そうともしない男は、かつて崇徳の小間使いをしており、『
「もしかして機嫌悪いですか? あなたはこういう絡め手が好きじゃありませんもんね、酒呑童子様」
もう片方の影――酒呑童子は視線だけを横に移す。
「同じくらい、馴れ馴れしい輩も好かない。気を抜けばつい首をへし折ってしまいそうだ」
「おお怖い」
大袈裟に身を震わせる様はふてぶてしいを通り越して
「では少し真面目な話をば。実際のところ、良かったんですか? 崇徳も玉藻前もあなたの大事な獲物だったんでしょう?」
「ここを実験場に選んだのはお前だろう」
「いえいえ、それでも負い目は残るというものです――人間は気持ちというものを大切にしますからね」
にっこり。能面のように完璧な笑顔。だが、致命的なまでに人間味が欠けている。一般的には無表情と形容される酒呑童子の方が、まだ表情豊かだ。
「……崇徳は
「あの半妖の少女が、その可能性とやらですか? 確かに相当しぶといようではありますが、あなたが目をかけるほどですか? ぼこぼこにやられたって聞きましたけど」
「……あの刀」
「刀? 氷で作ってた小太刀のことですか?」
「…………」
それ以上の質問には答えず、だんまりを決め込む酒呑童子。傍助も大して興味があるわけではないようで、さっさと話題を変えてしまう。
「取り敢えず、今回の件は私の借りということにしておきます。私、これでも律儀なもので」
「勝手にしろ」
ここで話はひと段落したらしい。二人は踵を返し、今まで自分たちが暮らしていた都に背を向ける。
その拍子に、傍助の懐から紙切れが滑り落ちた。
「おっと」
傍助が思わず拾ったそれは、紙で作られた簡素な人形だ。都を留守にする玉藻から念の為にと渡されていたもので、何かあった時に破れば彼女へ連絡が行くようになっている。
もしこれを早い内に破っていれば、もしかしたら何かが変わっていたかもしれない。
「私を選んでしまったのが運の尽きでしたねぇ」
役目を果たすことの無かった人形を破ろうとして――
「おっと、破ると察知されるんでした」
そのまま風に乗せて飛ばしてしまう。小さな人形は景色に紛れてあっという間に見えなくなってしまった。
「それではさようなら、妖の都」
かくして、妖の都を揺るがした大事件は幕を下ろした。
玉藻は生き残りを集め、都を再建するつもりらしい。
楽な道のりではないだろう。当面の資源、歪だった人間との関係性、ちょっかいを出してきそうな外部勢力などなど、問題を挙げればきりがない。
それでも、彼女はやると言った。ならばこれ以上部外者が口を出すものではあるまい。妖には人間と比べ物にならないくらい長い時間がある。ゆっくり少しずつ元の形を取り戻していくのだろう。
さて、それじゃあ頑張ってねー、で終わる訳にはいかないのが花の都からやって来た部外者たちである。事は妖の都だけで収まる問題ではない。現地に居合わせた者たちは可能な限り正確な情報を集め、迅速にそれぞれの主へ伝えなければならない。
という訳で、当初の目的――霊脈の調査を早々に終わらせ、一行は帰路についていた。
「ねえ、小雪さん」
「何よ?」
「そろそろ離して……」
女神や巫女達が乗る馬車の中で、冷良は泣き言を漏らした。
同じ馬車には行きと同様に小雪が乗っている。ここまではまだいい。
だが、花の都へ帰還する道すがら、ずっと彼女の膝に乗せられているのは一体どういう了見か。
「私は全然疲れてないわよ?」
「うん、分かって言ってるよね? 心配なのは小雪さんの膝じゃなくて僕の名誉だから! 見てよ! 皆のこの、微笑ましいものを見る笑顔!」
例えるなら母乳を飲む乳児、母親に甘える幼児、七五三で精一杯おめかしする
しかし、生きとし生ける者にはすべからく身の丈というものがある。微笑ましさが合うのは幼子たちが未成熟であるから。分別を身に着け、立派に働き、異性が気になり始める男にとって、四方八方から注がれる生暖かい視線など、羞恥責め以外の何物でもないのだ。
我慢の限界が来た冷良は、芋虫のように身体をくねらせて小雪の拘束から脱出する。
「あっ、こら、ちょっと!」
そしてまた捕まり、うへーとげんなりするまでがお約束。
とはいえ、冷良とて曲がりなりにも(?)男、本気で逃げようと思えば離れるのは簡単なのが実際のところ。何なら馬車から出て歩けばいい。普段の運動量を思えば、徒歩の長旅も何のその。
それを実行しないのはひとえに、小雪が本気で嫌がるから。
霊脈へ落ちる直前に見た小雪の絶望した表情は、今も記憶に焼き付いて消えない。現世で再開し、人目もはばからず泣き出した時の姿もだ。
今だって、あからさまな動揺こそ表に出していないが、間近で触れ合えばその腕が小さく震えていることに気付く。あるいは本人でさえ無自覚なのかもしれない。
そこまで心配させてしまった身としては、何やかんや言いつつ望む通りにさせてやりたいのだ。その為ならこんな羞恥責めだって何のその……いや、耐えられてないからちょこちょこ逃げ出そうとするのだが。
「ねえ、本当に冷良は大丈夫なの?」
小雪が問いかけた相手は散瑠姫。
冷良は霊脈にいた間の記憶が曖昧だし、現世に戻ったらすぐに崇徳と戦い始めたので実感が薄くなってしまったのだが、霊脈から現世へ帰還した存在など神からしても常識外れな出来事らしい。
「……い、医官によると、医学的には、全く問題ないって。けど、霊脈は、現世よりも高い次元の、領域。影響を推し量るのは、難しい。私、世間知らずだから……」
しゅんと落ち込んだ散瑠姫に巫女達が慌てる中、幹奈が率先して話題を逸らす。
「その霊脈ですが、調査隊によるとどうやら人為的な干渉の痕跡があったようです」
「……もしかして、全部仕組まれてたってことですか?」
冷良の脳裏に妖の都を襲った異変の数々が蘇る。
突如現れて周囲を襲いだした武者たち。
いきなり狂暴化した崇徳。
大量に発生した地割れと、そこから噴き出す『悪意』。
多くのものが失われた。冷良も新しく出来た友達を失い、自分は生死の境を
もしそれらを意図的に引き起こした黒幕がいたのだとしたら――絶対に落とし前はつけさせる。
「まだ決まった訳ではありません。あくまで干渉されたことが分かっただけで、それがどういったものなのか、先の異変にどう関わっているのか、我々では全く分かりませんでした」
霊脈への対処は幹奈たち退魔士の領分だ。
調査隊における幹奈の役割は退魔士ではなく巫女頭だが、世界に類を見ない異変ということで彼女も調査には参加した。
幹奈が巫女だけでなく退魔士としても優秀であることは、他ならぬ冷良が一番よく理解している。
そんな彼女が加わって何も分からなかったということは、異変の裏で進行していた企みも尋常なものではなかったのだろう。
「……妖の都や、花の都だけで、済む話じゃ、ない。多分、次の『
神議りというのは、年に一度行われる神々の話し合いだ。数多くいる神々が一堂に会する唯一の機会であり、この時ばかりは全世界の注目が一箇所に集まる。
そして花の都にとっては、今後の運命を左右する重大な分岐点だ。
何せ、
――ということは冷良を始めとする巫女たち全員が重々承知しており、欠片の
「私たちも……無関係ではいられないでしょうね」
「そりゃあそうですよ、何せ散瑠姫様の今後を左右するんですから」
「馬鹿者」
何故か呆れるように溜息を吐かれてしまった。
「花の都としてではなく、私たち個人が無関係でいられないという意味です」
「……? ……?」
いよいよ向けられる視線が馬鹿を見るものに。
「ちょっと、もうちょっとかみ砕きなさいよ。馬鹿は一から十を百にするくらい丁寧に説明しないと理解出来ないんだから」
「助け船ありがとう小雪さん。でも今さらっと身内を罵倒したね?」
「罵倒じゃなくて愛情表現よ。ほら、馬鹿な子ほど可愛いって言うじゃない?」
「めっちゃ歪んでる!」
「だ、大丈夫ですわ冷良さん! あなたは凄く可愛いですから!」
紅の助け舟にうんうんと頷く巫女一同と散瑠姫。
だが、肝心な馬鹿という部分が否定されていない件について。
というか、この流れで凄く可愛いという評価は、遠回しに凄く馬鹿と言われたのと同義では? ついでに加えるなら、別に可愛いという評価も嬉しくない。だって男だもの。
と、話題がどこに向かっているのか分からなくなった辺りで、幹奈が両手を鳴らして注目を集める。
「話を戻しますよ。そうですね……まず冷良が言った通り、散瑠姫様の今後を左右する神議りは我々にとってとても重要です。しかし、他の神々からしてみれば、妖の都で発生した異変も重要な筈。ここまでは理解出来ますね?」
「はい」
散瑠姫も今回の異変は神議りで議題に上がるだろうと言っていた。
「異変の詳細については、神々たちも独自に調査はする筈。しかし情報源として一番貴重なのは、やはり現場に居合わせた目撃者の証言でしょう」
「ああっ、重要参考人ってことですね!」
推理小説なんかでよく目にする単語だ。
この表現は間違っていないようで、幹奈が小さく頷く。
「そして事件の真相を探るために重要なのは、複数の証言を照らし合わせることです。嘘をついている可能性は勿論、目撃者によって記憶の解釈が違うこともありますから」
「多角的に見るってやつですね」
「この場合、証言を聞く側は神々になる訳ですが……」
「そういう話ですもんね」
「……では、証言する側は?」
「散瑠姫様……と、他の重要参考人……た……ち……?」
散りばめられた情報の欠片が頭の中で像を結び、想像したくない光景を頭の中に浮かび上がらせていく。
「ええっと……もしかして、誰かが神様たちの前で話さないといけない、とか?」
「少なくとも、私とあなたは確定でしょうね」
「ぎゃー!」
冷良は頭を抱えて絶叫した。
考えてもみて欲しい。演説に慣れていない人間が、いきなり多くの聴衆がいる前に放り出された感覚を。そしてその一人一人が、本来であれば関わることさえ一生無いであろう雲上の方々である光景を。想像するだけで胃が破壊されそうだ。
「う~わ~! 聞かなければ良かったぁ~!」
まあ、何も知らないまま神議り当日に放り込まれても、脳が処理の限界を越えて無礼を晒すだけだっただろうが。それでも嫌なものは嫌である。
「あ~……全部忘れたい……」
「じゃあ現実逃避する? 私の胸の中で」
「…………」
一瞬だけ本気で悩んでしまった。気の迷いとはかくも恐ろしい。
「というか、何で小雪さんだけ我関せずって態度なのさ」
「実際、関係無いし? 現場にはいたけど、巫女や他の役人より優先する理由は無いでしょ」
ごもっとも。
「それに……」
ぎゅっと、冷良を抱きしめる腕に力がこもる。
「今は他のことなんて考えてられないもの」
小雪の疲れをにじませる態度に、冷良も感じ入るものがあった。
意識が未来に寄っていたが、妖の都における出来事は凄まじいものばかりだった。あたふたした帰路の間に心の整理など付けられよう筈もない。
それは冷良だけでなく、他の面々にも言えることだろう。
「後のことは後になって考えればいいの。今はとにかく――」
『花の都が見えて来たぞー!』
先頭から聞こえて来た知らせに、小さく笑みを浮かべる小雪。
「好きな相手に甘えて、甘やかして、のんびりしてればいいのよ」
あまり褒められたものではない理論に、けれど同じ体験を共有した者しかいない馬車の中には同意するような空気が満ちていく。
冷良が
帰って来れなかったかもしれない。いや、冷良に限って言えば、もう二度とこの光景を拝むことは出来ない筈だった。
だからこそ、胸からこみ上げてくる感情を抑えられなかった。
例えまだ早いと分かっていても。
「ただいま、花の都」
女装巫女奇譚 ゆー @kane1221
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