世の中持ちつ持たれつ

「いやー、まさか小雪ちゃんの身内だったとは」

「まさかは僕の台詞ですよ。小雪さんの古い知り合いっていうのが陽毬さんのことだったなんて」


 玉藻の客ということで慌てていた店員たちだったが、冷良が小雪の身内だと発覚すると落ち着きを取り戻し、にこやかに歓迎してくれた。

 そうして改めて陽毬と驚き合っていると、小雪が不思議そうに眼を瞬かせる。


「二人共覚えてないの?」

「「何を?」」

「旅の途中でこの都に立ち寄った時、冷良は迷子になったのよ。で、それを見つけて私の所まで案内してくれたのが陽毬ちゃん」

「うーん……?」


 冷良が首を捻ったのは、思い当たる節が無いからではなく、むしろ逆である。

 自分で言うのも何だが、昔『は』好奇心旺盛で無意識に小雪の傍を離れることが多かった。幾つかの記憶は断片的に残っているが、どれが何時、何処で経験したものなのかさっぱり覚えていない。

 一方、陽毬の方が何か思い当たる節があったのか、握った拳で手を打った。


「あ、あー! もしかしてあの時の子!? え、でもあれ? あの子って確か男の子だったような……」

(うげっ)


 当然だが、昔の冷良は男であることを隠していない。むしろ積極的に主張していた筈。昔から知られているのであれば隠しようもない。


「そこはまあ、これということで」


 口元で指を立て、意味ありげに片目を瞑る小雪。それをどう受け取ったのか、陽毬は慰めるように冷良の肩へ手を置いた。

 ……何気に、事情を知った上で労わってもらえたのはこれが初めてだ。優しさが胸に沁みる。

 さて、それはさておき。


「それじゃあ落ち着いたところで……そろそろ聞いてもいいですか?」

「まあ、気になるよねえ」


 玉藻の名前が出ただけで全員があの慌てよう。むしろ問いただす方が礼儀というものだ。


「とはいえ簡単なことだよ、玉藻様はこの店のお得意様なんだ。前にふらっと来店した時に、うちの油揚げが大層気に入ったらしくて。以来ちょくちょく来てくださるようになったんだ」

「ほえー」


 意外だ。あの妖しく艶やかな女性が、よく言えば質素、悪く言えば地味な店の、油揚げという庶民的な食べ物を気に入るなんて。夜の席で酒でも飲んでいる方がよっぽど似合いそうなのに。

 気になるのは、陽毬たちの玉藻に対する態度から、単なる上客以上の親しみを感じること。


「他にも何かあるんですよね?」

「鋭いね。玉藻様はその後、この店を自分の縄張りにしてくれたんだ」

「……んん?」

「他所の人だとぴんとこないかい? ここの住民からしてみれば、縄張りにしてもらうことは名前を借りられるってことになるんだ。玉藻様の縄張りで無法を働く馬鹿はそうそういないからね……あんたらが都にやって来た日は、新顔が因縁ふっかけてきたけど」

「え、大丈夫だったんですか?」

「ああ、運よく玉藻様がいらっしゃるところだったからね。外に吹っ飛ばして――後はあんたも知ってるだろ?」


 あまりにも衝撃的な印象を残した、妖の男と火の玉によるお手玉。あの時はただただ異様で、玉藻への畏怖と警戒を抱かずにはいられなかったが……。


「あたしらと似たような立場の店は他にも割とあるんだ。妖の都じゃあ後ろ盾のない堅気かたぎなんて、あっという間に食い潰されちまうからね」


 あっという間に食い潰されてしまう。

 陽毬の言葉はつまり――


「妖の都だと、えっと……がまかり通るのが普通なんですか?」

「普通……とは少し違うかな。必要な物は自分で調達する奴もいるし、普通に買い物する奴もいる。ただ、弱者から奪う方が手っ取り早いって考えるやつもいるってだけさ」

「弱者……」


 多分に想像の余地を残す単語を呟いた冷良に応えるように、陽毬は続ける。


「力の弱い妖――特に、他所からここへ逃げてきた連中は大体そうだよ」

「じゃあ、人間は?」


 脳裏に浮かぶのは都へ来るまでに立ち寄った集落の数々だ。身体は痩せて笑顔に力もない住民、村長宅でさえぼろぼろで隙間風の吹き付ける建物。清貧という単語で片付けるにはあまりにも痛々しい暮らしぶりは、良くない想像をかきたてるには十分だ。

 そして崇徳からぞんざいな扱いを受ける傍助という人間男性の姿や、都の粗暴な妖たちの振る舞いが、想像を確信に至らせていた。


「……冷良は妖だよね?」

「正確には半妖ですけど」


 この答えは予想外だったようで、陽毬も他の店員も目を丸くして冷良の姿を凝視する。


「……半妖なんて初めて見た。意外と普通なんだね」

「どんなのを想像してたんですか?」

「んー……尻尾に人間の頭が付いた蛇とか?」


 そこいらの妖なら裸足で逃げ出しそうな不気味さだ。


「近頃はそこまで珍しいものでもありませんよ。少なくとも、花の都ならたまに見かけます」

「氷楽庵の常連にもいるわよ」


 まだ年月が浅いので、人口に対する割合で見れば多くないし、見かけても子供ばかりではあるが、決して珍しい存在ではない。

 ただしそれは、花の都での話。


「妖の都だとね、まずありえない話なんだよ」


 陽毬の声色がわずかに暗くなる。


「多分、あんたが想像してる通りさ。妖力を欠片も持たない人間はここいらじゃ一番の弱者。大抵の妖は、人間なんて家畜くらいにしか思ってない。家畜と子供を作ろうなんて考えやしないだろ?」


 これは疑問ではなく単なる確認、だからこそ衝撃を受けたりはしない。

 それでも、現地で暮らす住民から実体験として語られる現実は、腹の奥に重しを乗せられたような不快感をもたらした。

 胸のもやもやを振り払うように、提供してくれた油揚げを一口。


「あ、美味しい」

「そりゃそうさ、親父は妖の都で一番の油揚げ職人だからね」


 妖の都で他の油揚げ職人なんているんだろうか? という疑問はさておき、歯から伝わるぱりぱりした食感と、舌に染み渡る特製らしいつけ汁の旨味は、確かに自慢したくなるのも仕方ないと思えるほどに美味だ。

 決して豪勢ではない、けれど素朴で奥深い味わいは自然と箸を進ませ、やがて余計な悩みも食欲によって頭の隅へ押し流されていく。

 結局おかわりまでして腹を満たし、食後にお茶をすすってほっと一息。この瞬間こそまさに至福、途中まで色々とあったか、これだけで城の外に出て良かったと思える。


「連れて来てくれてありがとうございました、陽毬さん」

「どういたしまして、こっちこそそれだけ喜んでくれるなら、こっちも連れてきた甲斐があるってもんさ。ちなみに、この後はどうするつもりなんだい?」

「そうですねぇ……」


 今日の予定を聞かれて冷良は改めて考え込む。

 散々な目に遭ってからはさっさと城に戻りたいと思っていたが、陽毬たちのような妖もいるのなら、もう少し都を見て回るのもいいかもしれない。勿論、治安が悪いのは事実なのでそれなりに警戒する必要はあるが……

 と――


「おーい陽毬、今日は材料仕入れに行くって言ってなかったか? まだ出なくて大丈夫なのか?」

「いっけね! 忘れてた!」


 弾かれるように立ち上がる陽毬を他所に、冷良はふと気になることがあって。


「仕入れってどこに行くんですか?」

「大豆農家さんのところだよ。油揚げの材料は豆腐、豆腐の材料は大豆だからね」

「農家さんって人間ですか?」

「農業をやる妖はいないからね」

(僕は見たことあるけど)


 まあ、妖の都に住んでいれば妖が農業するなんて発想が出てこないのも仕方あるまい。

 それはさておき、冷良が妖の都へやって来てから見かけた人間は城の小間使いたちだけ。他の人間の扱いも既に聞いたものの、具体的な暮らしぶりはまだよく知らない。


「あの、僕もついて行っていいですか?」




 陽毬の知り合いだという朧車に乗せてもらい、やって来たのは小さな集落だ。周囲を山林に囲まれており、これ以上発展する余地がなかったのがうかがえる。


「こんにちは村長さん、今年も来たよ」

「これはこれは妖様、お待ちしておりましたよ」

「……いつものことだけど、妖様はよしとくれよ。あたしはしがない化け狐なんだから」

「いえいえ、それでも我らからしてみれば雲の上の存在です」

(ひ、卑屈すぎる……)


 冷良の目から見ても、陽毬はごく普通の妖だ。彼女でさえ、都では玉藻の庇護ひごが必要な弱者だというのに。


「こちらの方は……」

「あたしの客だよ。花の都から来ててね、この辺の暮らしぶりに興味があるからって付いて来たんだ」

「さようでございますか。ご要望があれば何なりとお申し付けください。妖様の言葉を邪険にするような者などここにはおりませんので」

「ど、どうも……」


 まだ種族は口にしていないのだが……人間離れした容姿で妖だと認定されてしまったらしい。


「もう収穫は終わってるかい?」

「終わっています。ですが……その……」


 陽毬が尋ねると村長は気まずそうに口ごもった。首を傾げる冷良と陽毬に対し、見れば分かりますと踵を返す。

 案内された先は集落共有の食糧庫だ。集落で採れた食料は一旦ここに収められ、必要に応じて世帯毎に分配されていくのだとか。

 村長が蔵の戸を開くと、四人家族を半年は丸々まかなえそうなほどの食料が目に入った。


「おお、凄くたくさ――」

「――少ないね」


 素直な感想を漏らしたところで、陽毬が正反対の感想をかぶせてきた。


「多めに見積もっても去年の六割くらいだ。去年だってそう余裕があったわけじゃないだろ? これじゃあ余裕どころか、冬を越せるかすら……」


 そうだった、ここにあるのは集落の全世帯をまかなう分だった。

 冬。冷良にとって一年で最も活力の出る楽園であっても、人間にとっては冷気に凍え、あらゆる実りが失われる牢獄。そこで命を繋ぐのが、秋の蓄えだ。


「今年は本当に巡り合わせが悪うございました。日照りが続いたかと思えば滝のような大雨や台風、気温も安定せずあらゆる作物が不作。しかも、集落で名うての猟師たちが、今年に限って得物を大して取れない有様……」


 冷良は今まで――花の都に定住する前ですら、明日の糧を不安に思うような体験はしてこなかった。

 だからこそ、今まさに明日への不安を抱える者へかけるべき言葉が見つからない。


「あらゆる作物って言ったね? じゃあ大豆も?」

「はい、あなた様にお分け出来るのはそれくらいでして……」


 村長が指差した倉庫の隅には、他の食料と分けるためだろう、中身の詰まった麻袋が六つ置かれていた。

 陽毬がその内の一つに近寄り、口を開いて中身を検分する。手持ち無沙汰なので冷良も傍にしゃがみこんで見学することに。


「……」


 陽毬は匂いを嗅いで、一粒だけ摘まみ上げて、手触りと見た目を確認してぱくり。大豆を咀嚼そしゃくしながら徐々に曇っていく表情を見るに、質の方も決して良くはなさそうだ。

 陽毬はしばらく無言で何かを考え込んでいるようだったが、やがて意を決したように立ち上がって村長に向き直る。


「それじゃあ、商談といこうか」


 食糧庫の外に出ると、来客の存在を察してか住人たちが集まっていた。自分たちの先行きを心配して、その表情は一様に暗い。例外は事情を知らない子供くらいだ。

 陽毬が朧車を呼び寄せ、顔を消してもらってすだれを開く。中身は肉や野菜を中心とした様々な食糧、これら全てが大豆の対価として彼女が持参してきた物だ。

 とはいえ、これらは大豆の収穫が例年通りであることを想定したもの。縋るような目をしている村長や住人たちには気の毒だが、渡せるのは対価相応分だろう。

 陽毬が紙に何かを書いて村長に見せる。


「今回の出来だと……こんな感じかな?」

「え!? こ、これは……」

「不服かい?」

「いえいえ滅相もございません!」


 慌てる村長に住人たちが不安そうにする中、集落の男衆たちによって荷降ろしが進められていく。

 だが、曇っていた住人たちの表情は、朧車の積み荷が半分をきった辺りで驚きに変わっていく。冷良も同様だ。

 止まらない、そろそろ終わりだろうという段階になっても、まだまだ荷は降ろされていく。

 最終的に残ったのは、保存食の入った樽が二つばかり。決して少なくはないが、初めの量を考えればまさに申し訳程度だ。


「いいんですかこれ? すごい大損なんじゃ……」

「あたしらは助け合いでどうにか生きてるんだ。ここで知らん顔なんてしたら、都で威張りくさってる連中と一緒になっちまう」

「店の人たちには何て言います?」

「…………説得する!」


 残念、あっちこっちに目が泳いでいなければ格好良く決まっていたのに。

 とはいえ、行いそのものは素直に尊敬出来るものだ。住人たちが思わぬ施しに喜んでいる中で『それで十分ですか?』と尋ねる勇気は無いが、どうか無事に冬を越して欲しいと思う。

 そうして冷良が集落の無事を願っているところで、唐突に『それ』は来た。


「きゃっ!?」

「うわっ!?」


 一瞬、地面の中にいる何かに攻撃されたのかと思った。

 だが、地面に膝を付いてもなお収まらない衝撃は、この場にいる者たちに共通の認識を与える。

 揺れているのだ。何もかもが不安定な世界の中、数少ない安心して身を任せていられる存在である筈の、大いなる大地が。

 あちこちから響き渡る悲鳴、振動によってかき乱され曖昧になる現実。まるでこの世の終わりを具現したかのような光景は、時間にすれば決して長くなかったのだろう。だが、揺れが収まるその時までの体感は、永遠と呼んでも差し支えないほどに長かった。


「……収まった?」


 住人の誰かが発した確認の声を皮切りにして、仮初めの落ち着きが広がっていく。

 ――そんな人間たちを嘲笑うように、衝撃が再び空間を揺らした。

 ただし、二度目の揺れは初回とは比べものにならないほど小さい。この場にいる者たちの意識を占拠したのは、食糧庫の背後へ広がる山から聞こえてきた地鳴りのような音だ。

 視線を上げてみれば、山がうごめいてこちらへ向かっているように見える。

 一瞬遅れてそれが土砂崩れだと皆が気付いた頃には、崩壊する斜面の範囲と規模はどうしようもなく広がっており、ふもとにいる者たちが逃げる場所はどこにも残っていなかった。

 ――だからといって呆然自失となるほど、冷良がくぐり抜けて来た修羅場は甘いものではなく。


「――っ」


 動く。頭を駆け巡る思考を言語化する暇もなく、ただ導き出された結果へ向かって今自分に出来る全力を叩き付ける。

 すなわち、冷気の瞬間放出。


「でぇえええええええええい!」


 放たれた極寒の冷気が土砂を包み込み、凍てつかせる。

 だが、 勢いが緩んだ気配を感じたのも束の間、全体の流れは止まらない。

 そもそも、動いている物を凍らせるのは存外難しい。圧倒的な冷気でもぶつければ話は別かもしれないが、相手は自然災害そのもの、一人の半妖が操る冷気とは力の規模が違う。

 手応えから土砂そのものをどうにかするのは無理だと瞬時に結論を下し、ならばと自分たちを守るように氷の壁を作り出す。


(お願い、これで……っ)


 迫る土砂はもう目の前、他の手段を試している暇はなく、事ここに至ってはもう気合を入れるしかなかった。

 そうして、災害は咆哮と共に平地を襲った。道も、雑草も、収穫の終わった畑も、木々も、野生動物も、区別することなく、平等という名のもと無慈悲に土砂の中へ沈んでいく。全てがごく短い時間の出来事だ。

 そんな中で、氷の壁に守られた小さな区画だけ、まるで穴が空いたように難を逃れていたのだが――


(やばい、押し負ける!)


 咄嗟のことで妖力を練り上げる時間が足りなかったからだ。この氷は大した強度を持っていない。

 氷にひびが入る。それが全体に広がっていくまでの時間がやけに長く感じて――

 ――だからこそ、不意に全身を襲った暴風はまさに青天の霹靂へきれきであり、冷良の意識を真っ白に塗りつぶした。

 台風なんて目じゃない、体重の軽い冷良くらいなら文字通り吹き飛ばしてしまうほどの風力。足を氷で地面に固定すればどうにか耐えられるが、目は流石に開けていられない。顔を腕でかばいながら、陽毬たちの無事を祈るのが精一杯だ。

 地震と同様に暴風が吹き荒れていた時間も長くはなかった。そして、更なる追加の災害という悪夢へ発展することもなかった。

 ようやく意識に余裕を作ることが出来た冷良は、何よりも先に陽毬や住人の安否を確認する。最後に見た位置から大きく移動している者もいるが、ぱっと見て姿が消えた者はいないので取り敢えず一安心だ。

 ただ、その内の数人が恐怖で顔を引きつらせて空中を凝視していたので、つられて冷良の視線も上の方へ。

 そして住人たちと感情は違えど、冷良もぎょっと目を剥くことになる。

 羽ばたく漆黒の翼と特徴的な長ッ鼻。こちらを見下ろしていたのは、妖の都に君臨する大天狗こと崇徳だった。

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