無法地帯を(見た目)いいとこのお嬢さんが歩いていれば、そりゃあこうなる

 霊脈とは各地を巡る力の流れであり、世界の血管のようなもの。

 正直なところ、数日前に幹奈から聞いた霊脈の概要を、冷良は正確に理解しているとは言い難かった。

 だが、今はその一端を身に染みて実感している。

 城の一つは余裕で収まりそうな地下の大空洞。縄で厳重に封じられた区画の中に、巨大な亀裂が空いている。

 松明の光など決して届かないであろう地下の地下。けれどそこから覗くのは深淵《しんえん》の如き暗闇ではなく、淡く鮮烈な燐光だった。

 冷良の記憶で一番近いのは光苔《ひかりごけ》だ。暗く湿った場所に生息する珍しい種で、その名の通り暗闇でもはっきり分かるくらい緑色に光る。

 とはいえ、近しいのは色味くらい。

 光源は地中深くだというのに、溢れる光の強さは地下で松明を必要としないほど。かといって太陽のように眩しいということもなく、眺めていると不思議な心地よさがある。なだらかにたゆたう揺れが、そう感じさせるのだろうか?

 光の海。不意に、そんな表現が脳裏をよぎった。


「これが霊脈ですかー」

「冷良さん、はしゃぎすぎては駄目ですわ。調査の邪魔にならないよう、大人しくしていませんと」


 時々思うのだが、紅は冷良を悪戯いたずら小僧こぞうか何かだと思っていないだろうか?

 それはさておき、神秘的で浮世離れしたこの地下空間も、今は大勢の人間が出入りしてまさに作業現場といった様相だ。紙垂しでの付いた杭を突き刺したり、地面に謎の紋様を描いたり、何かの記録を書き記したり。素人にはさっぱり理解出来ない作業が粛々と進められている。

 それを離れた場所から見学しているのは、ここまで案内してきた玉藻前と、視察という名目で付いて来た散瑠姫、それに傍付きとして冷良と紅だ。

 散瑠姫の役割は調査隊と共に妖の都へ来た時点で既に果たしている。本人が望むのであれば、調査が終了するまで城に引きこもっていても別に構わないのだが、誰もが予想だにしない問題があった。

 来るのだ、奴が。あの、傍若無人を絵に描いたような大天狗が。

 どうにも、滅多に無い客人、しかも女神ということで興味を持たれてしまったらしく、城にいるとやたらとちょっかいをかけてくるのだ。

 しかし、晩餐の時は上手く受け流したとはいえ、内気な散瑠姫は崇徳すとくのような相手が苦手だ。そうでなくとも、いつ爆発するか分からない爆薬のような男を散瑠姫の傍に居させるのはあまりに怖い。

 ということで、散瑠姫は無理やりにでも用事を作る必要があったのだ。残った幹奈たちは今頃冷や汗を流しながら崇徳の相手をしていることだろう。


「この緑色の光が、世界を巡る力ってやつなんですよね。妖力や神力とどう違うんでしょう?」

「わ、私もそこまでは知りませんわ」


 ついうっかり幹奈を相手にした時のように質問してしまった。よくよく考えれば妖でも神でもない巫女に求めるには酷な知識だったか。

 そんな冷良の失敗を助けるように、散瑠姫が説明を引き継ぐ。


「……れ、霊脈は、妖力や神力みたいな、現象の燃料とは、根本的に違うの。三次元とは別の方向に伸びた情報そのもの……えーと、世界全部の記憶? 源そのもの? で、緑色の光に見えるのも、私たちがそうとしか認識出来ないからなの」


 どう? 分かった? と目線で問いかけてくる散瑠姫。当然ちんぷんかんぷんな冷良たちは曖昧な表情しか返すことしか出来ず、得意げだったその瞳が瞬く間に涙で溺れていく。


「……えーとえーと、だからね、あのね、霊脈は妖力や神力とは全然違っててね……」


 少なくとも散瑠姫が感覚派だということはよく分かった。

 これには冷良と紅もあたふた。


「神々の感覚でしか捉えられへん……つまり世界の理そのものと結びついた根源的な何か。そういう認識でよろし?」

「……!」


 嬉しそうにこくこくと頷く散瑠姫。

 だが、その相手を確認して冷良たち共々冷や汗を流すことになる。


「へぇーえ、霊脈に何かするつもりはあらへんけど、興味深い話やわぁ。神々なんて切った張ったでしか関わったことあらへんし」


 そこにいるのは面白いことを聞いた、あるいは見たと言わんばかりの笑みを浮かべる玉藻前の姿。

 周囲に大勢の人間がいるのだ、聞かれてまずい内容ではないのだろう。

 ただ、散瑠姫は泣き虫なんて印象を持たれては面子が丸つぶれだ。三人で『何てことはありませんよー』と全力で取り繕う。


「ほな、作業の邪魔になってもあれやし、そろそろ引き上げよか」


 幸い玉藻前からそれ以上の突っ込みは入らない……が、口元に浮かべられた笑みが胡散臭すぎて、もはや素なのか含みがあるのが分からなくなってきたのが怖いところ。

 全員で踵を返して上り坂を少し歩くと、すぐに霊脈の光も届かなくなるが、先導する玉藻前が火の玉を出してくれたので灯りには困らない。

 やがて外に出た先に広がっていたのは、木々の生い茂る森だ。位置的には妖の都の外れ、霊脈に繋がる洞窟があるのであえて手を付けず残しているそうだ。


「そういえば、大事な場所なのに見張りとかはいないんですね」

「うちら三人が絶対入るなって厳命しとるからなあ。妖の都でこの意味が分からん命知らずはおらんて」


 実際にそれだけで事足りているのだろう。力と恐怖による支配の異質性を垣間見た気分だ。

 静かな森に冷良たちの足音だけが響く。あちこちで暴力の気配が見え隠れする妖の都の中にあって、ここだけは空気が澄んでいた。

 そうして束の間の安らぎに身を任せていると、頬を撫でた風の感触に違和感を覚えた。目で見える景色と肌で受けた感触に齟齬がある気がしたのだ。


「……?」


 風が吹いて来た方を凝視しても特におかしな点は確認出来ない。ならば実際に行ってみるしかあるまい。

 好奇心の赴くまま整えられた道を外れ、生い茂る草木をかき分けながら進むごとに違和感が大きくなり、そろそろその原因まで辿り着きそうだと思った時――


「なーにしてはるん?」


 不意に背後から顎の下に手が回された。

 冷良は幹奈に戦い方を学んでから感覚が鋭敏になった。森のような視界の悪い場所では、無意識に周囲の気配を探る習慣が身に付いたくらいだ。

 だというのに、玉藻前の接近には全く気付けなかった。


「えと……な、何だか妙な感じがして気になりまして……」

「そやかて急にいーひんくなるんは良うないんちゃう?」

「ま、全くもってその通りで……」


 反論の余地もない正論だった。散瑠姫と紅も心配しているかもしれない。


「ちなみに、この先には何があるんですか?」

「特に何もあらへんよ。ただ森が続いてるだけ」

「そうなんですか? でも森にしては風が強すぎたような……少し気になるので、ささっと見てきます」


 ちょっと見てくるだけ。軽い確認のつもりで駆け出そうとした冷良は、玉藻前に掴まれていた手が顎から外れず後ろのめりになる。


「うちが何もあらへんゆーたら何もあらへんのよ」

「け、けど、今は何か起こってるかもしれませんよ? あ、余計なことは絶対しません、ちょこっと見てさっと戻ってくるつもりです」

「一応ここは重要な場所やさかい、あんまり部外者を好きにさせるとな? 色々と示しがつかへんのよ」

「政治的な話ですか」

「そうそう♡」


 それを持ちだされると引き下がるしかない。


「それじゃあ後で調査隊に知らせておきますね」

「うちがやっとくわ」

「けど、僕の方が話はしやすいと思うんですけど……」


 別に冷良は玉藻前に反発したい訳ではない。安全と手間の削減、ひいては相手への善意によるもの。


「――あんまり、やんちゃしなや」


 対して玉藻前の口調は相変わらず軽やかで、優しく言い聞かせているかのよう。

 けれど僅かに細められた目が、僅かにつり上がった笑みが、顎から僅かに首筋へ移動した指が、これ以上の口答えを許してくれなかった。

 命を握られているような感覚。きっと自分は今、触れてはならないものに触れようとしている。

 うかつに言葉を発するのもはばかられて、冷良は無言でこくこくと頷いた。


「よろしい、えー子えー子」


 優しく頭を撫でられる感触は咲耶姫の時と違い、安心感とはほど遠かった。




 例え奉神殿を離れようと、いや、勝手の分からない他所の土地だからこそ、女神が不自由なく過ごせるよう尽くすのが巫女の役目だ。

 とはいえ、それなりに長い滞在期間で休みなしともなれば巫女たちが潰れてしまう。花の都の奉神殿はそういった労働環境にうるさい方だ。

 なので、妖の都にいる間も巫女たちは順番に休みを取っている。これが旅行だったなら観光を楽しむのもいいが、あいにくここは悪漢が跋扈ばっこする妖の都。玉藻前たちから手出しを禁止されているようだが、喜んで外へ出ようとする者はいなかった。

 ただし、それは不安が先立つ大人しい者の話。

 自分の腕前に自信があり、不安より興味が勝る楽天的な者は、外へ出ることにためらいなどしない。


「とはいえ、どうしたもんか……」


 巫女たちの楽天家代表こと冷良は、目に痛い妖の都の景色を前に溜息を吐いた。

 妖の都は社会性を必要としない妖が集まって成り立つ都だ。

 それはすなわち、まともな経済活動が行われていないということであり、客を楽しませる意識が欠片もないということでもある。

 道を行き交う大勢の妖や派手派手しい建物など、花の都にない景色は新鮮で、見ているのが楽しくないわけではないが、逆に言えばそれだけ。

 驚きなのが、立ち並ぶ建物における店舗の割合が異様に少ないことだ。他は全て多種多様な住居。住民が集まる都の中心部や目抜き通りといえば、最も経済活動が活発な場所である筈なのに。

 つまるところ――飽きた。多少目新しいだけの住宅区を延々と歩いているだけなのだからさもありなん。

 しかも――


「んだとごるぁ!」

「やんのかてめぇ!」

「お、喧嘩か?」

「やれやれ! 殺っちまえ!」

「おらおら! いつまでにらみ合ってんだ! 二人共腰抜けかぁ!?」

「あっちが勝つ方にあい三匹」

「じゃあ俺は反対側にかも一匹だ」


 見るからに荒っぽい妖たちが胸倉を掴み合い、集まった見物人たちが下品に野次を飛ばす。

 似たような光景がこれで三回目だ。まだ城から出て大して時間は経っていないのに。ここは無法地帯か。そりゃあ他の巫女たちが外に出たがらないわけだ。冷良もそろそろ後悔し始めている。

 厄介ごとに巻き込まれないよう早歩きでその場を離れると、不意に肩を掴まれる。


「よう嬢ちゃん、やけにいいもん着てんじゃねえか」


 残念、別の厄介ごとが向こうからやって来た。

 ちなみに冷良が着ているのは以前瓊瓊杵から渡された外套がいとうだ。確か火鼠の衣と言っていたか。火に強く、下手な鎧よりもずっと頑丈ということで念の為に選んだのだが、どうやら逆効果だったらしい。


「親切な方に譲ってもらったんです」

「ほう? けどな、お前さんが持ってても宝の持ち腐れだ。俺様がもっと有効に活用してやるよ」


 一方的な論理をまくし立てて無遠慮に衣の裾を掴まれそうになり――すかさず氷の小太刀を突きつける。


「うがっ!?」

「女の服を奪うなんて不届き千万だよ」


 実際は男なわけだがそれはそれ、男の風上にもおけない輩に容赦する必要もなし。


「て、てめえ、雪女か……っ」

「そゆこと」


 正確には半妖だが口にするとややこしくなりそうなので黙っておく。


「どうする? まだやる?」

「く、くそっ、覚えてやがれ!」


 定番にもほどがある捨て台詞を吐いて走り去っていく妖の男。

 ちなみにこれで二回目である。捨て台詞なんて一言一句同じ。ここまで来ると三回目がどうなるか気になって……こない。ただひたすら勘弁してほしい次第。

 冷良はため息を吐いた。玉藻前たちから客人に手を出さないようお触れが出ているのではなかったのか。彼女らを怒らせることの意味が分からない馬鹿はいないのではなかったのか。馬鹿なのか、度を越えた馬鹿ばかりなのかと考えた時点で、そういえば自分が私服だったことを思い出す。そりゃあ花の都から来た客人だとは分からない。


「……帰ろかな」


 着替えに戻ってもう一度くり出す元気はもう残っていなかった。

 と、踵を返そうとしたところで、冷良の鼻孔びこうを香ばしい匂いがくすぐった。同時に、育ち盛り男子の胃が空腹を主張する。


「も……もうちょっとだけ」 


 欲望に忠実、これ心身充実の秘訣なり。

 匂いに導かれるまま半ば無意識に歩いて行く冷良だったが、とある建物へ足を踏み入れそうになったところで我に返った。

 軒下には様々な動物の骨が吊り下げられているが、外壁は木材の風情ある地そのままの落ち着いた雰囲気の建物だ……いや骨って何だ、客に呪術でもかますつもりなのか。

 それはさておき、外側から様子を伺う感じだと食事処というよりは居酒屋に近い店らしい。酔った笑い声の溢れる雰囲気やむせ返るような酒精の匂いは、一般的な食事処にはない独特なものだ。

 冷良はこういう場所とは無縁だ。何せ酒場とは歳を重ねた大人たちの遊び場であり社交場、冷良は自分が大人だと自惚うぬぼれるつもりはない。

 とはいえ、居酒屋だからって提供しているのが酒だけということはあるまい。ここへ来て一層濃くなった匂いがその証拠だ。濃厚なたれの匂い。肉か魚か、いずれにせよばっちこい。

 残された問題は、見るからに雰囲気が一見お断りというかその筋のたまり場というか、にこやかにこちらを受け入れてくれる気がしないということだが……既にがっつり掴まれた胃袋がこれ以上のお預けを拒否している。単発だった腹の虫は今や劇団もかくやの大合唱だ。

 ならばやるしかあるまい。

 意を決して店に足を踏み入れる。

 途端、賑やかだった店内が一斉に静まり返った。

 自分たちの空間に突然割り込んできた異端者。一体何の用だ? と。値踏みしてくる大量の視線が、客たちの拒絶に寄った心境を雄弁に物語っている。

 怯んではいけない、ここで自身の異端性を浮き彫りにしてしまえば、そのまま排斥されてしまう。

 受け止めるのではない、溶け込むのだ。異端者から客の一員となり、何食わぬ顔で食事を楽しむ。

 何食わぬ顔で視線を引きずりながら空いている席に着席し、きざな笑み(参考:瓊瓊杵)を浮かべて一言。


「店主、今日のおすすめと牛乳を一杯、甘味があるならそれも貰おうか」


 つまみ出された。


「家に帰っておっ母の乳でも飲んでな、お嬢さん」

「え? ちょっと!?」


 慌てて追いすがろうとするも店主は既に店の中。そして店内の雰囲気そのものが完全に冷良を拒否していた。

 切なく鳴く腹の虫。いや、これは泣いているのか。少なくとも冷良は泣きたい気分だ。極上の皿を目の前で取り上げられた悲しみはまさに絶望の一言。

 すぐに気分を切り替えられず、しばらく未練がましく店内を覗いてしまう。

 と――


「ちょいと、そこのあんた」

「はい?」


 不意に冷良に声をかけてきたのは、勝気な印象の女性だった。裾は太ももが見えるほどに短く、胸元は大きく開いた襟の下からさらしが覗いている。

 そして一番特徴的なのが、玉藻と同じ耳と尻尾だ。こちらの尻尾は一本だが。


「この店はれた連中のたまり場だよ、あんたみたいに目の綺麗な奴じゃ追い出されて当然さ」

「やっぱり駄目かあ……」


 再び鳴るお腹。なまじ食にありつけると思っただけに落胆もひとしおだ。

 今日のところは諦めて城に戻るしかあるまい。願わくばすぐに摘まめる食べ物が用意されていますように。


「あんた、腹減ってんのかい?」


 踵を返して歩き出そうとした冷良を女性が呼び止める。


「むしろこれでお腹が減ってないと思いますか?」


 空腹で若干やさぐれ気味の冷良に同調するように、腹の虫劇団が壮大な熱唱を披露した。女性も流石に引き気味である。


「ああうん、これはあたしが悪かった。あたしは陽毬ひまり、ええと……」

「あ、冷良っていいます」

「冷良だね。もし冷良が良かったら、うちに来ない?」

「陽毬さんの家?」

「そそ、うちは油揚げを売ってる店でね。豪勢とはいかないけど、味は保証するよ」

「……」


 申し出そのものはありがたい――が、既に妖の都の流儀というものを嫌というほど味わった後。まず疑うのは善意ではなく謀略の類だった。

 冷良の内心を察してか、陽毬と名乗った女性は安心させるように苦笑する。


「別に取って食いやしないよ。あたしも虐げられる側だったからね、同類を放っておけないってだけさ」


 ぱっと観察した感じだと、悪い輩には見えない。というより、(見た目は)非力な少女である冷良をわざわざ罠にかけるくらいなら、力づくでどうにかした方が早いか。


「……ごちそうになります」


 短い逡巡の末に食欲を取った冷良は、快活な笑みを浮かべて踵を返した陽毬に続く。

 歩いていたのはそう長い時間ではなかった。


「着いたよ、ここがあたしら一族の出してる店さ」

「おー……あれ?」


 初めて来た筈なのに何故か見覚えがある。

 一体いつ見たのかと記憶を辿ってみればすぐに答えはでた。


「あ、前に玉藻前……様が出てきた店」


 忘れもしない、馬車に乗って都入りしたあの日。冷良たちに衝撃と畏怖を刻んだ女性が姿を現したのが、この店だった。


「あれ、あんたあの場にいたのかい? そういえば、あの日は大量の馬車が外を通ってたけ……ど……」


 記憶を掘り返しているらしい陽毬の表情が、店の戸を開く直前で固まってしまった。


「もしかしてあんた――いや、あなたは……いいところのお嬢様?」

「いやいや――」


 ただの庶民ですと続けようとした冷良は、ふと身近な面々の顔を思い浮かべた。

 良家のお嬢様である同僚たち、そんな彼女らを統率する巫女頭の幹奈、そして咲耶姫と散瑠姫の女神姉妹。最近で言うと妖の都を牛耳る大妖怪たち三人と対面で食事をした。後半は特に、お目にかかることすら滅多にできない天上の住人ばかりである。

 そんなお歴々と近しい立場で、ただの庶民? 自分のことながら、そんな庶民がいるわけあるかと突っ込みたくなる話だ。

 とはいえ、自分からやんごとなき立場の者ですと主張するのも格好良い行いではない気がする。

 なら、明確な事実だけ伝えて後の反応に任せておくのが無難か。


「女神に仕えていて、玉藻前様、酒呑童子様、崇徳様と対面で食事するような立場です」

「全員早急におもてなしの準備! 茶葉は最高級、お茶菓子も忘れないように!」


 嘘は言っていないが、多分何かを間違えた。

 店の戸を開けるなり一気にまくしたてる陽毬に、身内であろう耳と尻尾の生えた店員たちは揃って唖然としている。

 同じく状況に付いていけない冷良は、あれよあれよという間に店内の椅子に座らされた。


「どーしたどーした陽毬、いきなり帰って来たと思ったらぎゃーぎゃー騒いで。さっき飯食いに行くって出たところじゃねえのか?」


 代表で陽毬に事情を聞くのは頑固そうな顔立ちにいい感じの皺が入った渋い男性。他の店員と違ってどっしりと安定した物腰は、冷良が日頃から想像している『良い男』からは少し外れているが、こういったいぶし銀っぽい方向性もありといえばありだ。


「何ちんたら突っ立ってるのさ親父! 客だよ客! それも玉藻様の客だよ!」

「やべえ菓子はさっき包装開けちまった! 食べかけのやつでも大丈夫か!?」

「大丈夫なわけあるか!」


 ぱこーんと殴られた男性は、その身をもって『儚い』という単語の意味を教えてくれた。本当に、憧れとは儚いものだ。

 彼に限らず他の店員も、陽毬の口から『玉藻様』という単語が出た瞬間に大慌て、決して広いとは言えない店内を右往左往している。

 と――


「ちょっと、どうしたの? こんなに騒がしく――って、冷良?」

「小雪さん!?」


 店の奥から姿を現したのは、知り合いのところに泊まると言っていた小雪だった。

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