傍若無人の大天狗

 意外と言うべきか、案内されて辿り着いた城は瓦ぶきの屋根に白い外壁と、真っ当な見た目をしていた。散瑠姫と冷良たちにあてがわれた客間も、やや派手だが十分上品と評価出来る内装だ。

 ちなみに、部外者の小雪は途中で離脱したので城にはいない。件の知り合いとやらの所に泊まるらしい。

 荷をほどき、散瑠姫と自分たちの身なりを整え、ひと休みして長旅の疲れを癒していると、あっという間に晩餐ばんさんの時間がやって来た。


「ば、晩餐の準備が整いましたので、大広間におこしください」


 部屋の外から声を掛けられ、立ち上がった散瑠姫の後ろに幹奈と冷良が並ぶ。残りは巫女にあてがわれた部屋で留守番だ。

 散瑠姫がふすまを開け、この城で働く小間使いらしい男の姿が目に入ると、冷良はおや? と首を傾げた。


「あれ、人間?」

「は、はい、じ、自分は人間でございますが……何か問題がおありでしょうか?」

「ああいえ、妖の都にも人間がいるんだなーって」

「は、はい、妖様たちでは出来ない仕事もありますので」


 ……妖様?

 妙な敬称に更なる疑問を抱いたところで幹奈に肘で小突かれ、今は大広間に呼ばれている最中だったことを思い出す。

 小間使いの男に案内される道すがら、その猫背気味な背中を眺めながら冷良の脳裏を疑問がめぐる。

 謎の敬称は勿論だが、男の立ち振る舞いにも違和感がある。なよなよしいというか、弱々しいというか……どうにも暗いのだ。こんな立派な城で働いているのに、何故こうも卑屈になっているのか。

 これが個人的な気質によるものなら特に問題ないのだが、どうにも不穏に思えて仕方がない。落ち着いた後で幹奈に相談した方が良さそうだ。

 さて、そうして一人で悩んでいる間に大広間に辿り着く。

 小間使いの男が襖を開いた先では酒呑童子と玉藻前に、調査隊からはよく知らない二人の男が出席していた。この二人が妖の都に対する『政治』を任されているということだろう。

 四人できっちり四角形になっているので、散瑠姫がどこに座って良いのか分からずおろおろしていたが、そこは我らが頼れる巫女頭が花の都側の上座まで導く。冷良は幹奈と並んで散瑠姫の後ろに腰を下ろした。


「揃うたなぁ。ほな、料理運ばせよか」


 玉藻前がぱんぱんと両手を打ち鳴らすと、見計らっていたように現れた小間使いたちがぜんを並べていく。幹奈と冷良の分は無い、この場における巫女の役目はあくまで散瑠姫のお世話だからだ。


「ほな、妖の都と花の都の友好を願って――乾杯」

「「「「乾杯」」」」


 各々がさかづきをあおり、料理に舌つづみを打ちながら軽い世間話で相手の出方を伺う。

 とはいえ、口を挟む権利の無い冷良と幹奈は言うに及ばず、抑止力として付いて来ただけの(そして高度な会話技術も持たない)散瑠姫は大人しく料理を食べるだけにしているし、酒呑童子も興味なさげに酒を飲んでばかりなので、実質は玉藻前と調査隊の二人しか会話していない状態だが。

 そうして各々の料理が二割ほど減った頃、廊下の方からどたどたとやかましい足音と叫び声が聞こえてくる。


「もう宴会が始まってるだとぉ!? どういうこった!」

「ひぃ!? た、玉藻前様の指示であうっ」


 誰かが殴られたような鈍い音の直後に、勢いよく襖が開かれる。

 姿を現したのは修験者の格好で真っ赤な顔に長い鼻、、背に漆黒の翼を持つ荒々しい天狗だった。背後では冷良たちを案内した小間使いの男が痛そうに尻餅を付いている。

 天狗はぎょろぎょろと室内を見渡し、玉藻前に詰め寄る。


「おう九尾の! 俺様抜きで宴会を始めるたあ一体どういう了見だ!?」

「そない叫ばんでも聞こえとるがな。あんたいつ戻ってくるか分からへんかったんやもん、今日中に戻る保証も無かったし、流石に待ってられへんわ」

「あん? 俺ぁ今日の晩餐頃に戻ってくるって伝えてたぞ。そうだよな傍助はたすけぇ!?」

「い、いえ、今初めて――」

「あぁ!? 俺が間違ってるってぇのか!?」

「い、いえ! そんなつもりは……! あの……その……もしかしたら言われてたかも?」

「だろぉ? つまり手前が伝え忘れたのが原因じゃねえか!」

「あぐ……っ」


 傍助と呼ばれた小間使いの男の頭に天狗の拳骨が落ちる。みるからに痛そうで、散瑠姫共々肩を竦めてしまう。


「ったく……まあ、俺の分が無いならしゃーねぇ、こいつで新しく作らせるか」

「鹿……あんたもしかしてそれ取りに行ってたん?」

「おうよ、折角の宴会なんだから豪華にしねえとな。ついでに近くの人間たちから米や野菜やらも提供してもらったぞ」

「……今年ってあちこち不作やなかったっけ?」

「だから何だ? 誰も嫌だとは言わなかったぞ?」

「さよけ。で……さっきから床に垂れとる鹿の血はどないするつもり?」

「だーもう細けえ! 細けえぞ九尾の! そんなもん誰かが勝手に掃除するだろうがよ! 妖の都を牛耳ぎゅうじる大妖怪の一人がそんなせせこましくてどうする! なあ、酒呑の!」


 親し気に酒呑童子の肩を叩く天狗。


「ん? ああ、そうだな……女狐の繊細な妖力制御は俺にも無い力だ」

「だはは! お前は相変わらずどこかずれてやがるな!」


 ずれているというより、話を聞いていなくて適当に答えただけのような気もするが。

 玉藻前が面倒くさそうな溜息を吐いてひらひらと手を振る。


「はいはい、男共のいけずはもうお腹一杯やて。取り敢えず、あんたが持って来た材料どうにかしよか」


 玉藻前が両手を打ち鳴らして小間使いたちを呼び出し、天狗が持って来た食材を厨房へ運ばせた。

 天狗はそのまま散瑠姫の正面にどかりと腰を下ろした。その荒々しい所作に、散瑠姫の肩が小さく跳ね上がる。

 と、そこで天狗も調査隊側から向けられる困惑の視線に気付いたらしい。


「おっと悪ぃ、名乗るのを忘れてた。俺様の名は崇徳すとく、泣く子も黙る天下の大天狗よ!」


 玉藻前の時と同じく、胸に飛来したのは驚きではなく納得だ。むしろ、先程から残る一人はどこだろうと気にしていたくらいだ。

 ここに、妖の都を牛耳る者が揃った。

 その気になれば神々にすら喧嘩を売れる大妖怪たち。それが三人も集まっている光景は改めて見ると圧巻で、手に汗を握らずにはいられない。彼らが存在しているだけで、大広間の空気が重さを増しているかのようだ。

 それでも、調査隊としての役割は果たさなければならない。改めて、冷静に玉藻前との会話を続ける責任者たちに畏敬の念を抱く冷良だった。

 さて、こうなると気になるのが、途中で空気をぶち壊してくれた崇徳の態度だ。

 初めの内はあり合わせの果物を片手に大人しく酒を飲んでいたのだが、料理が運ばれてくると気分が盛り上がったのか、やたらと騒がしくなってきた。


「美味え! これも美味え! がはは! いい感じに酒も回って来たぜ!」


 しかもよく食うよく飲む。次々と空になっていく皿や酒壺に、花の都側の面々は呆気に取られるばかり。


「んー、しかし何か足りねえなぁ」

「たらふく飲んで食うといてよう言うわ」

「こんなんじゃまだまだ満腹にゃならねえよ。そうじゃなくて、どことなく寂しいというか、盛り上がりに欠けるというか……」


 腕を組んで考え込む崇徳の視線が、不意に正面に座る散瑠姫――の後ろに控える冷良と幹奈を捉え、口元に嫌らしい笑みを浮かべる。


「おい、そこの娘っ子二人、暇ならこっちに来て酌でもしてくれよ。飯も分けてやるからよ」


 置物に徹していたら思わぬ危機。

 とはいえ、上司が同席している冷良が対応に悩む必要は無く。


「恐れながら、我らは散瑠姫様のお世話をする巫女であり、傍に控えること自体が役割でございます。どうかご容赦を」

「あん? 俺様の頼みを無下にするってのか?」


 ――瞬間、息苦しいほどの重圧が座敷に広がった。

 崇徳はまだ何もしていない、ただ幹奈を睨んでいるだけ。

 だが、理屈を超えて本能に直接叩き込まれる『死』という概念の嵐は、もはや暴力と何ら変わり無く、この男もまた酒呑童子と玉藻前に並ぶ化物なのだと、否応なしに理解させられる。

 女神にすら物怖じせず意見する幹奈の胆力も、この暴威を受け止めるには力不足。表情を保つだけで精一杯で、身体中からかつてないほどの冷や汗を流していた。

 だが、大人しく崇徳に従うこともしない。ここで折れては、本来仕える相手である散瑠姫の面目を潰すことになるからだ。

 巫女頭である幹奈を動かせるのは、この場において一人のみ。


「……二人共、酌をお願い」


 散瑠姫の声色は平静だった。少なくとも、場の重圧に屈したなどと邪推じゃすいする余地が無い程度には。


「承知しました、散瑠姫様」


 特に反論もせず応じた幹奈に視線で促され、立ち上がって小間使いから酒瓶を受け取る。位置的に一番近いのは玉藻前だったので、深く考えずにそのまま彼女へ酌をした。


「箱入り娘かと思うとったけど、意外とやりはるね」

「え……?」

「崇徳に、やなくてうちらに酌をさせた。これで少なくとも、崇徳の脅しに屈した形にはならへん……こっちで主導権握れたかもしれんのに、残念やわぁ」

「……」


 それは花の都側である冷良に話してもいい内容なのだろうか?


「おっと、うちらは頼み事する側やったわ。失敬失敬」

「は……はは……」


 多分、自分はからかい相手として標的にされている。心の中で勘弁と叫ぶ冷良である。

 さて、一人目から中々心臓に悪い酌だったわけだが、難所はまだ残っている。特に態度を気にしない酒呑童子は良いとして、いざ崇徳の番が来ると心の中で身構えずにはいられなかった。

 散瑠姫たちの酌に回っていた幹奈も合流し、二人揃って崇徳の両脇に腰を下ろす。そして大きな盃になみなみと注いだ酒を、崇徳は一息で飲み干してしまった。


「ぷはーっ! やっぱり美女に酌された方が百倍美味ぇ!」


 そういうものなのだろうか? こういうことには興味が薄い冷良だが、これが良い男の格式だというなら一度くらいは味わっておきたいところ。

 と、まだ見ぬ未来に思いを馳せていると、興が乗ったらしい崇徳が冷良と幹奈の肩に馴れ馴れしく腕を回し、あろうことかそのまま自分の方へと抱き寄せた。しかも手のひらは気持ち悪く蠢き、冷良たちの身体の感触を楽しんでいる模様。


(#$%&*“%$#!?)


 肌一杯で感じる男の下心に冷良の脳内は地獄絵図。走り回って転げ回って泣き叫んでかっちこちの氷に頭をぶつけて冷たい水に浸かって皮が剥けるほど身体を洗い流したい。絶対に自分は同じことをすまいと固く決意。

 そして身体を触られるのは色々とまずい。泣きたくなるほどの嫌悪感はともかく、冷良の性別がばれてしまう。

 散瑠姫にはまだ本当のことを話していない。事が事なだけに、妹の咲耶姫でも反応が読めなかったからだ。しかも、この場には幕府の人間もいる。

 かといって崇徳を拒否するのは論外、それで機嫌を損ねては元の木阿弥もくあみだ。

 さあどうする? 悠長に考えている暇は無い、今この瞬間に崇徳が冷良に違和感を抱くかもしれないのだから。

 崇徳の機嫌を損ねず、さり気なく崇徳から身を離す。

 出来るのか? 女装している身で、そんな歴戦の美姫がごとき真似が。

 いや、やるのだ――!


「あー、凄くお腹が空きましたー! お腹と背中がくっ付きそうですー!」


 崇徳の顔をちら見。


「ぶふっ!」


 玉藻前が噴き出した。何故だ、飯を分けてくれると口にしていたのだから、今乗っても別に不自然ではないだろうに。


「おっとそうだった、俺としたことが。そら、たーんと食え食え」


 くっ付いたままだと食べずらいので、自然に崇徳から離れて小間使いから箸を受け取る。

 ふと横を見ると幹奈が唖然としていたので、視線で合図を送っておいた。


(さあ、幹奈様も乗ってください!)


 幹奈も無遠慮に身体を触られて気分が良い筈はあるまい。親しい人が嫌な思いをするのは冷良としても嫌だ。

 幸い、幹奈も冷良の後に続いて料理に手を付け始め、どうにかこうにか宴会が終わるまで無難な時を過ごすことが出来たのだった。




 宴会が終わって散瑠姫の客室に戻ると、幹奈がその場に崩れ落ちる。


「幹奈様!」

「妖たちに何かされたのですか!?」


 待機していた巫女たちが泡を食って駆け寄てくる。顔色を蒼白にしている彼女たちに、幹奈は呻くように一言。


「だ、誰か……胃薬を……」


 何か重大な事態でもあったのかと心配していたところに、まさかの胃薬。彼女たちの気持ちはよく分かる、が、途中経過を見てきた冷良と散瑠姫からしてみれば笑い事ではない。

 助平すけべ天狗の魔の手から冷良と幹奈を救った『色気より食い気大作戦』だったが、これには一つだけ穴があった。

 それは、食べ続けていないと間が持たないことだ。

 手持ち無沙汰になってしまえば、また崇徳に身体を抱き寄せられてしまう。

 冷良には切実な理由があったが、何だかんだで幹奈も嫌だったのだろう、箸を動かす手が止まることは一瞬たりとも無かった。

 だが、元来宴会の目的は食事だけではない。むしろ、今回の趣旨を考えれば食事はあくまでおまけだろう。

 調査隊のお偉いさんと玉藻前が(多分)高度な会話をしている傍ら、二人だけが黙々とぱくぱくぱくぱく。

 それに、腐っても育ち盛りの男である冷良ならいざ知らず、幹奈は女性だ。しかも、普段の彼女は食が太い方ではない、そりゃあ胃袋も悲鳴くらい上げる。


「……ご、ごめんね……私が、酌なんてさせた、ばっかりに……」

「……いいえ、散瑠姫様は最善の選択をされたと思います。ただ、ほんの少しだけ、お暇を頂きたく」

「……うん、ゆっくり休んで」


 と、畳の上に座った散瑠姫は膝をぽんと叩き、幹奈に期待の眼差しを向ける。

 ……ゆっくり休めるだろうか?

 そんな冷良の心配を余所に、幹奈は驚くほど素直に散瑠姫の膝を枕にして横になった。どうやら悩んでいる余裕すら無いほど苦しいらしい。


「……帯、緩めてあげて」

「わ、分かりました」


 指示を受けた巫女が幹奈の巫女服の帯を緩める。指示を出した当人はどことなく距離のあった幹奈が甘えてくれたのが嬉しいのか、小さく笑みを浮かべながら幹奈の頭を撫でていた。妹の咲耶姫といい、甘やかすのが好きな姉妹だ。

 と思っていたら、不意にその手が止まる。


「……何事も無く、終わるかな」


 それは冷良や幹奈と同じく、色々な意味でぶっ飛んだ大妖怪たちに振り回されたが故の不安。三人が三人とも初っ端から一生忘れられない衝撃をぶちかましてきたのだ、この先は大丈夫と思うのは希望的観測というものだろう。

 気休めを言うのは簡単だ。だが、それを鵜呑みに出来るほど散瑠姫は鈍くあるまい。かといって無言に甘んじるのも男が廃る。


「大丈夫ですよ、向こうが何か悪さしてきても、僕がぶっ飛ばしますから!」


 ならばせめて大見得くらい切って見せるのが、良い男というものだろう。


「……敵を倒すより散瑠姫様を守ることを優先しなさい、馬鹿者」


 いまいち格好付かなかった。

 まあ、散瑠姫に受けて笑ってくれたので、結果的には良しということで。

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