妖の都

 抜けるような青空のもと、大規模な一団が林道を歩いている。数台の馬車を騎兵と歩兵が囲む陣形だ。一番遅い徒歩に合わせているので、全体の歩みはあまり早くない。


「改めて見ると凄い数ですよねー」

「女神がおられるのです、このくらい当然です」


 一団の中心、一番守りが堅い馬車の中から外を覗いて感嘆する冷良に、幹奈が淡々と言う。

 馬車の中で座るのは散瑠姫に幹奈と冷良、そして同僚の巫女二人……に加えてもう一人。


「ふわ……あ~……暇ねー」


 奉神殿の関係者が集まる馬車の中で一人だけ異彩を放つのは、退屈そうに窓の外を眺める小雪だ。

 何故こんな所に部外者の彼女が紛れているかといえば――


『妖の都かー、そういえばしばらく会ってない知り合いがいるのよねー……よし、私も行くわ』


 こんなである。

 いや、そんな簡単な話ではないのだ、本来は。ただ、冷良が小雪のごり押しをどうしても断り切れず、駄目元で幹奈に相談したところで、話を聞いていた散瑠姫があっさり許可を出してしまったのだ。寄り道をするわけでもないから、馬車の広さには余裕があるから、冷良の身内だから、という理由で。

 そういう問題ではないのだが、他ならぬ散瑠姫が許可を出してしまったなら巫女たちは何も言えない。

 かくして、周囲の『誰だこいつ?』という視線をものともせず、女神が乗る馬車に小雪が乗り込んで来たわけだ。

 さて、今更言うまでもないことだが、小雪と冷良は気心知れた仲だ。血は繋がっておらず、親子とも姉弟とも言い難い奇妙な関係性ではあるが、互いを身内と呼ぶことに何ら抵抗はない。巫女として同僚と接する冷良を『公』とするなら、小雪の傍にいる冷良は『私』であると言える。

 では、両者が一箇所に集っているとしたら?


「冷良~、何か滑らない話でもして~」

「無茶振り!」

「肩が凝ったから肩揉みして~」

「はいはい、それくらいなら」

「膝枕~」

「はいはい」

「ありがと~、後で私も膝枕してあげるから~」

「はいはい……はっ!?」


 ふと周囲に意識を向けてみれば、生暖かーい笑みが沢山。ただし、『にこにこ』ではなく『によによ』という類の。


「ち、違いますから! 今のはやれやれって感じで適当に返事しただけで、膝枕をして欲しい訳じゃないですから!」

「『お姉ちゃん、膝枕して~』ってよく甘えてくる癖に」

「しれっと嘘混ぜるのは止めて! 一体いつの話さ!」

「ええっと……先月だったか、半年だったか、もう少し前だったか……」

「少なくともそんな最近じゃないのは確かだね!」

「……じゃあ、昔は、甘えてたんだ……?」


 散瑠姫の悪意なき疑問が、冷良の羞恥心に止めの一撃。

 撃沈して顔を両手で覆う冷良を、散瑠姫は優しく慰める。


「……私も、よく咲耶と、やるよ、膝枕。お互い、幸せ」


 純粋無垢な笑顔が眩しい。むきになって膝枕を否定するのが悪いことのように思えて来た。

 流石に冷良が哀れになってきたのか、紅が別の話題を振ってくれる。


「膝枕が欲しいわけではありませんが、確かに身体はかちこちですわ……」

「紅さんたちは旅に慣れてないんですか?」

「年に一度お母さまの実家へ帰るくらいですわ。都からそう遠くないので片道二日程度ですし、道中の宿も快適でした」

「今日で七日目ですからねえ」


 紅の台詞には、今回の旅における宿は快適でなかったという意味合いが含まれていた。

 途中までは良かった。花の都に近い集落は勿論、各地に旅団などを当てにした宿が点在しており、最上級のものとなれば貴族が利用するに相応しい格がある。

 だが、ある程度行程を消化――具体的に言うと一団が妖の都の勢力圏に入った辺りから、そういった宿を見かけなくなった。


「僕としては人間の集落があること自体が意外でしたけど」

「いくら妖が集った都とはいえ、妖だけで経済を回すことは困難です。土着の住民や何らかの理由で他所にいられなくなった人間が経済活動に組み込まれ、集落を形成していても不思議ではありません」


 巫女頭として教育された賜物たまものか、幹奈の見識は非常に広い。

 そう、宿が無いとはいえ集落があるなら、そこに泊まればいい話である。実際、集落の住民たちは女神を含む一団の滞在を快く受け入れてくれた。

 ただ、ここら一帯の集落はどこもかしこも質素……いや、有り体に言おう、かなりさびれていた。

 普通であれば、人も物も集まる都に近い集落ほど栄えるのが道理だ。

 だが、今日中に妖の都へ到着する所まで進んで来たのに、集落の寂れ具合はいっこうに改善しなかった。長の家でさえ隙間風が吹き込むあばら屋で、寝床は畳に寝そべってぼろ布を掛けるだけ。育ちの良い紅たちが疲れ気味なのも無理はない。幹奈などはここを散瑠姫の寝床にするのかと、普段の鉄面皮を盛大に引き攣らせていたくらいだ。


「散瑠姫様、お身体の具合はいかがですか?」


 幹奈が散瑠姫の具合を気にするのはこれで何度目か。気苦労では彼女が一番だろう。


「……大丈夫、神域にこもってた間は、いつも地べたみたいな、ものだったから」


 笑えない。冗談なのかそうじゃないのか分からないくらい笑えない。むんっと両腕に力こぶを作る仕草をしているが、話題が繊細過ぎて笑いたくても笑えない。


「……それに、心配なのは、他の皆の方」


 実の所、寝床にありつけただけ散瑠姫と巫女一同はましだったりする。他は泊まる場所が足りずに野宿という有様だったのだから。

 地理にそぐわない寂れ具合。疲れよりも不満よりも、平穏に済まないという不安が、馬車内の空気を重くしていた。平然としているのは小雪くらいだ。

 不意に、幹奈が鋭く目を細め、隣に置いていた刀に手を掛ける。


「幹奈様?」

「妖気です」


 途端、馬車の中に緊張が張り詰める。

 冷良は窓から外の様子を伺ってみた。


「……妖の都にはまだ着いてないですね。お迎えとか?」

「そんな話は聞いていません」


 言うや否や、幹奈は前方のすだれを巻き上げて御者に話しかける。


「何がありましたか?」

「道を何者かが塞いでいるようです」


 冷良も身を乗り出して凝視してみるが、人が多くてよく見えない。


「ちょっと見てきます」

「あ、こら冷良!」


 幹奈の静止も聞かず草履ぞうりを履いて馬車から躍り出る。何事かと視線を向けてくる護衛たちを尻目に先頭近くまでやって来ると、人型や獣型、顔や手足の付いた物など様々な姿の妖たちが行く手を遮っていた。

 ざっと見た限り、数は両手の指でも足りない。しかもこちらを取り囲むように広がっている。

 明らかに友好的でない妖たちを前に、護衛たちは既に臨戦態勢だ。

 それでも、花の都から正式に派遣された調査隊である以上、何も確認しないままこちらから仕掛けるのは許されない。


「我らは霊脈調査の為に妖の都へ向かう者だ! 貴殿らは何者か!」

「何者って大層なもんじゃねえさ。俺たちゃただのか弱い小市民よ」


 応じたのは集団の頭らしい狼男だ。か弱いと自称したが体躯は非常に筋肉質で、獰猛どうもうな顔つきは見るからに奪う側のそれだ。おまけに手下共々嫌らしい笑みを浮かべている。


「自称か弱い小市民とやらが我らに何用だ」

「いやな、最近不作だとかで食い物が少なくてよ、ここいらの連中みんなひもじい思いしてるんだよ。なあ、人間ってのは可哀そうな奴に手を差し伸べる生き物なんだろ? お恵みってやつ。俺らも少しくらいおこぼれに預からせてくれよ」


 林の中から草摺くさずりの音が聞こえたかと思ったら、新手の妖たちが調査隊を左右から挟み込むように姿を現す。


「……お前たち皆、飢えているようには見えないが?」

「いやいや、満腹には程遠いんだ、全然可哀そうだろ?」

「どうやら人間と妖では可哀そうの意味合いが違うらしい」

「そうかい。だったら無理矢理施してもらうことに――!」


 狼男が戦闘の火蓋を切ろうとした、まさにその時だった。

 狼男の顔が背後から鷲掴みにされる。

 ――そのまま、空気を貫くような勢いで空の彼方へと投げ飛ばされてしまった。

 意識が追い付かなかったのだろう、狼男は悲鳴の一つすら上げずに姿を消した。

 だが、あまりに唐突かつ衝撃的な出来事に、調査隊は愚か襲おうとしてきた妖ですら唖然としている。

 そしてそんなことをしでかした巨漢の鬼は、何てことのない調子でのんびりと口を開く。


「念の為に迎えに来て良かった。馬鹿どもの不始末を片づけられる」

「しゅ、酒呑童子……っ」


 妖の誰かが悲鳴のようにその名を叫んだ。


「俺を知っているのなら話は早い。お前たちの我を通したいなら抗うといい。力のみが妖の都の掟だ。強き意思による反逆ならば俺も歓迎しよう」


 酒呑童子の言い方は柔らかいが、妖たちは及び腰で互いの顔色をうかがっている。彼らの脳裏によぎるのは、今しがた空の彼方へと消えた狼男の姿だろう。

 やがて歯向かうのは得策ではないと判断したようで、一人、また一人とこの場を去ってゆく。

 最後の一人がいなくなったのを確認すると、酒呑童子はこちらに対して頭を下げた。


「わざわざこんな所までやって来てもらったのに申し訳ない。妖の都においては、同様の事態を起こさないことを約束しよう」


 足は開いたまま、両手は拳を作ったまま、頭を下げる角度も小さければ申し訳なさそうな表情でもない。冷良が同じことをすれば幹奈から叩かれ、行儀というものを一から叩き込まれる羽目になるだろう。

 だが、今しがた見せつけられた圧倒的な力をかんがみれば、酒呑童子の態度はむしろ謙虚にすら思えてしまう。

 同じことを考えたのかどうかは定かではないが、先程まで妖と相対していた護衛はそれ以上問題を大きくしようとはしなかった。


「こ、心遣い痛み入る」


 多数の妖を前にしても堂々としていた声が、誰にでも分かるくらい震えている。

 それを馬鹿に出来る者は、この中にいないだろう。




 酒呑童子に先導されて進むこと半刻はんこく(約一時間)ばかり。林を抜け、見晴らしのいい草原を抜け、ようやく調査隊は妖の都に辿り着いた。


「おぉ……お……?」


 危険な場所だと理解してはいても、やはり初めての景色ともなれば心躍ってしまうもの。

 窓から外の様子を覗いた冷良は先走り気味に感嘆の声を漏らして、すぐに尻すぼみとなっていく。

 都と称するだけあって賑わいは中々のもの。特に動く者が誰も彼も妖という摩訶不思議な光景は、様々な場所を旅したことのある冷良にとっても非常に新鮮だ。

 ただ、どう表現するべきか……素直に感心するには街並みが色々と残念だった。


「何というか……派手ですね」

「毒々しい、の間違いでは?」


 多分な柔らかさを含んだ冷良の表現を、幹奈は辛口批評で情け容赦なく両断した。

 そう、妖の都を眺めていてまず飛び込んでくるのは、目に痛い原色の数々だ。その源は建物に描かれた落書き? 模様? だったり、外壁の塗装だったり織物だったり。おまけに動物の骨やら甲殻類の殻や甲羅、剥製なんかを飾り付けている建物も多数。その建物が大小どころか縦横すら揃わず並んでいて何が何やら。

 小雪が呆れるように肩を竦める。


「そこらの妖に『秩序』や『調和』の概念なんて存在しないもの。おまけに美意識なんて欠片もない。どうせ誰も彼もが周りより目立つ家を作ってやるって意気込んで、こんな風になったんでしょうね」

「私、妖とか関係なく、こんな所には絶対住みたくりませんわ」


 紅が既にげんなりしているのもさもありなん。巫女は修練の一環として様々な芸事を学ぶ。毎日こんな光景を目にしていたら、育んだ感性があっという間に侵食されてしまいそうだ。

 それに落ち着かない要因はもう一つ。


「……凄く見られてますね」

「集団の客が珍しいだけ、なら別に構わないのですが……」


 珍しい存在がいるなら、誰だって好奇心で目を向ける。

 ただ、向けられる視線の中にはそうでないものも混ざっていて。

 異物、あるいは獲物を品定めしているような、ねっとりとした視線。

 ただ不快であるならまだ構わない。だが、この妖の都において、それらが害意に変わらない保証はどこにもない。

 どちらからともなく、冷良と幹奈は目を合わせる。

もしもがあった時、散瑠姫や紅たちを守る最後の砦はこの二人になるだろうから。

 何も無いならそれでいい。けれどもしもが起こった時、絶対に皆を守る。言葉にせず、二人は決意を固め合った。

 ――直後、壁を突き破るような轟音が馬車の中を揺らした。

 音の源はかなり近い。ともすれば散瑠姫に危険が及びかねないと判断した冷良と幹奈は、即座にそれぞれの得物を携えて馬車から躍り出る。

 すぐに状況を確認すると、馬車からほど近い地面に一人の大柄な妖が倒れてうめいていた。そして彼の前方には扉の壊れた建物、どうやら中から相当な力で吹き飛ばされたらしい。

 体格に違わず頑丈なようで、妖はすぐさま起き上がって店の中へ向かって怒鳴りつける。


「いってえな! 何しやがる!」

「――何をする、はうちの台詞やて」


 ちりん、と、鈴の音が鳴った。

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