姉の覚悟

 幹奈との合流地点に選んだのは奉神殿に近い細路地だ。ここなら酒呑童子の目立ちまくる容姿もあまり注目されない。


「冷良」

「幹奈様! ごめんなさい、急に呼び出して……」

「いいえ、あなたに出来る範囲では最善の選択でしたよ。それで……後ろにいらっしゃるあなたが酒呑――」


 一応念の為だろう、幹奈が確認を取ろうとしたのだが、当の酒呑童子が歩みを止めないまま冷良を追い越し、幹奈の真正面まで移動する。


「刀を持っているのか。お前は侍か?」


 あまりに脈絡が無い問いに、流石の幹奈も咄嗟に二の句が継げなかった。


「……私は巫女です」

「みこ? 巫女とは強いのか?」

「神々をお守りするため、一定の武芸は身に着けています」

「ほう」


 直後、冷良の背筋に寒気が走った。このままここにいては命が刈られるという予感、頭が判断を下す前に、身体が勝手に後ろへ飛び退いた。幹奈も同じものを感じたのだろう、やはり後ろへ下がっている。

 酒呑童子は何もしていない。ただ、劇的な反応を示した冷良と幹奈を観察しているだけだ。


「素晴らしい反応だ。それだけ早ければ俺の全力にもある程度は耐えうるだろう。しかも若い、伸びしろがある。これだけの素材と出会えるとは……女狐の面倒事を引き受けたかいがあるというものだ」

「何の真似ですか! 狼藉ろうぜきを働くというのなら、妖の都の伝者といえど容赦しませんよ!」


 幹奈が刀の柄に手を掛けて居合抜きの構えに入った。冷良も氷の小太刀を造り、いつでも戦えるように備える。


「戦いか? 戦いなら望むところだが、戦いには相応しい戦場がある。お前たちは若い、才能もある。出来るならこんなくだらない戦場で死んでくれるな」


 まともに会話をする気があるのか疑わしいほどに、酒呑童子の言葉は常人の理解を超えている。

 酒呑童子は動かない。先手を譲るつもりなのかもしれないし、先程の台詞をよく考えれば専守防衛に留めるつもりとも取れる。後者ならこちらから仕掛けなければ戦いは回避できる。

 かといって、警戒を緩めるのも非常に勇気が必要だ。それほどまでに今しがた放たれた殺気は驚異的だった。

 戦うか、迎えるか。間違えることの許されない選択に迫られた幹奈は、一切緊張を緩めないままおもむろに口を開く。


「……もう一度尋ねます。あなたは何のつもりで花の都へやって来たのですか?」

「ただ伝者の役割を果たしに来ただけだ」


 あんな殺気を放っておいてぬけぬけと。だが、どうにも嘘をついているようには感じない。というより、よくも悪くも欲に忠実な妖は、あまり腹芸が得意でないことが多い。

 長い沈黙を挟み、幹奈はゆっくりと柄から手を離す。


「幹奈様、いいんですか?」

「ええ。ただの伝者であるなら特に戦う必要は無い、ですね?」

「そうだな」


 幹奈の牽制するような視線もどこ吹く風、酒呑童子は何を今更と言わんばかりに頷く。冷良は完全に納得した訳ではないが、自分たちと近隣住民たちの身を案じ、大人しく小太刀を消した。


「書状をいただけますか?」

「これだ」


 幹奈が酒呑童子から書状を受け取る。


「……あなたは内容について知っているのですか?」

「聞いたが忘れた」

「宛先は花の都の権力者、でよろしいですね?」

「とにかく偉い奴と指定されている」


 予め冷良が知らせているとはいえ、あんまりな大雑把加減に幹奈も頭痛を禁じ得ない様子だ。

 流石の彼女でもこれだけの情報では行動を決めかねるようで、少し悩んだ末に中身を確認し始めた。


「これは……」


 やはりと言うべきか、幹奈は深刻そうに眼を見開く。


「……対応を決めるのは容易ではありません。宿はどうしていますか?」

「どうもしていない」


 もし氷楽庵を通りがかっていなかったらどうするつもりだったのだろうか?


「ではまず宿へ案内しましょう。余所の都からやって来た賓客も利用する格式の高い宿です」

「俺はただ待っていればいいのか?」

「はい、用向きがあれば使いを出しますので」

「そうか」


 不気味なくらい素直だ。

 色々と腑に落ちないことはあるが、幹奈の決めたことに冷良が口を挟める筈もない。

時間が惜しいとばかりにさっさと歩き出した幹奈に続く冷良だった。




「――それで、首尾よく話は通せたのか?」

「どうにか」


 その日の夜、咲耶姫の座敷にて幹奈は本日あったことを報告していた。

 酒呑童子を宿へ預けた後に幹奈が向かったのは、幕府の中枢たる城だ。冷良は時間がかかるということで先に帰されたので、事の詳細はまだ把握していない。


「既に冷良から概要だけは聞いている。酒呑童子とは大物が出てきたものだ、しかも単なる伝者とは」

「差出人はその酒呑童子と並ぶ大妖怪、玉藻前たまもぜんでした」

「九尾の狐か。確か妖の都は酒呑童子、玉藻前、崇徳すとくの三体が支配しているのだったか」

「付け加えるのなら、政治面は主に玉藻前が担っているという噂です。彼女が何らかの絵図を描き、酒呑童子に伝者を任せる……人選が合っているとは言い難いですが、筋は取っています」


 咲耶姫と幹奈が当たり前のように口にするとんでもない単語。聞き間違いではないと確信しつつ、どうしても確認せずにはいられない。


「あのー……玉藻前と崇徳って、あの?」

「あなたの想像で合っていますよ。数多くの国を滅ぼしたとされる九尾の狐・玉藻前、強大な神通力で自然を支配する大天狗・崇徳。どちらも酒呑童子に並ぶ大妖怪ですね」

「しかも今の言い方だと、全員が妖の都のお偉いさんになってるって……」

「お偉いさん――権力者という表現には少々語弊ごへいがありますね。そもそも妖の都は人間社会に馴染めなかった妖たちが集まって自然的に発生したもの。故に支配構造も我々のそれとは全く異なります」

「と言うと?」

「あまり情報が出てこないので私もまた聞きになるのですが……彼の地においては力が全て、無法なのではなく力こそが法なのだと。話に出た三体の妖は、力があるからこそ上位者として一つの都を支配しているのです」

「成程……」


 よくよく考えてみれば、妖は基本的に我が強い。人里に馴染めなかったとすれば尚更だ。そんな連中ばかりが一箇所に集まって都を作るなど、本来は不可能だ。

 その不可能を可能にしたのが件の大妖怪たちというわけだ。確かに妖は純粋な『力』に対しては従順だが、都を作れるほど大量の妖をまとめて支配するなどあまりに規格外。昼間に相対した酒呑童子は、全容の上澄みに過ぎないのだと改めて思い知らされた。

 と、話が逸れたところで同席している散瑠姫が本筋に触れる。


「……それで、玉藻前は……何て……?」

「どうやら近頃、妖の都周辺を走る霊脈の様子がおかしく、自然災害が多発しているようです。妖の都には専門家がいないので、花の都に調査を依頼したいとのことでした」

「何度も遮ってすいません、霊脈っていうのは?」

「各地を巡る力の流れ――世界の血管と思っておけば良いでしょう。良い霊脈の流れる地は様々な恩恵を受け、よく栄えると言われています。逆もまた然り」


 冷良も当事者の一部と見なしているのか、懇切丁寧に説明してくれる幹奈。ありがたいと同時に申し訳ない限りだ。

 とはいえ、ようやく話の筋を掴むことが出来た。


「困ってるなら助けてあげればいいんじゃないですか?」


 素直な意見を口にしたのだが幹奈と咲耶姫は重苦しそうに押し黙ってしまう。散瑠姫だけは『え、違うの?』と言いたげに目を瞬かせていた。


「……妖の都は、黒い噂が絶えないのです」

「黒い噂?」

「各地の盗品や禁制品が市場で流れていたり、訪れた者たちが度々行方を絶っているとか」

「噂っていうか完全に黒じゃないですか!」

「証拠が無いのです。調査の人員を送っても消される可能性が高い、かといって大規模な調査隊を組めば警戒されてしまう。何より、下手をすれば頭目たちの機嫌を損ねてしまうこともありえます」

「妾たち国津神たちは皆『悪意』の封印で力が半減している。妖の都とまともにぶつかるならば、武神を擁する都を複数巻き込む程度はしなければ話にならぬ。それでも、大量の死傷者を出すことは免れまい」


 限りなく黒に近くとも、明確に敵対することは避けたい。深入りしてはならない伏魔殿といったところか。


「……じゃあ、調査の依頼は……断る……の……?」

「それを決めるのは妾たちではございませぬ、散瑠姉様。政は人のもの、少なくとも花の都は、そう在るのです」


 君臨すれど統治はせず。咲耶姫はその立ち位置を崩さない。

 それはきっと単なる放任ではない。信じて、託しているのだ。そんな主の意思を理解しているからこそ、幹奈は速報を奉神殿ではなく幕府へと届けた。

 今回の主体はあくまで幕府、別組織である奉神殿の巫女たちに出る幕は無い。


「事が事ですから、幕府としての方針が決定すればこちらにも報告が入るでしょう。それまでは待つしかありません」

 幹奈の結論に誰も異議を唱えなかったことで、奉神殿としての姿勢が決まったのだった。




 そうして、何の進展も無いまま二日が過ぎてしまった。


「大丈夫なんでしょうか?」

「あまり大丈夫ではありませんね」


 恒例の剣術指南中。蚊帳かやの外ながらも心配をつのらせる冷良の疑問に、幹奈は危機感をもって応えた。

 なお、落ち着いた口調とは裏腹に、二人共そこら辺のごろつきなら袖にしてしまえるほどの鋭い剣戟けんげきを交わしている。幹奈は当然として、冷良は冷良で意識せずとも動きの型が崩れない程度には、身体に剣術が染みついてきた。


「それとなく探りを入れてみましたが、どうやら幕僚の間で意見が割れているようです。主に『妖の都が何を企んでいるか分からない、依頼など却下すべき』という意見、『この依頼を機に妖の都へくさびを打ち、抑止力にするべき』という意見に分かれています」

「どっちも間違ってるとは言えないですよね」

「とはいえ、前者は依頼を無下にされた玉藻前たちから恨みを買う可能性がありますし、後者を取るにせよかの妖の都に入り込むとなれば、安全を確保することも難しい。選択を迫られた時点で、花の都は苦境に立たされたと言ってよいでしょうね」

「うわっと!?」


 憂慮を見せながらも、手元の刀は容赦なく警戒の甘い箇所を狙ってくるのだからたまらない。躱して躱して小太刀や氷の刃で斬撃を逸らしても、織り込み済みとばかりにすぐさま次撃が飛んでくる。


「とはい、えっ! あんまり長引くのも――ほっ! 不味い、です、よ、ねっ!」

「ええ、伝者としてやって来た酒呑童子が気掛かりです。妖だからと差別する訳ではありませんが、彼が人間社会の道理に理解を示して、気長に大人しく待ってくれる姿の想像がつきません」

「むしろっ、今まで宿で大人しくっ、してくれてるのがっ、意外ですよっ!」

「騒ぎが起こっていないことから察するに、どうやら用意した宿の部屋から一歩も外に出ていないようです」


 相対した酒呑童子はまさに唯我独尊ゆいがどくそんで行く妖だった。人間に合わせて待ってくれているとなるといっそ不気味だ。


「だからといって、いつ変わるか分からない伝者の気分を当てにするのは危険です。幕府には遅くとも明日中には結論を出して欲しいところですね」


 あるいは、そうしてこちらを焦らせるために、伝者として酒呑童子が選ばれたのかもしれない。

 となれば、彼を選んだ妖の都には何らかの思惑がある筈で。

 行ったこともない妖の都が、魑魅魍魎ちみもうりょううごめ魔窟まくつのように思えて仕方なかった。

 ――そして次の日も、幕府は方針を示すことが出来なかった。




 朝も早い時間から、奉神殿の正門で幹奈と幕府の役人が対峙している。


「いたずらに時を浪費する愚は我々もわきまえているのです。それでも危険に対する認識の違いから、お互いに妥協点も見いだせない次第でして……」


 腕を組んで難しい表情で意見を聞く幹奈に対し、役人は顔色を青くして額に流れる汗を何度も拭っている。汗が止まらないのは、ここへやって来るまでの疲れだけが理由ではないだろう。


「将軍の意見はどうなっているのですか?」

「依頼を受けるべしと。しかし、依頼を受けるにせよ相手は妖の都、確実性の担保たんぽが難しく、反対派を抑えることが出来ないでいます」

「……欲しいのは、姫様のつるの一声ですか?」

「それは……」


 口ごもる役人に、幹奈は目を細めて凄みを見せる。

 咲耶姫と将軍を比べるなら、立場は疑いようもなく咲耶姫が上だ。ただ、それぞれを長に仰ぐ奉神殿と幕府の立場も準ずるかといえばそうでもない。組織として見るならば、どちらも都の運用には欠かせないからだ。どちらかが上か明言してはならぬという不文律まであるとのこと。

 とはいえ、この場面だけを見た者にどちらが偉そうかと問いかけたなら、答えは火を見るより明らかだろう。

 明確な上下が存在しない筈の幹奈を相手に、役人がここまであからさまに恐縮しているのは、彼の要件が女神の口添えなんて生易しいものではないからで。


「あ、妖の都を牛耳ぎゅうじるのは世に悪名高き大妖怪たち、ともすれば将軍でさえ気分次第で惨殺しかねない者どもです。そしていざという時、人間の手だけで要人を守り切るのは難しい。向こうが手出しを躊躇う抑止力の存在が必要なのです」

「だからと言って姫様を危険に晒すつもりですか!」

「咲耶様? え? 幹奈様、どういう……」


 話が見えず問いかける冷良に、幹奈は苦虫を嚙み潰したような表情で答える。


「ただ争うだけならともかく、神を殺しでもすれば他の神々が黙っていません。いかに強大な妖といえど、世界中の神々を敵に回せばひとたまりもないでしょう」

「咲耶様がいれば妖の都も手を出しづらくなるって訳ですか」

「しかし、時に人の道理を簡単に超えてくるのが妖というもの、力ある個体ならなおさらです」


 結局のところ、その気になれば単独でも生きていける高位の妖を、人間の常識で計りきることなど出来はしない。予想に予想を重ね、あるかもしれない僅かな綻びの可能性でも、飲み込むには咲耶姫の命は重すぎる。

 だが役人の方も切羽詰まっているようで、門番の巫女二人に冷良と幹奈の刺すような視線を浴びても、顔色が青を通り越して土気色になるだけで退却まではしない。

 幹奈たちと役人、どちらにも譲れないものがあり、どちらも間違っている訳ではない。堂々めぐりのまま時間が無駄に過ぎていくと思われたその時だった。


「……わ、私が……行く」

「「散瑠姫様!?」」


 茂みからいきなり姿を現し、新たな選択肢を投げ込んだのは散瑠姫だった。少し遅れて同僚の巫女も姿を現す。申し訳なさそうに頭を下げる様から、好奇心旺盛な女神を止めようと奮闘した跡がうかがえる。


「……話は、聞いてた。私は、『悪意』の封印に、関わってないから、神力万全。何かあっても、対処しやすい、し、もし死んでも、咲耶よりは、困らない」

「それは……っ」


 何かを言い募ろうとして、言葉に詰まる幹奈。

 言われてみれば成程と頷ける提案だった。散瑠姫も女神であるのだから抑止力としては十分。いざという時の対応力、花の都における重要度も合わせて考えれば、むしろこれ以上ないほどの適役だ。

 合理に沿った正論。

 けれどそれは、全て良しと肯定してもいいものだろうか?

 脳裏に浮かんだ疑問へ、冷良は否を叩き付けた。


「それは駄目です、散瑠姫様」

「……冷良?」


 政治的な判断が出来るほど冷良は視野が広くないし、大きな責任や義務があるわけでもない。

 だからこそ、単純だが決して忘れてはいけない事実だけを気にしていられる。


「理屈が間違っていなくても、自分が死んでもいいみたいな言い方は……咲耶様も僕たちも、凄く悲しいです」

「あ……」


 散瑠姫は世間知らずだが、身近な他者の気持ちを考えられないほど愚かではない。冷良に指摘され、申し訳なさそうに目を伏せる。


「……ご、ごめんなさい」

「あ、頭は下げないでください! そこまで悪いことじゃないですから!」


 散瑠姫が頭を下げた途端、幕府の役人がぎょっと目を剥(む)いた。人間であれば美徳とされる謙虚さも女神としては異質。特に外部の人間に見られると色々と面倒なことになる。


「何事か!」


 どうやって誤魔化したものか。そんな冷良の焦りに助け舟のごとく響いたのは、咲耶姫の鋭い叫びだった。

 声が聞こえた方向へ視線を送ってみれば、建物の中から一人の巫女を伴った咲耶姫が歩いて来るところだった。事態に気付いた他の巫女が助けを求めたというところか。

 会話の出来る距離まで近付いて来た咲耶姫は、視線で幹奈に説明を求める。


「妖の都の霊脈調査において、安全を担保する抑止力として姫様の同行を嘆願されたのですが……」

「……私の方が、色々と適任」

「……成程」


 案の定と言うべきか、咲耶姫は渋い顔だ。花の都の行く末と姉の身の安全、彼女にとってはどちらも手放し難い存在だろう。それでも決断しなければならない。

 と、懊悩おうのうする咲耶姫の頭に散瑠姫が手を置いた。


「……大丈夫、ちゃんと、戻ってくるから」

「散瑠姉様……」

「……だから、お願い。私を、皆の役に、立たせて?」


 死んでも大丈夫だから、ではなく、皆の役に立ちたいから。あるのは自身の軽視ではなく、散瑠姫なりに固めた覚悟。

 それを、姉を敬愛する咲耶姫が拒むことなど、出来る筈もない。


「……どうかご無事で」

「……うん!」


 この後、女神のお墨付きを貰った役人は城へすっ飛んでいった。

 尊き女神が身体を張るというのだ、人間たちが危険を前に及び腰でいるわけにもいかない。後日幹奈経由であらましを聞いてみると、ほぼ即決だったという。

 こうして、花の都は妖の都より持ち込まれた霊脈の調査依頼を受けることになったのである。

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