終章
都を彩る飾り付け、あちらこちらから聞こえる祭ばやし、それすらも掻き消してしまう大量の客引きの声。
皆が待ちに待った、夏祭りである。
時間帯としては陽が沈み、周囲に夜の
だが、たまの祭は
天は星空、地は真昼。祭でしか見れない非日常に、誰もかれもが浮かれ放題夢見心地。
そんな中で冷良は――
「外の氷! 大分溶けてるわよ!」
「はいはい!」
「
「はいはいはい!」
「氷を削ってる暇も惜しい! 雪でも乗せときなさい!」
「それはかき氷って言うのかな!?」
「呼ばれてるわよ! 行ってらっしゃい看板娘!」
「しれっと約束してない仕事混ぜるのはやめて!」
雪崩のように押し寄せる注文という、夢もへったくれもない現実に四苦八苦していた。
夏祭りの熱気は気分を高揚させるものの、その分だけ体感温度は非常に高い。質の高い
氷菓を売りにする氷楽庵は今がかき入れ時、幕府と周辺住民から許可を得て場所を広く取り、滞在時間に制限を付けて最大限客を回転させているのだが、それが忙しさに拍車をかけている。
あっという間に身体が熱を吸収してしまうので、厨房には大量の冷気をばら撒いている。品物を取りに来る臨時雇いの給仕たちは寒そうだが、雪女からしてみればこれくらい冷えていないとやってられない程度には熱い。
「なあ、降臨の儀どうする?」
「そろそろ行こうぜ。女神様を直接見る折角の機会なんだ、良い場所取らねえと」
降臨の儀に関する話題が増え、客足が落ち着く頃には全員へとへとだ。
「そろそろ僕も行かないと」
「あと一刻(約二時間半)!」
「行かせる気無いよねぇ!」
「そんなに怒らないでよ、言ってみただけじゃない」
いや、目が本気だった。
「もう売り上げ目標は越えたんでしょ? ならもう少し客数を絞って余裕持たせなよ」
「うー、分かったわよぉ」
「それじゃ、僕は――」
「じゃあ綺麗な着物で単価の高そうな客を引っかけてくるのは――」
「行ってきます!」
「ああっ、ついでで大丈夫だからぁ!」
面倒うんぬん以前に媚び媚びな衣装を着るのが嫌なのでお断りする次第。
そうしてやって来た塔の大地の
舞台の周囲は柵で囲まれて立ち入りは禁止されているが、冷良は構わず乗り越える。巫女服を着ていて関係者なのは丸分かりなので、特に止められたりしない。
向かった先は舞台の裏。松明は設置されているものの肝心の火が付いておらず、周囲と比べて不自然なほどに暗いその場所で、巫女たちが塔の大地と舞台の間に道を作るように並んでいる。
「ただいま到着しました!」
「遅いですわよ! 間に合わないんじゃないかと思って冷や冷やしましたわ!」
開口一番、生真面目な紅からお叱りを頂戴してしまった。
「ごめんなさい、すぐに僕も並びます!」
「お待ちなさい。冷良さん、まさかそのままの恰好で並ぶつもりではありませんわよね?」
「そうですけど……?」
「きょとんとしないでくださいまし! 髪はぼさぼさ、服装は乱れ放題、化粧も崩れてる! そんな有様で大切な行事に挑むつもりですの!?」
「ああ、成程」
修羅場から人混みをかき分けて直行してきたので、身だしなみを気にしている余裕も無かった。
「って、不味い!
「だから遅いって言ったんですのよぉ! ええい、櫛は私のを使って、化粧は……乱れてるくらいなら落としましょう! あなたならそれでも見れます!」
「二人共早く! もうすぐ姫様がいらっしゃいます!」
「「ひぇ~~~~~!」」
進行役の巫女に急かされて、慌てて身だしなみを整えてもらう冷良だった。
とまあ舞台裏はあたふたしつつ(暗がりで距離も離れているので、観客には気付かれていない、多分)、予定通りに降臨の儀が開催される。
「これより降臨の儀を開始いたします。ご来場の皆様、どうか静粛にお待ちください」
進行役の巫女が告げた瞬間、喧嘩の野次馬もかくもと言うほど騒がしかった観客たちが、一人の例外もなく一斉に口を閉じた。
松明に火が付けられ、列を作る巫女たちの姿が薄暗闇の中から浮かび上がる。
が、目に分かる変化はそれだけ。そのまま十ほど数えても何も起こらない。
――初めに『それ』を捉えたのは誰だっただろう。
ちりん、と、透明感のある鈴の音。
ざわめきは起こらずとも、観客たちの尊敬と期待に満ちた表情を見ていれば丸分かりだ。それが一つ、二つ。ゆっくり、静かに、感情の波が広がっていく。
やがて鈴の音が小気味よく聞こえる頃には、奉神殿へ続く階段から降りてくる二つの人影がくっきりと見えるようになってくる。
二人の影が地面に降り立ち、
先に現れたのは厳かな装束に身を包んだ幹奈だ。手には
だが、そんな幹奈でさえ、本日は単なる案内役に過ぎない。
彼女に続いて姿を現すのは濡れ羽色の髪、黒曜石のような瞳、そしてこの世のものとは思えないほどの美貌を有する天上の華。
花の都が誇る祭神、木花咲耶姫である。
咲耶姫の姿を目の当たりにした観客たちは、誰に言われるまでもなく
巫女、とりわけ幹奈と冷良にとっては日常の一部となるほど近しい咲耶姫だが、一般の住民からしてみれば姿を拝めるのは特別な日だけ。だからこそ、その数少ない機会では精一杯の敬愛を向けるのだ。
舞台まで辿り着き、案内役の幹奈が後ろへ下がって控えると、咲耶姫はおもむろに口を開く。
「皆、面を上げよ」
決して大きくはない、けれどよく通る声だ。
それでようやく咲耶姫を堂々と見れるようになった観客の顔ときたら。老若男女に至るまで、憧れの人を前にしたように瞳を輝かせるわ、咲耶姫の美貌にやられてうっとりとしているわで、全員子供と変わらない。
「今年も無事に夏祭りを開催することが出来た。これもひとえに皆のたゆまぬ努力の
内容自体はよくある定型文のような口上だ。
それでも女神から直接
「人と妖の営みが合わさって未だ十年、世界は
咲耶姫はあまり長い口上を好む部類ではない。最低限のことを伝えたらすぐ
だが今年に限ってはまだ続きがある。
「時に皆、妾の姉については知っているな?」
不意に投げかけられた問いで、観客たちの間に疑問が広がった。口にこそ出しはしないものの、隣にいる者と困惑顔で視線を交わし合っている。
「姉は長年行方知れずであった。しかしこの度、その所在を突き止め、現世へ連れ帰ることに成功した」
流石に今度はざわめきを抑えることは出来なかった。
祭神である咲耶姫の神話は、花の都で暮らす住民であれば殆どが知っている。
故に、散瑠姫の発見と現世への帰還は、花の都を揺るがす一大事件なのだ。明日はこの報せが
咲耶姫が舞台の中央から横に退く。
そして幹奈に案内され、新たな女神が舞台に上がる。
途端、観客たちが息を呑んだ。
それはあまりにも目立つ顔の
冷良の位置から舞台に立つ散瑠姫の顔色は伺えないが、内心では怯えているのが容易に想像できる。
かつて大勢の神々の前で、彼女は
だが、実の所これを申し出たのは散瑠姫自身だ。
冷良たちが幽世から現世へ戻った際、咲耶姫共々気を失っていた散瑠姫だが、目を覚ました後は神域での暴れぶりが嘘だと思うほど物静かな性格に変わっていた。初対面の時から警戒心を差し引いたような印象だ。
紅から聞いた限りでは凄まじい姉妹喧嘩があったようだが、最終的には無事仲直りが出来たようで何より。あの時ばかりは幹奈と瓊瓊杵共々安堵でその場にへたり込んだものだ。
さて、長年神域に引き込まっていた散瑠姫は、当然ながら自らが君臨する都市を持たない。妹である咲耶姫の元に身を寄せるのは自然な流れだろう。
そして事が行方知れずだった女神の所在という重要案件なだけに、世間に知らせない訳にはいかない。
情報の伝達だけなら幕府が
ここが
「何が
空気が読めないのか、あるいは読んだが故なのか、人混みの中から男の叫び声が聞こえてきた。
呼応するように、同じような声があちらこちらから出始める。
「過去のことは気にしないで、胸を張ってください散瑠姫様!」
「というかむしろ、化粧したら咲耶姫様にも負けない
「誰が化狸だって!?」
「言ってねえ!」
「そのままでも十分お綺麗ですよー!」
叫びは次々と波及し、やがて聞き分けるのも難しい一つの歓声となる。
元より、正面切って女神を罵倒する命知らずなどいはしない。だが、心にもない、立場故のおべっかでもないことは雰囲気で分かる。花の都の人々は散瑠姫を受け入れたのだ。
不意に、散瑠姫が俯いて肩を震わせ始めた。両手で顔から拭っているのは涙だろうか? 幹奈は大慌てだが咲耶姫は特に気にしている様子がない。ただ微笑ましそうに見守っているだけだ。
「姉の詳細な処遇はいずれ神々の間で取り
そうして咲耶姫の口上は締めくくられた。お次は神輿に乗って都を練り渡るのだ。今年は散瑠姫のお披露目も兼ねる。
巫女は神輿に付き従うのが決まりだが、例によってと言うべきか冷良には別の役目がある。最近特別扱いが多すぎる気もするが、理由が理由なので特に文句も上がっていない。
冷良は神輿に上がる咲耶姫と散瑠姫に注目が集まっているのを見計らい、そっとその場を後にする。
やって来たのは大通りから一つ脇へそれた細路地だ。地上を煌々と照らす明かりも入口までしか届かず、一歩踏み込んだだけで別世界に入り込んだように錯覚してしまう。
そこに待ち人、いや神が壁に背を預けて佇んでいた。
「まるで
「主と上司と同僚に至るまで周知の事実ですけどね」
「浪漫というものを知らんのか」
相手が男な時点で全力で遠慮したい次第。
さて、散瑠姫の神域で両足の骨を砕かれるという重傷を負った瓊瓊杵だが、同じく渦中にいる咲耶姫は生命を司る女神。
そう、以前冷良も世話になった生命力を活性化させる権能である。
とはいえ瓊瓊杵の怪我はあまりにも酷く、今の咲耶姫は神力を十全に扱えるわけではない。散瑠姫の権能を介して巫女たちから少しずつ生命力を分けてもらいながらも、どうにか歩けるようになったのは今朝のことだ。あるいは、完全に砕けた骨を一週間で元通りにしてしまった権能を凄まじいと称すべきか。
瓊瓊杵が手に持っていた竹製の
「……飲むか? 甘酒だ」
「いただきます」
盃をあおってひと心地。疲れた身体に栄養たっぷりな甘味が染み渡る。
大通りでは花火が上がり、神輿の到来を今か今かと待つ住民たちは皆大はしゃぎだ。
そんな光景を、瓊瓊杵は眩しそうに眺めている。
「……良かったんですか? 本当のことを世間に明かさなくて」
「俺がやったのは
「けど……やっぱり頑張った人が皆から嫌われたままなのは納得出来ないですよ」
瓊瓊杵が人目を憚ってこんな場所にいるのもそれが理由だ。折角散瑠姫が見つかってお祝いの雰囲気なのに、彼女を傷つけた当人がいては水を差してしまう。
彼の主張が理解出来ないわけではない。ただ、感情が追い付かないだけだ。
口を尖らせる冷良に、瓊瓊杵は何事かを考えている様子で。
「……まあ、建前は置いておこう」
「え……?」
「実際の所はな、単なる男の意地だ?」
「ん? んん?」
「努力は隠す方が格好いいだろう?」
「あ――あぁああああああああああああああ!」
納得した。超納得した。確かに、下手に名声を求めるよりも厳格に自分を律している感があって格好いい。
「おう……えらい驚きようだな」
「いや、まさに目から鱗だったもので。そうかぁ、確かに何も言わない方が神秘的で実直感がありますもんね」
「おお、そなた分かる口か。女子はあまり理解してくれんと思っていたが……」
中身は男なもので。残念ながら男心に理解のある女子ではないのだ。
と――
「神輿が近付いて来たな」
神輿のあるところに歓声あり。大通りを覗かなくても、神輿が近付いて来ているのは冷良にも分かった。
折角の同僚や咲耶姫、散瑠姫の晴れ舞台なので、冷良も首だけを出して神輿を見物することにした。
煌びやかな神輿の上で、咲耶姫が慣れた様子で笑顔を振り撒いている。散瑠姫は先程の挨拶で勇気を使い切ったのか、奥まった位置からおっかなびっくり手を振っていた。
不意に、何か姉妹で通じるものでもあったのか、咲耶姫と散瑠姫の視線が交差する。そしてはにかむように笑い合うのだ。
その様子は、ただの仲が良い姉妹と何ら変わらなくて。
「良い景色だ」
瓊瓊杵の呟きに、全力で同意する冷良だった。
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