木花散瑠姫

 ――みにくみにくい散瑠姫! よくもこの場にやって来れたものだ!

 げらげらげら、げらげらげら。

 新たな夫婦の先行きを言祝ことほぐ場で、嘲笑という名の暴力が荒れ狂う。

 げらげらげら、げらげらげら。

 響き渡る笑い声は毒のように意識を侵食し、少しずつ正気を削り取っていく。今すぐにでもこの両耳を切り落してしまいたいくらいだ。

 何故、こんなことになってしまったのだろう。

 不安も不満も迷いもない、満ち足りた生を送って来た。それはこれからも続く筈だったのに。

 調和の取れた美しい世界が崩れてゆく。暗く、醜く、いびつに。

 げらげらげら、げらげらげら。

 嗚呼ああ、一体何故。

 何故自分は――?


    ◆


「ん……」


 暗闇の中から意識が浮上する。

 初めに視界に入ったのは、丁寧に加工された木材を使い、職人の手で組み上げられたと思わしき天井である。複雑に彫刻された欄間らんまうるし塗りの箪笥たんす、鮮やかな絵の描かれた襖など、派手ではないが煌びやかな座敷だ。

 自分の神域とは大違い、という感想を抱いたところで、気を失う直前のことを思い出して弾かれるように身体を起こす。

 瓊瓊杵に何をされた? ここは何処だ? 何故自分はこんな所にいる?

 間欠泉のように湧き上がる焦燥は、けれど直後に投げかけられた呼びかけによって一瞬で消し飛ばされることになる。


「散瑠……姉様」


 その呼び方、その声。例え幾年経とうとも忘れる筈が無い。


「……咲耶」


 大勢の巫女を傍に置き、不安げな表情でこちらを伺うのは、かつてと全く変わらない、血を分けた実の妹。

 そして、散瑠姫の中で点だった疑問が線として繋がる。


「……瓊瓊杵を差し向けたのは、お前か……!」

「え……?」


 不思議には思っていたのだ。何故、瓊瓊杵は自分の元へやって来たのか。

 瓊瓊杵は散瑠姫を笑い者にしたが、執着する理由はない。男からすれば醜女しこめなど路傍の石、捨ててしまえばそれで終わりなのだ。

 だが、同じ女であるなら、同じ血を分けた者であるなら、自分を引き立てる踏み台として、散瑠姫ほど丁度良い存在はない。


「……私を神域から引きずり出して、今度は巫女たちの前で笑い者にするつもり……!」

「ち、違います! 妾はそんなつもりなど……!」

「……誤魔化しても、見え見え……!」


 散瑠姫が手をかざすと、床板を突き破って枯木が現れる。


「――っ」


 咲耶姫も畳を叩き、木を生やして迎え撃つ。

 だが、咲耶姫が呼び出した木は何故かやたらと細く、何本もの枯木が咲耶姫へと迫る。

 と――


「せー……の!」

「おーっとー!」

「うひゃあ!」


 盾を持った巫女たちが間に割って入り、攻撃を防ぐ。

 そこへ続くのは薙刀を持った巫女たち。盾に阻まれてまごついている枯木を的確に切り裂いていく。


「薙刀持ちは無理に迎え撃とうとはなさらないで! 盾で受けて切るを徹底してくださいませ! 姫様に何かあれば幹奈様と冷良さんに顔向けが出来ませんわよ!」


 勇ましいげきに元気よく応える巫女たち。

 やはり、咲耶姫の美貌は多くの者を惹きつける。

 ――自分の傍には誰もいないのに。


「うぁあああああああああ!」


 憎い? 妬ましい? 嫌悪? どれでもいい。とにかく視界に映る忌々しい美貌を排除しなければ、この胸で燃え盛る炎は消えない。

 人数がいるからどうした、自分は神、人間がいくら集まろうがものの数ではない。


「あ痛っ!」

「きゃっ!」

「うぐ……」


 やはり所詮は人間。策を弄する必要もなく、ただの力押しであっという間に崩れていく。


「消えろ、消えろ消えろ消えろ……!」


 自分が持たない全てを持つ咲耶姫も、そんな咲耶姫に味方する人間も、皆消えてしまえばいい。

 咲耶姫の巫女――持ち物が次々と傷ついていく。胸の内がほの暗い愉悦で満たされ、口の端が上がるのを実感しながらも止められない、いや、止まる必要もないのだった。

 昂ぶる感情に任せるまま、咲耶姫にはべる目障りな者共を蹂躙しようとして――


「幹奈様謹製きんせい!」


 先程仲間に檄を飛ばしていた巫女が何かを床に叩きつけた直後、座敷を埋め尽くす煙が一瞬で広がった。


「けほっ!」


 特に体調が変化したりはしない。単なる目くらましだろう。小賢しい。

 とはいえ、こんなもの時間稼ぎにもならない。大きな枯木を一振りさせればこれこの通り――


「でやぁあああああああああ!」

「――っ!?」


 白い煙が晴れて視界一杯に鮮やかな色が広がったと思ったら、胸元に衝撃を受けて後ろへ倒れ込んだ。

 咲耶姫が自ら飛び掛かって来たのだ。彼女はそのまま散瑠姫の身体の上で馬乗りになる。

 女神以前に女として常識外れな行動には驚いたものの、向こうから近付いて来たなら丁度良い。このまま枯木で捕まえてじわじわと生命力を吸い取って――


「そんなに妾が嫌いですか、散瑠姉様!」


 ――その問いは、何故か意識に深く響いた。

 直前までの殺意を一瞬忘れるくらいに。


「……嫌いに、決まってる……!」


 咲耶姫が口を引き結び、唇をきつく噛みしめる。

 その、自分は傷つきましたと言わんばかりの表情がしゃくにさわる。

 何も知らない癖に。醜女というだけで笑い者にされ、自分の全てを否定される苦しみも、どす黒い嫉妬に塗れた自分と向き合う苦しみも。


「……女は結局、顔で、判断される。顔の醜い私は、誰からも、必要とされない。けれど、お前は違う、私に無い物、全部持ってる。どうして……お前、ばっかり……! 姉妹なのに、どうして、私だけこんな……!」


 嗚呼ああ、恨み言をぶつけている筈なのに、どうして自分の方がこんなに泣けてくるのか。

 なんて、惨め……。


「……散瑠姉様の言いたいことは分かりました」


 嘘つけ、あの程度で何が分かるものか。

 いけしゃあしゃあと。

 何という傲慢。

 さっさとその口を潰して――

 ――直後、乾いた音が耳朶じだを打った。


「……?」


 咲耶姫が平手を振り抜いたような恰好をしている。

 そういえば、頬が熱い。触ってみると冷たい手の体温が心地いい。

 いや、これは痛いのか?

 もしかしなくとも、自分は頬を叩かれたのか? あの妹に?

 何故だろう、胸の内から何かが込み上げてくる。怪我を負って痛みを感じたことくらいあるが、これはそういうものとは違う。

 同時に、燃えるような怒りが意識を埋め尽くして。


「……ああっ!」

「――っ」


 やられたことをそっくりそのまま返してやった。美しい顔が赤く腫れあがっている、ざまあみろ。

 だが、あろうことか咲耶姫は更に追撃をかましてきた。

 ――いいだろう、その喧嘩買った。

 叩く、叩かれる。何度も何度も繰り返す。取っ組み合いになり、馬乗りになる側が何度も入れ替わる。

 叩くだけではない、口を引っ張る、髪も引っ張る。肌を引っ掻く、腕には噛みつき、しまいには蹴りまで繰り出す。お互い女神云々以前に、女として少々、いやかなりみっともない有様だ。視界の端で、巫女たちも唖然としている。

 権能を使えば咲耶姫を殺すことは簡単だ。

 けれど、それはやらない。多分だが、それでけりを付けてしまうと、二度と拭えない敗北感を味わう羽目になる。

 だから、この身一つで感情をぶつける。


「妾だけ恵まれている、そういう言い草でしたね!」

「事実! あの時も、笑われたのは私だけ……!」

「散瑠姉様は、妾が悩みの一つもないあんぽんたんだと思っているのですか!」

「違う……!?」

「違うに、決まっているでしょうがぁ!」


 今度は頭突きが来た。かなり効いた、頭がくらくらする。

「妾だって、散瑠姉様をうらやんだことくらいあります!」

「嘘!」

「他者を惹きつける気品が! 心に寄り添う優しさが! 妾にはありませぬ!」

「何……を……」


 咲耶姫が何を言っているのか分からない。

 だって、彼女が持っていなくて、自分だけが持っている物なんてある筈がないのに。


「ご存知ですか? 父様の御山で暮らしていた時、動物が寄って来るのも、迷い込んだ人間が最初に心を開くのも、散瑠姉様ばかりです。そして今、傍にいる者が傷ついているのに、妾はどうすることも出来ませんでした。姉様なら特に何かを考えるまでもなく、その傷を癒してしまうのでしょうね?」


 この顔は知っている、自身が嫌いで嫌いで仕方ない者の顔だ。

 他者への醜い嫉妬を自虐で誤魔化す、卑屈な顔。

 あの、咲耶姫が。


「誰からも必要とされない、自分ばかりと……これでは、ずっと姉様を誇りに思って、嫉妬していた妾が馬鹿のようではありませんか!」


 まるで頭を殴られたような衝撃だった。

 つまるところ、咲耶姫も同じ? 互いに無いものねだりをしていただけ?

 そんなこと……そんなこと――


「う、わぁああああああああ!」

 

 ――今更知っても、もうどうしようもない。お互い様と片づけるには、募(つの)らせた恨みが大きすぎた。

 だから止まらない、止まれない。感情をぶつけるしかない。

 当然咲耶姫も大人しくなどしない。やられただけやり返してくる。

 何度も、何度も何度も傷つけあう。

 もはや全身の痛みはおろか、何度も相手を叩いた手のひらの感覚も怪しくなってきた。

 何故、自分はこんなことをやっているのだったか? 精魂尽き果てて思考がまともに回らなくなって来た。

 それでも手だけは動かす――目の前にいる相手を傷つける度に抱く感覚、頭の中にある霧が晴れていくようなそれが、妙に心地よくて。

 ふと気が付けば、涙を流し過ぎて顔がぐちゃぐちゃになった咲耶姫の姿が目に入った。

 ――せっかく綺麗なのに、勿体ない。

 涙を拭おうとして、同じように伸ばされてきた妹の手を握る。

 少し思い出した、今は姉妹喧嘩の真っ最中だ。

 けれど――


『散瑠姉様!』


 溜まりに溜まった心のよどみみを全て吐き出し、後に残っていたのは、幾年経とうとも決して色せることのない、大切な妹と過ごした日々の記憶。

 嗚呼ああそうだ、結局のところどれだけ妬み、恨んだとしても、切り捨てることなど出来はしない。


「……咲耶……」

「散瑠姉様……」


 この世に二人としていない、ただ二人きりの姉妹なのだから。

 遠くから駆け付ける足音を聞きながら、随分と久しぶりに晴れやかな気持ちで、散瑠姫は眠りに落ちた。

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