贖罪の果て
木の
氷の小太刀を作り出し、木の繭を細切れにする。解放された瓊瓊杵の身体がのしかかってくるが、冷良の体格では支えきれずそのまま後ろへ倒れ込んだ。
「これは……」
瓊瓊杵の両足がまるで軟体生物のように曲がりくねっている。中身の骨がどうなっているかは……考えたくない。
「幹奈様!」
「運べますか?」
「当然! あわわ……っ!」
無理に瓊瓊杵を背負おうとして、その体重を支えきれず足がよろめいた。
「……運ぶのは私がやった方が良さそうですね」
「面目ないです……」
「こればかりは向き不向きの問題です」
冷良に代わって運搬役を引き受けようとする幹奈だが、伸ばした手が瓊瓊杵によって払いのけられた。
「この馬鹿者共が! 何故こちらへ来た! 散瑠姫は本来の神力を有した神、咲耶姫一人ではひとたまりもないのだぞ! お前たちは自分たちの祭神を見殺しにするつもりか!」
死に体とは思えない激昂の叫び。瓊瓊杵が今回の事態にどれほどの想いを抱いていたのかが伺える。
しかし、しかしである。人を散々振り回した上で悪びれるどころか、むしろこちらが言わんばかりのこの態度。そろそろ一発くらいは殴っても許されるのではなかろうか。
一応重傷人の瓊瓊杵をゆっくりと地面に下ろし、改めて顔を合わせる。その怒りと焦燥に満ちた余裕のない表情を見ていると、不思議と腹の底でうごめいていた諸々の感情が冷え込んでいくのを感じた。
「咲耶様からの伝言です、『妾と妾たちの巫女を舐めるな、勝手に終わらせるな』って」
冷良が散瑠姫と共に現世へ置き去りにされた後、尋常ではない叫びを聞きつけて同僚の巫女たちのみならず、傷心中の咲耶姫と療養中の幹奈まで駆け付けた。
当然と言うべきか、事情を説明すると咲耶姫も幹奈も唖然としていた。
何せ放蕩、軽薄、冷酷、ろくでなしを絵に描いたような男が、様々な危険を無視してまで散瑠姫を連れ出し、役職持ちとはいえ一介の巫女でしかない幹奈に親身な助言を残したのだから。
咲耶姫としては、念願だった姉との再会が叶ったのだから万々歳だろう。
だが、彼女はろくでなしの仮面に隠された瓊瓊杵の想いを察せないほど愚かではなく、それを
故に、冷良と幹奈を瓊瓊杵の救助へ向かわせたのだ。散瑠姫のことは他の巫女たちの力を借りて自分でどうにかすると。
「お前たちはそれを
事情を聞いても瓊瓊杵の声色から非難の感情は消えない。
主の命令に逆らえる巫女などいない。それでも真に主のことを想うなら、命令に逆らってでも主のことを守るべきではないか。言外にそう言っているのだ。
「それは――」
冷良が反論しようとした時、聴覚が異音を捉えた。
考えるより先に氷の小太刀を作り出した直後、周囲から大量の木が飛び出して襲い掛かって来る。
「でや!」「し――っ!」
動けない瓊瓊杵を互いの背中で挟むように冷良と幹奈が攻撃を防ぐが、切っても切っても次から次へと新しい木が生えてくる。
狙いは直接的で捉えるのは難しくない。が、とにかく数が多い。数の暴力とはよく言ったものだ、もはや点の連撃というよりは面による圧力という感覚の方が強い。
初めて経験する集団戦、意識を集中させなければあっという間に飲み込まれてしまうだろう。
だが一つだけ、絶対に伝えておかねばならないことがある。この戦いが必要の無かった、無駄なものだと思っているであろう自己中男に。
「瓊瓊杵様、さっきの続きですけどね! 僕たち咲耶様に言われたんですよ」
――妾はそなたらのことを信じている。そなたらは……妾を信じてはくれぬか?
「そんなこと言われちゃったら、信じて任せないわけにはいかないでしょーが!」
咲耶姫の安全を優先することは、彼女への不信を意味する。単なる神と巫女ではない、それ以上の絆を紡ぐ者にとって、決して容認してはいけないことだ。
そして、多くのものを抱え込みすぎた幹奈にとっては更なる意味があった。
「瓊瓊杵様、あなた様が仰っていたではありませんか、『罪には功を』と。私は姫様が最も望む結末の為にこの身を捧げます。それでようやく、私は自分を許すことが出来る」
静かながらも毅然とした口調で言の葉を紡ぐ幹奈は、当然今この瞬間も次々と襲い来る木の攻撃を悠々と捌いている。修練で何度も見せて貰った剣技は実戦において更に研ぎ澄まされ、絶え間なく走る剣閃は稲妻の如し。
しかも、弟子の様子を気に掛ける余裕まであるときた。
冷良はちゃんと気付いている、自分が隙を突かれそうになる度に幹奈が助けを入れてくれていることを。怒涛のような連打に辛うじて対処出来ているのは師のおかげであることを。
歯がゆい。昨夜姫に後を託され、瓊瓊杵には偉そうなことを言っておいて、肝心なところで幹奈におんぶにだっことは。
目で追えない訳ではない。ただ、様々な方向から大量に、しかも型のない攻撃をひたすら防いでいると、時折どう頑張っても対処の追い付かない局面が出てくるのだ。
斬撃が遅く、手数が足りないからだ。
もっと速く、二刀の利を生かせ。判断は瞬時に、踏み込みは深く。
もっと、もっと――
「落ち着きなさい」
息つく暇もない攻防の中、一閃と共に差し込まれた幹奈の言葉は朗々と意識に響いた。
「早く動こうとするあまり、体勢がぶれています。それでは斬撃が乱れるばかりですよ」
「け、けど幹奈様……!」
「焦らないで」
叱咤するのではなく諭すように。
「背伸びをしようとせず、今のあなたが出来ることを全力で成しなさい。あなたはそれが一番。安心なさい、後ろには私がいますから」
出来ることを成す。当たり前のようで、今の今まで頭からは抜け落ちていた。
そうだ、冷静さを欠いて余計に幹奈の足を引っ張っていては本末転倒ではないか。
背負っていた荷物が肩から降りたような感覚。不思議と視界が澄んで見える。
小太刀を振るう。ただがむしゃらに攻撃を追うのではない、むしろ意識するのは自分の動き。無理をせず、手の届く範囲に。届かない範囲は幹奈が完璧に処理してくれる。
落ち着いて視野が広くなったからだろうか? そうしている内に段々と幹奈が助けを入れてくれる機――何手先で自分の対処できない攻撃が来るか、事前に分かるようになってきた。
――これが戦いの流れを意識するということです。
ここ最近の修練で幹奈から口酸っぱく言われていることを思い出す。中々感覚を掴めなかったが、もしかしたらこういうことなのかもしれない。
無駄を削ぎ落して動作の効率化を繰り返し、斬撃と立ち回りが洗練されていく。
現在進行で強くなっていく実感という、得難い経験を味わいながらも、冷良の中ではもやもやが募っていた。
強くなっていくからこそ、今の自分にこなせる上限が見えてきてしまったのだ。あるいは動きを洗練していった結果、今の自分に足りないものが浮き彫りになってしまったと言うべきか。
なまじ目では追えてしまうので非常にもどかしい。
――せめてもう一本腕があれば。
無いものねだりをしてしまうのは人でも妖でも神でも同じのようだ。どうでもいいことを考えて雑念はいけないと振り払おうとして、思考に待ったをかける。
意味のない妄想と切り捨ててしまいそうだが、実の所多数の腕を持つ妖自体はちょこちょこ存在する。
雪女には関係ない? その通りだ、雪女とはそういう妖だ。
では雪女はどういう妖だ? 決まっている、氷雪を操るのだ。両手に持っている小太刀はどうやって作り出した?
――そういえば、どうして自分は剣技だけで戦っているんだったか。
以前幹奈と真剣勝負した際は、攻防を小太刀と氷雪で明確に分けて戦った。剣術を幹奈から習って日が浅く、変に混ぜて戦ってもまともに太刀打ちできないと判断したからだ。
今もまだ氷雪と剣術を完璧に織り交ぜた戦いが出来るとは思えない。
だが、足りない部分を氷雪で補うくらいなら――
「いけっ!」
二本の小太刀では追い付かない攻撃、幹奈が切り伏せるであろう木を氷の刃で寸断する。
幹奈が息を呑む気配。手ごたえを感じた冷良は彼女にきっぱりと告げる。
「もう大丈夫です!」
「言いましたね?」
顔は見えないが、恐らく幹奈は笑っている。今こそ踏ん張る時、寄せられた期待に応えられなくて何が良い男だ。
「冷良……そなた……」
瓊瓊杵は瓊瓊杵で何か感じ入るものがあるらしいが、気にしている暇はない。
代わりに、という訳でもないだろうが、幹奈が瓊瓊杵に声を掛ける。
「眩しいですね」
「……ああ」
「少し前の私なら目を逸らしていたかもしれません。瓊瓊杵様は……今も自分を許せませんか?」
「許したとも。咲耶姫の元に散瑠姫を返して、ようやく俺の贖罪は終わった」
声色自体は晴れやかなのに、活力は微塵もない。
瓊瓊杵はきっと、既に自分の生を見限っているのだ。贖罪の先に何も見い出しておらず、今は単なる猶予期間。あるいは長き旅路の蛇足といったところか。
初めから自身の終わりを定めていたのか、あるいは目的を果たしたら結果として危機に陥ったのかは分からない。
どちらにせよ、自責と他者からの侮蔑に塗れた贖罪の果てが、ほんの一時の解放感だけで終わりなどあまりにも――
「どうして皆、自分がぼろぼろになるまで抱え込んじゃうんですか」
それは穏やかな日常が狂い始めてから、冷良が心の底でくすぶらせ続けてきた想いだ。
己の不出来を嘆く咲耶姫、消せない罪悪感に押しつぶされた幹奈、自分を許すまいと誓ってしまった瓊瓊杵。
当然ながら、一番苦しいのは思い悩む当人たちだろう。
だが、全く頼ってもらえず、何も出来ないまま傍で見ていることしか出来ない立場も――とても辛い。
「お願いだから、自分を責めないでくださいよ! 少しくらい荷物背負わせてくださいよ! 僕じゃ頼りにならないかもしれないけど――」
傍から見れば、これも単なる独りよがりなのかもしれない。
ならばせめて、覚悟を示そう。
「――伸ばされた手は、絶対に掴んで離さないから!」
今ここに誓いを立てる。
「……頼る、か。思い返せば、俺たちからはその発想自体が抜けていたな」
「他者を頼る。それ自体はごく一般的なことであり、恥ずべきことではございませんね」
言葉少なく通じ合う幹奈と瓊瓊杵が何を思うのか、全く違う生き方をしてきた冷良では想像すら及ばない。
けれど、今はそれで構わない。
自分の想いが届いたことだけは、二人の声色で実感出来るから。
「冷良、幹奈、やって欲しいことがある」
「お任せあれ!」
「内容を聞く前に返事をしないでください。いつか騙されますよ?」
「けど、神様の頼みって拒否出来るんですか?」
「……ふっ、私としたことが」
一本取られたとばかりに幹奈は微笑んだ。つぼに入ったのか瓊瓊杵も吹き出したが、すぐに気を取り直してとある地点を指差す。
「向こうに黒い穴のようなものが浮かんでいるのが見えるか?」
「あれですね、実は僕も気になってました」
少なくとも、前回来た時にはあんな物は無かった筈である。
「あれは神々が『悪意』を封印した領域に繋がっている。今塞いでおかなければ今後何が起こるか分からん。幸い、あの穴を塞ぐだけなら今の俺でもやれる」
「つまり、あそこに瓊瓊杵様を連れて行けばいいんですかね?」
「その通りだ」
「了解です! とはいえ……」
「まずはこの攻撃をどうにかしないといけませんね」
先程から冷良と幹奈の二人掛かりで何本もの木を切り伏せているが、後から後から次が生えてきて一向に堪えている気配がない。
「これの本体は地下深くに隠れている、生えてくる木はいくら切ったところで痛手にはならんぞ」
「地下深くって、どのくらいですか!?」
「分からん、お前たちでどうにかしてくれ」
「丸投げ!?」
やはり神は身勝手はなはだしい。
だというのにその『いつも通り』で落ち着いて調子が上がってしまうのは、慣れたと言うべきか毒されたと言うべきか。
「どうしましょうか幹奈様、掘ります!?」
「もしも刀で地面を掘ることを考えているなら、私は剣術の師としてあなたに教育を施さねばなりません」
「あっはっは、まっさかー!」
冷良は慌てて脳内に浮かんでいた想像をかき消した。首筋に刺さる視線が痛い。
「何にせよ困りましたね。地中となると私では手の出しようがありません」
冷良は難しい表情を浮かべた。冷良の持ち札――剣術と氷雪でも地中深くの敵に届かせるのは無理……。
……地中と氷雪。
二つの単語から、冷良は小雪との二人旅で立ち寄ったとある集落のことを思い出した。
他愛のない話だ、泊めてもらった家の扉の立て付けが悪く、幼い冷良が開閉に四苦八苦しただけというもの。
何でも、当時は記録的な大寒波によって地面が凍り付き、それによって柱や木枠に圧がかかって歪んでしまったのだとか。珍しい話だったので記憶にも印象深く残っている。決して、閉じ込められたと勘違いして泣き叫び、小雪に大笑いされたからではない。
重要なのは、地面でも凍ることがあるということだ。
「幹奈様、こういうのはどうです?」
冷良は思いついたことを幹奈に話す。
「ふむ、勝算はありそうですが……可能なのですか? と、聞くのは野暮なのでしょうね」
「勿論! ただ……」
「集中している間あなたも無防備になってしまうのでしょう? よろしい、十……いえ、十五数えるまでは瓊瓊杵様共々守り抜いて見せましょう」
流石、頼もしい限りだ。
冷良は瓊瓊杵の傍まで下がって小太刀を片方消し、もう片方に妖力を込め始めた。
周囲を気にする必要は無い。幹奈がやると言ったのだ、ならば完璧に役割を全うしてくれるだろう。
万難は排され、心に揺らぎはない。雑念を取り払い、ただ一つの目的へ向けて全身へと意識を張り巡らせる。
無形の力を集め、維持することは決して楽なことではない。退魔士が霊力の行使に呪符や儀式を用いるのは、それだけ意思のみによる力の制御が難しいということだ。
冷良も今回ほど大量の妖力を一度に操るのは初めてだ。少しでも油断すれば集めた妖力は一気に飛散してしまうだろう。元に戻る訳ではないので、失敗してしまえば集めた妖力は全て無駄になる。そしてまた同じだけの妖力を絞り出す自信は無い。
それでも、冷良の心に不安が忍び寄ることは無い。
咲耶姫は自分を信じて送り出してくれた。幹奈は自分を信じて今も戦っている。それについ先程大口を叩いたばかり。
――ここで決めなければ、男が
「幹奈様、準備出来ました!」
「ふっ!」
冷良の呼びかけに合わせて幹奈が後ろへ下がる。
途端、阻む者のいなくなった枯木が一斉に殺到し――
「凍てつけ!」
――冷良が小太刀を地面に突き刺した瞬間、凍り付いて動きを止めた。
同時に、声なき悲鳴が空間を揺らがせる。
冷良の考えはごく単純。
敵の本体が地中深く(位置も不明)なら、周辺一帯地中深くまでまとめて凍らせてしまえばいい。
故にやったこともごく単純、集めた雪女の妖力を全力で地面に放っただけ。効果のほどのほども一目瞭然だ。
だが、敵が悲鳴を上げているということは、まだ活動を続けているということ。
「くたばれぇええええええええ!」
広範囲、高威力という無茶を敢行しながらも、最後の時まで決して気を緩めない。終わった後のことが心配になるが、後のことは後で考えればいい。
不意に、一本の枯木が地表に現れた。絶賛冷気を放出中なのだが、力を一本に集中させているのだろうか? 敵ながら凄まじい執念だ。
「やらせると――思いますか?」
まあ、あえなく幹奈に切り落とされてしまったのだが。
今の一本が最後の悪あがきだったようで、空間の揺れは徐々に小さくなり、やがて完全に沈黙してしまった。
「はあっ……はあっ……」
身体的な疲労に加え、頭に重くのしかかるような虚脱感が冷良を襲う。一気に大量の妖力を捻り出したからか、その制御が予想以上に精神の負担になったのか。
疲労困憊の冷良に代わり、幹奈が周囲の気配を探る。やがて彼女が刀を鞘に納めたことで、冷良も肩から力を抜くことが出来た。
「お、終わったー!」
「まだ終わりではないぞ。早く穴を塞いで咲耶姫たちの元へ戻らねば」
「そうでした!」
咲耶姫のことは信じている。とはいえ、心配するかどうかはまた別の話。
冷良たちは両足の砕けた瓊瓊杵を穴の傍へ運び、封印を施すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます