刀剣好きでも仕方ないじゃない、だって男の子だもの
「近頃の巫女は武術もかじるとは聞いていたが、今のはかじるといった
――んなわけあるか!
という突っ込みは喉元で抑えた。相手は神だし、淑女はそんな野蛮な台詞使わない。
幹奈が修行は終わりとばかりに刀を収める。
「私は……退魔士の家が出身なもので」
台詞を途中で濁したのは、母である梢が起こした事件のことだろう。
世間的には幹奈が娘としてけじめをつけたということになっているが、それでも大罪人の娘が巫女頭のままであることに反発する意見が皆無という訳ではない。ましてや罪状は神殺し未遂。その噂は都を飛び越え、三ヶ月であっという間に各地へと広がっていた。
しかも瓊瓊杵が治める宝の都はここ花の都から一番近い都。当然祭神の瓊瓊杵も幹奈が大罪人の娘であることは承知済みの筈だ。
ここは咲耶姫が暮らす奉神殿。いかに神とて他神に仕える巫女頭へみだり手は出せないと思うのだが、瓊瓊杵がどんな反応を示すか予想できなくてにわかに緊張が走る。
が。
「ほっほーう、ただでさえ巫女頭は高い教養を求められるというのに、実戦級の実力を持つ退魔士とは。まさに文武両道。咲耶姫め、ここまで粒揃いとは、本当にどうして」
普通だ。特に怒るでもなく嫌悪するでもなく、普通に驚いて幹奈を称賛している。
外面を良く見せている? いや、確かに女たちの前では
「ちなみに冷良の方は? 半妖なのだから退魔士の出ではなかろう?」
「あ、えっと……小さい頃から英雄譚なんかが好きで、自己流で修行してたらそれを見た幹奈様が弟子にしてくれたんです」
思考に沈んでいたせいで、不意に飛んできた瓊瓊杵の質問へ馬鹿正直に返してしまった。
流石に女子が英雄譚好きというのは妙に思われるか?
かすかに湧き上がる冷良の心配を蹴り飛ばすように、瓊瓊杵は目を瞬かせて快活に笑った。
「はっはっは! そのなりで英雄譚が好きと申すか! うーむ何だろうなこの感覚は、外面と内面の落差が矢のように心に刺さり、今まで以上に興味を惹かれてしまう。もしや、これが世間で言われる恋というものか?」
「違います。絶・対・に、違います」
違和感を抱かれなくて良かったと安心している場合ではない。身の毛もよだつ勘違いは可能性に至るまで木っ端みじんに叩き潰しておかねば。
「英雄譚が好きというならば、こういった物にも興味があるのではないか?」
と、瓊瓊杵が腰に差していた鞘を抜き、鯉口を切って少しだけ中身の刀身を覗かせた。
瞬間、冷良は自分でも過去最高と思える早さで瓊瓊杵の傍へ移動し、目の前にある剣以外の全てを意識から排除した。
「この微かに緑がかった不思議な刀身……
「お、おう、そこまで知っているのか」
「当然ですよ! 神話で一番有名な剣って言っても過言じゃないんですから!」
「いや、これの別名をあれだけ
はっと我に返る。
だって仕方がないじゃないか、男子だもの。刀剣が大好きでも不思議ではなかろう。
が、女子としては大変珍妙である。冷良の(女子としては)型破りな言動の数々、咲耶姫の激情すら笑って流すような神が、目に見えて引いてしまう程度には。
「さ、最近は女子でも有名どころの英雄譚なら読むようになってるんですよ。僕はその中でも特にどはまりした口です」
いけるか? 筋は通っている筈。視界の端で幹奈が頭を抱えているけれども。
「そ、そういうものなのか?」
「そういうものなんです!」
とにかく断言する。実際の世間がどうなのかは知らないけれども。
しばらく困惑していた瓊瓊杵だが、やがて冷良の口車を自身の中で咀嚼したのか、納得したように頷いた。
「人の移ろいは早い、そういうこともあるか」
信じた! 誤魔化しておいて何だが、まさか本当に信じるとは。この神、ちょっとばかり世間知らずが過ぎるのではなかろうか。
「持ってみるか?」
何にせよ全ては
「いいんですか!?」
「半妖に持たせてはならぬという決まりはないからな」
瓊瓊杵からの許しを得たことで、冷良の中から遠慮(と女子の振る舞い)が消えた。
自身の細腕で落とさないよう細心の注意を払いながら受け取り、鯉口を切って刃を覗かせる。
「おぉ」
冷良は別に刀剣の審美眼など持っていない。緑色の紋様が浮かぶ刀身は不思議だなと思う程度だし、無骨さと荘厳さを兼ね備えた柄の造形も凝っている以上の感想は出てこない。
だが、憧れの神剣がこの手にある。その事実だけで気分は最高潮、今この瞬間は間違いなく一生ものの思い出になるだろう。
というより、恐らく刀剣としての良さに意味などあるまい。
草薙剣。神々でも随一の武神・須佐之男命がたずさえた至高の一振り。意思を持たない筈の物でありながら、ただそこに在るだけで
奇妙な縁が生んだ一生に一度の体験。視覚は勿論、手が感じる重さも、全身で受けている神々しさも、何一つ忘れないよう記憶へ深く刻みつける。
しばらくして目を閉じ、現実ではなく刻みつけた記憶を
「お返しします」
好意で与えられた機会とはいえ、いつまでも瓊瓊杵を放置している訳にはいかない。
神剣が手元を離れると我知らず大きな息が吹き出し、大量の汗が今まで忘れていたかのように溢れ出す。集中するあまり気付かなかったが、神ならざる身で神器を手にすることは、それだけ大きな重圧を伴うことなのだ。
「堪能出来たか?」
「そりゃあ勿論ですよ! 誰もが知る伝説の神剣ですよ!? 一般人からしてみれば殆ど
一瞬たりとも無駄に出来ない夢のような時間が過ぎ去れば、当然後に出てくるのは怒涛のように湧き上がる情動の奔流。
まくし立てるように自らの感動を語る冷良だったが、目の前で呆気に取られている瓊瓊杵の顔を前にして冷静になった。
そう、瓊瓊杵である。
あろうことか(女装しているとはいえ)男の自分に迫り、あちこちへ色気を振り撒いて女を片っ端から掻っ攫っていく男の敵――いや間違えた、女性の顔を貶し、大勢の前で笑い者にした男の風上にも置けない輩。
今ここで馬鹿正直にはしゃいでしまえば、吊り下げられた餌にまんまと食いついた形になるのでは?
「けふん、貴重な体験をさせていただき、誠にありがとうございます」
今更かもしれないが、粛々と感謝の礼を口にする。
危なかった、あそこで我に返らなければ少しだけ心を許してしまうところだった。瓊瓊杵、恐るべき策士だ。
「うむうむ、喜んでもらえたようで何よりだ」
分かってる分かってる、とでも言わんばかりの満足げな笑みが腹立たしい。
「それで、だ。俺も先程から気になっている物があってな。代わりと言っては何だが、見せてはもらえまいか?」
「気になっている物、ですか?」
「あれだ」
と、瓊瓊杵が指差したのは、松明が届かない暗がりの中。そこにあってなお大きな存在感を放つ、木に立て掛けられた一振りの大太刀。
他でもない、冷良が父から譲り受け、幹奈が師となるまで毎日振り回していた大切な大太刀である。
「ああ、あれですか」
「この奉神殿にあのような大物を扱える者はいない。かといって奉神殿の庭に無駄な物が放置されたままの筈もなし……なに、ちょっとした好奇心というやつだ」
言われてみれば確かに、ここが女の集う奉神殿であることを考えれば、刃渡りが五尺(約一・五メートル)を超える大太刀は異彩を放つだろう。
「あれは僕が父から譲り受けた物です。小太刀を扱うようになってからは持ち出す意味も無くなってるんですけど、それまでずっと振り回してたからでしょうかね、鍛錬の時見える場所にあると落ち着くんです」
「なんと、あの大太刀を? 冷良が?」
「あはは、まあ、まともに扱えていたとは言えませんけどね」
「それも英雄譚に影響されて、ということか?」
「ああいえ、英雄譚は好きですけど鍛錬とは別です。僕、目標があるんです。強くなって、父上のようなぁ――!?」
遠いようで近い在りし日。初めて幹奈に大太刀の素振り姿を見られた時のことを思い出しながら語っていると、当の幹奈から思いっ切り足を踏まれた。
冷良は悲鳴をすんでのところで喉元に収め、横に抗議の視線を送りたい衝動を必死に抑え込み、はて何か会話に不味い内容でも入っていたかと思い返す。足を踏まれる直前、自分は何を喋ろうとしていただろうか?
…………。
……分かった、確かにこれは不味い。
「……つ、強くなって父上のように皆を守れる存在になりたいんです」
冷良は巫女だ。巫女とは女だ。女が『良い男』になりたいだなんて嘯(うそぶ)いてどうする。
幹奈は素早く最小限の動きで足を踏んできた。おまけに空は曇天、光源は頼りない松明のみ。冷良との会話に意識を向けていた瓊瓊杵が、幹奈の横槍に気付くのは困難な筈。
「ふむ、求めるのが実戦級の強さとなれば難儀な道だ。が――」
ちらりと瓊瓊杵は幹奈を
「良い縁に恵まれたようだな」
「は、はあ……」
「と、話が逸れたか。あの大太刀かここにある疑問もあったが、実は大太刀そのものにも興味が出てな。差し支えがなければ見せてもらえないだろうか?」
「は、はい、それくらいなら勿論!」
幹奈への一瞥には意味深なものを感じたが、追及してこないならわざわざ藪を突く必要もない。冷良は神剣を見せて貰った礼を兼ね、さっさと瓊瓊杵の意識を大太刀へ移してもらうことにした。
「どうぞ」
「うむ……ん?」
「ああ、色んな人に試してもらったんですけど、どうやっても鞘から抜けないんですよ。幹奈様によると、不思議な気配を感じるから何らかの術で封印されているんじゃないかって」
「確かに、ただ古くなって抜けなくなったわけではなさそうだ」
「分かるんですか」
「俺は神だぞ? 神秘ならお手の物だ。と、言いたいところだが……」
と、難しい表情で大太刀を凝視する瓊瓊杵。
「来歴については見当もつかん」
「そうですか……まあ、刀身が見れないんだから仕方ないですよね」
「そういう意味ではないのだが……」
「……?」
「いや、詮無きことだ。そら、返すぞ」
「もういいんですか?」
「ああ、十分観察した」
軽く眺めたようにしか見えなかったが、本人が満足しているなら口は挟むまい。
大太刀を受け取った冷良は、瓊瓊杵がやたらと楽しげな笑みを浮かべていることが気になった。
「……何か?」
「いやなに、神として長き時を過ごしているが、久しぶりにここへ来てからは新鮮なことばかりだ。現世の移り変わりとはやはり早いものだな」
「そ、そうですね?」
納得出来そうで出来ない回答だが、冷良が違和感の正体を掴む前に瓊瓊杵は会話を次へと進ませてしまう。
「出来るならこのまま閑談に興じて無聊(ぶりょう)を慰めたいところだが……はは、安心するといい、限りある命の大切な時間をこれ以上奪いはしない」
……もしや嫌そうな表情を浮かべていたのだろうか? 思わず愛想笑いが引き攣ってしまう冷良である。後、幹奈の視線がとても痛い、突き刺すどころか貫通せんとばかりに痛い。
穏やかに冷良たちを振り回した瓊瓊杵は、満足げに暗がりへと歩き去っていくのだった。
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